第十四話 アクアスへの旅路・サラーティン都市
秩序だった列に並んでチケットを購入し、橋を渡る。
「混んでますねぇ」
後ろを歩くおばあさんに声を掛けられ、頷きを返す。
「話には聞いてましたけど、聞きしに勝る賑い振りで驚いてます」
「お兄さん、この劇場は初めてなのね」
おばあさんが橋の上に建つ空中劇場に視線を向ける。
俺は、タカクス村を興す直前に建てた空中劇場にやってきていた。
俺が建てた時は観客なんていなかったし、直後に行われた初公演は招待客だけだったから、こうして観客として並ぶのは初めての経験だ。
常連らしいおばあさんは劇場を眺めながら続ける。
「毎日とはいかないけれど、演目が変わる前後はいつも並ぶのよ。今日も演劇から曲芸に変更されたから、こうして並んでいるの」
「演目の変更日だったんですか。道理で」
おばあちゃんとお話ししながら列の動きに合わせて進んでいくと、橋から空中劇場へ流れるように入り込めた。
壁の上と下がほんのりと太陽の光を通すため通路は明るい。
「不思議よね。窓もないのに、この通路は明るいのよ。ここからもう非日常という気がして、おばちゃんは好きよ」
おばあ――おばちゃんは通路を歩きながら楽しそうに言う。
俺は通路の壁を見る。木の板を縦に並べたものだ。木板の足元と天井付近は隙間が空いているため外からの光を通しているのだが、注意深く観察しないと分からないだろう。
パンフレットを売っているのを見つけて、売り子に声を掛ける。
「三枚ください」
「三枚ですか? 少々お待ちください」
複数枚買う客も中にはいるだろうけど割と珍しい部類らしく、売り子は一瞬戸惑った。
おばちゃんが不思議そうに俺を見る。
「お土産には向かないと思うわよ?」
「保存用と観賞用と布教用です」
嘘だけど。
実際は事務所のみんなに一枚、ケインズに見せびらかす一枚、じっちゃんにあげるのが一枚だ。
三枚のパンフレットをポケットに突っ込んで、劇場ホールへ。
「それじゃあ、おばちゃんは向こうの席だから。楽しんでらっしゃいね」
「ありがとうございます。またどこかで」
「えぇ、またどこかで」
おばちゃんと手を振って別れ、チケットの番号を確認して席に着く。
今日の演目は曲芸らしいけど、どんなものだろう。あえてパンフレットを見ない方が楽しめるだろうか。
パンフレットは自宅で眺めて余韻に浸る派な俺は、舞台へ視線を向ける。
舞台に対して客席が扇状に広がる、プロセニアム方式の劇場だ。怪人が出没する某オペラ座と同じである。
ただ、全体的に明るく、舞台の背後は広い空。劇場ホールに届く光のほとんどが舞台背後の大窓から入ってきている。
舞台の上に一人の金髪少年が上がり、ひな壇状の観客席へ優雅に一礼した。
演技が始まる。
弓矢を用いた速射などの俺にもできるようなものから、飼いならして訓練した鳥を操るものなど様々だ。
十羽の色鮮やかな鳥を縦横無尽に飛ばす技術は見た目に鮮やかで美しく、芸術染みていた。
寿命千年だけあって客の目も肥えているため求められる芸の要求が高く、高度に洗練されている様子が見て取れる。
時間も忘れて楽しんでいる内に演技が終了し、息も吐かせぬ間に次の演技が始まる。
たっぷり楽しんで、程よく疲れてきた頃合で講演の終了が告げられた。
終わり方まで見事に計算され尽くしている。
席を立って劇場ホールを出ると、入場時と同じく窓のない通路で出口へと向かう。
以前にじっちゃんも言っていたけど、出口側ではパンフレットを売っていないらしい。入り口で買い損ねたお客さんたちが残念がりつつも、また来ればいいかと話し合っている声がちらほらと聞こえてきた。
思い切り誘導されている。パンフレットを三枚も買っている俺が言えることじゃないけど。
通路を進んで出口を潜れば、もうそこは日常の世界だ。
橋を渡る通行人も、出口からならばよく見える。入り口と違って列が停滞する事はあまりないから、日常へ回帰した事を通行人に混ざって歩く事で自覚させる狙いはきっちり機能しているようだ。
邪魔にならない様に体のコリをほぐした俺は、太陽を見上げて大まかな時間を測る。
