第二十八話 結婚式の翌朝
宴会の翌朝、故郷へ帰って行くじっちゃんたちを送り出して、俺はリシェイやメルミーと事務所に戻った。
ほとんど夜通し騒いだため、眠くて仕方がない。
でも仕事しないと。
「リシェイ達はどうする? 俺は仕事を始めるけど」
「メルミーさんは眠いから部屋に戻るよ。お昼にアマネが寝覚めのキスとかしてくれると嬉しいなー」
「なら布団被って寝るなよ」
「そんな寝方しないよ、暑いし」
そう言って、メルミーが空を見上げる。
初夏の朝だからまだそこまで気温も高くないが、お昼ごろには布団なんて被っていられないだろう。
今日は天気もいいみたいだし。
「私は結婚事業の話でアレウトさんと話をしないといけないから、寝てられないわ。アマネも同席してね」
リシェイが欠伸を噛み殺しながら、予定を話す。
しかし、見るからに眠そうだ。
結婚式だけでも疲れるのに、前々日から準備で忙しかったから、あまり眠れていないのだろう。
「眠いなら無理しなくてもいい。俺がアレウトさんと話して、後で情報を共有する形にしてもいいんだし」
「そう? なら、少し寝ようかしら。ハーブティーだけ淹れておくわね」
そこだけは譲れないとばかりに、リシェイは事務所に到着するなり二階の階段とは逆方向のダイニングキッチンへまっすぐ向かう。
「おはすみー」
メルミーは新単語を口にして階段を上って行った。
俺は応接室の掃除をしてからダイニングキッチンへ向かう。
「どうぞ、いつもの奴だけど」
リシェイが出してくれたカップに口を付ける。爽やかな香りに程よい甘さで心地よい。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみ」
自室へ引き上げていくリシェイを見送って、俺はティーポットとカップを持って事務室へ。
「報告書は……これだな」
俺の机の上に置いてある報告書の一つを取り上げる。
ランム鳥の病理研究の報告書だ。ゴイガッラ村との共同研究で進められている。
今までも血が濃くなることによる弊害が経験則で知られていたものの、その原因が科学的に説明されることはなかった。遺伝子説が下火になっていたくらいなのだから当然ではある。
けれど、タカクス町のランム鳥遺伝子研究の資料により、遺伝病についての理解は深まりつつある。
また、ゴイガッラ村の長年にわたるランム鳥の飼育記録に見いだせる多様な症例についての研究も進んでおり、いくつかの予防策も考案されたようだ。
俺は予防策についての報告を読みながら、飼育小屋の改善について考える。
致死性の病気に対する予防策は当然必要だろう。だが、飼育小屋そのものの建て直しまでは必要ないように見える。
「マルクトと相談が必要だな」
今度はランム鳥の飼育記録を引っ張り出す。
現在、タカクス町におけるランム鳥の飼育数はγ系統が六百羽、シンクが三百羽となっている。
これ以上増やすつもりは今のところないし、設備も足りない。シンクに関しては安定してタカクス町の中で流通させる事が出来ているから、これ以上数を増やしても輸出用に回すことになるだろう。
輸出した際の利益も無視はできないだろうけど、現在のシンクはタカクス町の観光資源としての側面を持っているため、安易に外部へ輸出するのは悪手だ。外に出すとしても、あくまで宣伝材料として少数を供給するのが望ましい。
ゴイガッラ村でもシンクを育ててもらっているし、繁殖に成功したとの手紙も届いている。タカクス町のシンクが全滅した際の保険として機能していることになるから、懸念事項はもうない。
ランム鳥事業は安泰だ。
「となると、問題はやっぱりこっちだよな」
俺はランム鳥に関しての報告書をひとまとめにして事務机の横にある書棚に仕舞いこんでから、別の報告書を机の上から取り上げる。
