第十三話 アクアスへの旅路・北側
もうじき雪もちらつき始めるという頃に、ケインズから手紙が届いた。
――いい加減に遊びに来いよ!
要約するとただその一言に収まるような言葉がつらつらと書き連ねられている。
「寂しがりか」
一度、まだタカクスが村だった頃にケインズが遊びに来た事があり、俺も機会があればアクアスに足を運ぶと約束もしていた。
忙しさにかまけていつまでも遊びには行けなかったけど、冬の間は手が空くし、行ってもいいかもしれない。
「どうしようかな」
ケインズの手紙を片手に悩む。
人手も増えたから燻煙施設へのランム鳥用羽毛クッション運びも飼育員の奥さんたちに任せているし、冬の間は雪のせいで工事もできない。
今やるべき仕事は湯屋の設計くらいだろうか。タカクス町でなくてもできる範囲だな。
「行って来たら良いと思うわ。故郷に顔を見せにも行ってないのだし、冬の間に回ってきたら?」
悩む俺を見かねてか、リシェイが後押ししてくれる。
町の事はリシェイ達がいれば何とかなるとは思うけど、心配だ。主に俺自身の事が。
五日後にはホームシックになってそう。
自画自賛になってしまうけど、タカクス町は居心地がいい。
とはいえ、行かないのも不義理だと考えて、俺は席を立った。
「旅の用意をしてくる」
「手伝うわ」
リシェイが後から続いて、俺と一緒に準備をしてくれた。
そんなこんなで手紙が届いた四日後、俺はタカクス町を出てまずは東に向かった。
ケインズからの手紙を届けてくれた、テグゥールースの後釜の行商人に返事を持たせて送り返しておいたから、俺が到着する頃には向こうも受け入れ準備ができているだろう。
「レムック村を出た時を思い出すな」
一人で荷物と弓を担いでの旅路だ。
今回はタカクス町をリシェイ達に任せていくため、一人旅となっている。本当、ホームシックにかからないか今から不安だ。
シンクも食べられないし。
カッテラ都市に到着すると、至る所で空中回廊の建て直しが行われていた。
雲中ノ層の枝に渡れないと困るため、いくつか工事が後回しになっている空中回廊があり、魔虫狩人ギルドへの大幅な遠回りを余儀なくされる。
魔虫狩人ギルドに行って道中に狩ってきたバードイータースパイダーの糸や液化糸を売却し、旅費を稼ぐ。
売却代金をカウンターで数えながら、会計役が苦笑した。
「いないわけじゃないですけど、一人で魔虫を狩って旅費を稼ぎながら世界樹の反対側に向かう人なんてそうはいませんよ?」
「でも、いるんでしょう?」
「目の前に実例がいますので、いないとはいえませんよ。代金です」
「どうも」
これで宿暮らしをしながら東に向かえるだろう。なるべく財布の重さは変えたくないから助かる。
「アクアスに向かうんでしたっけ?」
会計役が魔虫素材を奥へ運ぶよう指示を出しながら、俺に訊いてくる。
「最終目的地はアクアスで、途中、故郷やサラーティン都市の師匠のところへ顔を出そうと思ってます」
「長旅ですね。冬で魔虫の数も減り始めていますから、雪に注意すれば旅もしやすいでしょう。春には帰ってこられるんですか?」
「そのつもりです」
春にはタカクス町でいろいろと仕事が始まるから、日程次第ではコヨウ車に乗せてもらっての強行軍もあり得る。
「帰りに顔を見せてくださいよ。お土産にアクアスのアユカ燻製、期待してますから」
「魔虫を狩る理由を増やさないでくださいよ。冬は魔虫が減るって言ったの、あなたでしょう」
お世話になっているから、アユカの燻製は買ってくるつもりでいたけど。
魔虫狩人ギルドを出てカッテラ都市で一泊した後、俺は旅を再開した。
東へと向かった俺は、少し道をそれてゴイガッラ村に足を運んだ。
ランム鳥の飼育で有名なゴイガッラ村は世界樹東北東にある。
久々に来てみたけど、相変わらず片流れの屋根で統一されており、以前来た時と比べても見た目の変化は特にない。
それが逆にすごい。
