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世界樹の上に村を作ってみませんか  作者: 氷純
第四章  町と呼ばれて
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第二十四話 ローザス一座の宿舎と稽古場

 最近、左手で文字を書くことに慣れてきたな。

 ペン先で数字を紙に書きつけながら、横目にリシェイを見る。

 製図台に向かって線を引くのに悪戦苦闘しているようだ。

 ドラフターを買おうかな。似たようなのってこの世界でもあるし。


「計算は終わったの?」

「いま終わったところ。リシェイはどう。描けそう?」

「仮設観客席はもっと簡単だったけれど……」

「細かい線を描くなら、慣れが必要だからね」


 俺はリシェイの隣に座って、角度や長さを指定しながら線を引いてもらう。

 設計しているのはローザス一座の宿舎と稽古場だ。一体化させてほしいとの注文であり、練習風景を見せないようにあまり人が来ない第二の枝のシンク飼育小屋近くに建てられることが決まっている。


「本当にこの形にするの?」

「あぁ、こうしておけば住宅街の方へ音が漏れないだろうし、建物で死角ができるから屋外練習を見咎められることもない」

「ちょっと見ない形状よね」

「居住性に問題はないと思うよ」


 生活空間である宿舎部分と稽古場が分かれているから、くつろぎやすいくらいだろう。

 ローザス一座の拠点としての建物だから、少しお洒落な外観にもする予定だ。


「このブリーズソレイユというのは何?」


 リシェイが首をかしげる。

 ブリーズソレイユは建築物と一体化したルーバー、鎧戸みたいなものだ。

 陽光や外からの視線を遮りつつ風通しを良くできる。

 単なる壁面とは異なり並行に走る隙間があるため外観に与える影響も無視できず、下手な使い方は出来ない。

 近代建築の巨匠ル・コルビュジエが名付け、好んで用いたブリーズソレイユはもともとインドで太陽光を調整するために用いられていたという。

 今回は稽古場への視線をカットしつつ、外観的特徴を持たせるとともに、稽古場内にいる者が開放感を得られるように考えた結果の採用だ。

 稽古中の姿を見せるわけにはいかないけれど、外に対する開口部が大きいほど外にいる人間を意識する心理的な効果で稽古に身が入る。

 また、隙間があるため普通の壁面よりずっと光の取り込み口が多く、室内がとても明るくなる。

 細部の動きまで確認する稽古場では明かりも多い方がいいだろう。邪魔ならブリーズソレイユの角度を調整して陽光を遮る事もできる。

 リシェイに時々説明をしつつ、設計を進めていく。

 この分なら、春の間に建設に取り掛かれるだろう。




 建設が始まると、パートナーはリシェイからメルミーに代わる。

 こちらは何度となく経験した共同作業である。しかもほかに職人さんがたくさんいるので甘い事とか起こりそうもない。

 仕事だからそんなことを期待する前に働けという話だけど。


「キリキリ働くぞー」


 メルミーが両腕を空に突き上げる。熊の威嚇ポーズみたいになってる。

 職人たちも慣れたもので、苦笑気味に片手を挙げて応じた。


「それじゃあ、手始めに土台作りからいこうか」


 動かしてもいいと許可の出た右手に図面の束を持ち、俺は指示を出す。


「それにしても、立体感のある建物だね」


 メルミーが設計図を見て感想を口にする。


「メリハリがあると言って欲しいな」

「この場合、同じじゃない?」

「気分の問題なんだよ」

「恋してるより愛してるの方がいい的な?」

「そう、そんな感じ」

「無くし物より失せ物的な?」

「より近付いたかな」


 言葉って難しいね。


「土台はきっちり組んでおいてください。その上に宿舎が乗っかる形なので」


 土台で底上げしている目的は、宿舎を高床にするからだ。

 今回の建物は入口側から順に、宿舎へ上がる階段部分、他の建物であれば二階の高さにある宿舎部分、その向こうに一段下がった稽古場となっている。

 宿舎の一階部分は木で組んだ頑丈な土台であり、風がよく通るようになっている。稽古場の片側壁面がこの土台部分に向けて開放されており、稽古場対面のブリーズソレイユから吹き込んだ風が通り抜ける仕組みだ。土台部分の木はよく乾燥させた丸太を使っている。

