第八話 建橋家資格取得試験
「もう包丁を握りたくない。刺しそうだわ」
「何を!?」
サイリーさんによる料理教室から生還したリシェイが虚ろな目で呟き、メルミーが驚愕に彩られた瞳でリシェイを見る。
俺たちはサラーティン都市から羊そっくりのコヨウが二頭で引く車に揺られてヨーインズリーの事務所に帰ってきていた。
事務所のキッチンに背を向けるリシェイだが、料理に関してはサイリーさんに匙を投げられている。
五か月ほどクラムト村にいたのだが、料理の腕は上達しなかったのだ。
俺は事務所に届いていた建橋家資格の試験要項を読む。試験中は筆記と面接で二日間泊まり込みらしい。着替えを持って行かなくては。
それで、肝心の試験日は――
「って、明日かよ。コヨウ車を使わなかったら今年の試験に間に合わなかったな」
「ヨーインズリーの上層部だって、受験資格を貰ったその年に受けに来るとは思ってないんじゃないかな。十年くらいみっちり勉強してから挑むと思うよ」
「そうね。建橋家は熱源管理官と並ぶ最難関だというし、アマネはまだ二十歳だもの。ヨーインズリーもそこまで焦ってないと思うわ」
メルミーの言葉に同意して、リシェイが俺を見る。
「明日、受けに行くのかしら?」
「もちろん、受けに行く。時間がもったいないしな」
「受かる前提なのね」
最初から建橋家を目指していたんだから、いまさら勉強時間が足りないってことはないんだよ。
この世界の人は平然と十年スパンで準備期間を取ったりするけど、俺はもっと生き急いでいるのだ。
この間、建橋家資格を取ったというケインズが俺の十歳上だったはずだから、メルミーの言う通りに十年勉強してから受けるとヨーインズリーも考えていそうだけど。
建橋家試験は筆記による知識の確認と面接を二日に分けて行う事になった。
建築家とは異なり、建橋家は複数の枝に跨る構造物の建築を行う職業資格だ。
完全に建築家の上位互換の資格だけあって持っているだけで仕事が舞い込むほどのネームバリューを持つ。
建築家としての実績が受験資格に影響するため建橋家資格を持つ者のほとんどが四百歳以上、年齢二桁で資格を得た者はケインズの他に過去四、五人だ。
狭き門ながら、非現実的とまでは言えない。
知識の確認は筆記で行ったため、面接では主に人柄を探られた。
「異例な事ではあるんだよ。たった一年で建橋家資格を受けにくる者というのは、過去一人もいない。正直なところ、私たちも決断しかねている。アマネ君に建橋家資格を渡していいものか、とね。君自身はどう思う?」
どう思うと聞かれても、人格的には問題ないと思っているし、知識に関しては先ほどの筆記の結果を見る限り十分以上だと思う。
だが、聞いているのはそこではないだろう。
建橋家は複数の枝に影響を与える仕事だ。不正なデータを持ち出して強引に工事を進めたりすれば最悪の場合、枝が折れる。大惨事を招きかねない職業だ。
本来であれば、受験者の今までの仕事ぶりや仕事先での評判などをあらかじめ調査し、この面接でも生かしていたのだろう。
だが、俺は建築家資格を得てまだ一年。ヨーインズリーの上層部は受験しに来るのは十年後くらいだろうからと高をくくっているところに、俺の電撃受験である。
泡喰ってる感が面接官から滲み出ている。
俺は精いっぱい誠実に見えるよう、背筋を伸ばして口を開く。いま俺、超キリっとしてる。
「確かに私はまだ一年ほどしか建築家としての仕事をこなせていません。しかし、建橋家フレングスさんの下で弟子として活動していた頃から手を抜いたことはありません」
「しかし、一年は早すぎるとアマネ君自身は思わなかったのかな? もう十年、いや三十年くらいは経験を積んでからでも十分早いくらいだと私たちは考えているんだが」
「まだまだ学ぶことが多い事は自覚していますが、建橋家として必要な技能は有していると判断して受験しました。筆記の結果からも少なくとも知識面では条件を満たしています」
「それは、確かにそうだが……」
困っているらしい。
筆記試験の結果は受験者十人の中でトップ。二つで不合格になる禁忌肢は一つも選んでいない。
受験資格を授与した手前、実務経験が足りていないという理由で試験に落とす事は出来ない。
筆記に問題もなく人格的にこれといった問題もない。
だから、余計に面接官は困っている。
しばらく考えた後、面接官は机に両肘を突いて俺の方に身を乗り出した。
「個人的にはっきり言わせてもらおう。アマネ君に建橋家資格は早すぎる。この一年間の君の仕事に関しては一切の問題は見つからないし、君自身の人格にも問題はないだろう。だが、君を合格にすることで前例を作ってしまうと、受験者の素行調査が満足に行われない事態が常態化する恐れがある。だから、私はアマネ君が建橋家資格を得る事に反対の立場だ。君自身に一切の落ち度がないにもかかわらず、申し訳ない判断だけれどね」