タコウカの品種改良に関する報告書だ。
発色遺伝子についてはおおよその事が分かっている。
白と黒の対立遺伝子、赤と青と黄の複対立遺伝子に加え、五つの色全てに発色、脱色遺伝子が存在する。
発色遺伝子を持つ場合、対立遺伝子であっても問答無用で色の発現を促す。白と黒の対立遺伝子は白優勢であるため、通常は白しか表に出てこないが、黒の発色遺伝子を持っていた場合は黒が発現し、白と黒両方の発色遺伝子を持つと白と黒の二色が同時に発現し、モノクロ模様になる。
これらを総合すると、白色の純正個体の遺伝子型は対立遺伝子白×白、白以外の脱色遺伝子を併せ持つ個体という事になる。これが誕生すれば白色のタコウカを安定生産できるという寸法だ。
この純正個体を便宜上イチコウカと名付け、現在試行錯誤しつつ開発中。
開発段階は各種脱色遺伝子を持つ個体の特定と白×白型の個体の特定に移っている。
「研究費用が……」
タコウカの複雑な遺伝を考えれば致し方ない事とはいえ、研究費用がかなりかさんでいる。
特定の遺伝子型を持つ個体を割り出すべく、四十株のタコウカを一グループとして全部で十グループを用意。ただでさえ肥料食いの植物だけに維持費がバカにならない。
旧事務所も手狭になっているとの事で、いくつかのグループは研究者それぞれの自宅で管理している有様だ。
しかし、イチコウカが完成すれば売り物になるし、単色のタコウカを安定して輸出可能となればタカクスの特産品にもなり得る。
「むしろ増額してでも研究を加速させるべきなんだろうけど、研究者の育成から始めないといけないし、そうなると教師役が必要で……」
手が足りない。
そもそも、生半可な増額では意味がない。研究施設を新たに一つ作るくらいの金額が必要になるから、玉貨三枚前後は必要になると思った方がいい。
それに、計画そのものは順調に進んでいるのだ。わざわざ素人の教育にリソースを割いてもらっても全体的には効果が薄い。
タコウカを研究資料として管理栽培できる人員がいれば、計画完了までにかかる費用が削減できるのは間違いないけど、今からそれをするのは手遅れだ。
「これは俺のミスだよなぁ。もっと早く人材教育に乗り出して規模を拡大しながら研究を進めるべきだったか」
タイミングはいくつかあった。遺伝の複雑さに気付いた段階でそうすべきだったし、対立遺伝子と複対立遺伝子の発見時や発色、脱色遺伝子の存在がおぼろげながらも見えた時もそうだ。
後悔しても始まらないから次に活かす事にしようか。
まぁ、他に品種改良を進めてないんだけど。
俺はタコウカの品種改良に関する報告書を片付けて、有志が自身の畑で行っている作物の品種改良の報告書に目を通す。俺の意見を求めている物もいくつかあるため、文書での回答だ。
俺は町長なのに、なんでこんな研究者の統括みたいな事してるんだろ。本格的に新たな肩書〝研究者〟を背負う事になりそうだ。
品種改良に関する報告書をひとまとめにした後、デートスポットになっている第三の枝の収支報告書を見る。
素敵に心躍る黒字のオンパレードである。
劇場の完成に伴い行われたローザス一座の公演により観光客が増加した事で、タカクス町入り口広場における屋台群の収益が増加。
昼間に教会を見たり二重奏橋を渡り、夜には整備されたタコウカ畑を通って第三の枝にいくつかあるカップル向けの料亭で食事、場合によっては劇場の庭園を借りて二人で語らう。そんなデートプランが徐々に浸透しつつあるようだ。
第四の枝こと旧キダト村地区の方も市場のおかげで収支報告書は黒字が並んでいる。最近カッテラ都市の熱源管理官養成校から帰ってきた湯屋の息子さんの働きと、新築した湯屋の効果も大きい。地味にじわじわと黒字額を増やしているパン屋も侮れなかった。
