第二十話 告白
幸いというべきか、俺の上に積もった雪はわずか。頭上、雲中ノ層からの雪の落下地点がやや前方だったのが幸いした。
生き埋めにならずに済んだのは素直にありがたい。
すぐに、雪崩れかけていた雪の流れも止まった。
だが、油断はできない。
矢筒から矢を取り出そうと右腕を動かした瞬間、強烈な痛みが走り抜ける。
上から落ちてきた雪に右腕が埋もれていた。
痛みを我慢して右腕を引き抜こうとしたけれど、どっさり積もった雪に埋もれていてびくともしない。
仕方なく、俺は左手で自分の右腕を掘り起こすしかなかった。酷い宝探しもあったもんだ。
「あぁ、痛ぇ。折れてるな、多分」
不器用に左手で取り出した矢を添え木代わりにして、右腕を固定する。
マジ痛い。
この状況ならホームシックも仕方がないよね。
「痛み止めはあったはずなんだけど」
背負い鞄を骨折した右腕を庇いながら降ろすとか無理だ。
左手で新たに取り出した矢をスコップ代わりに足元の雪を掘り起こし、世界樹の樹皮を露出させる。
雪の下には薄い氷の層があった。いつ雪崩れてもおかしくないな。
早くこの場から出た方がいい。
周囲を見回し、枝の中央地点にいることを再確認してから、俺はタカクス町へ向かうべく歩き出す。
この怪我だとどうしても歩く速度も落ちる。ここからタカクス町まで二日かからない程度か。
途中で二回の野営を挟むのが理想的だけど、この腕ではテントを張る事も出来ない。
洞窟なんて気の利いた物はない。樹上だから当たり前だ。
虚穴も、この辺りにはなかったはず。
雪虫製の防寒着を着込んでいなければ凍死するような冬真っ只中の気温で、雪や風を凌ぐ場所もなく利き腕を骨折した男一人。
あ、死亡フラグ立ってるわ。
というか、右腕が痛い。
休める場所がない以上、休まずにタカクス町へ向かうしかない。クーベスタ村に引き返すよりはまだタカクス町の方が距離的にも近い。
救助を待ちたいところだけど、俺が到着する正確な日付なんて予想できるはずがないから、俺がここにいる事もリシェイ達にはわからないだろう。
「食料と水は持っているから、後は魔虫に出くわさないのを祈るばかりか」
冬でも活動する魔虫は存在する。雪虫のような無害なモノではなく、人でも構わず食べ散らかすタイプの魔虫だ。
まぁ、数は少ないんだけど。
干し肉や干し果物などの調理せずに食べられる食材の量を思い出しながら、ひたすら雪の中を進む。
ざくざくと雪を踏みしめ、昼夜を問わず歩くこと丸二日。
日頃魔虫狩人として鍛えた体も限界を訴えてくる頃、前方に明かりが見えた。
宙に浮かぶ無数の明かり。
「空中市場か」
何とか辿り着いたっぽい。
ほっとしつつ、さらに進む。
旧キダト村地区の住人が雪かきをしてくれていたようで、足元から雪がなくなる。
一気に歩きやすくなった世界樹の枝の上を進む。
冗談抜きで死ぬかと思った。
蛾のように空中市場の光へ向かっていくと、周囲の警戒を行っていたらしい魔虫狩人が俺を見つけて手を振っていた。
しかし、すぐに俺の様子がおかしい事に気付いたのか、慌てた様子で駆け寄ってくる。
「町長、どうしたんですか!?」
駆け寄ってきた魔虫狩人は俺の怪我を見て顔を青ざめさせた後、仲間に旧キダト村の治療院への伝達を頼み、俺の荷物を代わりに持ってくれた。
「町長がこんな怪我するなんて、いったい何が出たんですか?」
「自然災害には勝てなかったのさ……」
何はともあれ、何とか帰ってこれた。もう心配はいらないだろう。
「帰って寝たい……」
目が覚めたら、タカクス町第一の枝の上にあるカルクさんの治療院のベッド上にいた。
天井は知っている。既視感バリバリだ。俺が設計したんだからな。
「目が覚めたかね?」
「カルクさん、おはようございます」
「丸一日寝ておいて、おはようも何もないもんだ。ほら、飴を舐めておきなさい。いきなり食事をすると胃の腑が驚くからね」
飴で糖分補給をしつつ、俺は窓の外を見る。
うん、吹雪いていて何時か分からない。
「俺、丸一日寝てたんですか?」
「おうとも。ずいぶん疲れていたようだったね。どれくらい歩き詰めだったんだい?」
