第三十二話 雲中ノ層への橋架け
雲中ノ層への橋架け工事が開始されたのは、ルーフバルコニーでの植え替え作業から五日が経った日の朝だった。
「さっくり塔を建てちゃいましょうか」
「簡単に言ってくれるな」
「店長たちなら簡単でしょう?」
何度もやっているだろうし。
木籠の工務店店長が苦笑した。
「何度となく経験はあるがな。お前ら、今日中に塔の建設を終えるぞ」
「分かりました」
店長の指示の下、工事が開始される。
今回作る橋は草案通りの上路式アーチ橋で上部には切妻屋根と中央に三重塔をもつ屋根付き橋だ。
まず最初にアーチ部分を作り、そこから橋桁、三重塔、切妻屋根へと行程が移っていく形になる。
アーチ橋は前世地球では古くから見られる橋の一種である。
大ざっぱに言えば仮組して石を乗せて仮組を撤去して完成という簡易さで、とても丈夫で見た目も均整がとれて美しい。
けれども、この世界樹の世界ではそう簡単にはいかない。
空中回廊などの足場がある場所ならば仮組してから部材を乗せていくことも可能だけど、枝から枝への架橋となると足場が存在しないのだ。
では、どうするかといえば現在木籠の工務店が作っている塔を使った工法となる。
前世でならばケーブルエレクション工法と呼ばれるだろうそれは、両岸に塔を建て、そこからワイヤー代わりのバードイータースパイダーの糸製ロープを使って部材を吊ってバランスを保ちながら中央に向かって張り出していく架橋方法だ。
ワイヤーを引っ張る部材の重量や風の影響を考慮しつつ、塔が倒壊しない様に逆側にもワイヤーを張ってバランスを取る必要がある。無論のこと複雑な計算が必要で、部材を加工する職人の腕も伴わなければ採用できない。
これを全部手作業でやるのだから、この世界の職人の技術レベルは常軌を逸している。
塔の建設を見守っていると、後ろから「アマネさん、アマネさん」と声を掛けられた。
振り返ってみれば、コマツ商会から資材を運んできてくれたらしい行商人ルシオだった。
「商品のお届けに参りました」
「ありがとうございます。品物はどこに?」
「リシェイさんのご指示で公民館の方へ届けました」
今日の内は塔の建設で手いっぱいだろうし、すぐに使うわけではないから公民館に仕舞ったのか。
俺は雲中ノ層の枝を見る。
「向こうへは?」
今回の工法では最終的にアーチの中央で接続する必要があるため、両端からバランスよく伸ばしていく必要がある。
雲中ノ層には俺が橋の設計図を描いている間に木籠の工務店が作った資材置き場もあり、橋の建設に必要な資材をそこに格納する手はずになっていた。
ルシオは頬を掻く。
「カッテラ都市で別れたので、もうじき着く頃だと思います」
「分かりました。とりあえず、資材の確認をしたいので公民館に行きましょうか」
店長に工事指揮を任せて、俺はメルミーとルシオを連れて公民館へ向かう。
俺の隣を歩くルシオは旧キダト村地区の空中市場に目を向けた。
「コマツ商会の支店の様子はどうですかね?」
「文房具が安く手に入るので重宝してますよ。研究者も多いので、ペンとかインクとか、質の良い紙やファイルの需要は安定して多いですから」
ランム鳥の研究は続いているし、今はゴイガッラ村での飼育研修生とタカクス町での遺伝子研究者の交換留学なんかもやっている。
すっかり研究者が板についてきて白衣まで着こなし始めたラッツェが主導するタコウカの研究を始め、今年の春に俺が介入したことで今まで各家がバラバラに進めていた農作物の品種改良についての情報共有が進み、二重奏橋を架ける前からタカクス町に住んでいる農家はほとんどが何らかの研究を行っている有様だ。
説明すると、ルシオは目を丸くした。
「新興の村は独立気風が強いとは聞きますけど、タカクス町でもそうなんですかね。住民の意欲というか、学んで今後に生かす姿勢みたいなものが他所とは段違いです」
