第十一話 空中市場完成
市場の整備はとんとん拍子に進んだ。
「いやはや、色々と初めての事が重なったね」
メルミーが床を張り終えた空中市場を見回して呟く。
初めての空中回廊であり、初めての市場であり、さらに言えば、初めてタカクス内だけで完結させた工事でもあった。
この空中市場の建設で雇った職人たちはメルミーを始めとして全員がタカクス町の住人なのだ。
総勢六十人。二十人ずつの交代で空中回廊の建設を進め、残りの住人がウイングライトの翅の加工などを行ってくれた。
「なんか、最初から最後まで独力で成し遂げるとタカクス町も大きくなったって気がするよな」
「鼻が膨らんでるよー」
「誇らしいからな」
外の職人に頼る事もなく設備を一つ作り上げたのだ。何もできなかった子供が成長したような誇らしさがある。
「親バカだね」
「――バカでなければ手のかかるガキなんか育てんじゃろ」
不意に挟まれた声に振り返ると、見覚えのある人物が立っていた。
カッテラ都市との道路工事でお世話になったヘッジウェイ町の建橋家さんだ。
どこで買ったのか、テテンお手製間食グッズ、燻製マトラのスティックを齧っている。
「久しぶりだな、アマネ町長」
燻製マトラのスティックを持った手を軽く上げて挨拶した建橋家さんは、流れるような動作で手を口元に持って行き、燻製マトラを齧った。
いつも何か食べてるな、この人。
「お久しぶりです。でも、どうしたんですか?」
来訪の手紙とかは貰ってないんだけど。
建橋家さんは市場や空中回廊をぐるりと見回して、一つ頷いた。
「カッテラ都市の方で新人が空中回廊の建設をするから、見てやってほしいと言われてな。ちぃと足を延ばしてタカクスまで来たんだ」
あぁ、カッテラ都市の空中回廊が老朽化しているって話があったな。
都市内の建築家や建橋家を総動員して空中回廊を建て替えているから、新人の監督役に道路整備で有名なこの人を呼んだのだろう。
建橋家さんは空中市場と空中回廊の接続点を指差す。
「いい職人を使ってるな。仕事も丁寧で、躊躇いがない」
「メルミーがやったんですよ」
「ハロロース、メルミーさんだよー」
「おう、ハロロース! 燻製マトラ喰うか?」
「いいの? サンキューだよ」
「良いって事よ」
ノリ良いな、この人。
建橋家さんも加えた三人で空中市場を回る。
「壁面の模様が凝ってるな。焼き入れしたのか?」
「えぇ、焼き入れした後、蝋を塗ってあります」
空中市場には、周辺の村や町の住人が商品を持ち込んで売る露店区画と、タカクス町の土産物屋やテグゥールースの雑貨屋のような常設店舗のある商店区画に分かれている。
露店区画は持ち込まれる商品の量や大きさによって拡張性を持たせるために壁がなく、一区画当たり幾らで貸し出す予定となっている。
対して、常設店舗である商店区画にはあらかじめ店を建てており、拡張性がない分、他の店との仕切り壁を持つ一つの店として機能する。露店区画と違って店そのものが移動する事もないから、客が常連になる事もあるだろう。
建橋家さんが言う通り、商店の壁には焼き入れが施してあり、店の正面入り口には焼き入れを施した木板を彫って店名を入れたプレートが看板代わりに掲げられている。
「テグゥールースの雑貨屋? いまいち覚えにくい名前だな」
建橋家さんがプレートの文字を読んで首をかしげる。
本人の希望だから仕方がないのだ。
店内も割と凝った作りになっている。
入り口から入ってすぐに小物類が並ぶ予定の陳列棚。
L字型に商品陳列スペースが配置されているため、入り口から見える範囲内には小物類しか置かないのだが、カウンターを横目に曲がって奥へ行くと、生活感が出てしまいがちな乾物などの食品類が並べられる手筈になっている。
