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世界樹の上に村を作ってみませんか  作者: 氷純
第四章  町と呼ばれて
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第二十五話 タカクス劇場

 猛暑日が続くようになった夏の真っ盛り。

 猛暑日といっても体感で二十五度を超えないくらいだけど。


「じゃじゃーん、完成しましたー」


 メルミーが腰に両手を当てて胸を張る。背後には宣言通りに完成したばかりの劇場があった。

 タカクス劇場である。

 タコウカ畑が存在する第三の枝に作られた木造三階建ての劇場であり、建築費用は玉貨二十枚。二重奏橋に匹敵する費用を投じただけあって世界樹北側を見回しても比肩する劇場は存在しないだろう。

 建物の正面には広い庭があり、この整備費は玉貨十枚。総費用は玉貨三十枚となるため、実質的にはタカクス町の会計史上で最大の支出額となっている。

 ちなみに、二重奏橋は旧キダト村との共同建設であったため、旧キダト村の出資額も加えると総建築費は玉貨四十枚になる。いまでもタカクス町で最もお高い構造物が二重奏橋なのは変わらない。

 メルミーがタカクス劇場と庭園を見回してため息を吐く。


「何だろう。やり切った感があるよね」

「建築中、これが完成したら結婚するんだって言ってたもんな」


 変なフラグを立てるなと何度も思ったけど、無事に完成してよかったよ。

 庭園に設置された楕円柱のガゼボで、自らがブレンドしたハーブティーを飲んでいたリシェイがテテンと一緒に歩いてくる。


「この庭園、夜間は公開するの?」


 まったりと午後のティータイムを楽しんでいたリシェイは庭園を気に入ったようで、そんな事を聞いてくる。

 庭園の中央ではいくつも植えられたチューリップに似た一輪咲きの背が低い花、リッピークルが五芒星を描き、使い道がないため廃棄される運命にあった黒色タコウカで縁どってある。

 さらに、庭園の端にはリッピークルを三角形に植えて白色タコウカで縁どってあった。

 夜間には中央の五芒星の頂点が指し示す方向にある五つのガゼボを三角形を縁どる白色タコウカが程よく照らすという寸法だ。

 昼に見ても色鮮やかなこの庭園は、夜にその表情を変えてムード満点なデートスポットとなる。

 第三の枝にある関係上、この仕掛けはどうしても必要だったのだ。


「もちろん、公開する予定だよ。ただ、五組限定の貸し出しにしないと雰囲気が壊れかねないから、賃貸料の設定を後でしておこう」

「分かったわ。一度、夜に来てみたいわね」


 体感してみないと料金設定ができないし、とリシェイは笑みを浮かべる。


「メルミーさんは向こうの赤い三角がいい」


 メルミーが指差したのは赤いリッピークルで描かれた三角形の側にあるガゼボだった。


「それなら、私はあちらの青い三角にするわ」


 リシェイが青いリッピークルの植えられた横にあるガゼボを指差す。


「……家に、いる」


 テテンが引きこもり宣言してオチがついたところで、俺は劇場を仰ぎ見た。

 ドイツのバイロイト祝祭劇場を彷彿とさせる外観だ。臙脂色と菫色で塗り分けられた外壁にアーチ型の窓を三つ配置してある。

 完全な左右対称、屋根はやや特殊な形状をしているけど、大ざっぱに言えば多角錐でさらに越屋根である。

 玄関ポーチには両開きの扉がある。人の出入りを目的としたもので、舞台道具の類の搬入出口は裏手にあるため、さほど大きなものではない。

 中に入ると越屋根から光が降り注ぐ天井の高いエントランスがお出迎えだ。玄関側を除く壁三面にアーケードがあり、玄関扉を背にした俺から見て左右の階段から二階へ上がることができる。


「広いわね」


 エントランスを見回して、リシェイが呟く。

 ローザス一座の宿舎と稽古場とは異なり、この劇場は俺が右腕のリハビリがてらに最初から最後まで設計図を描いているから、リシェイは完成図が予想できず実際に見る広さに戸惑っているようだった。


「百人以上がくつろげるエントランスホールだからな。いまなら軽く踊れるぞ」


 後でテーブルや革張りの椅子を配置する予定だから、踊れるのは今だけだ。

 テテンが壁を見て首をかしげる。


「……扉?」


 アーケードに隠れた扉に気付いたらしい。


「従業員用の待機室だ。あまり大きくないけどな」


 逆方向には飲み物やパンフレットの販売所が設置される予定である。

 販売所はエントランスホールだけではなく庭園側にも窓口があるため、公演を待つ客がエントランスホールに収まらなくても庭園で時間を潰すことができるよう配慮してある。庭園側に置いてある、夜間には撤去されるベンチも配慮の一環だ。


「観客は最大五百人までは入れるのよね。エントランスに百人ならちょうどいいのかしら?」

「庭園で時間を潰すお客の方が多いくらいだろうし、日中は庭園が賑やかな方が夜に庭園を貸切ったお客も独り占めしているって実感がわいていいと思うんだ」


 狡い手だけど、効果はあるはず。

 消音と滑り止めを兼ねた雪虫のフェルト絨毯が敷かれた階段を上り、二階部分へ。

 バルコニーなどは無いものの、大きなアーチ形の窓から見える庭園の風景はなかなかのものだ。中央の五芒星に加え、五つある三角形などが一望できる。

 日本庭園の様な自然を模した美しさではなく、西洋風の人の手で作り上げられる整然とした芸術的美しさは、これから見ることになるだろう人が極めた芸を披露する公演への期待感を高める。

