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Episode 1: 2817年12月 アヘンの誘惑(前編)

 人と人は、どうしたら分かり合うことができるのだろう。


 その答えを、我々はまだ知らない。


 そこに答えがあるかどうかも分からない。


 だが確かなことが一つある。


 愚かなことに、我々はまだ分かり合うことを諦めてはいないのである。




 イギリス、オランダ、スペイン、アメリカなどなど。


 諸国の国旗が並んで掲揚されており、その後ろには洋館が立ち並んでいる。


 それを第十七学芸課イチナナの四人が、遠目に眺めていた。今回は彼らがハル・ウォードンを学芸員として迎えて初めての仕事であったが、しかしその異様な光景に彼らは一抹の不安を感じ取っていた。


 なぜならばここは、19世紀、中国の広東港を模した展示地区だからである。


 当時の東洋建築で埋め尽くされている街の一画だけに、異なる文化の風が吹いている。


 まるで嵐の予兆のように。


 しばしの無言をココ・レオーネが破った。


「ここは夷館いかん区域と呼ばれる外国人居留区域だ。この場所でしか清朝とヨーロッパとの交易は許されていなかった。さて、学芸員のハル君。この時代における清とイギリスの関係と言えば何かな?」


「……分かりません」


「あらら。基本中の基本だけどなー。じゃあジム君。先輩としてお手本を見せて上げなさい」


「えっと、確かイギリスは清から茶を輸入し、逆に清にはインドを介してアヘンが輸出されていたんでしたっけ?」


「うーん、間違っちゃいないんだが。ソニア君はどうだい?」


「そもそもはイギリスが茶を多く輸入したため、清との貿易が赤字になってしまったことが遠因と言われています。その赤字分を取り戻すために、イギリスは当時植民地だったインドで栽培したアヘンを清へ輸出して、対価として銀がイギリスへと渡った。この三者の関係から、三角貿易と呼ばれています」


「うん、まあ上出来かな。だが、ちと足りない」


「え、そうなんですか?」


「ソニアは教科書の知識に頼りすぎだよ。教科書だって、それを書いた人間の主観というフィルターを通っているんだ。今のソニアの答えはね、全てイギリスが主語になってるんだよ。清が何を考え、どう行動したかが抜けているんだ。大体、私たちは今、どこにいるのさ? 目の前にあるそのものを観るべきだよ。観察眼は、歴史を語る学芸員に必要な力の一つさ」


 そう言ってココは夷館区域を指差す。


「清は、この場所でしかヨーロッパとの交易を認めなかった。それは清にとってヨーロッパと"取引"していたという認識がなかったからさ」


「そうか、朝貢ちょうこう貿易ですね」


「なんですか、それ?」


 耳慣れない言葉に、ハルは眉間にしわを寄せた。


「簡単に言えば、清が王様だから、他の国は貢ぎ物を持ってこいということだよ。貿易における対等な関係ではないんだ」


「それに付け足すと、当時、形式的にはヨーロッパとは対等の関係で貿易をしていたんだ。でも清は歴史的に対等な貿易というものをしてこなかった。システムは変わっても、人はそう簡単には変わらない。官僚たちの中には朝貢と認識していた者たちも少なくなかったはずなのさ。その中途半端な付き合いのツケが、あれだ」


 ココの視線の先には、市民のアンドロイド達が軒先に佇んでいた。


 長い髪を後ろに束ねた弁髪の彼らは、長いストローのような管を口に咥えて、小さな容器の中のものを吸っている。


「あんな蝶々みたいなことをして楽しいのかね」


 ぼやくココに、ジムが口を挟む。


「分かっているとは思いますが、麻薬は吸えば誰だって少なからず禁断症状が出るんです。心が弱いから麻薬に溺れるとか、そんなんで済む話じゃありません。突き詰めれば、ごく当たり前の化学反応なんですから。だから麻薬は恐ろしい。もっとも彼らはロボットだから、吸っているのは本物の麻薬ではないのですが」


「分かってるって。でも、ここには"ホンモノ"もあるんだろ?」


「えぇ。展示物としてのアヘンに紛れさせる形で、新型麻薬が取引されている、という噂です。なんとしてでも密売組織を捕まえないといけません」


「やれやれ。いつだったかアポロンは麻薬だって言ったけれど、今となっては笑えない冗談だねぇ」


 博物惑星ミューズを司る人工知能アポロンであっても、麻薬の密売までは統制できていないのが現状だった。それは裏を返せば、麻薬の需要があるということを明瞭に示している。歴史は、またも繰り返された。