ヨーインズリー並みですかね、とルシオは言う。
ヨーインズリーに本店を置くコマツ商会と取引しているルシオが言うと説得力がある。
「みんな、故郷を離れてタカクス町に来てくれた人ばかりだから、いざという時に自分で何とかできるように力を蓄えようって意識はあるんだろうね」
ラッツェなんかは典型例だと思う。ランム鳥の品種改良が軌道に乗ると同時に俺が行った遺伝子説の講義を受けて、その日のうちにタコウカの品種改良計画を考えたくらいだ。
元々がサラーティン都市孤児院出身で、ラッツェ達孤児院出身者の素行次第でタカクスが孤児院出身者をどれだけ受け入れるかが決まるかもしれないと孤児院長からも言われてはいたらしい。それでも、品種改良に取り組もうと考えたのはラッツェ自身だし、新しい事に取り組む姿勢はラッツェ生来の物だろう。
「アマネの影響もあると思うけどねー」
メルミーが俺の背中をつつきながら言ってくる。
ルシオも笑いながらメルミーに同意した。
「年齢二桁で建橋家ですからね。自分も頑張らないとって思いますし、タカクスはその環境も整っています」
「留学制度の利用者は未だに少ないけどね」
ヨーインズリーやビューテラーム、カッテラ都市への留学も世話できるのに。
話をしている内に共有倉庫に到着し、コマツ商会から運ばれてきた資材の確認に移る。
バードイータースパイダーの糸を束ねたロープ、液化糸とブランチミミックの甲材を用いた複合素材、三重塔の建築に使用する材木や本瓦葺に使用するために発注したビーアントの甲材等、一通りそろっているようだ。
特に、ビーアントの甲材は俺が発注した寸法通りに加工されている。
ビーアントの甲材の重量を測る俺を見て、ルシオが口を開く。
「ずいぶん特殊な形状なので、加工にあたった職人が何に使うのかと不思議がってましたよ」
「屋根に使う予定なんです」
粘土なんて手に入らないし、かといって三重塔の屋根が瓦葺ではないのは見た目が悪い。
そんなわけで、ビーアントの甲材を加工して偽の瓦を造る事にしたのだ。重量も程よく、水を弾くし素材としては申し分ない。
どうせ見た目だけだし。
ビーアントの甲材とはいっても、今回使用するのは反響板に使うような傷のない物ではないため比較的安価に用意できたのも嬉しい。
資材の検分をしていると、ルシオが共有倉庫の奥に置いていたブルービートルの甲殻に目を止めた。
「なんでブルービートルの甲殻がこんなところにあるんですか?」
「この間、雲中ノ層の魔虫を掃討した時の記念品なんだ。どうにかして加工できないかと思ってさ」
狩ったばかりのブルービートルの甲殻を眺めた時、前世フランスにあるサン・ピエール教会を思い出してしまったのだ。
コンクリートに色を付け、太陽光を反射させる事で反射光に色を付けるという面白い試みがなされた教会である。
ブルービートルの甲殻は鮮やかな青で光沢があり、反射効率もいい。青の反射光を得るにはちょうどいい素材だと思ってつい、持ち帰ってしまった。
他に赤とか黄色とかの反射光が得られる甲殻はないかと探しているところである。
メルミーがブルービートルの甲殻に腰掛けて、拳で軽く叩く。
「これ硬すぎて加工できないんだよね。鉄のノミでも刃こぼれしちゃうし」
「その加工方法なんですが、ビューテラームで最近考案された方法がありますよ」
「え、本当?」
ルシオの話では、ブルービートルの甲殻を新品の布で覆い、大量の酢を使って蒸すらしい。
蒸留酢酸でブルービートルの甲殻を軟化させることができるそうで、硬度は失われるけれど加工難度は蒸し時間に比例して下がり、甲殻の持つ鮮やかな青をさらに鮮明にする効果もあるという。
ただし、蒸すのには時間がかかるため長時間火の気を維持することになる。つまり、熱源管理官が必要となる他、ブルービートルの甲殻そのものが大きいため専用設備が必要となる。
