第五話 道路完成
春を迎えてカッテラ都市への道路事業が再開されると、道路工事はあっという間に進んだ。
「夏までかかると思ってたんだけどな」
「指揮を執る人が三人に増えたら工事速度も上がるわよね」
リシェイが言う通り、この道路工事には俺の他に建橋家と建築家が一人ずつ追加されていた。
一人はカッテラ都市から派遣されてきた若手の建築家。歳は三百歳に届かないくらいで、建橋家の下に弟子入りしたのが五十年前だという。
カッテラ都市はこの道路工事を早期に終わらせて、タカクス町との連携を強化したいと考えたらしく、人を派遣してくれたのだ。
事前に他の町への根回しを済ませてくれたことといい、カッテラ都市には感謝することしきりである。
もう一人は道路工事のノウハウを持ち、職人も派遣してきてくれているヘッジウェイ町から派遣されて来た建橋家である。
道路、空中回廊、橋など、居住スペースではなく道を作る事に熱意を燃やす変わり者でその道五百年のベテラン。前々からタカクス町の矢羽橋の噂が気になっていたそうだ。
ビューテラームで行われた橋のデザイン大会で入賞した橋を一目見たいと思いながら、仕事に追われて身動きが取れずにいたところ、ちょうどタカクス町で工事を行うと冬に聞いて無理を言って派遣してもらったらしい。
到着するなり矢羽橋の欄干に陣取り、ケーテオ町の祭りで出して以来タカクス町の屋台料理と化している卵巻串を十三本消費。前世の花見客を思い出す姿だったので酒を持って行ったら喜ばれた。
その次には二重奏橋を丸二日ほどタカクス町の枝四本のあちこちから眺めつつ、ランム鳥の焼き鳥串を頬張っていた。二日で三十本の焼き鳥串は彼にとって間食でしかなかったと知ったのはさらに翌日の事である。
「儂、ここに引っ越そうかなぁ」
そんな呟きに慌てたのは同じくヘッジウェイから派遣されて来た職人さんたちである。
「滅多なこと言わんでくださいよ、大将。何考えてんですか!?」
「だって、コヨウ肉食い飽きたし」
「こっちに住んだら今度はランム鳥を食い飽きたっていうんですよ」
「卵もあるじゃろ?」
「そういう問題じゃないですよ! おい、大将をここに置いておくのは危険だ。つれてけ!」
ヘッジウェイの職人さんたちにより、建橋家さんはカッテラ都市側から工事を進めることになり、連行されていったのだった。
そんな建橋家さんが、カッテラ都市から派遣された建築家さんと共に目の前に立っている。それはいい。道路が完成したのだし、タカクス町から工事を進めていた俺とカッテラ都市から工事を進めていた二人が合流地点で顔を合わせるのは当然だ。
「燻製肉、食うか? うめえぞ」
スルメのようにコヨウのスモークジャーキーを口に咥えた建橋家さんが袋ごとずいと押し付けてくる。
「いえ、結構です。後ろの職人たちに配ったらいいと思いますよ」
「もったいねぇ。あいつら、儂に内緒でカッテラ都市の燻製屋でランム鳥のモモ肉燻製を土産に買ってやがったんだ。うまい店を教えろって言ったのに隠し立てしやがって、気にくわん」
また引っ越すとか言い出さないか心配だったんだろうなぁ。
建橋家さんや建築家さんと一緒にカッテラ都市への道を歩き、最終確認を行う。
徒歩で丸一日。コヨウ車を使えば半日足らずで到着する。
カッテラ都市までの道は第三の枝にあるため、アップダウンが激しいのが玉にきずだろうか。高さ五メートルほどの崖も途中に一つあり、タカクス町入り口の高さ七メートルの崖と合わせて難所の一つになっている。
下から見上げると、三つ折りになった道が上へと延びていくのが分かる。
もたれかかっても大丈夫なようにか、道路側面に置かれた手摺りはくるぶしあたりから成人男性の肩の高さまである。坂道の下にいる俺たちから見えるように手摺りは大きく板状で、側面には幾何学模様が描かれている。
どこかで見たような気がする模様だな。
上まで登り切る頃には結構疲れてしまいそうだ。
けれど、実際に坂道を登り始めてみると杞憂だと分かった。
「下から見た時は分かりませんでしたけど、登ってみるとかなり傾斜が緩いんですね」
