第十八話 ヘタレ組
ケインズの事務所は左右にカラリアさんの家とエトルさんの家、通りを挟んだ向かいにケインズの家があった。
事務所暮らしじゃないなんて衝撃である。
事務所そのものは二階建ての建物で、一階部分に応接室と給湯室、事務室があり、二階部分には休憩所と資料室があるらしい。
ケインズのデザインらしく外観も凝っている。
壁面の左右、建物でいう出隅の材質を魔虫甲材に変える事で、凹凸のない壁にメリハリを作っている。
全体的に世界樹製木材の茶色が前面に出ているが、二階休憩所のバルコニーを支える持ち送りに絡ませてあるツタの緑で外観の重苦しさを緩和していた。
玄関扉は両開き、上部に菱欄間が取り付けられている。
「見事な細工だな」
「アクアスに籍を置いてる古参の職人が作ってくれた逸品なんだよ」
ケインズが誇らしげに胸を張るのも頷ける品だ。
欄間は前世日本でもたびたび見かけた建具の一つ。
玄関や部屋と部屋の仕切りに採光、換気を目的に取り付けられる物で、透かし彫りや組子細工で作った板状の建具である。
この世界では主な建材が世界樹の木材であるためか日本同様に欄間が発展し、いくつもの図案が存在する。その一つが菱形で、ケインズの事務所の玄関上部を飾っているのも組子細工で菱形を作った欄間だった。
「ところで、この菱欄間の中央に表現されてるのってアユカか?」
「気付いたか。我がアクアス名産だから、事務所の入り口にでんと構えさせておけば分かりやすいと思ってさ」
まぁ、分かりやすいけど。
メルミーが作ってくれた比翼の鳥が飛ぶ姿を表した公民館の透かし彫り同様、ケインズ事務所の組子細工は泳ぐアユカを横から見た図案だった。
メルミーのそれは柔らかな風を思わせる優雅な流れだったけど、ケインズ事務所の組子細工は力強い水の流れに逆らい泳ぐアユカの躍動感が胸に迫る。
作ったのはかなり優秀な職人だろうな。
「中に入れよ。エトルも夕食の準備をしてくれてるだろうしさ」
「あぁ、中も見学していいか?」
「むしろ見学させるね。そして自慢するね」
ケインズに連れられて事務所の中へ入る。
カラリアさんは玄関で俺たちと別れ、事務所と繋がっているエトルさんの家に向かう。
「あの廊下の先の扉がエトルの家に直通になってるんだ。逆方向がカラリアの家」
「なんでそんなことに?」
せっかく事務所とは別の建物にしているのに。
ケインズは困ったように頬を掻いた。
「いや、こうでもしないとエトルは家から出て来れないからさ。さっきの大会だって無理やり引っ張りだしたんだ。経営陣が開会式に出ないのはまずいって説得してさ」
人見知りが過ぎて夜間にしか出歩かなかったというエトルさんだから、人目を忍んで事務所に入れるように配慮した結果があの扉というわけか。
弁解するようにケインズが続ける。
「利点もあるんだ。エトルの家は台所もかなり広くて、客に出す食事もエトルの家で作ってる。だから、事務所に直通の扉があると料理を運び込みやすい。建物自体が分かれてるから調理中の匂いも事務所に入ってこないしな」
「それでエトルさんの家に向かう扉には欄間を付けてないのか」
「そういうこと」
カラリアさんが潜って行く扉の上にばかり注目していたけど、ふと気付く。
「カラリアさんって料理できるのか?」
「できるぜ。エトルほどじゃないけど、調理補助くらいは簡単にこなせる」
本当、万能だな。
二階に上がる階段に向かう。
給湯室の横に隠れるように設置された螺旋階段だった。事務所の角に位置しているためすぐそばに壁がある。壁の大部分は半透明の魔虫の翅で作った採光窓になっていた。
しかも、この螺旋階段がまたすごい。ルーブル美術館さながらの柱や壁で支えていない螺旋階段だ。
半透明の窓から差し込む柔らかく白い光に照らし出される螺旋階段は、まるで雲間から差し込む天使の階段。
また難しい代物を作ったな。
「どうよ、すごくね?」
ケインズが鼻高々に自慢してくる。
支柱や壁がないこの螺旋階段は小半径で二回転して上に登って行く。スペースはかなり小さく、事務所の規模を考えれば階段を省スペース化する事で得られる恩恵は大きいだろう。
だが、支柱も壁もない以上構造計算が酷く難しい。荷重を全て螺旋階段その物で支えなければならないからだ。
設計したケインズもさることながら、実際に作り上げた職人たちの技術力の高さがうかがえる。
二階の休憩所と資料室は廊下の左右に分けてあった。
「ケインズが参考にしている図鑑とかは置いてるのか?」
「いや、ここにあるのはアクアスの経営資料とか住民名簿だけ」
自宅を兼ねている俺の事務所とは異なり、個々人が仕事上で扱う資料は自宅に保管しているらしい。
休憩室は簡単な彫刻が施された木の衝立が三枚、壁際に寄せてあり、仮眠を取るための簡素なベッド、布張りの椅子と小さな木の丸テーブルが置いてあった。
戸棚にはお茶菓子が置かれている。
丸窓から外の景色を覗けば、アユカの養殖場が見えた。
休憩所だからあまりゴテゴテした装飾は必要ないのだろう。なかなかに安らげる空間だ。
丸窓の横には、イオニア式の支柱四本で支えられた花瓶台とその上に置かれたスレンダーな円柱花瓶がある。生けてある赤い花は主張を抑え気味の小さな花弁が愛らしい。
「あの花瓶ってケインズの趣味じゃないよな?」
「カラリアが生けたんだろ」
なんだか、どこを見ても趣味の良さが垣間見えるな。流石は摩天楼ヨーインズリーに拠点を置く商会の次女だけはある。
しかもこの花瓶台、アンティークじゃないか?