 土台が邪魔をして稽古場の中の様子を外からは窺えず、裏に回り込んでもブリーズソレイユの影響で中は良く見えない。しかし、中で稽古している者にとっては風が吹き抜けるために運動をして体が火照っても過ごしやすく、採光も可能で、冬場に雪が積もっても土台側は上に宿舎があるため雪の影響を受けずに窓を開ける事が可能。


「土台を組み終わったら防音のためブランチミミックの甲材を所定の場所に設置してください」


 その弾性で振動を吸収するブランチミミックの甲材を用いて、稽古場の音を外に漏れにくくする。

 職人の一人が俺の側にやってきて、階段の設計図を見せてほしいと頼んでくる。


「踏み面がかなり広いですね」

「道具の運び込みや運び出しがあるから、足場を広く取ってあるんだ。雨水排水用の穴にも注意して」

「了解です。でも、これならスロープでもよかったんじゃ?」

「足を鍛えるために階段の上り下りもするんだそうだ。スロープは別途、宿舎と稽古場を繋ぐ形で階段とは別に設ける」

「劇団員って案外、体力勝負なんですね」


 華やかな印象が先行しがちだけど、あの人たちも体が資本だからな。

 前世でも、演劇部は吹奏楽部並みに体育会系だったよ。走り込みとかやってたし。

 ローザス一座に限らず、この世界における劇団員は舞台演劇の他にも楽器やジャグリングなんかもやるから、練習にも体力や神経を使うだろう。


「アマネ、あっち見て」


 メルミーに言われて視線を向ければ、興味津々の様子で孤児院の子供達が数人、建設現場を遠くから眺めていた。

 俺が見ている事に気付いたのか、子供たちはすぐに逃げ去った。


「何だろう。建設現場を覗きに来ることなんて最近なかったのに」


 タカクス町は発展途上だから、冬場以外はどこかしらで工事が行われている。

 空中市場のような大きな建築物の場合は興味本位で覗きに来る者が子供以外にもいたけれど、いまさら宿舎や稽古場程度を見に来るとは思えない。


「ローザス一座に入りたい、とかじゃない?」

「新人も入れたいとは言ってたし、芸を仕込むのなら子供の内から始めた方が身につきやすいそうだけど……」


 俺としては、建築家志望の子が増えてほしい。

 結構頑張って目を引く設計をしてるつもりなんだけどなぁ。


「今回は彫刻はないんだね」


 メルミーの言葉に意識を仕事へ戻される。


「人目を引くことを目的とした建築物じゃないからいらないと思うんだ。あくまでも宿舎と稽古場だからさ」


 けれど、今設計している劇場には彫刻を入れたいと思っている。像の類を置きたいのだ。

 ちょっと残念そうな顔をしていたメルミーは、すぐに気合を入れ直して作業に向かった。

 宿舎と稽古場が完成するのは夏の初めくらいだろうか。




 動かせるようになった右腕のリハビリがてらに劇場の設計を行っている内に、宿舎と稽古場は完成した。

 ローザス一座の座長であるレイワンさんを伴って、宿舎と稽古場の案内を行う。

 玄関にあたる入り口正面は高さ三メートルの幅広の階段と、その横にデッキスペースが存在する。

 レイワンさんは一度階段を駆け足で往復して、満足そうに頷いた。


「ちょうどいい塩梅です。踏面が広めで足を滑らせないうえ、駆け上がるにしろ、駆け降りるにしろちょうどいい幅だ」


 訓練にも使うとあって安全性を確かめたかったようだ。

 レイワンさんがデッキスペースに視線を向ける。

 階段の横にある三角形のデッキスペースは楕円形に隙間の開いたフェンスで囲われている。


「あちらは休憩所ですね?」

「えぇ、食事もできる広さですよ」


 宿舎側の建物にある開閉式の窓から出入りできるデッキスペースは日当たりも良く、植木鉢などを置いて緑化するのがお勧めだ。タコウカを植えておけば、隣の階段をある程度照らすこともできる。

