第六話 個性の話
俺が事務所のダイニングキッチンで各地の市場の外観をまとめたデッサン集を眺めていると、メルミーが飛び込んできた。
「アマネ、アマネ、これ見て」
俺が眺めていたデッサン集の上にメルミーが置いた紙には神話の後半部分を一枚にまとめた図案が描かれていた。
多少複雑ではあるけれど、視認性は悪くない。
「公民館に掲げる図案か?」
「そう、ようやく納得いくものができたんだよ」
冬の間に完成させるとメルミーが意気込んでいた公民館の食堂に掲げる透かし彫りは結局春が来ても図案さえできていない有様だったけど、これでようやく制作に入れるようだ。
あの店長さんの透かし彫りに負けないほどの代物となると、冬いっぱいを使っても図案さえできないのは理解できる。
メルミーが納得いくものだけあって、店長さんの残していった透かし彫りの後を引き継ぐのに十分な図案だ。
「今日から始めるのか?」
「今日は下書きだけして、明日から本格的に彫って行くよ」
俺の前の席に座ったメルミーは誇らしげに図案を眺める。
「会心の出来になるよ。比翼の鳥の部分とか、見惚れるくらいのものにするからね」
「楽しみにしておくよ。作業部屋を使うか?」
「どうしようかなぁ。アマネも使うんでしょ?」
メルミーが図案から俺の眺めていたデッサン集に視線を移す。
カッテラ都市までの道整備が終わったため、タカクス町への観光客が例年に比べ二割ほど増えていた。
観光客の増加に伴い、ビロースが経営している宿への意見書箱には土産物屋を求める声も増えている。
そのため、カッテラ都市の創始者一族クルウェさんから要請のあった市場の開設を行い、土産物屋もそこに設置する方向でいま考えているのだ。
この市場の開設要請はクルウェさん以外にもコマツ商会を始めとした商会、商人からの声とキダト村方面の幾つかの村からも来ている。
「アマネが市場の設計で作業部屋を使うなら、メルミーさんは公民館で作業するよ」
「そうか。なら、悪いけど作業部屋は使わせてもらうよ」
「了解だよ」
メルミーはあっさりと納得して、キッチンの方を見た。
「リシェイちゃんとテテンちゃんは?」
「テテンはキダト村の宿の女将から注文されたマトラ燻製作り、リシェイはアレウトさんに呼ばれて孤児院の年長組の成人の儀について打ち合わせだ」
「そっか、孤児院の子もそろそろ成人なんだね」
しみじみとメルミーが呟く。
「成人した子はどうするの?」
「各人に任せるよ。タカクス町としては人手がいくらあっても足りないから、残ってほしいとは思ってるけど、近くにカッテラ都市もあるからね」
言うまでもなくカッテラ都市の方がタカクス町よりも発展している。
都会にあこがれる若者が多いのはどこの世界でも変わらない。道路が完成した今、カッテラ都市までは徒歩一日の距離であり、コヨウ車を使えば比較的簡単にタカクス町へ里帰りもできてしまう。
「普段はカッテラ都市で働いて、時々タカクス町に帰ってくる。そんな生活をしたい奴もいるだろうさ」
「どうかな。タカクス町で働いていた方が後々成功すると思うんだよね」
メルミーが市場のデッサン集を指さしてくる。
「市場もそうだけど、これからどんどん仕事場が増えていくわけでしょ。いまの内に仕事を始めれば、これから先タカクス町が発展していくのに合わせて、仕事場でも重要な立場につけるようになるんじゃないかな」
「未来に賭けるか、いまを重視するかの違いだよ。残ってくれる子たちのためにも発展させていきたいとは思うけど」
未来の事が分からないのは俺も同じだし、タカクス町を出て外で働きたいという子がいても応援する。
俺も地元を離れた口だし。
「残った子が希望すれば畑の都合ができるようにするつもりだ。今頃はリシェイがアレウトさんと話してる」
他にも、最近宿泊客が増えて手が足りなくなっている宿の従業員とかも募集している。こちらが作った試験に合格できればカッテラ都市などへ留学できるように資金を都合する案もリシェイと相談中だ。