ランム鳥がカビ病で全滅したゴイガッラ村はすでに数を完全に回復させてあり、ヨーインズリーとの契約も復活、往年の輝きを取り戻しているのだ。
「アマネさん、お待ちしておりました」
ゴイガッラ村長がわざわざ村の入り口まで出迎えに来てくれていた。
アクアス宛の手紙と一緒に、訪問する旨を伝えた手紙を出しておいたからだろう。
「もうすっかり元通りみたいですね。安心しました」
村長と一緒に歩きながらゴイガッラ村を見て回る。
主要産業のランム鳥が完全に復活した以上、もう心配はないだろう。
「タカクス町の話も届いていますよ。品種改良に成功したとか。お手伝いできずに心苦しかったのですが、成功したと聞いて安心しました」
「えぇ、マルクトが頑張って交配記録などを作ってくれて、どうにか成功にこぎつけました」
「マルクト君ですか。研修の時からよく働く若者だと思っていましたが、有能ですね」
有能といえば、有能だと思う。機転も利くし、記憶力もいい。
いささか、性格というか嗜好に難があるけど。
ゴイガッラ村長と一緒に飼育小屋の様子を見学する。五百羽近いランム鳥が五つの飼育小屋で飼われているらしい。
γ系統種の他にβ系統種も多数飼育されており、新しく研究施設が建てられていた。
「例のカビの一件で懲りましてね。ランム鳥についての病理を研究しています」
風邪のようなものからカビ毒など、幅広く研究しているとの事で、症例や対策などが纏められているらしい。
まだできたばかりの施設ではあるけれど、ゴイガッラ村は昔からランム鳥の飼育を行ってきたため文献も豊富で、過去に発生した原因不明の症例に関しても発生時の条件などを調べ上げて似た環境を作りだし、病気を意図的に発生させて原因を探るなどの研究も行っているそうだ。
「これ、凄く資金がかかるんじゃないですか?」
「環境を整えたり、外に病気の原因を持ち出さないようにするなどでかなり掛かりますね。しかしながら、誰かがやらねばならない事でしょう」
ランム鳥の飼育を行う町は少ない。騒音と悪臭を伴うため、付近の村から輸入するのが一般的だ。
資金的に余裕のある町規模でランム鳥の研究がおこなわれない以上、ゴイガッラ村がやるしかないというのも理解はできる。
「まだ解決していない過去の症例ってありますか?」
「えぇ、まだ研究も始まったばかりですから、いくつかの症例に関しては手付かずですよ」
研究施設の中に案内され、過去の文献を読ませてもらう。
未解明の症例の中には、タカクス町の特別施設でシンクが誕生する前に発生した遺伝病が含まれていた。
説明すると、ゴイガッラ村長は顎を撫でながら症例に目を通す。
「噂に聞く遺伝子ですか……。こういった病にもつながるんですね」
「遺伝病についてはタカクス町でも研究を進めています。お力になれると思いますよ」
シンクは新しい血統であるため、遺伝病が一番怖い。
遺伝病を伝達する遺伝子が受け継がれないよう、現在も研究が続いているのだ。
「どうでしょう、交流会を開いてみませんか? 遺伝関係の研究では力になれます」
「共同研究のお誘いととらえても?」
ゴイガッラ村長の質問に頷く。
「研究費用に関してもいくらかお助けしたいと思います。ランム鳥事業はタカクス町にとっても基幹事業ですから」
「それはありがたい」
病理研究に関しての様々な取り決めは後日、リシェイやマルクト、ゴイガッラ村の研究チームを交えて詳しくすることにして、俺はゴイガッラ村長にもう一つ提案をしないといけない。
「ついでというのもおかしいのですが、ゴイガッラ村でシンクを育ててもらえませんか?」
「シンクというと、タカクス町でアマネさんたちが開発した改良品種ですか? ゴイガッラ村としては大歓迎ですが……」
シンクの噂はゴイガッラ村にも届いているらしく、ゴイガッラ村長は困惑した顔をする。
話がうますぎると思ったらしい。
俺は補足説明を加えることにした。