 テテンが天井を見上げて目をぱちくりさせているのに気付いたリシェイが俺の袖を引く。


「この天井、どうなってるの?」

「網代だ。これから入る劇場ホールの天井にも使ってる」


 竹やへぎ板を使って編む網代は日本でも茶室などに用いられる。

 この世界でも喫茶店などでまれに用いられるのだが、イスラム建築に見るアラベスクさながらの精緻な編み方をするため費用が掛かる。

 五百人が入る劇場ホールの天井に使えばどれくらいの額になるか、おして知るべし。

 二階部分から直結している劇場ホールに入る。

 弧を描いて配置された七段の観客席はフカフカした座り心地の良い布張りだ。

 音が吸収されることを嫌ったワーグナーが木製で長時間座るのに適さない観客席を置いたバイロイト祝祭劇場とは異なっている。

 同様に、舞台も全面が観客席から見えるようになっている。これはコンサートホールではなく演劇も行う劇場である関係上、当然ともいえる。


「……天井、豪華」


 テテンが天井を見上げて口を半開きにしている。

 網代の天井は五百人を収容できるホール全体を覆うため非常に面積が広い。その全面を使った網代の精緻な模様ときたら、それだけで芸術品だ。

 網代天井の裏にはビーアントの反響板があるため、これを隠す意味合いもある。


「メルミー達がかなり頑張ってたからな」

「こんな広い天井を作る機会もあまりないのに、網代天井だもんね。職人一同神経をすり減らして編んだよ」


 メルミーが疲れた顔で天井を見上げる。


「劇場全体よりも、あの網代天井を完成させた時の方が達成感があったかもしれないくらいだよ」

「多分、世界樹最大の網代だろうからな」


 網代の完成日に職人たちがプチ完成祝賀会を開いたくらいだし。

 だが、この網代には労力に見合うだけの効果がある。


「あの網代は裏の反響板と合わせて音を拡散させるから、演奏でも奥行と伸びのある音が期待できるんだ」


 この効果を出すためにヨーインズリーから資料を取り寄せて研究した。

 この世界の網代は様々な図案が考案されており、その効果に関する研究もおこなわれていたから調べるのにさほど時間はかからなかったけど、研究結果を読むだけでもなかなか楽しかった。

 舞台はプロセニアム式で白銀比のプロセニアムアーチで縁どられ、奥行きもある。

 天井も高く、奥行きと合わせて舞台裏から道具の運び込みも容易になっている。

 観客席から舞台に上がる。

 左右には舞台裏や控室につながる通路がある。もちろん、観客席からは見えない角度だ。


「上にあるのは何?」


 リシェイが指差す天井にはH型に配置された三本のレールがある。


「舞台の奥行きを調整するのに使うんだ。ローザス一座だけじゃなく、いろんな一座や旅芸人に貸し出す予定だから、出し物に応じて調整出来た方がいいと思ってね」


 並行に走る二本のレールの上をカーテンレールが舞台の奥行き方向に移動する。衝立ではなくカーテンレールを採用したのは、舞台の背景を自由に変えられるようにするためだ。

 白塗りの布に背景を描いてカーテンレールから吊り下げてしまえば、世界樹の幹だろうと、天空だろうと、神話で描写される地上だろうと自由に変えることができる。


「以前、仕事で請け負った空中劇場にはない仕掛けね」

「あの時は舞台背後の空を見せる使い方が大前提だったから、仕切りなしが要望の一つだったんだ」


 だからこそ、特定の演目でないと演劇の類ができない代わりに、本物の空を背景に使用できる特殊性を面白がった一座が借り受け、空を舞台にした新旧脚本の演劇が上演されている。

 どちらが優れているという話ではないけれど、汎用性という意味ではタカクス劇場の方が使いやすい。

 舞台から通路を通って控室と舞台裏を確認した後、道具の搬入口から外に出る。

 コヨウ車を回すことのできる広場がある。一番利用する事になるだろうローザス一座の宿舎兼稽古場が第一の枝を挟んだ向こう側、第二の枝にあるため、コヨウ車で道具を運び込む事を前提とした作りになっているのだ。

 建物の裏手にあたるこちら側には、舞台裏の通路から出られるベランダが面している。道具の搬入を行う団員を上から監督、全体を見て指示を出せるようにするためだ。


「一度ローザス一座に使ってもらって、感想を聞きたいね」


 メルミーがベランダを見上げて言う。本人が達成感があるというほど立派な建物だけあって、使い心地が気になるのだろう。

 かくいう俺も気になっている。


「ローザス一座に話を持って行こう。テテン、喜べ。貴賓席があるから人酔いせずに済むぞ」

「……いい仕事」




 二重奏橋を渡って第一の枝の事務所に戻ってみると、玄関前でアレウトさんが待ちぼうけを食らっていた。


「あぁ、お帰りなさい。テテンさんまでいないので、途方に暮れていたところです」


 引きこもりという名の留守番をしている事も多いテテンは、来客に俺たちの出かけ先を伝える役割がある。

 事務所に一人も残さなかったのは確かにまずかった。


「待たせてしまってすみません。どうかしましたか?」

「そろそろ、結婚式について詳細な打ち合わせをしたいと思いまして。メルミーさん、逃げないでくださいね」

「大丈夫です。捕まえているので」


 アレウトさんを遠目に発見した段階でさりげなくリシェイと視線を交わし、メルミーを間に挟むように歩いてきたのだ。


「い、いつのまに」


 いまさら気付いたメルミーが俺とリシェイを交互に見て、観念したように両手を挙げる。


「前に逃げたでしょう? あの日にアマネと打ち合わせしていたのよ」

「土壇場で逃げ出す悪い癖は直そうな」

「アマネとリシェイちゃんが夫婦してる」


 これから夫婦になるんだよ。メルミーもな。


「それでは、応接室でお話ししましょうか」


 リシェイが事務所の玄関扉を開けて、俺たちを招き入れた。



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