やっぱりこうなるか。
予想していた事ではあったけど、やはり悔しい所ではある。
今後もまじめにコツコツと仕事をするしかないか、と諦めかけた時、面接官は俺を見据えて続けた。
「だが、君自身に何ら問題が無い以上は面接で落とす事は出来ない。試験は個人に対して公正に行われるべきだ。そこで、合格した場合には君の試験成績を一般公開することに同意してほしい」
「一般公開、ですか?」
成績を公開する事で、一年ちょっとでの建橋家資格取得者の最低ラインに設定するつもりだろうか。
「構いません」
「そうか。助かるよ。無理を言ってすまないね。それと、分かっている事だと思うけれど、この後の実技試験は君に対してかなり厳しい採点になる。今後の受験者に対する牽制も理由の一つだけれども、君の能力を正確に見たいというヨーインズリー側の意向もある」
「それは言ってしまっても良かったんですか?」
言わなければ、俺にだけ評価が厳しいかどうかなんてわからないと思う。
面接官はふっと穏やかに笑った。
「言わなければ不公平だろう。心してかかりなさい」
「ありがとうございます」
頭を下げた俺は、面接合格を告げられて会場を出た。
そうして迎えた最後の試験、実技の内容は町の開発計画を立てるという物だった。
実際に存在する枝三つに跨る町の計画だ。当然ながら枝を移動するための橋の設計も含まれており、荷重の分散などの繁雑な計算が含まれる。
測量資料はあるため、ここから荷重限界量などの基礎資料を作成して提出した後は各事務所に戻って設計を行い、後日提出という流れだ。
他の受験者が繁雑な計算に頭を抱えて苦しんでいた。なんでも、二日ほどかける受験者も出るらしい。
俺は三時間ほどで計算と三度の検算を行い、試験官に提出した。
「なかなか早いな。計算に間違いもない。今日はもう帰っても良い。もう一度言うが、この開発計画は実際に使用されるものだ。予算や資材発注も含めて事務所の総力を挙げて取り組みなさい。建橋家資格を得たら、これが初仕事になるのだからな」
「分かりました」
どうも、この最後の実技試験そのものが建橋家資格取得者の顔見せを兼ねた初仕事に設定されているらしい。
合格者が複数出た場合は現地でプレゼンを行うとの事だった。
俺は各種資料を持って試験会場を後にし、裏道を使って事務所に向かう。
途中でお土産の菓子を買って事務所に帰ると、リシェイがお茶を飲んでいた。
「おかえりなさい。合格したの?」
「筆記と面接は合格。これから実技試験だ」
「噂のお仕事実技ね」
資料を見せてほしいというリシェイに試験会場で渡された測量資料や俺の計算した基礎資料などを渡す。
「利用できる面積は広いけれど、急傾斜が多いし、枝の高さもまちまちね」
「ケインズが建造物の壮麗さを評価されたらしいから、対抗馬に綺麗な街並みを作れる者を求めてるんだと思う。だから起伏に富んだ枝で実力を測ろうとしてるんじゃないかな」
机に荷物を置いて、俺は事務所を見回した。
「そう言えば、メルミーは来てないのか?」
「……気になるの?」
「あぁ、来ていたらありがたかったんだけどな」
「……そう」
リシェイは俺から視線を外し、事務所の玄関の方を見る。
俺は荷物を片付けつつ、リシェイに声を掛けた。
「メルミーから何か聞いてないか? 木籠の工務店の予定とかさ。この試験が終わったらすぐに現地で工事に入るかもしれないから、木籠の工務店の予定が気になるんだ。それから、コマツ商会さんにも声を掛けないと。リシェイには木籠の工務店の方を頼んでいい?」
コマツ商会さんには俺が行った方が良いだろう。これから起こすデザインも資材の相場が変動してると予算内に収まらない。
リシェイがきょとんとした顔で俺を見た。
「私が木籠の工務店に行くの?」
「なんだ、リシェイも何か予定があるのか?」
「特にないけれど。多分、メルミーは木籠の工務店にいるのよ?」
「ここにいないんだからそうだろうな。……あれ、もしかしてなんか誤解してる?」
「別に何も誤解なんかしてないわ。行ってくるわね」
リシェイはいきなり会話を打ち切って立ち上がり、お茶を飲み干して事務所を出て行った。
おかしいな。リシェイさんのフラグが立っているように見受けられるのだが、いつ立てたのか皆目見当がつかない。
俺が試験を受けている二日間に何かあったのだろうか。
……クラムト村でメルミーの腹を触ろうとした話が伝わって、俺とメルミーの間を取り持とうとしている可能性もあるな。
もしかして、誤解したのは俺の方だったりする?
