第四話 タコウカ研究
新築の事務所に生活の場を移した俺たちだったが、では旧事務所は取り壊したのかといえばそうではない。
思い出深く、村発足時から苦楽を共にした旧事務所を取り壊すのは忍びなかったため、活用方法を模索したのだ。
その結果、旧事務所はいま、タコウカ品種改良計画の本拠地になっている。
「ラッツェはいる?」
「アマネさん、ようこそっていうのも、なんか変な感じですね。もとはアマネさんが住んでた建物なのに」
俺を出迎えてくれたラッツェが戸惑いがちに笑う。
元サラーティン都市孤児院出身者のまとめ役、ラッツェはタコウカの品種改良に着手していた。
ランム鳥の品種改良種、シンクの誕生を聞きつけた研究者たち数人と共同でタコウカの品種改良を研究しているのだ。
俺は元事務室へと足を踏み入れる。そこには、いくつもの植木鉢があり、葉を光らせている一年物のタコウカが植えられていた。葉の色は実に様々だ。
「研究の進捗状況は?」
タコウカの状態を見ながら訊ねると、ラッツェを含む研究者たちが首を横に振った。芳しくないらしい。
「ワラキス都市とガメック都市が失敗したというのは知っていましたけど、遺伝子の存在や法則を知っている僕たちなら成功すると思ってました。でも、全然だめですね」
ラッツェが近くにあった植木鉢を指差す。
「これは赤色の葉を持つ親同士を掛け合わせたものですが、見ての通り、発色は黄色でした」
続けてラッツェが指差したのは壁際の植木鉢だ。
「あちらの壁に沿っておかれているのは全て黄色同士の掛け合わせですが、発色は赤色、青色、黄色と三色出ています。優劣が分かりません。二色の色を掛け合わせたものはというと、アマネさんの足元にあるそれになりました」
言われて視線を足元に向ける。
赤と黄、さらに青色の三色が一枚の葉に乗っていた。マーブル模様だ。
「三色乗りのタコウカは輸出できません。二色乗りでも価格に響きますし、ここでまともに売り物になるのは全体の二割程度でしょうね」
研究者の一人が腕を組んでタコウカの植木鉢を見回す。
発光植物であるタコウカは空中回廊などで光源として利用される。さほど光は強くないものの、足元を照らすだけなら十分だからだ。
しかし、同じ葉に一色から三色の色が乗り、その葉が光を放つという関係上、多色のモノは目に煩いとして好まれない。
発色するのは種植えから一年後の花が咲いてから。色が判明するのもこの時期だ。二年草だから、発光期間は一年。
ただでさえ肥料食いの作物で、生育には土中に十分な量の炭素を必要とする上、蛾などの害虫が寄ってくるため手間がかかる。それでいて、まともに売り物になるのが二割、二色乗りを合わせて七割程か。
「産業規模でやっている村ってないんだよな?」
「町ならありますけど、村だと人手が足りないと思います。利益を出すなら廃棄率を計算して相当な面積の畑と人手を必要としますから」
ラッツェの返答に頷く。
「第三の枝のタコウカ畑の計画は進めるつもりでいるけど、どうなるかな」
色が多すぎて逆に安っぽく見えないか心配だ。
「研究手順の説明をしてもらってもいいかな?」
部屋の隅にある椅子に座って、ラッツェ達に話を聞く。
手順としては、この部屋でタコウカを育て、任意の色同士を人工授粉させるというものだ。ここまでは失敗したワラキス都市、ガメック都市と同じである。
「僕らはワラキス都市やガメック都市の実験資料を見て、失敗の原因が花粉の飛散によるものだと推定し、植木鉢に魔虫の翅で作った被せモノをして花粉の飛散を防いでいます」
「なるほどな。ワラキス都市もガメック都市もタコウカの大規模栽培をしていたから花粉は飛んでいただろうし、意図しない受粉が行われていた可能性があるわけか」
そういえば、花粉症の話は聞かないな。
「被せモノをしたという記述もありませんでしたから、おそらく対策がされていなかったものと思われます」
かなり単純な失敗ではある。
「けれど、その対策をしたうえで、この実験室のタコウカは法則性を示さなかった」
「はい……」
失敗した以上は受粉が問題ではない可能性もある。