「二日とちょっとくらいですかね」
「若さのなせる業だね」
苦笑したカルクさんが白湯を木のコップに入れて出してくれた。
「雪虫の防寒具がなければ凍死していたろうし、日ごろ鍛えていなければ辿りつけなかったろう。魔虫狩人の肩書を持っているだけあって、準備を怠っていなかったのが幸いしたね」
「そのようです。ところで、俺の荷物はどこに?」
「リシェイさんとメルミーさんが手分けして事務所へ持って行ったよ。もうそろそろ見舞いに来ると思うから、心配かけたことを詫びておきなさい。ひどく心配していたから」
「そうさせてもらいます」
白湯を飲んで体を温めていると、病室の扉が開き、リシェイとメルミーが顔をのぞかせた。後ろにはテテンもいる。
「起きたようね」
リシェイが俺の着替えを片手にほっとしたように呟く。
リシェイの横を通り抜けて駆け寄ってきたメルミーが俺に顔を近づけてくる。
「メルミーさんの顔を忘れたりしてない?」
「覚えてるから大丈夫だよ」
リシェイの持っている着替えを見て気付いたんだけど、いま俺が着ている服って帰還時に来ていた物とは違うんだよね。
誰が着せてくれたんだろう。
「私が着替えさせたのよ」
「そっか。ありがとう」
「これからも着替えは私が手伝う事になったわ」
あぁ、そうなるのか、と俺は自分の右腕を見て思う。
利き腕を骨折した状態だし、誰かに手伝ってもらわないと着替えもしにくい。
「メルミーさんは食事係だよ。あーんを強制するから必ず付き合うようにね」
「お、おう」
カルクさんが俺たちのやり取りに笑いながら、痛み止めを出してくれる。
「吹雪が収まるまでのんびりしていきなさい」
「ありがとうございます」
「なに、他に患者もいないから、気にすることはないよ」
患者がいないのか。
道中の積雪具合を思えば、今年は例年にも増して寒かったはずだ。孤児院の子が風邪を引いたりしていないのは喜ばしい。
カルクさんが出ていくと、入り口のそばにいたテテンがパタパタ駆け寄ってくる。
「……寝付くまで、そばにいる、係」
テテンが自身を指差して表明する。
それ、俺がアクアスへ行っている間に書き溜めた百合小説を読み聞かせたいだけだろ。
先が気になっていたから何も言わないけどさ。
俺はリシェイに声を掛ける。
「俺の荷物の中にアユカの燻製とかのお土産が入っているはずなんだけど、食品庫に入れてくれた?」
「えぇ、食べ物は食品庫に、服は昨日の晴れている内に洗濯しておいたわ。私が書いた歴史書が入っていたけれど、あれはどうしたの?」
「カラリアさんがリシェイのサインを入れて送り返してほしいってさ」
「そう……」
リシェイが少し気恥ずかしそうな笑みを浮かべる横で、メルミーが首を傾げた。
「アマネの服、洗濯したんだ?」
「えぇ、雪の中を歩いてきたから湿っていたし、あのままにしておくわけにもいかないでしょう?」
「そうじゃなくてさ、下着とか、どうしたのかなって、メルミーさんは疑問に思うわけだよ」
「もちろん、洗濯したわよ? ここ数日は雪で私の分の洗濯物も溜まっていたし、まとめて洗ったわ」
「……いつの間にかまた一歩、夫婦度が上がってる二人に愕然だよ」
「何の話?」
リシェイが不思議そうな顔で首をかしげる。
今まではなんだかんだと自分の服は自分で洗濯していた。
けれど、リシェイは違和感なく自分の服と俺の服をまとめて洗っている。下着も含めて。
なるほど、夫婦度上昇中である。
それでもって、俺は重要な使命を思い出した。
「メルミー、テテン、少し部屋の外に出てくれないか?」
「拒否だね!」
「……右に、同じ」
……空気読めよ。
真面目な顔で言っちゃったから、なんて返せばいいか分からないだろうが。
もしかして、空気を読んだうえでやっているかもしれないけど。
リシェイがメルミーとテテンを見て、俺の着替えを掲げる。
「これが眼に入らないのかしら?」
「うっ……。アマネなんかお昼ご飯を楽しみにしておなかペコペコになってればいいよ!」
捨て台詞らしきものを残して、メルミーはテテンの手を取って病室を出て行った。
リシェイは俺の外着を広げながら、閉じられた扉を一瞥する。