「カッテラ都市との中間地点じゃ。都市から来ても、町から来ても、体力を相当に取られとる。下から見上げた時に躊躇させて一度休む事を考えさせるよう、手すりのデザインで傾斜を誤認させてあるんじゃ」
そんな手を使ってたのか。
俺は道路脇の手すりを見る。
落下防止のために設けられた高さ一メートル五十センチほどの板状の手すりだ。厚みは十五センチほど。
やけに大きな手摺りだと思っていたけど、もしかしてこの幾何学模様を下にいる人間に見せるために板状にしたのか。
どこかで見たことがあると思っていたけど、ツェルナー錯視とかカフェウォール錯視みたいな、角度錯視の一種なのだろう。
手摺りで坂そのものの角度情報を最低限に抑えて坂の下の人間に与えつつ、手摺りに描かれた錯視図で間違った角度情報を与える事で実際以上に坂の傾斜がきついように見せている。
「坂の下に広い空間があるのは、休憩所ですか?」
「おう。足を止めさせても休むところが無いんじゃあ、渋滞させちまうだけだからな」
フレングスさんがビューテラームの橋のデザイン大会に出品した眼鏡橋といい、錯視を取り入れた技法がよく使われているんだろう。
まだまだ学ぶことがあるものだ。勉強になる。
カッテラ都市に無事到着して建橋家さんたちに別れを告げ、俺はリシェイと一緒に宿で一泊する。
「お勉強かしら?」
「そんなところ」
この世界でも有名な錯視図をいくつか紙に書きだして、利用方法を考えてみる。
日本でも、幽霊坂こと縦断勾配格差による錯覚が有名だった。ボールを転がす時は周囲を見渡し迷惑にならない様にしてくださいと看板が立っていたものだ。
錯視図と利用方法をあれこれ考えていると、リシェイが俺の横に立った。
「勉強中に悪いのだけど、ちょっといいかしら?」
「なに?」
顔を上げると、リシェイが扉の方を見ていた。視線を追いかければ、部屋の扉が開かれており、一人の女性が立っている。
「お初にお目にかかります。クルウェと申します」
クルウェさんは黒髪をワンレングスカットにした、全体的にスレンダー体型の女性だった。大体三百歳程度だろうか。
はじめましてなのは確実だけど、名前を聞いた覚えがある。
「……カッテラ都市創始者一族、現市長の娘にあたる方よ」
リシェイが耳打ちしてくれた。
俺は勉強道具を閉じて立ち上がる。
「タカクス町長、アマネです。初めまして」
「突然お邪魔してしまって申し訳ありません。道路が予定よりもずいぶん早く出来上がってしまったものですから、対応が前倒しになってしまって」
「対応、ですか?」
何か込み入った話っぽい。
宿の客室とはいえ二人部屋だから、ここには椅子が二つある。内緒話の類ならここで話した方がいいけど、そうでないなら外での食事に誘うところだ。
どうしたものかと思っていると、クルウェさんが廊下の方を手で示した。
「料理屋の個室を予約してあります。少しお時間をいただけませんか?」
「分かりました」
「奥様もご一緒にどうぞ」
リシェイが少し嬉しそうに笑いつつ、首を横に振った。
「まだ結婚はしていませんので」
クルウェさんは一瞬俺とリシェイの間で視線を行き来させた後、にこやかにほほ笑んだ。
「そうでしたか。それでは、彼女さんもご一緒にどうぞ」
今度はリシェイも否定しなかった。
クルウェさんに連れられて足を運んだのは、カッテラ都市の雲中ノ層の枝にある青い丸屋根の料理屋だった。
料亭、と呼んだ方がいいかもしれない。
配色まで考え抜かれたタコウカの配置、いくつかの果樹と背の低い草花のコントラストも鮮やかな庭が周りを囲んでおり、建物に入ると両腕を広げても壁に届かない広い廊下がお出迎え。
廊下を進んでいくとスライドドアがあり、一メートルほどの短い廊下が伸びている。突き当たりの左にはやはりスライドドアがあり、客室へ入れるようになっている。
客室へと入ると、球根状の脚先が可愛らしい四角いテーブルが中央に一つ。あらかじめ人数を伝えていたのか、テーブルには出入り口に遠い辺に二つ、その向かいに一つの椅子が置かれていた。椅子は板状の背もたれにリネンフォールドの装飾彫刻が施されている。