まだお昼にならない時間帯か。
のんびりしても今日中にフレングスさんのいるサラーティン都市まで行けるだろう。
俺は宿で一休みしてから、サラーティン都市へ出発した。
サラーティン都市は以前、過疎化したクラムト村の再開発計画に参加するためにやってきた時よりもさらに賑っていた。
俺は久々のサラーティン都市を見て回り、料理屋に顔を出す。
摩天楼ヨーインズリーからキノコ類を輸入しているサラーティン都市は料理がおいしい事でも有名だ。
どうせだったらキノコを食べたいと思い、キノコ入りのクリームパスタとマトラの冷製スープを注文する。
「――もしかして、アマ兄?」
若い少女の声がして顔を上げれば、注文票を片手に俺をまじまじと見ている少女がいた。
二十歳になったばかりだから、少女というよりは娘という表現の方が正しいかな。
「やっぱりアマ兄だ!」
バンっとテーブルに両手を付いた娘が俺に顔を近づける。
「覚えてないかな。フレングスさんの隣に住んでて、よく遊んでもらっ――」
「こら、ミュメイ! お客さんをナンパしてんじゃない」
料理屋の女将さんらしき年配の女性が騒ぎを聞きつけてミュメイと呼ばれた娘さんの後ろ襟をつかんでテーブルが引き剥がした。
「ごめんね、お客さん……あれ、どこかで見たことが」
女将さんまで俺をじっと見つめて眉を寄せると、ミュメイが何故か誇らしげに胸を張った。結構ある。
「アマ兄だよ。フレングスさんの弟子のアマネ兄さん」
「え、アマネ君!? フレングスさんの唯一の弟子じゃないか。どうしたんだい。こんな隅っこで。こら、そこの常連組、カウンター席を開けな」
ミュメイと一緒に俺までテーブルから引きはがされて、カウンター席へ拉致された。
ちゃっかりと隣に座って給仕の仕事を休んでいるミュメイがカウンター席に頬杖を突く。
「いつ戻ってきたの? もう建橋家になったんだよね? いつまでいられるの? フレングスさんとこに泊まるの?」
「ミュメイ、一度にいくつも質問するんじゃないよ。アマネ君困ってるだろう」
女将さんが注意すると、カウンター席を追い出されてしまった常連組からヤジが飛ぶ。
「アマネ君は根性あるから、その程度で困らんよ。もっといじめてやんな」
「後にも先にも、フレングスさんとこでモノになった建築家はアマネ君だけだもんな」
「何カ月で逃げ出すかって賭けもアマネ君以降やらなくなっちまったし」
「あの賭けで鉄貨二百枚損したんだよ。昨日の事のように思い出すぞ」
「昨日も何も、十年そこら前の事だろ?」
「二十年は経ってねぇな」
「つい最近の事じゃねぇの。はっきり覚えてるはずだわ」
がはは、と盛大に声を上げる常連組に、ミュメイが勝ち誇ったように胸を張る。癖らしい。
「アマ兄にかけて大儲けしたもんね!」
「え、そうなの?」
当時のミュメイっておままごとして遊んでるような歳のはずだ。俺も何度か付き合った事がある。
近所の少年少女の後にテクテクついて行って、まだ小さいから置いてかれたと俺のところに良くやってきていた。
そういえば、将来の旦那さん(保険)とかやらされていた。
常連組が苦笑する。
「お小遣いを賭けるって鉄貨一枚出したやつな。面白いから参加させたら一人勝ちしやがんの」
一人勝ちってことはミュメイ以外は俺が途中で逃げ出すと思ってたのか。
弟子入りした人たちがことごとく逃げ出したからなんだろうけど、フレングスさんはどんだけ怖がられてるんだ。
ふと興味を引かれて、俺はミュメイに訊ねる。
「ちなみに、一人勝ちして儲けた金はどうした?」
「お母さんが預かるって言って全部持って行かれた……」
常連組と一緒につい笑ってしまった。
「――それでミュメイと一緒に通りを歩いてやがったのか」
フレングスさん宅に到着して事情を話すと、フレングスさんは窓から外の通りを眺めて納得したように言った。
「ミュメイちゃんも女らしくなったものねぇ」
会話に加わったのはフレングスさんの奥さんサイリーさんである。
「つい最近までアマネ君の脚に抱き着いて、お嫁さんになるー、なんて言っていたのに」
「そんなこともありましたねぇ。そろそろ彼氏の一人でも出来ましたか?」