元行商人テグゥールースの雑貨屋も安定した利益を上げている様子だ。
教会を有する第一の枝も収益で見れば相当な物だったりする。月に玉貨一枚以上の利益を出している。
第二の枝はほとんど住宅区として整備しているため、この手の収支報告書では目立っていない。
「帳簿をつけておくか」
必ずリシェイが付けなければいけない類のモノでもないし。
数字を書き込んでいると、事務所の扉が開かれてテテンが入ってきた。
直前まで寝ていたらしく、目元を擦っている。
「……お姉さまは?」
「寝てるよ。メルミーは昼になったら起こすけど、リシェイの方はそろそろかな」
アレウトさんももうそろそろやってくる頃だろうし。
俺は帳簿を閉じて立ち上がる。
「邪魔だぞ、テテン」
事務所の扉の前に仁王立ちしているテテンの前に立つ。
「……起こしに、行く」
「テテンが?」
こくりと頷くテテン。
「そうか、そうか。だが、俺が行く」
「さ・せ・ぬ!」
テテンが一語ずつ区切って語気も強く抵抗の意思をみせる。
致し方ない。
「奥義――ねこだまし!」
パンッとテテンの目の前で手を打ち鳴らす。
怯んだテテンの左肘を掴み、軽く引っ張って扉の横に移動させ、
「秘儀――壁ドン!」
「なぬっ!?」
ねこだましの影響から復帰しつつあったテテンに追い打ちをかけて再度怯ませた俺は、素早く扉を開き、身を竦めているテテンを横目に廊下へ身体をすべり込ませて扉を閉めた。
勝った。圧倒的な勝利だ。
俺は悠々と廊下を歩き、階段を上がる。
「……おかしい。なんでテテンの奴、追ってこないんだ?」
事務室の扉の鍵までは掛けていない。掛かっていても内側からは開けられるのだし、追いかけてこないはずがない。
先行された程度で諦めるような性格ではないはずだ。
何か裏があるのだろうか。
事務室に様子を見に戻った瞬間、逆襲を仕掛けてきたりとかするのだろうか。
まぁ、いいか。君子危うきに近寄らずとも言うし、テテン本体に近付かなければ逆襲を受けることなどありえない。
そんなわけでテテンの事は頭の中から追い出して、二階のリシェイの部屋の扉をノックする。
「リシェイ、起きてる?」
「いま起きたわ」
寝起きが良いな。
軽く身支度を整える音がして、扉が開かれる。
「アレウトさんは?」
「まだ来てないよ」
ただ、準備をするならこの時間から起きていないとまずい。
リシェイは廊下を見まわして二人きりなのを確認した後、わずかな沈黙を挟んでから俺を見てまぶたを閉じた。
求めに応じてリシェイと唇を合わせる。
唇を離すと、リシェイは照れたように笑った。
「結婚前の曖昧な関係とは違って求めれば必ずキスしてもらえる安心感があるのって、幸せな気分ね」
「ちょっと照れくさいけどな」
「しばらくは慣れちゃだめよ? 照れてるアマネを見るのも幸せのうちなんだから」
クスリと笑ったリシェイは顔を洗ってから事務室に行くと言って部屋に引っ込んだ。タオルなどを用意するのだろう。
目的を果たしたので、事務室に残したテテンの様子でも見てくるか。逆襲してきてもすでにリシェイを起こした今ならざまぁできるし。
昨夜の宴会での「……ざまぁ」発言、根に持っているんだよ?
ちょっとわくわく気分で事務室に舞い戻り、あたかも心配で確認に来た風を装って扉を開ける。
「……何してんだ、テテン」
鼻息荒く俺の事務机に座って何かを書いているテテンがいた。
反応がないので横から覗きこんでみる。最近になって読めるようになってきたテテンの暗号文が書き連ねられていた。
ねこだましからの壁ドンというコンボでインスピレーションを刺激され、百合小説の執筆を始めたらしい。
転んでもただでは起きない奴だ。