Prologue_
歴史とは何か。
深夜零時を回った薄暗い小部屋の中で、デスクワークをしながら考えることではないな、と我ながら思う。
しかし職業柄、歴史というものが頭から離れてくれない。
眠気に負けそうな瞼を擦って、資料へと向き直る。
明日には、このリストに載っている収蔵品が地球から到着することになっている。
数多の収蔵品をどこへ展示するか決めるのが、学芸員たる私の仕事であった。
私が学芸員という仕事に憧れるようになったのは、物心ついてすぐの頃だったと思う。親に連れられて行った博物館の収蔵品の数々に、私は心奪われてしまった。
ある所には、旧石器時代の石斧が綺麗に壁に並んでいる。
この石斧は、狩りに使われたのだろうか。それとも戦争に使われたのだろうか。
目を閉じれば、そこには家族を別の部族に殺された一人の男が、殺気立った獣のような眼で石斧を構えている。
あのガラスケースに収められた中世の甲冑は、どんな戦いに使われた物なのだろう。
持ち主はどんな人で、どのような経緯で作られたのだろう。
冷たいガラスケースに触れると、身籠った妻を置いて戦争へと赴く青年の甲冑姿が目に浮かぶ。
全ての物が経てきた時間が、その場に空気として漂っているかのような興奮。
歴史とは、世界の歩んできた記録という言葉だけでは語ることのできない何かなのだと、私は直感的に感じていた。具体的にどういうものなのかは、まだ語る言葉を持っていないのだけれど。
しかし博物館が好きであるということと学芸員の仕事をこなすということは、また別の問題だった。展示場所を決める作業は、遅々として進んでいない。
そもそもこういうものは、展示する場所が決まってから展示品を搬入するものじゃない?
まるで引越し業者のように、とりあえず荷物を詰めた段ボールを新居に運び込めばいいというものじゃないでしょうに。
まあ、実際そうなってしまっているのも仕方のないことではあるのだけれど。
博物惑星ミューズ計画。地球上の全ての遺産をとある太陽系外の小惑星に集めて、包括的に保護・管理・普及活動をするというのが、このプロジェクトの趣旨である。
しかしその実態は、地球を統一した地球平和連合の内部で相次ぐ歴史問題について、統一史を作成することで解決しようという試みだった。
私は詳しく知らないのだが、地球各地では歴史的遺産を連合に委ねるべきではないという反対運動が盛んになっているらしい。
要するに、政治家のピンボケした野心が、巡り巡って争いを生み、宇宙運送業者を潤わせ、学芸員を仕事地獄に追い込んだという話である。
ちょうど私が学芸員になって間もない時にこのミューズ計画が立ち上がったのは、不運としか言いようがなかった。
だが私は、歴史をただの記録としてしか扱っていないミューズ計画に参加したことを後悔はしていない。
むしろ私は学芸員として、歴史に命を吹き込みたいと思っている。
実のところ、収蔵品を集めて展示するという博物館としての役割はまともに整備されていない。現場もこうして混乱している。
だからこそ、ここで私が展示品の配置を熟慮することにも意味があるはずである。
少なくとも、こうしてボーッと物思いに耽っている訳にはいかないのだ。まだ展示場所の決まっていない遺物は、何千と残っている。
ひとまずは珈琲でも淹れて一息つこう。隣で寝ている後輩の分も。
お読み頂きありがとうございます。
本作では、博物惑星ミューズを舞台にした人々のドラマを描いていきます。
筆者は、子供の頃から博物館が好きです。
このプロローグでは、物語を始める前に、筆者なりに感じる博物館の魅力というか、ある種の決意表明をさせて頂きました。
伏線と言ってもいいかもしれません。
この物語が終わった時、再びこのプロローグを読み返してみて下さい。
私の意図していたことが、きっと伝わるはずです。
また「歴史とは何か」という冒頭文は、E・H・カーの「歴史とは何か」という著作から拝借したものです。
本作の着想自体は以前から持っていましたが、なかなか壮大なのでどう書いたらいいか見当がつきませんでした。そこでまずは歴史の勉強をしようと思い立って出会ったのがこの本でした。同作を読むことで、本作の構想が大きく前進しました。
ご興味のある方は、ぜひ読んでみて下さい。
どうぞ今後ともご贔屓に。
葦沢
2016/07/24 初稿
2016/09/13 第二稿
2016/12/25 第三稿
2017/07/01 第四稿