先ほどの会話を思い出す。
リシェイが嫉妬していると俺が誤解して問いかける。そんなわけないだろうとリシェイが怒って立ち上がり、事務所を出ていく。
あぁ、筋が通っている。
「うわっ、俺めっちゃ恥ずかしいことしてる! 自意識過剰すぎるだろ。ないわぁ、ないわぁああぁあ」
最近メルミーと馬鹿なノリを続けてたから勘違いしてた。俺がモテるわけなかった。
こんな恥ずかしさに悶える赤い顔でコマツ商会に顔を出すわけにもいかないし、ひとまずデザインの草案だけでも起こそう。そして落ち着こう。
俺は設計図を描き起こすべく、製図台の前に腰掛ける。
さて、気を取り直して今回求められるデザインの話だ。
実際の町という事で最低限の実用性はやはり必要だろう。周辺の地理や町の収支を見ても主な産業は織物や服の生産と輸出。最近は染色も始めているらしい事が分かるが、今はまだ細々としたものだ。
これらを考えつつ美しい町並みを設計しないといけないわけだ。
現地の勾配も問題になる。
「勾配というとサンフランシスコとか……」
サンフランシスコなどは勾配を無視して碁盤の目のように区画を作っているものだから急勾配が多い町になっている。ニュージーランドだかにある世界一急な坂も勾配を無視したからできたと言われていた。
まぁ、サンフランシスコはアップダウンが激しい代わりに碁盤の目に走っている道路も長く、坂の頂上からビルの隙間を縫って遠方の景色を見ることができたりして、体力に自信があれば散歩するのにいい町だけど。
体力に自信があれば、な。
坂では車を横向きに停めましょうとか。急勾配の連続ヘアピンカーブとか。映画では車が跳びまくる。そんな素敵な街。
自殺者の多い橋もある。ほぼ確実に死ねる高さで見た目も鮮やかな赤。真白の霧に浮かぶ様は芸術的で死ぬにはいい場所かもしれないけど、他人の迷惑を考えよう。
よし、調子出てきた。
ふとした瞬間に先ほどの恥ずかしいやり取りが脳裏に浮かんで悶絶するので前向きに考えつつ、町の設計を始める。
「芸術的な、装飾的な、そんな感じの町……」
自分で言ってて分かる。思い切り抽象的だ。
ひとまず、町の入り口にアーチを設け、柱に装飾を入れておこう。あまり華美な物ではなく、八角形の柱に縦の切れ込みを入れる程度のものだ。アーチ部分には透かしの多いレリーフを入れ、大通りをレリーフ越しに見れるようにする。
アーチを潜った先を大通りにするから、勾配とアーチ前に立った時の角度を考えてランドマークの位置取りに活かす方が良いな。
あれこれと考えて要件を書き込んでいき、町の完成形を脳裏に思い浮かべる。
「駄目だな、これ」
大通りを跨ぐような空中回廊が作れなくなるせいで後々の発展に支障をきたす。大通りに面する建物を一つでも不用意に弄ると外観が大きく損なわれるから、すごく扱いにくい町になってしまう。
勾配を利用した見通しの良い町並みをコンセプトに考えたけれど、空中回廊の存在を考えるとアーチの高さを不恰好なほど下げる位しか手が無くなる。空中回廊を高くするという手は実用面で見ると不便な高い階段を上ることが前提になるから現実的ではない。
町の門を外してしまおうか。しかし、外してしまうと町が大通りで二分されているように見えてしまってあまりよろしくない。
もう一からやり直した方が早そうだ、と今度はフライングバットレスを用いた天井の高い建築物を各所に設置し、町の所々にアーチを作ってみる。
この方法ならバットレスの上に空中回廊を設置できる。
だが、非常に窮屈な通りが各所に出来てしまうだけだった。元々、勾配が激しく見通しが利く土地だけあって外観的特徴の激しいフライングバットレスが随所にあると見た目もけばけばしい。
フライングバットレス自体が天井を高くしつつ外からの光を取り入れやすくしてステンドグラスを生かす物で、ゴシック様式の教会建築に用いられる物だ。町中にいくつも荘厳華麗な教会があったらありがたみも半減して鬱陶しいだけということか。