「見返りを求めたりはしません。種の保護を目的とした物なんです」
他の場所では育てていないから、タカクス町のシンクが全滅しようものならまた最初からやり直しとなってしまう。
作れない事もないのだけど、一朝一夕で出来る事でもない。
それならば、タカクス町からは離れたゴイガッラ村で別にシンクを飼育してもらい、非常時には融通し合う体制を作りたいのだ。
詳しく説明すると、ゴイガッラ村長は納得してくれた。
「分かりました。こちらとしては願ってもない話。お受けいたしましょう」
「では、後日、病理研究に関する基金の設立と一緒に詳しい取り決めをしましょう」
ゴイガッラ村長と握手を交わす。
これでランム鳥の疫病への対策もだいぶ進む。
ゴイガッラ村に来てよかったと思いつつ、ゴイガッラ村長と一緒に研究施設を出た。
ゴイガッラ村長が宿の方を指差す。
「本日は泊まっていかれるんですか?」
「いえ、今日中にもう少し進もうと思ってます。雪が降る前に東に着きたいので」
「この辺りは雪が多く降りますからね。積もってはいませんが、昨夜も少しちらつきましたよ」
ゴイガッラ村長と一緒に村の出口まで歩く。
村人の中には俺の事を知っている人も多く、ランム鳥全滅直後にヨーインズリーとの契約を肩代わりした事に度々礼を言われた。
「それでは、お気をつけて」
「はい。また春の終わりごろにお話ししましょう」
ゴイガッラ村長と古参の面々に見送られて、俺はゴイガッラ村を後にした。
足元に積もった雪を手で丸め、握りかためる。
上に軽く放り投げて硬さを確かめた俺は、思い切り振り被って遠くにいるバードイータースパイダーにぶち当てる。
「――動かないか」
世界樹の枝と枝の間に大規模な巣を張っているバードイータースパイダーは俺の雪玉を胴体に受けても一切反応を返さない。
このまま矢で仕留めることもできるけど、奴の巣が空中にあるため死骸の回収ができない。
雪玉で挑発しても動いてくれないのなら諦めるしかないか。
「良い金になると思ったんだけどな」
外套の襟に顎を埋めて寒風を凌ぎながら、俺はバードイータースパイダーの巣を離れる。
タカクス町を出て早五日。そろそろリシェイ達の顔が恋しくなってきた。
見失って初めて気付く大切さ。
俺もたまには姿をくらませてみようか。迷惑が掛かるだけだからやらないけど。
リシェイやメルミーも今頃さびしがってるだろうか。
なんてことをつらつら考えている内に、今日の宿に定めた村に到着した。
人口は二百人ほどの小さな村だ。
「けっこういろいろな物が建ってるな」
俺が初めてきた時は本当に何もないただの枝だったのに。
この村はかつて俺も参加したヨーインズリー主催のデザイン大会の会場に建てられた村だ。
ワックスアントの大規模な巣が見つかって騒ぎになった大会の会場でもある。
村に入ると、結構な割合で学者や研究者らしき人々とすれ違う。
それもそのはず、この村の地下に横たわるワックスアントの巣だった空間は丸々地下図書館として機能しているのだ。
ヨーインズリーに次ぐ蔵書量を誇る地下図書館の存在により、この村にはヨーインズリーから地下図書館の管理費用を受け取っている。蔵書を閲覧しに来た学者用の宿も充実しており、規模の割に潤っている村だ。
俺は宿で一部屋借りて、中に入ってみる。
机や椅子などはそこそこの品ではあるものの、一切の不足を感じさせない客室だ。
「インクまであるのか」
地下図書館を利用しに来た学者用だろう。机の上には一枚の紙が置いてあり、ウイングライトの翅で作ったランタンを鉄貨五十枚で貸し出す旨が書かれている。
学者にとっては至れり尽くせりだろう。
部屋の窓から隣を見れば、文具店があった。
とことん学者向けに舵を切った村だ。
少し面白そうだし、地下図書館にも顔を出してみよう。
「一人旅だと話をする相手もいなくてつまらないな」
リシェイがいたらいろいろと意見を交わせたのに。
