第五話 ハラトラ町での受注競争
コマツ商会を訪ねた俺とリシェイを出迎えたのは、商会長のコマツ氏その人だった。
いきなりの大物登場に内心で面食らいつつ挨拶して、声をかけてくれたことに礼を言う。
「噂にたがわず礼儀正しい。実にいい青年だ。アマネ君、お会いできてうれしいよ」
握手を交わし、商会の中に通される。応接室というよりは談話室のようで、家具の値段はそれほどでもないが落ち着いて話せる環境だ。
若手の俺が委縮しないようにという配慮だろうか。実にありがたい。
「アマネ君の噂は色々と聞こえてくるよ。成人後間もないというのに、魔虫狩人をしながら建築家としての仕事もこなす働き者の青年だと。建築家としての仕事ぶりも、奇をてらった物はないけれど使用者の事を考えた優しい仕事をすると評判らしいね」
「いえ、依頼を頂いてその通りに仕事をしているだけです」
「つまり、依頼人が要望を漏らさず伝えてしまえるほどの聞き上手というわけだ。では、ここはひとつ、当商会の依頼を聞いてもらいたい」
そう言ってコマツ商会長が依頼の内容を話してくれた。
「アマネ君はハラトラ町をご存知かな?」
「えぇ、一度通りがかった事があります。サラーティン都市に近い、雲下ノ層に枝を三本持っている町ですよね」
サラーティン都市に住む建橋家の師匠フレングスさんを訪ねるときに通りがかった町だ。
コマツ商会長が頷いて地図を出す。
「訪れたことがあるなら話が早い。実は今回、ハラトラ町は四本目の枝に橋を架け、住宅区を作る事を決めた。橋そのものは建橋家さんに頼むのだが、ハラトラ町創始者の意向で四本目の枝の選定とその上に作る住宅区の設計を若手の建築家さんに任せたいそうでね。アマネ君が候補に挙がったんだよ」
「ありがたい話です」
けれど、規模がかなり大きい。若手の建築家に舞い込む仕事じゃない。
「ハラトラ町の創始者は若い力を町に取り入れたいとお考えでね。今回の仕事を若手に依頼するのも、町の若者たちに奮起してもらうためだと聞いている。アマネ君にはぜひとも、ハラトラ町の住人に活力を与えるような住宅区の設計をお願いしたい」
抽象的な注文ではあるけれど、まだ現場を見てもいない状態では方向性を定めてくれているのはありがたい。
コマツ商会長が身を乗り出す。
「しかしね、今回の依頼はどうにも受注競争になるようなんだ」
美味い話には裏があるというべきなのかもしれないが、仮に受注競争になっても、負けたら俺の実力不足だったというだけだ。依頼人にとってはよりいい物にしたいというのは当然だから、受注競争に文句を言うつもりなど毛頭ない。
ただ、受注競争なんて初めて経験する。前世では会社が受注競争に乗り出すことはあっても、新米の俺ではなくもっと上の人たちが動いていた。
ちょっとわくわくする。
コマツ商会長が俺の顔を見てわずかに笑う。わくわくが伝播したのだろうか。
「参加してもらえるようだね?」
「もちろんです」
「では、現場に向かおう。住宅区を丸々一つ作る仕事だ。我が商会としても大きな仕事なのでね。私自ら足を運ぶ。出発は二日後でどうだろう?」
「二日後ですね。朝、こちらを訪ねます」
コマツ商会長と約束を交わして外に出る。
リシェイが予想以上に大きな話に興奮と不安を覚えているらしいのが顔色からうかがえた。
「凄く大規模な話だけど、本当に受けて大丈夫だったの?」
「コマツ商会には悪いけど、俺としては受注競争に勝っても負けてもいい経験になると思う。それはリシェイも同じだよ」
建材の発注や職人の給料など、掛かる費用を算出するのはリシェイの仕事になっている。今回のような大規模な話だと動く金額も大きいからミスを心配してしまうのは分かる。
ただ、ずっと大きな仕事から逃げるわけにもいかない以上、ここで経験しておけば後々同規模の仕事での緊張が和らぐだろう。
「大丈夫、慎重に進めていけばいいんだから」
二日後、コマツ商会の前で商会長のコマツ氏と合流した俺たちは現場であるハラトラ町まで来ていた。
道中はコヨウと呼ばれる羊に似た動物に車を引かせての旅だった。コヨウは毛や肉も利用できる家畜だけれど、臭いがキツイ。車も箱馬車に近い形状で、コヨウの臭いが中に入ってこないように作られていた。