空中回廊の土台にするならフライングバットレスを利用した建築物を並べないといけないため、明らかに不適格だ。この案も却下だな。
「ケインズって本当にすごいんだな」
装飾的な建物というのは本当にセンスが問われる。そのセンスをケインズは高いレベルで持っているからこそ、あの歳で建橋家資格を得ることができたのだ。
比べて俺ときたら……。
頭を軽く振って気を取り直し、作業に戻る。
デザイン画を描いては捨て、描いては捨てを繰り返す。
「――煮詰まってるわね」
不意に後ろから声を掛けられて振り返る。
「リシェイ、帰ってたのか」
「ついさっき帰ったところよ。木籠の工務店の予定は空いているみたい。町の開発計画の規模次第では手が足りなくなるから、他の工務店にも声を掛けるって言ってたわ」
「それは助かる」
返事をした時、俺は部屋中に没にしたデザイン画が無数に転がっている事に気付いた。
作業に熱が入って生み出されたようにも見える、散らかり放題なこの部屋惨状を見れば、煮詰まっていると勘違いしてしまうのも無理はないか。
「いま掃除するよ」
「私がやるから続けていていいわ。一応、保管しておく?」
「そうだな、後で見返せば何かいい案が浮かぶかもしれないし」
リシェイが頷いて、俺が丸めて捨てていた没案を拾い上げ、広げる。
「なにこれ」
途端に眉を顰めたリシェイが、他の没案を広げて表情を険しくする。
言われなくてもひどい状態なのはわかっている。
装飾性と口で言うのは簡単だが実際にこれを現実的な物に落とし込もうとすると様々な制約が出てくるのだ。
リシェイは没案を並べて広げ、腕を組んだ。
「これが最初でこれはその後で……」
パズルでも解くようにリシェイが俺の没案を描いた順番に並べ替える。八割がた正解だ。すげぇ。
「ねぇ、アマネ。装飾性にこだわるのはいいけど、アマネが評価を受けた仕事ってこんなデザインだったの?」
一番良さそうな没案を持ち上げて俺に突き出してくる。
「いや、今回は装飾性の高い町並みを求められてるんだから、今までの仕事とは区別して考えないとダメだろ」
「なら、仕事そのものを受けない方が良いと思うよ。こんな、自分の持ち味を殺すような仕事して楽しい?」
楽しいかといわれると、めちゃくちゃつまらない。
「でも、それはいい案が浮かばないからで」
「それじゃあ、アマネが考えるいい案って何? 今までの仕事を踏まえて答えてみて」
リシェイのさらなる質問に、考え込む。
俺にとってのいい案。
別に装飾性を軽視するつもりはないが、もっと実用的な物の方が好きだ。住む人間が便利に使えるそんな設計が良い。長い使用に耐えられる、そんな設計だ。
だが、それは今回の試験で求められている条件ではない。第一の条件が見た目の美しさにあるのだから。
リシェイが眼を細める。
「いま、余計なこと考えたわね」
「いや、余計な事ってわけじゃない。試験で求められている資質は違うって事だ」
「アマネはケインズの後追いで設計するつもりなの? 自分の持ち味を殺してまで?」
……言われてみれば、そもそもがおかしな話だ。
俺は一人の建築家であって、ケインズと同じ土俵で勝負する必要なんて最初からないはずだ。
同じ土俵に上がれと煽っているのはヨーインズリーであって、それに乗っかってやるいわれはどこにもないはずだ。
ヨーインズリーはケインズの対抗馬を選出する建橋家資格試験のつもりかも知れないが、俺にとっては俺自身が建橋家足り得るかを測る物でなくてはならない。
リシェイは没案を拾い上げ、まとめてファイルに収めると棚の端に放り込んだ。
「アマネのデザインの持ち味はケインズのような装飾性じゃない。実利的で整然とした落ち着きにあるんだから、焦ってもいいデザインが思い浮かぶはずはないわよ」
