第二十九話 橋架け準備
「何でリシェイちゃんは昨日平然としてたのさ!」
メルミーが抗議になっていない抗議をする。
結婚生活三日目の朝。
俺は夜更かしの影響で熟睡していたメルミーをそっとしておこうと薄手の布団をかけて一階に降りて来たのが体感二時間前。
降りてきたメルミーが俺と顔を合わせるなり顔を真っ赤にして言い放ったのが冒頭の台詞である。
リシェイが困ったように首をかしげる。
「何の話?」
「そ、それは、ほら……」
いきなり口ごもったメルミーに、リシェイは困惑を深めた。
俺は口を挟まないでおこう。確実に飛び火してくる。
メルミーはちらちらと俺を見ては顔の赤さを濃くしつつ、もごもごと続ける。
「一昨日はリシェイちゃんの初めてだったわけだけど、昨日は平然としてたなーと……。メルミーさんはこんなですのことよ?」
「語尾がおかしくなってるわよ」
しかしながら、メルミーが何を言いたいか、おおよその事を把握したらしいリシェイさんは俺をちらりと見てからさりげなく視線を逸らす。
とここで、今まで成り行きを窺うだけだったテテンが口を挟んだ。
「……昨日のお茶、温度、不安定」
やっぱり気付いたのは俺だけじゃなかったのな。
ちょっと妬ましい。これが独占欲。
「そういえば、ぬるかったりしたね」
メルミーも思い出したらしく、納得の表情でリシェイを見る。
「な、なによ」
とはリシェイさん。
メルミーはにやりと笑う。
「べっつにー」
愉快そうにそう言って、メルミーは席に着いた。
話は一段落ついたようだし、口を開いても大丈夫だろうか。
口火を切るタイミングを計っていると、リシェイが俺を見た。
「むしろ、昨日今日と平然としている人がいるのだけど」
「ダレノコトデショウ」
「あなたの事よ、アマネ」
片言ごまかしはリシェイさんに通用しないようです。
リシェイとメルミーがジト目で睨んでくる。なかなか貴重な絵だ。
「初めてだったのよね?」
「他に相手がいるとでも?」
「テテンちゃん、逃げるのはよくないよ」
メルミーに肩を掴まれたテテンがすごすごと椅子に戻る。
というか、毎晩のようにきわどい百合小説を著者であるテテン本人の口から聞かされていた身としてはなんとなく色事に耐性がついていたようで、いまさら恥ずかしがったり照れたりはしないのだ。
テテンの百合小説はかなり生々しい時もあるし。
尋問の対象が俺から一時的にテテンへ移る。
「それで、テテンちゃんは何で逃げ出そうとしたのかな。知ってるよ、たまにアマネの部屋に行ってるの」
「……小説の、感想、聞いてた」
「小説?」
反応したのはリシェイだ。
テテン、まさか暴露するのか。
俺と目があったテテンが頷いて立ち上がる。
「もってくる……」
ぱたぱたと駆けて行ったテテンがしばらくしてみたことのない紙の束を持って帰ってきた。
ダイニングテーブルの上に置かれた紙束の一番上にはタイトルがついている。
その名も『虚穴がダンジョン化してるから育てていたアルラウネちゃんと潜ってみる』である。
ラノベかよ。
「だんじょん? あるらうね?」
リシェイが未知の単語に首をかしげている。知らないのも当然だ。俺がテテンに教えた単語だし。
しかし、これでわかった。
テテンの奴、百合小説が見つかった際に誤魔化せるよう、健全ながらも中身を読まれるのはちょっと恥ずかしい絶妙な内容の小説をストックしてたのだ。
意外なところで策士である。
テテンがラノベ感丸出しのタイトルがついた紙束を掲げる。
「ダンジョンも、アルラウネも、アマネが考えた……。いわば、共作」
「そ、そう。疑ってごめんなさい」
「うん、ごめんね」
リシェイとメルミーが申し訳なさそうに俺とテテンを見る。
ちょっと罪悪感。別に不貞は働いてないけど。
テテンが俺にだけわかるようなうっすらとした笑みを浮かべる。
ピンチを乗り切った確信を持って席に着いたテテンは逆襲を開始した。
「経験ないから、わからない。具体的に、夜は、どう?」