「さて。そこで早速、ハル君の出番だ」


「俺ですか?」


「隠し場所は十中八九、港の倉庫だろう。木を隠すなら森の中と言うしね。だから君にはその中を透視してもらいたい」


「できなくはないんですが……」


「何か問題でも?」


「本物を見分ける自信がありません。透視すれば中にあるのが白い粉だというのは分かりますが、それ以上のことは何も」


「それなら大丈夫。視てもらうのは麻薬の入った袋じゃない。倉庫の中さ。もしそこが保管場所なら、怪しそうな見張りがいるはずだろう?」


「なるほど。さすがはココ先輩。そのずる賢さは見習わせて頂きます」


「新人君、"ずる"は要らないから」


 かくして四人は港近くの倉庫街へと向かった。


 倉庫街の石畳の道は、建物の陰になっていて薄暗い。どんよりと漂う空気は、この国の停滞感を物語っているかのようである。


 時折、荷を運ぶ人々とすれ違う。それはアンドロイドなのだが、どこか心に陰鬱としたものを抱えているような、そんな雰囲気があった。


 しかし果たしてそれが機械の心と呼べるものかどうかは、ハルの透視義眼でも分からないだろう。


 今、彼の眼に映っているものは、木箱の詰まった人気のない倉庫の中だった。片っ端から調べているが、芳しい成果は挙がりそうにない。


「たいていの人はアヘンを吸っているから、みんな怪しく見えるんですよね。密売組織の特徴とかないんですか、ジム先輩?」


「いや、組織の素性は不明でね。恐らくは裏で地下街アンダーストリートとつながっているのだろうけれど」


地下街アンダーストリートって名前は聞いたことはあるんですが、あれは何なんですか?」


「いわゆるマフィアみたいなものかな。でも実態はよく分からない。


 そもそもの始まりは、ミューズの開発作業員たちの居住地区なんだ。展示地区や学芸員都市はドーム型コロニーになっているけれど、彼らの居住地区は開拓作業を簡便にするために地下に作られたんだ。


 学芸員都市の完成後に作業員の居住地区は取り壊す予定だったんだけど、諸事情で職を失った者や行く宛のない者が集まってきて、無法地帯と化してしまったらしい。


 そこで形成されたのが、裏社会を牛耳る"地下街アンダーストリート"だ」


 そんな二人の会話に、ソニアが後ろから問いかけてきた。


「でもそれなら"Under Street"ではなくて"Underground Street"が正しいんじゃない?」


「その通り。ですが初代の首領が日本難民なんですよ。初め、彼は町のことを"下町"と呼んでいたそうです。日本語で商工業地域を指す言葉ですね。それを英語に直訳した"Under Street"が定着した、という噂です」


「へぇ……」


「ハル、お前、聞いてないだろ? いいか、先輩の言うことはよく聞かないと――」


「先輩、ちょっと黙って」


 ハルは興味深い人物を視つけていた。


 とある倉庫の中に、一人の少女がいたのである。


 それがただの少女であれば、ハルも見逃していたかもしれない。しかしハルはその顔に見覚えがあった。


 どこの国の出身とも分からない美貌の持ち主。あのダ・ヴィンチのアトリエで出会ったアデルにそっくりなのである。


 しかしアデルが別の部屋へと歩いていくのを追っているうちに、いつの間にか見失ってしまった。


 該当する倉庫の入り口へと急ぎながら、ハルは思い出していた。


 事件に関する記憶が消されたはずなのに、なぜか記憶が残っているような言動をしていた彼女。


 アンドロイドでないというなら、なぜ展示地区でアンドロイドに混じって生活していたのか。


 麻薬を密売する地下街のメンバーか?


 それともダンタリアンの関係者か?


 いずれにしても、ハルはアデルに会うべきだと感じていた。


 倉庫内に入ると、ハルの肺に乾いた空気が入ってきた。続いてココとソニア、ジムが後を追って入ってきた。


「何か見つけた?」


「不審な人物を見かけたのですが、見失ってしまって」


 アデルを見かけた、とは言えなかった。見間違いかもしれないし、本来の目的とも違う。それに何より、アデルがここにいるとすれば、それはハル自身に関することであろうという予感があった。