「心配してたから、もう少しそばにいたかったのだと思うわ。事務所に帰ったら相手をしてあげてね」
「リシェイにも心配かけてごめんな」
「本当に心配したわよ。魔虫狩りに出てもかすり傷一つ作らないアマネが利き腕を骨折するなんて、何があったの?」
「雪揺れがあってさ」
上の枝から雪がなだれ落ちて来た事、その雪崩れ落ちた雪に右腕が巻き込まれ、骨折した事を話す。
生き埋めにならなかっただけマシではあるけど、巻き込まれた時点で運がないとも言える。
「これから先、一人旅は許可できないわね。何かあっても一人じゃ助けも呼べないもの」
リシェイがすでに決まった事だとばかりに断言する。
俺も今回の件で懲りたから、いやとは言えない。
だからこそ、本題である。
「なぁ、リシェイ」
「なに?」
「結婚しない?」
「……え?」
リシェイが俺の着替えを取り落した。
「あっとと」
リシェイが落とした俺の服を空中でキャッチしようとするも、手は空を切るばかり。
珍しい狼狽ぶりである。
リシェイは俺の着替えを拾い上げると、埃を払いつつ扉の方を見る。
「メルミーとテテンを追い出したという事は、冗談を言ってるわけではないのよね?」
「至って本気です」
「そう」
言葉だけは冷静に、リシェイは目を泳がせる。
「でもまだ冬だし……いえ、結婚事業は春からだから、それを考えたらむしろ好都合なのかもしれないけれど、えっと」
リシェイがこんなにテンパっているのを見るのは初めてかもしれない。
「リシェイ、率直に聞かせてほしいんだけど、俺と結婚するのは嫌?」
もし嫌って言われたらどうしよう。百合小説でも書き始めようかな。
しかし、俺の不安は杞憂だったようで、リシェイははっきりと答えてくれた。
「け、結婚しましょう」
リシェイから改めて言われてしまった。
「よろしくお願いします」
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
なんとなく頭を下げてみると、リシェイもつられて頭を下げてきた。
よかった。百合小説書き始めずに済んだ。
ほっとしたのもつかの間、病室の扉が勢いよく開かれた。
扉を開けたのはメルミーである。顔真っ赤だ。ちなみに、押しとどめようとして力尽きたらしきテテンが廊下に倒れている。
「――話は聞かせてもらった。メルミーさんも結婚する!」
「え?」
「え?」
リシェイと二人、声を合わせて問い返す。
「アマネと結婚する!」
顔が真っ赤なメルミーは叫ぶように言うと、問答無用とばかりに扉を閉めた。
バタバタと駆けていく足音が聞こえてくる。言うだけ言って、恥ずかしさに耐えきれず逃げて行ったようだ。
というか、さりげなくメルミーさん〝も〟と言っていたわけだけど、重婚前提なのかと。
リシェイが頬に手を当てる。
「同時に結婚式を挙げるならアマネの腕が治ってからになるかしら。春頃には動かせると言っていたけれど、完治を待つなら初夏よね。結婚式の衣装を仕立てるならちょうどいい準備期間かしら。アマネ、どう思う?」
「何でリシェイも重婚前提で話を進めているのか聞かせてほしいんだけど」
新婚なのに夫婦生活じゃなくて婦夫婦生活になってしまう。
最初くらい二人きりが良いです。
「そうは言うけれど、アマネは町長だもの。妻の二人や三人は持っていた方がいいわ。それに、私へ最初に告白したのだから、一番は私でしょう?」
あぁ、久々のカルチャーギャップがこんなところにも。
そうだよね。創始者なら重婚が当たり前なんだよね。
でも、なんかさ、二人きりの甘々生活とかちょっと憧れがあったりしたわけですよ。
悩んでいると、リシェイに額をつつかれた。
「こんなに引き延ばしたアマネが悪いのよ。いまさら別に素敵な人を探せとメルミーに言うつもり?」
そう言われると、確かにひどい男だよな。いや、自覚はあるんですけども。
「リシェイはそれでいいのか?」
「今までの生活の延長でしょう。ついでに廊下に倒れていたテテンにも告白したら?」
「いや、それはない」
「……何故かテテンに対しては立ち位置がはっきりしてるわよね」