部屋の隅にさりげなく置かれているキャビネットもさることながら、その上にちょこんと載っている花瓶がこの部屋の中で一番品が良い。下が膨らんだ優美な自由曲線に加え、描かれた草花は教会の装飾に用いるような架空の植物。あえて花を活けていないのは、花瓶そのものに草花が描かれていること以上に、その背後の窓から覗くよく手入れされた庭を引き立たせるためだろう。
このお店はちょっと、お高すぎませんかね。
「コースメニューを」
「かしこまりました」
見たことがないくらい素晴らしいお辞儀をして、給仕が部屋を出ていく。礼儀を極めると輝いて見えるのか。
委縮していても仕方がない。せっかく来たんだから美味しく料理を頂く事にしよう。
気持ちを切り替えて、俺は席に座る。給仕が椅子を引いてくれたりしないのは、そういう文化が無いからだろうか。
前菜が運ばれてくる段になって、クルウェさんは要件を口にした。
「タカクス町に市場を開設してほしいと考えています」
「市場ですか。カッテラ都市にも市場はありますよね?」
何度か利用させてもらっている。村の黎明期には、貴重なタンパク源であるコヨウ肉を購入するため特にお世話になった。
クルウェさんは頷いて、話を続ける。
「カッテラ都市の市場は周辺地域の野菜類や肉類を売っています。しかしながら、衣服の類はあまり扱っていません」
「……煙ですか」
「御明察です」
カッテラ都市の主要産業は燻製や湯屋である。都市の至る所から煙が上がり、慣れていないと自分が燻されているような気分になる。
しかし、カッテラ都市の市場を利用するのは何も市民だけではなく、周辺の村や町からの客もいる。こういった客は意図せず燻されてしまった衣類には手を伸ばさないため、カッテラ都市の市場で衣服を売ろうとすると手早く売り抜ける必要がある。
無論、商人はそんな博打はしない。衣服は腐る物ではないし、売れ残っても保管が可能な商品だ。わざわざ売り抜けまでのシビアな期限を設けようとは考えない。カッテラ都市ではなく、直接町なり村なりへ持って行けばいい。
衣類の他にも、家具の類など、煙の臭いがついてしまう事を嫌う商品の類がカッテラ都市の市場ではあまり扱われない。
「タカクス町に衣類や家具などの商品を出せる市場を開設していただければ、住み分けができます。タカクス町には矢羽橋の彫刻を手掛けた優秀な職人さんもいらっしゃるでしょう?」
市場の開設か。
今までも考えなかったわけではなかった。キダト村との合併により枝を四本有する事になったタカクス町は周辺の村からのアクセスも容易になったからなおさらだ。
特に、旧キダト村方面の村や町はカッテラ都市との行き来が難しかったそうで、タカクス町の二重奏橋を利用して第三の枝へ渡り、カッテラ都市へ行くことができるようになった今回の交通網整備の様子を視察に来ていた。
彼らが潜在顧客と考えれば、市場の設置による利益はそこそこ大きい物になる。そうでなくとも、ケーテオ町方面からの客も来るだろう。
「ひとまず、調査を行ってから返答させていただきたいです」
「良かった。考えて頂けるんですね。にべもなく断られることも予想していましたから、ありがたいです」
「何故、断られると?」
「市場はどうしても騒がしくなりますから、ランム鳥への影響が出るでしょうし、結婚事業への影響も出るかもしれませんからね」
「あぁ、その点はあまり心配しなくても大丈夫です」
市場を開設するとしたら旧キダト村の辺りになる。その方が潜在顧客を取り込みやすいし、足を延ばしてカッテラ都市へ向かう客も出てくるだろう。
問題なのは、旧キダト村にどうやって市場を設置するかだ。
限界荷重量の問題は休耕地を第三の枝に移してタコウカ畑として活用し始めたことである程度解消されつつあるけれど、市場へのアクセスを考えるとおかしな場所に作れない。
町に帰って調査しない事には始まらないだろう。
「市場を開設するか否か、決まり次第ご連絡いたします」
「お待ちしております」