最低限の荷物だけ持って部屋を出た俺は、すぐそばにある地下図書館への入り口へ向かう。
枝に穿たれた地下図書館は雨水が入らない様に柵が設けられ、非常時には扉を閉ざして完全に密閉できる作りらしい。
シェルターとしても活用されるようで、強力な魔虫が出現した際には救援の魔虫狩人が来るまでこの地下図書館の中に隠れるようだ。
スロープを降りるとワックスアントの蝋が塗り込められた壁とウイングライトの翅で作られたランタンが視界を埋め尽くす。
地下図書館は複雑に入り組んでいるらしく、階段やスロープがあちこちにある。
案内掲示板を頼りに進んでいくと、小さなスペースに出た。
奥行きが十メートル。幅が七メートルほどの空間で、入り口側を覗く三面に書棚がある。入り口側にはウイングライトの翅のランタンと机、クッションにこだわっているらしき座り心地の良い椅子が置かれていた。
「秘密基地っぽいな」
なんかテンションあがってくる。
ワックスアントの白い蝋で覆われた滑らかな質感の壁面に所狭しと並ぶ落ち着いた色合いの書棚。ウイングライトの明かりは最低限だけど、むしろそれが秘密基地っぽさを後押ししている。
地下図書館には同じようないくつもの小スペースと、他よりも格段に広い大広間があるらしい。
興味を引かれて大広間に向かってみる。
階段とスロープで上がったり下がったりしている内に辿り着いた先には、高さ十メートル、奥行き七十メートル、幅四十メートルの大きな空間だった。
世界樹の枝の中にこんな空間があるのには、びっくりだ。そりゃあ太さを考えれば十分に入るんだし、デザイン大会の時に調査に入って俺も見たけど、こうして図書スペースとして整備されていると胸にぐっとくるものがある。
壁は最低限の光源で照らされる木製の本棚で埋め尽くされている。下から階段で上がる事の出来る通路が壁面に沿ってぐるりと一周している立体的な吹き抜け図書スペース。
通路は教会で見かけるアーケード式のアーチ構造で支えられており、人とすれ違えるギリギリの幅で作られている。
通路はもちろん、吹き抜け下の長机と椅子が並ぶ空間の床には雪虫の毛で作った分厚いフェルトが敷き詰められている。赤く着色されたそのフェルトはさながら赤絨毯だ。歩きやすいようにというよりも音を立てないよう配慮した末の工夫だろう。地下空洞だけあって音が響きやすい構造はどうしようもない。
咳ばらいをした若い学者が他の利用客に眉を顰められて身を小さくしている。
本棚を置けない曲がり角などには少し茶目っ気のある像が置かれている。本にインク壺を倒してしまった瞬間を切り取ったような木の彫刻を見かけた時は思わず吹き出しそうになった。
利用者への注意喚起も兼ねているのだとしたら、あれほどうまく印象に残せる方法はないだろう。
肝心の蔵書の方はほとんどがヨーインズリーが誇る虚の図書館の写本らしい。
この村に来る学者たちも、主に故郷の村や町を永く離れられない者達で、普段は師匠の下で研究助手をしているのだと、図書館の主が語ってくれた。
「それにしても、あんたこの枝の上で開かれたデザイン大会で二位だった若手の建橋家さんだろ? 村長が会いたがってたから、後で宿の方を訪ねてもいいかね?」
「構いませんよ。明日も早いので、あまり長くはお話しできませんけど」
「そうなのかい」
村長が残念がるなぁ、と呟いた図書館の主はすぐに割り切ったように首を振った。
「旅の途中じゃあしょうがないね。次はどこへ行くんだね?」
次の目的地を告げると、図書館の主は目を細めて思い出すような素振りをした。
「橋の上に空中の劇場があるあの町かい? いいね。一度、演劇を見に行ったことがあるよ。あれは良い劇場だった。何というか、橋の上の行列に並びながら劇場を眺めている内にフワフワと気分が落ち着かなくなって、小冊子まで買ってしまったよ。どうせ町に行くんなら、あの劇場にも行ってみると良い」
「そうします」
それ、俺が建てたイベント会場なんだけどね。