当面はビューテラームの独占商品になるとの見方で、ブルービートルの甲殻は魔虫狩人ギルドでも買い取りが開始されたという。
「タカクスに商品を運ぶ途中でカッテラ都市にもよりましたけど、今ビューテラームと交渉して技術情報の買い取り交渉をしているらしいです。カッテラ都市なら熱源管理官も多いですし、世界樹北側におけるブルービートルの甲殻加工場として機能すると思いますよ」
「技術は日進月歩してるんだねぇ」
メルミーが腕を組んで感心したようにうんうんと頷く。
しかし、加工方法が見つかったのならもう少し共有倉庫に寝かせておいてもいいかもな。
でも、十年くらいで分解が始まるから、あまり長く放置もできない。
「保存方法については何か発見はある?」
「従来通り、ワックスアントの蝋を塗布するくらいですね」
「そっか」
まぁ、蝋を塗っておけばもう二十年くらい保存期間を延長できるってじっちゃんから昔聞いた事もあるし、後で塗っておこう。
資材の確認を済ませて立ち上がった俺に、ルシオが契約書を差し出してくる。
「代金は事務所にいるリシェイから受け取って。用意してくれているはずだから」
「分かりました。それから、言い忘れていたのですが、この度正式にコマツ商会の従業員として雇われることが決まりました」
「え、行商人やめちゃうの?」
タカクスを興した頃からの付き合いだから寂しくなるな。
思えば、タカクス最初のランム鳥を運んできてくれたのもルシオだった。
ルシオは笑いながら首を縦に振る。
「行商人は今回の仕事で廃業ですね。これからコマツ商会へ今回の代金を届けがてら、お世話になった取引先にあいさつ回りをしてきます」
「そっか。コマツ商会でも頑張ってな」
「いえ、それがですね」
頬を掻きながら、ルシオは苦笑する。
「タカクス町の空中市場にあるコマツ商会の支店に配属が決まってまして」
むしろこれからますますお世話になります、とルシオは頭を下げる。
「そういう事だったのか。こちらこそ、今後ともよろしく。移住って事になるのかな?」
「そうなります。できれば、これから住む自宅の設計もお願いしたいんです。それと、結婚式の手配も……」
「え、彼女いたの?」
「取引している村に彼女が」
ルシオは照れた様に笑う。
移住早々、独身男たちからやっかまれそうなスケジュールを組む奴だ。
アレウトさんに相談するよう言ってルシオと別れ、俺はメルミーと共に第三の枝の工事現場へ戻る。
二重奏橋を渡りながら、工事現場を見てみると早くも塔が三分の一ほど完成していた。
「明日から橋架け作業に入れるかな?」
「いや、明日は塔にロープを張って、それから雲中ノ層との間に落下防止用ネットを張ったり木籠を設置したりで終わると思う」
「そういえばそうだね。メルミーさんも橋架け工事やりたかったなぁ」
残念そうに言って背伸びをしたメルミーが文句を言う。
今回の橋は屋根付きで、壁などもある。三重塔も含めて全体的に和風なため、木工細工の装飾品も多数必要になる。
メルミーには橋の両端入り口の天井付近に設置する欄間を始めとした建具の類をタカクス町在住の職人たちと作ってもらう事になっていた。
「早めに建具の作製が終わったら橋架け工事に参加してもいいよ」
「間に合わないよ。ちゃんとした物を作りたいしさ」
ところで、とメルミーが言葉を繋ぐ。
「タコウカを橋の中に置くんでしょ? ランプシェードみたいにするの?」
「いや、帰ったら設計図を渡すけど、紙と木を使った物を考えてる」
いわゆる行燈である。
タコウカを光源として使用するため火事の心配がない優れものだ。化け猫は舐めるモノがなくて泣いてしまうけど。
「なんか、今回の橋架けは色々と独特だよね。外観もそうだけど、内装もさ」
「雲中ノ層の家も似た感じで統一するつもりだから、今のうちに慣れておいてくれ」
「はーい」
元気よく返事をするメルミーと共に橋を渡り切って、俺は工事現場へと向かった。