L字の角部分には夫婦用の揃いのカップなどが置かれることになるそうだ。
焼き入れをした商品名プレートの他、壁や床も木目を基調としており落ち着いた雰囲気になっている。
観光客向けであると同時に地元であるタカクス町の住民も気兼ねなく入店できるような空間だ。
天井から吊り下げられているのはテグゥールースがどこからか購入したウイングライトの翅の小型ランプ。翅を手の平大に切り取って中に入れたもので、翅だけで鉄貨五百枚はくだらない代物である。
「気合が入ってるな」
「念願の個人店舗だそうで、色々と奮発して揃えたみたいですよ。カウンターに置いてある非売品の置物とかもそうですね」
多分、あの置物だけで鉄貨二百枚くらいする。カウンター裏の店主用の椅子なんて、前世で言うところのアールデコを思わせる幾何学模様が特徴の座面に職人の腕が光る逸品だ。あれは多分、鉄貨五百枚くらいだと思う。
この店の中の装飾品などを計算すると、俺のところの事務所を二軒建てられるんじゃないかな。
まぁ、メルミー作のプライスレスなダイニングチェアが四脚あるから、俺にとっては事務所の方が居心地良いけど。
店の外に出ると、向かいに土産物屋がある。
隣にはカッテラ都市の商会が出した支店、その正面にはヨーインズリーのコマツ商会が出した支店がある。カッテラ都市の方は燻製品をメイン商材とし、コマツ商会は文房具や大衆本を扱う予定との事だった。
どういう取引をしたのか知らないけれど、テグゥールースがコマツ商会を通じてキノコ類の乾物を取り寄せる手はずが整っているらしい。
空中市場は客が多く行き来する事を想定した作りになっているため、通りも広めにとってある。大体、人が七人ほど並んで歩ける幅で、夜間には商品の搬入に使うコヨウ車が余裕を持ってすれ違える。
また、買い物に疲れたり、待ち合わせに指定できる場所としての小さな広場も市場の入り口、中央、出口の三か所に設けてあった。旧キダト村を上空から見下ろせる作りになっている。
空中市場全体を空から見下ろせば、正方形に露店と商店が並んでいる。商店区画が中央、露店区画は食品、手工芸品、衣類、その他の四つに分類されて正方形の角に配置される。
正方形の各辺には空中回廊が接続されており、タカクス町旧キダト村方面の入り口、二重奏橋、旧キダト村の宿、旧キダト村の畑と倉庫にそれぞれ通じる。
観光客の流れは旧キダト村方面入り口から二重奏橋ないし宿への通路を通って市場を出ていく形になるだろう。
商品は畑と倉庫から空中回廊を通って各店舗へ運ばれる手はずになっている。
建橋家さんに説明しながら市場を巡っていく。
「ウイングライトの翅で街灯を作ってあるみたいだが、費用はどれくらいかかったんだ? 玉貨五枚は飛んでるだろ?」
「いえ、玉貨一枚だけですね。素材を俺たちで仕留めてきて、職人さんに加工してもらったので、実質加工費と荷物持ちの魔虫狩人の雇用費だけです」
「魔虫狩人が町長やってるとそんな反則ができるのか」
半ばあきれたような顔で建橋家さんは頭を掻き、街灯を見上げる。
透明な魔虫の翅で六角柱に組んだケースの中にウイングライトの翅が収めてある。土台と六角柱の蓋の部分は寄木細工で作ってあり、街灯としての機能を果たしていない昼間でも見た目が楽しくなるように気を利かせてあった。
ちなみに、メルミー作だったりする。
しばらく街灯を見上げていた建橋家さんは、空になった燻製マトラスティックの袋を丸めてポケットに突っ込んで市場の出口へ歩きだした。
「それじゃあ、カッテラ都市に戻るとすらぁ」
「え、もう日が暮れますよ?」