「あらあら、探りなんて入れなくても、ミュメイちゃんに直接聞いたらいいのよ。きっと喜ぶから」
そういうつもりじゃないんですけど。迷惑がられないって事はまだ彼氏はなしって事なのかな。
サラーティン都市は人口も多いし、より取り見取りだろうに。
「あ、そうそう、フレングスさんが架けた眼鏡橋も見てきましたよ」
前世で言うところのレンティキュラートラス橋だ。
「ビューテラームで聞いた事前評通り、クラムト村公民館とサラーティン都市教会の両方が大きく見えました。あれは実際に渡ってみないと凄さが分からないですね」
「はっ。知ったような口をききやがって」
鼻で笑ったフレングスさんの肩をサイリーさんが軽く叩く。
「あなたはまたそうやって意味のない憎まれ口を叩いて」
「事実だ、事実」
「そうかしら? ねぇ、ねぇ、アマネ君、ちょっと聞いてくれる」
フレングスさんから俺に会話の矛先を向けてサイリーさんがいつも通りににこやかな笑みで続ける。
「アマネ君がビューテラームの橋のデザイン大会で五位に入賞したからってこの人、一人で夜通し飲んで酔いつぶれたのよ」
「ばっバカ、何バラしてやがる!」
「事実よ、事実」
勝ち誇るでもなくただ微笑むサイリーさんと悔しそうなフレングスさん。
力関係は相変わらずなようだ。
フレングスさんは形勢悪しと見るや、話題転換を図るつもりか俺に質問をぶつけてくる。
「アマネはそろそろ結婚とか考え始める歳か?」
「リシェイちゃんとメルミーちゃん、どちらにするの? それとも別にいい人ができたのかしら?」
あっさりとサイリーさんまでフレングスさんの話に乗っかった。
結婚か。
タカクスも町になったし、考えるべきなんだろうな。
「まだ具体的には何も考えてませんね」
「あら、そうなの?」
「いまの生活が居心地良すぎるもので。フレングスさんはサイリーさんの手料理に惚れこんで告白したんですよね?」
「そうなのよ。この人ったら――」
「いまはアマネの事だろうが。さらっと話を逸らすな」
頭を叩かれた。
「参考に詳しく聞こうかと思ったんですよ。どんなふうに告白したのかな、とか」
「想像以上にとんでもないことまで聞こうとしてやがったな、こいつは」
「以前、サイリーさんからあらましは聞いたんですけどね」
「なっ、いつの間に!?」
弟子入りしていた頃に色々と。ミュメイ達と一緒にサイリーさんから聞いたのだ。
まさかミュメイ達にまで知られているとは思わなかったのか、フレングスさんは頭を抱えた。
サイリーさんがコロコロと笑う。
「いいじゃないの。減るものじゃないでしょう。幸せのおすそ分けと考えれば、むしろ増えてるくらいよ」
「そうですよ。フレングスさんの威厳が減っているとかはないですから」
「お前らなぁ……」
「ほらほら、そんなに気落ちしないの。今晩は好物を作ってあげるから」
力なく項垂れるフレングスさんを笑って励ましたサイリーさんがキッチンへ消えていく。
フレングスさんはようやく立ち直ったのか、ため息を深く吐き出して顔を挙げた。
「しかしだな、アマネは町長になったんだろ。三十そこらじゃ結婚を考え始めたばかりだろうが、あんまりのんびりもしてられないぞ。早い所跡継ぎの一人でも作っとけ」
「長男が跡を継ぎたがるかは分からないですもんね」
「それもあるが、子供ってのはなかなかできないもんだからな」
フレングスさんは結婚後、三百年経った今も子供には恵まれていない。
建橋家として現場を飛び回る事もあるから仕方がないのかもしれない。
「忙しいから、関係を壊したくないから、なんて考えてるのは相手も同じだ。全部ぶち壊しかねない勇気を奮えもしねぇで、いつまでも一緒にいられるとは思うなよ、根性なし」
「サイリーさんに花束を持って死ぬまで手料理が食べたいと告白したフレングスさんが言うと説得力ありますね」
「……アマネ、夕食まで勉強を教えてやろう。おら、立て」
ヤバい、弄りすぎた。
フレングスさんの後について作業部屋へと向かいながら、考える。
そろそろ勇気を奮うべきなのだろう。
どちらに対してかは、いまだ悩むところだけど。