 その時、倉庫の奥の方で何かがぶつかるような音が聞こえた。


 四人は視線を交わして頷くと、木箱の並んだ棚の間を駆けて、物音のした方へ向かった。


 その時。


「アンタ、何やってんのよ! 自分のしてること、分かってんの?」


 女性の罵声が倉庫内に響いた。


「この声は」


 誰にも聞こえないような声で、ココが呟く。


 四人は物陰から状況を確認する。


 倉庫の一角で、ガラの悪そうな女性が背中を棚に押し付けられていた。押し付けている方はというと、こちらも女性で軍の制服を着ている。ツインテールの髪型が特徴的だった。


 軍服の女が手を振り上げた。そして不良女の頬目がけてビンタしようとした。


 だがしかし、そのビンタはターゲットには当たらなかった。


 代わりにそれは、不良女をかばったソニアの頬を激しく打った。


「何者っ!?……ん?どこかで見たような顔だな」


 慌ててココが駆け寄る。


「リリィ・ノイマン少佐。これはどういう?」


 リリィ・ノイマン。ユニオン軍少佐。かつてハルが学芸員に変装していた時に査察に訪れた、あの高慢な女軍人である。


 リリィは気まずそうに視線を泳がせながら、しかし険しい顔は変えずに答えた。


「……この女が麻薬を使っていたから正したまでだ」


 それに驚いたのはソニアだった。我を忘れたように不良女に詰め寄る。


「麻薬!? まさか本当に使ってないよね!? 持ってただけとかじゃないの? ねぇ!」


「……別にちょっとぐらい使ったっていいだろ」


「なんでそんなことしたの、お姉ちゃんっ……!!」


 そのまま姉にすがるようにして、ソニアは泣き崩れてしまった。人目もはばからず、大粒の涙を零しながらソニアは大声で言葉にならない声をあげていた。


 姉は妹をなだめてやることもせず、自らのために流された涙をただただ見つめていた。だがしかし麻薬の作り出す別世界へ意識が飛んでいるのではないことだけは確かだった。

 

「姉だったのか」


 ジムは目を丸くして呟きながらと、ソニアたちの傍に寄り添った。


 ココも初耳だったようだったが、冷静にリリィに歩み寄って隣に立つと、視線を合わさないまま声をかけた。


「ありがとう、リリィ」


「上手くはいかないものね、世界というものは」


「えぇ。一見歯車が噛み合っていても、どこかは必ずいびつだから」


「皮肉? それとも自虐?」


「私に主観は無いから」


「まるで案山子ね。羨ましいわ」


 リリィは静かに溜息をつく。


 この二人は、過去に何かがあったのだろう。だが二人を繋ぐものが信頼なのか、それとも憎しみであるのかは、判別がつかなかった。


 そこに棚の向こうから新たな人影が現れた。


「おや、これはこれは」


「ホーキンス隊長!」


「お、ハルか。元気そうで何よりだ」


「こんな所で何を?」


「あぁ、実はな――」


「ホーキンス、行きましょう」


 ブレットは何かを言いかけていたが、やれやれという表情を浮かべると、リリィの後を追って棚の陰に消えた。


 一人取り残されたココに、ハルが尋ねた。


「ノイマン少佐とは、どういうご関係で?」


「リリィは親友だったのさ、大学時代にね。お互い、学芸員になるために勉強してた。


 でもリリィの親は、学芸員になることに反対だった。軍人の家系だったからね。だから主席で卒業することが条件だった。でもそれは果たせなかった」


 そこでココは絞り出すように笑顔を浮かべた。慎重に言葉を選ぶ。まだ癒えぬ古傷を触るように。


「私が主席で卒業してしまったからね」


 ふーっ、と長い息を吐いてから、ココは言葉を続けた。


「わざとではなかった。それはリリィも分かってる。でもリリィは私を憎んでいる。私とリリィは、そういう関係さ」


「ココ先輩、その答えはノイマン少佐が主語になってますよ。先輩自身は、どう思ってるんです?」


 ココの顔に、珍しく苦笑いが浮かんだ。


「さぁてね。私は未熟な案山子だから」




 夕日に照らされて、二人の人影が倉庫街に伸びている。リリィとブレットは、ちょうど倉庫から出てきた所だった。リリィは辺りを見回しながらブレットに尋ねる。


「収穫は?」


「ゼロです。痕跡はありませんでした」


「チッ、この倉庫に入っていったのは確かに見たのに。


 分かってる? 我々ユニオン軍の未来がかかっているの。何としても探し出しなさい。あの男を。人工知能アポロンを作り出した天才、ノトロブを」

お読み頂きありがとうございます。


本エピソードは、カオス感重視で書きました。これが本作でやりたいことの一つだったので、とりあえずは満足です。伊坂幸太郎の影響ですかね。


恐らく読者の皆さんにとって最も予想外だったのは、アデルがこういう形で再登場したことではないでしょうか。そうであれば、筆者としてはしてやったりですね。


ネタバレしない程度に言うと、アデルのモチーフは「ふしぎの国のアリス」のアリスです。アリスとアデルは名前の語源が同じらしいですね。この先どうなるのかは、お楽しみということで。


では。


葦沢


2016/11/28 初稿

2016/12/25 第二稿

2017/02/19 第三稿

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