お茶の間ことダイニングの空気が凍りつく。
やりやがった。こいつ、やりやがったよ。
悠々とお茶を飲み始めるテテンが無言で先を促している。
こんな反撃を食らったらもうテテンを不用意につつけないだろう。
凍りついているリシェイとメルミーを救出すべく、俺は口を開いた。
「雲中ノ層への橋架けに関してなんだけどさ」
「うん、何かな。メルミーさんも今日は時間があるから測量しに行けるよ!」
「早めに予算を組まないといけないもの。いま話してしまいましょう!」
凄い食いつきである。
テテンがジト目で睨んできた。いいところで邪魔しやがってと言いたげだ。
無論、テテンは無視して話を進める。
「第三の枝から雲中ノ層へ橋を架ける事にする」
実は場所も正確に決めてあったりする。
俺は地図を出して、ダイニングテーブルに広げた。
「タコウカ畑や劇場を越えた先、料亭や高級宿屋がある区画から雲中ノ層へ繋ぐ形にする」
「高低差があるけど、どうするの?」
メルミーが当然の疑問を口にする。
和歌山城の御橋廊下など傾斜のある橋も存在するけど、今回は高さをある程度合わせておく必要がある。
「第三の枝に土台をつくる形になる。そんなに時間はかからない」
第三の枝は元々波打ちながら空に向かって傾斜しているため、おおよそ五メートルの土台を作れば雲中ノ層へ繋ぐ橋を架けることができる。
雲中ノ層の枝への距離は九十メートル程度でそこそこ近いのもありがたい。
「これから雲中ノ層の枝へ測量に出るけど、メルミーには第三の枝の測量をお願いしたい」
「メルミーさんも雲中ノ層の枝の様子を見ておきたいんだけど」
「いや、まだ魔虫が多いし、変異種の動向も気になる。ちょっとばかりビロース達と殲滅戦して来るから、メルミーは第三の枝を頼むよ」
「殲滅戦ってそんな気軽にやるものなの?」
どのみち、工事中に魔虫の妨害が入らない様に付近から追い払っておかないといけない。ちょっと素材採集がてら、魔虫を狩っておいた方がいいのだ。
ちょうどウイングライトが出てくる時期でもあるし、見つけられたら儲けものである。
話を聞いていたリシェイが口を開く。
「橋の形式はどうするの?」
「アーチ橋にする」
俺は一度事務室に出て、机の横にある書棚から草案を持ってきた。
アーチ橋と一口に言ってもその形式は実に多彩だ。アーチが橋面の下にある上路アーチ、逆にアーチが橋面の上にある下路アーチ、アーチの真ん中を抜ける中路アーチなどアーチ部分と橋面の関係による種類分けなんかが分かりやすい。
今回はアーチに対して橋面が上に来る上路アーチを考えている。
俺が描いた外観イメージを見て、メルミーが難しそうに眉を寄せた。
「三ヒンジの上路アーチだね」
「……呪文?」
メルミーの言葉に、テテンが首をかしげる。
「アーチの末端と中央の三か所に継ぎ目を作るのを三ヒンジというんだ」
俺はテテンに説明してから、外観イメージを見つめているメルミーに視線を移す。
「疑問点は?」
「色々あるよ。なんでこのアーチ、途中で膨らんでるの?」
メルミーが指先でなぞった外観イメージのアーチ部分は中央付近で構造材がやや膨らんでいる。
アーチと橋面の見た目は前世のスイスにあったザルギナトーベル橋が近い。観光地化しているほど有名な鉄筋コンクリート橋であり、スイス人のロベール・マイヤールがデザインした渓谷に架かる美しい橋だ。もっとも、外観以上にそれまで石や鉄が主だった橋の材料に鉄筋コンクリートを使用した事に意義があったりする。
だが、ザルギナトーベル橋のデザインにも学ぶところは多いと思う次第。
「そのアーチのふくらみがある事で、橋の上を移動する人やコヨウ車の重量の偏りに対応できるんだ」
橋は通路である。その上を行きかう重量は常に動き続け、時には偏りが生じる。
そんな偏りに対応してくれるのがこのアーチのふくらみである。