お茶を淹れると言って、リシェイは台所へ入って行った。俺が焦らずにデザイン画に取り組めるよう、気を使ったのだろう。
実利的で整然とした落ち着き、か。
俺はリシェイの言葉を反芻し、脳裏に描いたデザインを書き起こすべく製図台に向かった。
現金なことに、ペンは先ほどまでと比べて随分軽くなっていた。
「リシェイ、数日分の旅の用意をしておいて」
お茶を持ってきてくれたリシェイに声を掛ける。
「現場に行くの? 測量資料はそろっているのに?」
分かっているくせに、リシェイが意地悪に訊いてくる。
俺は苦笑して、ヨーインズリーから渡された資料を持ち上げた。
「一番大事な資料が足りないんだ」
「なにかしら?」
首を傾げて微笑んでくるリシェイに答える。
「――住んでいる人たちの声さ」
俺が提出した町の開発計画書を見た試験官の第一声は「真新しさが無い」だった。
評価するのは試験官三人とこの開発計画の舞台になる町の創始者と古参が二人、計六人だ。
「最後に提出されたから期待していたんだけれどね」
「今年がダメでも、百年もすればケインズ君の対抗馬も生まれるでしょう」
「個人的にはアマネ君のような非常に若い力に期待していたんですがね。やはり、ケインズ君の才能は突出しているという事でしょうか」
「まぁまぁお二人とも、今は評価の最中ですから他の建橋家の話はそこまでにいたしましょう」
試験官三人が口々に話し合う中、町の創始者と古参二人が開発計画書を読み込んでいた。
自分たちは後で質問したいという町の創始者たちに首を傾げた試験官三人の内から一人、眼鏡の男が代表して俺に声をかけてくる。
「アマネ君は、綺麗な町並みが求められている事は理解していたはずだね? 何故、これで提出したのかな?」
「これが、私が自信を持ってできる建橋家としての仕事だと思ったからです」
「答えが少しずれているね。それとも、求められる条件に合致しない計画書を、自信を持って出すのがアマネ君の仕事のやり方かな?」
俺は試験官から視線を外し、町の創始者を見る。
「ヨーインズリーの試験官さんが考える条件と実際に町で暮らす人が求める条件が全く同じという事はないと思います。私はケインズの対抗馬になるべくこの試験に臨んだのではなく、建橋家になるためにこの試験に臨みました。だから、私は私の考え方で皆さんの求める条件に精いっぱい応えたつもりです」
ヨーインズリーの試験が求める条件ではなく、町の人々が求めている条件に近付けたのだ。
屁理屈だと受け取ったのか、試験官たちが顔を見合わせる。
「若いね。悪い事ではないけれども。君が解釈した条件の中で精いっぱいに努力しても、他人の条件に照らし合わせたら及第点にもならないというのはよくある話だ。もっとも、アマネ君の計画書そのものは悪くない。美しいかといわれると疑問が残るけどね」
「――疑問の余地はない。これは素晴らしい美しさだ」
割って入った声に試験官たちがぎょっとして横を見る。
そこには腕組みをして目を閉じ、計画書の中にある町を思い描いているらしい町の創始者の姿があった。
創始者が眼を開き、試験官を横目に見る。
「儂はアマネ君の言葉に一理ありとみる。儂らが欲しいのはケインズだとかいう新進気鋭の建橋家に対抗心を燃やして作られた町ではない。ケインズとやらを向いて作られた町に住みたいはずはなかろう。儂らは儂らを見てくれるこのアマネ君にこそ、設計を頼みたいと切に願う」
ヨーインズリーにはヨーインズリーの事情があるだろう。だが、町には町の事情がある。
ダシにされることに同意はしているのだろうが、納得しているかは別だ。
町の創始者の先ほどの言葉を鑑みるに、俺以外の受験者はヨーインズリーの試験官の意向を重視するあまり実用性よりも装飾性に重きを置いた計画書を立てていたのだろう。
リシェイに諭されなければ、俺も同じことをしていたはずだ。