ちょっと屈んで支柱の上部を確認する。
イオニア式の支柱の上部にある渦巻は筒状になっている。イオニア式の支柱は時代が下るにつれてどの方向から見ても渦巻きが見えるように配置されるのだけど、この花瓶台の柱には表と側面が存在した。
模して作っただけだろうけど、あえて表の存在する古式のイオニア式を選ぶあたり、窓の横に置くことを想定して注文したのだろう。
参考にさせてもらおう。
休憩室でこの様子なら、応接室とかどうなってるんだろう。
一階部分に舞い戻り、応接室へ案内してもらう。
応接室には入り口から直接中が見えない様に衝立が置かれていた。
高さ二メートル、幅三メートルほどの衝立は非常に細かく作られた組子細工の逸品で、色の違う三種の木材を組み合わせてある。枝振りの良い二つの大樹が中央で連理の枝を形作っている図案だ。
「この衝立、入り口にあった組子細工とは作った職人が違うよな?」
「あぁ、アクアスを拠点に活動している職人集団の職長が作った物だよ。今度アクアスで工務店を開くから、宣伝を兼ねて置かせてほしいって言われたんだ。見事だったから二つ返事で了解した」
「これだけの代物だもんな」
若くして建橋家となり、建築物の美しさを評価されているケインズの下に集まる職人だけあって、センスと技術の両方を高いレベルで持っているようだ。
タカクスでこれに匹敵する細工物ができるのってメルミーくらいじゃないだろうか。
聞けば、流通量は少ないながらもアクアスで作られた建具は高い評価を受けているらしい。この手の美術品を兼ねた家具建具を愛するビューテラーム周辺の好事家にも愛好者がいるという。
アクアスブランドですね、羨ましい。
ロゴとかも組子細工で作りそう。
応接室の中に入る。
ふかふかのソファに加え、テーブルも見た目が洒落ていた。
窓は外から見た時は何の変哲もない四角い窓だったにもかかわらず、内側から見ると壁ごと凹ませてあった。浅い飾り迫縁で装飾された窓は四角いキャンパスにアクアスの町並みを焼き付けたようにも見え、一枚の絵画のようだった。
アクアスを自慢したくてしょうがないケインズらしい魅せ方だ。
「この応接室に入ったお客はみんな今のアマネみたいな顔をするんだ。微笑ましいなって感じの」
「そりゃそうだろ。この窓を見て、ケインズがアクアスをどれだけ大事に思っているか分からない奴はいないって」
住みたくなる町並みをテーマにケインズが整えたアクアスの町並みをそのまま切り取って客に見せるこの窓は、ケインズ自身がアクアスに住み続けてその発展を見つめ続ける覚悟と期待の表れにも見える。
「夕食までまだ時間もあるし、少しここで駄弁ろうぜ」
ケインズがソファに腰を下ろしながら誘ってくる。
俺はケインズの対面に腰掛けた。
計ったように、カラリアさんが変わったお茶を運んできた。
「釜炒りのブレンドハーブ茶です」
なんか凝った物が出てきたな。
「面食らってるな、アマネ。ウチのエトルが作った特製のお茶だぜ?」
「いただくよ」
一口飲んでみると、豊かな香りが喉の奥まで一気に広がった。飲んだことのない味と香りだ。深みのある香ばしさとでも言おうか、主張が強いのに受け入れやすい。
甘めのプレーンクッキーが欲しくなる。
「男同士で話したいこともあるでしょうから、夕食ができたら呼ぶわね」
そう言ったカラリアさんが優雅に一礼して応接室を出て行った。
出来た秘書振りである。
ケインズが応接室の小棚の上に置いてあったヘキサを取ってくる。魔虫の甲材を加工して作ったらしい、ちょっと値が張りそうな代物だ。
「これで遊ぼうぜ」
「カラリアさんに勝てないからって俺で憂さ晴らしかよ」
「まぁまぁ、そう言わずに」
駒を初期配置に並べてから、ゲームを開始する。
「アマネのところのタカクスも、様変わりしてるんだろ?」
「ケインズが来た頃と比べるといろいろな物ができたからな。診療所とか、橋とか、教会とか」
「そう、それだ! 教会について詳しく聞かせろよ。えらく盛況だって聞くぞ」
教会で盛況振りをアピールするのもなんか違う気がするけど、求められたら自慢せずにはいられない。
結婚事業も踏まえて話して聞かせると、ケインズはヘキサの盤面を見つめて次の一手を考えながら、ほぉ、と感心するような声を出した。