メルミーは「ふーん」と納得したのかしていないのか微妙な声を出しつつ、次の質問をぶつけてくる。
「材質はバードイータースパイダーの液化糸とブランチミミックの甲材を利用した複合素材?」
「そうだ。金は掛かるけど、径間を考えると世界樹製木材のみで作るよりこちらの方がいいだろう」
径間、つまりアーチの幅が九十メートルあるため、乾燥収縮が小さく、弾性のあるブランチミミックの甲材と液化糸を組み合わせる。
径間百メートルのアーチ橋でさえ世界樹製木材での施工事例があるのがこの世界の怖くてすごい所だが、今回はデートスポットとしての側面を持つ第三の枝に橋の片側が乗っかるため少し外観を工夫する必要がある。
素材に関しては納得した様子のメルミーが最後の質問を繰り出す。
「この屋根は何?」
「屋根付き橋ならデート中に雨に降られても大丈夫。雨霧にかすむタコウカ畑もまた風情があるし、心行くまで眺められたらと思ってつけてみた」
セールストークっぽく説明。
「そうじゃなくて、デザインの話。見た事ないよ、こんな屋根」
ないだろうなぁ。
今回設計した橋は中央に三重塔を持つ屋根付き橋だ。
橋の両端から切妻屋根が伸びていき、中央にある方形屋根三段構造の三重塔に連結する。
三重塔は内部に壁面に沿った階段を設けて上れるようにするつもりだ。外観は三重塔だけど内部は二階構造で、一階部分の天井を高くする予定。
「つまり、二階は展望台って事かしら?」
リシェイが先回りして答えを言ってくれた。
「デートスポットでもあるし、第四の枝にある空中市場を上から見下ろせるようにしてみようと思うんだ」
また、二重奏橋なども見渡すことができる。晴れの日には第三、第四の枝を一望する観光スポットにもなる。
雲中ノ層の枝が邪魔をするため、第一、第二の枝は死角になってしまうけど、元々この二本の枝の上で外観的に魅せるような建物はない。教会はあくまでも内部に入ってこそ輝くのだ。物理的な意味で。
それに、この屋根付き橋を渡った先から雲中ノ層になる。雲中ノ層は文字通り雲の中にあるため、湿度対策を行った建物が並ぶことになり、建築様式も変わっていく。
その切り替えを橋で見せる狙いもこの屋根付き橋にはあったりする。
「話は分かったよ。ただ、この橋を架けるならタカクス町の職人達だけじゃ無理だね。もっと経験豊富な工務店に頼まないとだよ」
「木籠の工務店に依頼する事を考えてる。元々、雲中ノ層への橋架けは難易度も高いから、タカクス町の職人の手に余るだろ」
「悔しいけどね。もっと空中回廊とかで研鑽を積んでからじゃないと橋架けには手出しできないよ」
この特殊な橋ならなおさら、とメルミーは外観イメージ図を人差し指でトントンとたたく。
メルミーからの質問が終わり、リシェイが後を引き継ぐ。
「建築費用はどれくらいかかるのかしら?」
「まだ詳細な設計図ができてないし、これから雲中ノ層で魔虫狩りをした結果にもよるけど、総額は玉貨四十枚ってところかな。カッテラ都市がバードイータースパイダーの液化糸を買い占めた後だから、在庫不足でもうちょっとかかるかもしれない」
とはいえ、これは魔虫素材を全て市場から購入した場合の金額だ。
工事を延期してしまえば液化糸の相場も元に戻るだろうし、参考値としてはあまり役に立たない。
「魔虫狩りの後で改めて試算した方がよさそうね」
「そういう事。俺は準備して来るよ。明日には発つから」
立ち上がった俺に待ったが掛けられたのはその時だった。
「……アマネ、話は、終わり?」
テテンである。何を考えているのか俺には丸わかりの薄い笑みを浮かべていた。
こいつ、話を蒸し返すつもりだ。
再び凍結しかけた時間に対し、俺は笑顔で対応させてもらう。
「テテンは燻製マトラの準備を頼む。メルミー、第三の枝と雲中ノ層の枝との高低差なんかを測ってきて。リシェイはビロース達に通達をお願い」
「……ちっ」
各自に仕事を割り振って雑談時間を潰した俺に、テテンが小さく舌打ちした。