「留学の世話までするんだ」
「知識と技術のある若者はいつでも歓迎しているけど、向こうから来てくれることはなかなかないからな。待っても来ないのなら、こちらで育てるしかない」
この手の留学制度は実例が少ないながらもいくつかの町や都市で行われている。将来的に地元に帰ってきて働くことが条件だ。
「職人ならタカクス町でも育てられるんだけどね」
「キダト村の人とかな。けど、熱源管理官を置くような特別施設となると、やっぱり現場経験はさせたい。そういう人に留学制度を活用してもらいたいと思ってる」
「年にどれくらいの人を留学させるの?」
「三人が限度だな。同時に十人までなら予算を組める」
狭き門だ。リターンは大きいから、とりあえず応募しようという子もいるだろうけど。
年齢制限は設けないから、五百歳くらいの人でも応募してきたら試験をするつもりだ。
「ちなみに、どんな問題だすの?」
「建築家なら俺が問題を作る予定だけど、最低でも制度関係は把握しておいてもらって、計算と筆記くらいかな。真面目にやれば一年か二年で身につく範囲だよ」
「無理だと思うなぁ。計算って簡単に言うけど、四則演算だけじゃないでしょ?」
「微積分は出来ないと話にならないだろ」
「一年じゃ無理だよ。アマネじゃあるまいし」
ケラケラ笑ったメルミーは手をひらひらさせた。
考えてみれば、俺も前世の知識があるから計算はほとんど学んでいない。
「なら、五年くらい勉強すればいけるか?」
「妥当かなぁ。真面目な人なら何とかなると思うよ。誰に教わるかは知らないけど」
「そっか、読み書き計算も制度関係も誰かが教えないとダメか」
「まるでアマネは教わってないみたいな口振りなのが気にかかるよ」
ほとんど教わっていない。制度関係はサラーティン都市でフレングスさんから教わったけど。
「講義とか定期的に開いた方がいいのかな」
「品種改良に携わっている研究者の人とかに副業として講師の仕事を紹介してみたら?」
「それもいいな」
あまり大規模にやれるだけのお金はないし、需要も子供の人数の問題でそんなにないだろうけど、一人か二人を時給いくらで雇うのはありだろう。
「いずれにせよ、子供たちが無事に成人を迎えられるのは喜ばしい。きっちり祝ってやらないと」
俺の時は魔虫の襲撃で大変だったし、今回はそんな事態にならないよう気を付けないとな。
「それよりさ、市場の方はどうするの? 予定通り、キダト村に作る?」
「その予定だけど、場所で悩んでてな」
キダト村は元々人口四百人の村だった。
民家が多く立ち並び、農業主体で稼いでいた事もあって利便性を良くするために住宅地と畑の距離が近い。
市場を畑の先に作ってしまうと、周囲が開けすぎて見た目が悪い。旧キダト村の住宅街を抜けてさらに広い耕作地も抜けていくとなると歩く距離も相当な物になる。
「それで空中市場のデッサンばかり見てるんだね。納得だよ」
メルミーが言う通り、俺が開いているデッサン集のページは空中回廊を利用して宙に浮かせた空中市場が描かれている。
空中市場のメリットは空中回廊を利用して入り口までの経路を短縮出来る事、市場が閉まる夜には人がいなくなるため夜間の静粛性を担保し、下にある住宅に住む人の安眠を妨げない事などが挙げられる。また、防犯上の観点からも宙に浮いている空中市場は犯人の侵入逃走経路が限られるため警備員の人数を少なくできる。
デメリットは市場が開いている間の足音が響く事、商品の搬入が難しい事、拡張性に乏しい点などが挙げられる。
また、空中市場には購買意欲を煽る効果が少しだけある。下に町並みが見える事が関係しているとも言われている。
今回はキダト村の上に空中市場を作るつもりでいた。
そしてこの計画が実現すれば、タカクス町にとっては初めての空中回廊、多層化への足掛かりとなる。
「技術的には問題がないし、足音が響かない様に試行錯誤もするつもりだ」
「高さは?」
「まだ決まってない。旧キダト村の人にもまだ計画について話してないから、まずは了承してもらうところからだな」