「アプスを使った仕掛けねぇ。面白い事を考えたもんだな」
「アプスを光の取り込み口として活用する手法は今では廃れていたんだけど、復権の第一歩にふさわしい新しい切り口だってことで、ヨーインズリーとビューテラームの大教会が評価してくれたんだ。おかげで、結婚式を挙げたいって人が良く来るようになった」
むろん、アプスだけではなく彫刻のデザインも高く評価されての事だ。
ケインズが打った一手に対応しながら、話す。
「その教会でアマネは式を挙げたんだよな?」
「え?」
「え?」
顔を見合わせてしばしの沈黙。
「まだ結婚してなかったのか?」
「そろそろ身を固めようかと思いつつ、いまに至るよ。ケインズはどうなんだよ、カラリアさんと」
「まぁ、な、分かるだろ?」
「わかんねぇよ」
「進展なしだよ。言わせんな」
どうやら、俺たちは二人そろってヘタレだったようだ。
ケインズが頭の後ろで手を組んでソファにもたれかかる。
「あぁもう、アマネならとっくに結婚してると思ったのにさぁ。経験談を聞かせてもらって参考にしようと思ったのに、当てが外れたよ」
「こっちの台詞だっての。ケインズならとっくにカラリアさんに手を出してると思ってたよ」
双方ともにヘタレ具合をなじりつつヘキサを続ける。
接戦ながら俺の勝ちで決着し、ケインズが悔しそうに棋譜を眺めた。
「僕だってこれでも、一歩踏み込もうとはしてるんだ。けど、逃げられるんだよ」
「逃げられる?」
一瞬、メルミーが逃げ出した時の事を思い出した。けれど、カラリアさんがそんなヘタレだとはちょっと思えない。
しかし、ケインズは棋譜をテーブルに置いて頷いた。
「逃げられるんだよ。この事務所を作った後、僕の家を建てようとしたんだ。それで設計するときにカラリアに一緒に住まないかって尋ねたんだよ」
「おぉ! やるじゃん!」
俺と同じヘタレかと思ったらいうべきことをきっちり言ってたんだな。
だが、ケインズが首を横に振る。
「いまはそれどころじゃないでしょうって言われて、御覧の有様だ」
「なにか立て込んでたのか?」
「橋架け事業の最中だったんだ。アユカの養殖場も増やして、繁殖計画を進行させつつ、町に昇格するために診療所とか作って――」
「忙しすぎだろ。そこに結婚式の予定まで放り込まれそうになったら、誰だって断る」
「式場に出来そうな教会も遠いんだよなぁ」
「落ち着いてからにすればよかったんだよ。いまとかさ」
「そうしたいのは山々だけど、断られてからしばらく気まずくってさ。また断られたらあの気まずさが戻ってくると思うと……」
それでヘタレちゃったわけか。
「何かいい案はないかな?」
「あったら俺もリシェイに告白してるよ」
「告白すらしてないのかよ」
「う、うるさい。帰ったら告白するんだよ」
「本当か?」
今回ばかりは本当だ。
「いつもそばにいるからだらだらとした関係が続いてたけど、今回の一人旅から帰ればなんか丁度いい区切り? みたいなものになるんじゃないかと」
「あぁ、離れて気付いた愛ってやつな」
そのフレーズ、手遅れっぽく聞こえるからやめて。
よし、とケインズが膝を打つ。
「アマネとリシェイさんが結婚したら手紙をくれよ。いい機会になりそうだから」
「別にいいけど、俺とリシェイが結婚したんだから自分たちも結婚しようなんてカラリアさんに言ったら怒られると思うよ?」
「……なんで?」
「俺とリシェイに対抗して結婚する覚悟を決めたみたいに聞こえないか?」
「そう言われてみれば、そうかな。でも、考え過ぎじゃね?」
「不安要素は可能な限り排除すべきだ。それに、忙しいから結婚を断られた前回と同じく、今回も難民対策で忙しいんじゃないのか?」
「まだ本格的に動いている段階じゃないから結婚式をする時間くらいは取れる」
「なら、四の五の言わずにいま告白してきたら?」
「それはなぁ……」
煮え切らないケインズ。
「それはそうと、アマネは明日にはもう帰るんだろ? もう少しゆっくりしていったらどうだよ」
露骨に話題を変えてきたな。
類は友を呼ぶという言葉の信憑性を噛み締めながら、俺は話題の変更に躊躇なく乗った。
これ以上この話題を続けると墓穴を掘りそうですし。