「作業室の方は使ってるのか?」
俺とテテンが寝室代わりにもしていた作業室の方を指差す。
ラッツェは作業室の扉を振り返り、口を開いた。
「研究資料を置いてますけど、まだまだ余裕はあります」
「それなら、作業室に植木鉢を二つ置いてみるのもありだな。他から隔離した場所なら意図しない受粉が起きる可能性も減らせる」
本当ならランム鳥同様に特別施設を作るべきなのだろうけど、今は手持ちがない。税の関係でタコウカ畑の運営費用を俺のポケットマネーから出すからだ。
「資料を見せてもらえるか?」
「今もって来ます」
研究者の一人が立ち上がって旧作業部屋に向かう。
戻ってきた研究者が持ってきたのは分厚い紙の束だ。
「一部がタカクス町での資料、他にワラキス都市などを含む栽培地域が公開している資料も揃えてあります」
机の上に並べられた資料に目を通す。
土や肥料が色に与える影響はないようだ。
他の都市では遺伝子説が否定されたのちに環境要因説を唱える学者が現れたらしい。親と子が似通っているのは同じ環境下に置かれていたからだとするこの学者はタコウカの植木鉢に石灰を加えるなどの施肥を行ったようだ。結果は失敗している。
他にも、日照時間の関係、水遣りの量と頻度、土中の炭の量などさまざまな視点から実験が行われている。
面白い物もある。
「水耕栽培か。これは考えなかったな」
花と葉の色に関係があろうとなかろうと、後天的に着色してしまえば同じだろうという発想の転換をした農家がいたらしい。
この農家は普通に育てたタコウカがつぼみを付けた段階で土から引っこ抜き、水鉢の中に浮かばせた。水鉢には着色料で染められた溶液が入っており、タコウカがこれを吸い上げる事で花も葉も着色料の色に染め上げられるという寸法だ。
実際に葉の色を任意の色に染めることに成功し、白、青、黄色の三系統のタコウカであれば後天的に着色料で色を操作可能だという結果が出せたものの、赤と黒の二色は染まらないか、濁った色になる。
また、水耕栽培に切り替えてからは栄養を供給するための水溶液を用意する必要があり、この水溶液の作成に金がかかる。着色料も与え続けなければせっかく着けた色があせてしまうため、維持費も普通のタコウカよりかかってしまう。
それでも、このタコウカ水耕栽培法はワラキス都市とガメック都市を始めとしたいくつかの都市や町で小規模ながら行われている。
「よくもまぁ、こんな方法を考えつくな」
「その水耕栽培法はタコウカ変色病の対応策として用いられてるそうですよ」
ラッツェが補足してくれる。
第三の枝のタコウカ畑で色が多すぎる場合にはこの水耕栽培法で多少色を整えることも視野に入れておこうか。
ふと思いついて、俺は研究者の一人に声を掛ける。
「この水耕栽培法って液状伝達説の論拠として聞いたことがないね」
「後天的に変化させる方法ですからね。環境要因説が勃興したのはその水耕栽培法が原因という話を聞きます。説としてはもう廃れてしまいましたけど」
「そっちの学説の論拠になってたのか」
資料を読んだ限り、タコウカの発色遺伝子の発現は複雑なようで、花と葉の色だけを頼りに調べても効果が出そうにない。
「多分、他にも注目すべきところがあるんだ。発色遺伝子の発現を決定づける別の遺伝子があるとか。これからは標本を作ってくれ。公民館に置く場所を作れるかどうか、リシェイと相談してみる」
「分かりました」
ラッツェ達に後を任せて、俺は旧事務所を出る。
雪がちらついていた。もうすぐ冬も終わりだというのに、しつこいな。
早足で新築事務所に向かう途中、孤児院のそばの公園を見る。
どうやら、雪合戦をしているらしい。
男女に分かれて行われている雪合戦は女の子チームの優勢みたいだ。成長期が早く到来する女の子チームの方が雪玉の射程が長いのが理由だろう。
それにしてもエグイな。
直径三メートルほどの弧を描く防御陣地をハの字に配置している女の子チームは弾幕を張りつつ男の子組を寄せ付けない様にして、年長の女の子の遠投で仕留める戦術を取っている。