道が整備されたとはいえ、カッテラ都市までは徒歩一日かかる。一緒に工事に携わったこの建橋家さんが知らないはずもない。
しかし、建橋家さんは特に気にした様子もなく、歩みも止めない。
「明日の午後から工事開始なんでな。いまから戻らんと間に合わんのだ。あぁ、工事が終わったらこの市場に買い物に来るから、完成を楽しみにしてるぞ」
まだ買い食いするつもりだろうか。
夜通し街道を歩いてカッテラ都市に帰り着いたそばから工事の監督なんてハードな生活をしていれば、買い食いしても贅肉がついていないあの体も維持できるという事か。
建橋家さんを見送り、俺はメルミーと共に事務所への帰路につく。
「今晩は何か塩気のあるものが食べたくない?」
「燻製マトラを齧ったから、気分が固定されたな?」
「ばれたかー」
ラーメンを食べたい気分とか、刺身を食べたい気分とか、特定の物を食べたくなる事は俺もあるから否定はしないけど。
「人間、甘いばかりじゃだめなんだよ。アマネもそう思うでしょ?」
「唐突に語りだしたな」
「若干の塩味が最終的に甘さを際立たせるのさ」
「その辺は料理と同じだな」
ツンデレみたいなもんか。
「ちなみにメルミーのちょっと塩味が利いたところってどんなところ?」
「……あれ?」
「ないのかよ」
「メルミーさんはあまっ甘だった!?」
両頬を押さえて驚愕の表情でうつむいたメルミーはすぐにけろりとした顔で前を見る。
「まぁ、そのうちに大人の塩味が利いた女になるよね。時が解決してくれるって」
「自分に甘いな」
空中市場を抜けて空中回廊を通り、二重奏橋へ向かう。
「それはそうと、塩気のあるものか。何か作れるかな」
「鳥レバーがあるよ」
「ならアヒージョでも作るか」
ルイオートの油もあるし、香辛料などの材料はそろっている。この世界にセロリがないのが悔やまれる。
「アヒージョって冬にアマネが作ったオイル煮だよね。パンも買って行こうか?」
メルミーが空中回廊の手すり越しに見える旧キダト村のパン屋を指差す。
「そうだな。甘さと辛さのバランスがやや甘さに傾いた、ちょっと固めで香ばしいパンが欲しい」
「こだわりが感じられる注文だね。パン屋じゃないと買えないよ、そんなの」
この世界のパンはトウムを粉に挽いた物から作られる。
トウムは取れたてが甘く、その後は時間経過で山椒に似た辛さが出てきて、一日が経つ頃には香辛料として使用されるまでになる。
このトウムの性質により、発酵時間が必要なパンは味が様々で、決まった味を出すには熟練の腕がいるのだ。
故に、パン屋はそこそこ高い需要を持つ。
「混んでそうだけどな」
「この時間だから、夕食にしようとして買いに行くお客さんも多いだろうね」
空中回廊から旧キダト村に降り立って、俺はメルミーと並んで二重奏橋に背を向け、パン屋へ歩き出す。
「パンの生地って耳たぶくらいの柔らかさで作るんだっけ?」
「そう言われてる。でも、耳たぶの柔らかさって言われても普通ピンと来ないよな」
「ほほぅ」
メルミーがにやりと笑ってその黒髪をかき上げ、耳を出す。
「ほらほら、触ってごらんよ」
「じゃあ、遠慮なく」
「――うひゃあ」
ちょっと摘まんだら、メルミーが素っ頓狂な声を上げて飛び退いた。
予想以上に大きなリアクションに一瞬硬直する俺に、メルミーは耳を押さえつつ顔を真っ赤にして言い訳を口にする。
「いや、想像以上にぞわっときたというか、フワッときたというか、恥ずかくすぐったかったんだよ」
「へぇ、なるほど」
つまり、メルミーは耳が弱い、と。
「な、なにかな、その悪い顔は!」
「もうちょっと触らせてくれよ」
「触るなぁ!」
叫んだメルミーは俺の手をすり抜けてパン屋へ走って行った。
自分から触らせておいて、なんという塩対応。