試験官三人を牽制して、創始者が俺を見る。
「確かに、華美な物ではない。だが、機能美がある。いくつかの質問をしても良いだろうか」
「はい、どうぞお願いします」
創始者が計画書から町の地図を取り出して広げる。
「渋滞を緩和するために設けたといういくつかの道路があるが、渋滞対策についての詳細が良く分からない。勾配の急な場所を避けて道を通すことで荷を運ぶコヨウ車の加減速を最小限に抑えているのは分かるが、他に対策はあるのかね?」
「かつてはコヨウ車と歩行者の動線がいくつもぶつかっていたのですが、立体交差で解決しています。特に、染色のために水を汲み、さらにそれを排水として捨てる一連の流れは水そのものの重さもあって急勾配を避けて行われており、移動速度も遅い事から交通の妨げになっていました。このため、今にいたるまで染色を行う工房の数を増やせなかったのではありませんか?」
「その通りだ。貯水場の周辺はすでに民家と畑で埋められ、染色工房を建てる余地が無い。必然的に貯水場から離れた位置に染色工房を立てることになるが、水を使用する現場が貯水場から離れれば離れるほど交通の妨げになりやすい」
数キロの荷物を担いで何往復もするのだ。全力疾走などできるはずもなく、歩行はある程度ゆっくりしたものになる。
そんな水の運搬人が道路を横断するとなれば通行の妨げになるのは当然だ。
つまり、現在町に求められているのは円滑な水の運搬経路の確立である。
「この計画案では町の各所をロープウェイで繋ぎ、下の道路に影響を及ぼさない水の運搬経路を安価な費用で確立します。取り壊しや再配線も容易なため、町の発展を阻害する事もありません」
日本では吊舟の名前でも呼ばれた人力のロープウェイだ。空中回廊を作るよりも費用は安価で、延長も容易である。
問題点としてはロープの存在が目につきやすく、景観を損なう事。何しろ水を満載して人まで乗った籠が頭上を行くのだ。その存在は自然と目につく。
だが、水の運搬手段としてのみ稼働させる必要はない。
「観光客を乗せることもできるのかな?」
創始者が俺に鋭い目つきを向けて問いかけてくる。
俺は深く頷いた。
「町を歩く限りでは得られない感動をお約束します」
せっかくの起伏に富んだ町並みだ。高所からその凹凸感を楽しんでもらえばいい。
俺の考えを読み取ったのか、創始者と古参の二人がにやりと笑う。
「どの角度から見ても美しい町ではなく、実用的なロープウェイの上から一望するからこそ美しい町というわけだ。いいじゃないか」
「ありがとうございます」
町の創始者と古参の感触は上々だ。
俺たちの会話を聞いて、試験官たちも視点を変えて計画書を読んでいる。
もう、ケインズの後追いをさせようだなんて言わせない。俺は俺の土俵で戦わせてもらう。
これで不合格ならそれまでだ。また来年頑張ろう。
試験官たちが計画書を片手に唸る。
「やはり、町の美しさという点では辛い評価を下すしかない。それは、ロープウェイで街を一望するという案を加味しても、だ。高所から見た美しさは確かにあるのだが、まだ発展させる余地があるように思う。例えば、屋根の形にもっと種類が欲しい。せっかく町を一望できるのだから、住宅区と工房のある地区や商業区、農地などがはっきりと分かれている方が良いのではないかな?」
試験官の言う通りだ。具体的な指摘が入ると、まだまだ発展の余地がありそうに思える。
「だが、非常に合理的な設計だ。アマネ君の歳でこれができることに驚いてしまう。これはこれで、方向性としては一つの選択肢であり、建橋家の道を照らすものだと思う。私たちの曇っていた眼を晴らすことができるほどにね」
そう前置きして、試験官は続ける。
「この場で合否を言い渡すわけにはいかないけれども、安心して待っていなさい」
後日、建橋家資格試験の合格者が発表された。
合格者は一名、俺だった。