 階段を上がると宿舎の扉を開ける。大きな荷物も運びこめるように両開きだ。


「一階は食堂とキッチン、管理人室があります。二階部分には小さめの部屋が廊下を挟んで十五室ずつの二列、計三十部屋あります」


 宿舎である以上、寮監みたいなものが必要になるだろう。一階の管理人室はそれを踏まえて少し広めに作ってある。

 悪い事をすると管理人室でお叱りを受けるのだよ。いい子にしろよ、劇団員。


「あの廊下の奥にある階段はなんでしょうか?」


 レイワンさんが指差す先を見て、答える。


「下り階段が稽古場へ、上り階段は舞台道具の倉庫と舞台裏へ繋がっていて、階段を無視して廊下を進めば、稽古場を見下ろす監督席と照明を配置する場所へ繋がっています」

「あぁ、あれが」


 事前に設計図を見せて了解も貰っているけれど、実際に見て見ないと分からなかったのだろう。


「ちなみに、廊下の対極にあるスロープは重量物の搬入出に使用してください。宿舎の他、稽古場、倉庫、舞台裏のすべてに繋がっています」

「なるほど。稽古場の左右に階段とスロープを配置してあるんですね」

「そうです。スロープは屋根がついていますから、利用の際は天井に荷物をぶつけないように気を付けてください」


 かなり高さを取ってあるからまず心配はいらないと思うけど。

 長い廊下を通って稽古場への階段を降りる。

 階段は高さ三メートルほどで、玄関のそれと同じように作られている。


「おぉ、ずいぶんと明るい!」


 階段を下りきるとすぐにレイワンさんが感動したように声を上げた。

 正面の壁から縦になった光の帯が無数に差し込んできている。

 光の帯は高く、監督席や照明を配置する空中の通路まで伸びている。普通の建物であれば二階分の高さがあるブリーズソレイユから取り込んだ光の帯だ。


「その壁の端にあるハンドルを回せば羽板の角度を変えて光を調節できます。ちょっと実演してみますので、そこで見ていてください」


 俺は壁の端にある円形のハンドルを掴み、時計回りに回転させる。

 すぐにブリーズソレイユの羽板の角度が変わり、稽古場に外からの光が一気に差し込んだ。

 ハンドルは二つあり、片方で壁を縦に二分割したうちの半分の羽板が動くようになっている。

 ハンドル一つですべてを動かしてしまう事も可能だが、舞台演劇の中には暗所で演じる場面もあるため、広い稽古場を半分に仕切りで分けて別々に稽古できるようにしたのだ。


「仕切りについてはカーテンを使ってください」


 俺は頭上に設置してあるカーテンレールを指差す。

 レイワンさんはカーテンレールを見て「至れり尽くせりの仕様ですね」と嬉しそうに笑った。


「同時に稽古ができるのは非常にありがたい。音の方はどうでしょうか?」

「反響音に関しては、この通りです」


 俺は柏手を打って稽古場全体に音を反響させる。かなり良い音が濁ることなく返ってくる。


「ビーアントの甲殻を使用していますので、楽器の練習などでも綺麗な反響音が聞こえるはずです」

「反響板に出来るほどのビーアントの甲殻ですか。良く手に入りましたね」

「いえ、公民館の共用倉庫に死蔵されていた品です。昨年の秋に狩った時の物ですが、どうしようかと悩んでいたんですよ」


 しかもまだ残ってるし。

 まぁ、劇場を作る時に使用するつもりでいるから、問題はないんだけどね。

 稽古場からも二階の高さにある監督席へ上がる階段がある。一度、レイワンさんに監督席からの眺めと音の聞き取りやすさを確認してもらった。


「良いですね。窓を開けてもなお、良く響く」


 素直に感心したように、レイワンさんは言って、監督席に座って腕を組んだ。


「物心ついた時から旅から旅。いつしか一座を率いるまでになり、悪戦苦闘しながら必死にやってきました。あの日々はそれはそれで楽しい物でしたが、こうして専用の稽古場を待つと泣けてきますね」

「気に入ってもらえたようでなによりです」


 建物で言うところの三階部分にあたる道具置き場を確認した後、スロープ伝いに外へ出る。

 稽古場に面する建物の裏手側は三階分の高さの壁にブリーズソレイユの羽板がずらりと並んでいる。

 耐腐食性を高めるワックスアントの蝋が塗られた羽板は白く、外観を明るくしながらも内部を窺えない様になっている。


「建物の背面はこうなっているんですか。雲上ノ層ではたまに見る様式ですね」

「直射日光を調整して室内に取り込むのに用いたりしますからね」


 レイワンさんは羽板の隙間から稽古場の様子を窺おうとして、すぐにあきらめる。


「新進気鋭の建橋家だけあって、見事に希望通りです。ありがとうございます」


 満足そうなレイワンさんが俺に右手を差し出してくる。

 俺もまた、骨折が治ったばかりの右腕を動かした。


「ようこそ、タカクス町へ」

「はい。今後とも、よろしくお願いします」


 こうして、タカクス町にローザス一座が居を構えた。



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