射程の違いを有効に利用したやり方だ。
男の子チームの方は雪玉を転がして筒状に大きくした物の裏に隠れ、女の子チームの弾幕が途切れた間隙を縫うように犠牲を出しながら雪玉を前に押し出し、女の子チームへ接近を試みている。
これはもう、男の子チームの負けで間違いないな。
「――これで女の子組の六連勝ですよ」
背後から聞こえてきた声に振り返れば、司教のアレウトさんが立っていた。
まだカッテラ都市との交通網を整備中の今、冬場に交通網がマヒするのは変わっていない。そのため、結婚事業も中断しており、アレウトさんは孤児院長としての仕事が多くなる。
「アレウトさんも雪合戦しないんですか?」
「混ざってしまったら、相手チームを泣かせてしまいますからね」
凄い自信だった。
アレウトさんは手袋をはめた手で女の子組を指差す。
「リシェイさんが女の子組に戦術を教えたそうですよ」
「あぁ、それであんなに動きが良いのか」
雪合戦は遊びじゃないと豪語するリシェイである。かなりエグイ戦法も吹き込んでいそうだ。
「アレウトさんって孤児院出身だったりしますか?」
「いえ、両親はコヨウ飼いでしたよ。世界樹のかなり上の方まで登ってまして、このまま登って行けば比翼のお二人に会えるかもしれないね、とよく寝物語に神話を聞かされて育ちました」
「それで教会組織に入ったんですか?」
珍しい経歴なのかはちょっと判断付かないけれど、意外な気はする。
「そうですね。きっかけは両親がコヨウ飼いを引退してとある村で畑仕事を始めたからですね。コヨウ飼いを継ぐという選択肢もあったんですが、もっと詳しく神話を知りたいと思ったので独り立ちして教会の扉を叩いた次第です」
アレウトさんは直接ヨーインズリーの教会を訪ね、神話の他、儀式作法などをみっちり教わったという。
大変でした、とアレウトさんが笑う。
「もともとコヨウ飼いでしたから、儀式なんて成人の儀くらいしか見たことがなかったんですよ。村なり町なりに住んでいれば、知り合いの結婚式くらいは見られたでしょうにね」
「成人の儀は御自分の?」
「えぇ、自分のです。親には杖に括り付ける鈴を贈りました」
家族や他のコヨウ飼いとはぐれた際に居場所を知らせるための鈴らしい。
アレウトさんはふと首を傾げて俺を見た。
「魔虫狩人は鈴を持ち歩かないんですか? 団体で討伐に出ることも多いでしょう?」
「間違って鳴ってしまったりすると魔虫を引き寄せる事があるので、絶対に持つなと言われますね。連絡を取る時は鏑矢です」
「あのピューと音が鳴る矢ですか」
「コヨウ飼いこそ、弓矢は持っていなくて大丈夫なんですか?」
「コヨウの臭いが強烈で、大概の魔虫は寄ってこないんですよ。以前、バードイータスパイダーの巣に引っかかったコヨウがゴミだと思われたのか食べられずに糸を外されて枝の上に放り捨てられるのを見た事があります」
コヨウさん、生き物とすら見られないなんて……。
「それでも、毛を刈った直後などは魔虫も襲ってきますね。一頭くらい食べられても、運が悪かったと済ませるのが当たり前です」
コヨウ飼いが食べられるよりずっとましですから、とアレウトさんは苦笑した。
なかなか殺伐とした生活を送るものらしい。
「ほとんどのコヨウ飼いは夫婦か家族で仕事をします。周囲の見張りとコヨウの誘導の二つの役割が最低でも必要ですからね。両親が引退した以上、コヨウ飼いを続けたくてもまずは結婚する必要がありました。すぐ相手が見つかるわけもありませんけどね」
まだ若く、身を固める気もなかったアレウトさんは、未練もなくコヨウ飼いを廃業したらしい。
アレウトさんは自らの太ももを軽く叩いた。
「幼少期からコヨウ飼いの両親と方々を歩き回りましたから健脚が自慢だろうと、教会で一人前になると同時に以前お話ししたように外回りをやらされてました。結婚する気が無くてコヨウ飼いを廃業し教会に加わったにもかかわらず、各地の結婚式に引っ張り出されたのは皮肉でしょうかね」
そう言ってアレウトさんが笑った時、女の子チームが最後の男に集中砲火を浴びせて仕留めていた。