下層にある民家に影響が出ないように支柱を建てるつもりでいるため、高さは容易に確保できる。
高いほど音が下の住宅街に届かなくなるけれど、階段の昇り降りがつらくなったり商品の搬入が難しくなるから悩みどころだ。
「旧キダト村の人は高齢だし、あまり高すぎるのはまずいよね」
「そうなんだよ。デッサン集を見ていくと空中市場の周囲に休憩所を兼ねた飲食店を設置しておく例が多いみたいだ」
市場も近く、高さがある分眺めもいいから飲食店の開設に適しているらしい。
第三の枝にあるタカクス町の入り口広場はあくまでも屋台がメインだから、空中市場の近くに飲食店を配置しても競合は起こりにくい。
「第三の枝のタコウカ畑が見えるようにはしないの?」
「夜間に人が出入りすると翌日分の商品搬入に影響すると思うから、自重するつもりでいる」
考えるべきことが盛りだくさんだけど、まずは旧キダト村住人の了解を取り付けてから設計に移るとしよう。
俺はデッサン集を閉じて立ち上がった。
「お茶でも淹れようか」
「ハーブティーが欲しいよー」
メルミーのリクエストにお応えしてハーブティーを淹れる準備をする。
メルミーはダイニングテーブルに頬杖を突いて俺の準備を眺めている。
「事務所が新しくなって一番うれしかったことって言ったら、キッチンが広くなったところだとメルミーさんは思うんだよ」
「なんだ、唐突に」
キッチンが広くなったことで料理を作る時の手間がかなり改善されたのは事実だ。
二人で立てる広さのキッチンだし、まな板もちゃんとした物が使える。切った食材をまな板の端にまとめておいて別の食材を切ることができるのだ。これが文化的生活というものだとしみじみ思った。
「作業効率の事もあるけどね。やっぱり、アマネとかテテンちゃんとかが料理をしているのを見るのが楽しいんだよ。個人差あるなぁ、とか思う」
「あぁ、それは分かる。メルミーとテテンでも作業の仕方に個性があるな」
調味料などをきっちり計量してある程度準備を整えてから作業を開始するメルミーとか、引きこもりこと一人暮らしの経験があるために目分量で進めていくテテンとか、個性が出る。
メルミーが椅子に座ったまま足を前後に揺らす。
「矢羽橋を作るまではさ、個性ってなんだよーって思ってたんだよ。けど、いまにして思えばいろんなところにそれが見え隠れしてるんだなって思う」
視野が広がったという事なのか、些細な事に気が付くようになったのか。どちらにしてもいい傾向なのだろう。
「ちなみに俺の個性ってなんだと思う?」
「出来上がるものは人と同じなのに調理手順が簡略化されてる。アマネがキッチンに立つと必要な調理器具とか調味料とかがいつの間にかアマネの手の中にある感じ。そのくせ、ほとんどサイバシで済ませようとしてる」
「菜箸さん便利なんだから仕方ないじゃないか」
「木べらさんが活躍の場を常に窺ってるんだよ。それでね、今日も使ってもらえなかったって道具箱の中で泣く木べらさんをメルミーさんが使ってあげるのさ」
「報われない子に活躍の場を与えるメルミーの個性が光るわけだな」
「そもそもサイバシさんをアマネ以外が使わないから、普段泣いているのはサイバシさんだけどね」
「俺と菜箸さんはマブダチだから。他がいなくても菜箸さんだけいればいいんだ」
「木べらさんと駆け落ちしてやる!」
「やめておけ。木べらさんは絶対押さえつけるタイプだ」
「――何の話をしてるのよ、あなたたちは」
「あ、お帰りリシェイ」
呆れたような顔で声をかけてきたリシェイを歓迎する。
ついでにカップを追加で一つ用意しておいた。
「いまね、木べらさんとサイバシさんのどっちがいればいいかで話をしてたんだよ」
「あれ、個性の話じゃなかったっけ?」
「木べらさんとサイバシさんの個性の話?」
「そうそう、そんな感じ」
だったような気がする。
俺とメルミーが記憶をたどるのを見ていたリシェイは窓を向いて一言つぶやいた。
「春ね」