「まずは枝の選定から始めようか」
上に住宅区を作る枝だ。荷重限界量もさることながら、ハラトラ町へのアクセスが容易でないといけない。
コマツ商会は資材を卸す役割を担う。建築家の俺とタッグを組む以上、計画に必要な費用の算出も手伝ってくれる。
コマツ商会は俺と同じで実績が欲しいというのが本音のようで、最低限の利益で資材を卸してくれるらしい。計画に必要な費用が少額で済むのは大きなアピールポイントになるだろう。
さて、この辺りは世界樹の枝ぶりが良い地域で、四本目の枝の候補もいくつか存在する。
それぞれの高さ、幅、距離、さらには枝そのものの傾斜なども考慮していくと、自然と選択肢は三つに絞り込めた。
俺と今回の受注競争をすることになる新人建築家たちがちらほら見受けられる。新人といっても、ほとんどは俺よりずっと年上の二百歳や三百歳の人々だ。
俺と同じくらいの歳で建築家資格を取っている人はあまりいないし、仮にとれたとしても住宅区を一つ作るような大規模計画には尻込みする。
だが、そんな新人建築家の中に、俺と年の近い男を見つけた。どうやら俺と同じ枝に目を付けたらしく、仕事仲間と測量している。
「あ……」
俺の後ろを歩いていたリシェイが小さく声を上げた。
リシェイの声に気付いたのか、男とその仕事仲間が顔を上げる。仕事仲間の方は赤のショートへアーのせいで後ろからは性別が分からなかったが、こちらを向いた顔は明らかに女性のそれだった。吊り眼がちの眼を眼鏡と長めの前髪で隠している。
「カラリアさん……」
女性がこちらを向いたことにわずかながら怯んだ様子のリシェイが、女性の名前を呼ぶ。
男の方はリシェイと面識がないのか、首を傾げて俺を見た。
「あれ、君ももしかして建築家?」
「そうです」
「歳の近い建築家は初めて見たよ。僕はケインズ、二十九歳だ」
測量を中断した男、ケインズが立ち上がって俺に近付いてくる。
「アマネです。十九歳です」
「ほぼタメか。なんか親近感わくなぁ」
プラスマイナス三十歳は誤差の範囲なのがこの世界の年齢に対する認識である。寿命千年は伊達ではない。
ケインズの仕事仲間、カラリアさんもスタスタとこちらに歩いてくる。優雅な足運びなのに機敏だ。険の強い吊り眼も相まって威圧されているような錯覚を受ける。
カラリアさんはリシェイの前に立つと口を開いた。
「リシェイさん、奇遇ですね。ここには何をしに?」
「し、仕事で」
完全に気圧された様子のリシェイが一歩後ずさると、カラリアさんが眉を寄せた。
「仕事……。どこかの村か町で事務や会計をしたいと以前仰っていませんでした?」
「こちらの建築家、アマネさんの事務所で働いてて」
リシェイに紹介されて、俺は軽く会釈する。カラリアさんは俺を見てさらに眉を寄せた。怖い。
「そうですか。就職、おめでとうございます」
「カラリア、そっちの子は知り合いなのかい?」
ケインズがリシェイを見ると、カラリアが頷いた。
「ヨーインズリーの学術試験で何度か会った事があります」
「カラリアが毎回一位を取っていたあの試験か」
ヨーインズリーは虚の図書館を持ち、学術の都と名高い摩天楼だ。定期的に学術試験を開催しており、二十歳以下の年齢向けのそれは一般公開される。
歴史や神話などの知識を問うため、就職活動にはあまり役に立たないらしい。事務能力などを測る試験ではないからだろう。
ただし、年齢に寄らず無差別に受けられる方の試験はかなりの難問がいくつも出題されるそうで、高得点者は表彰されるそうだ。
俺はリシェイの隣に立つ。どうもカラリアさんに苦手意識を持っているらしいリシェイだが、学術試験と何か関係があるのだろうか。
俺は話題の転換を図ろうと、ケインズに声を掛ける。
「ケインズさんも住宅区の計画に参加するんですか?」
「タメなんだから堅苦しい言葉使いはなしでいこうよ。アマネも受注競争に?」
「そうなるね」
肯定すると、ケインズはにやりと笑った。
「よし、俄然やる気でてきた。歳の近い好敵手とか憧れてたんだよ」
「もっと上の人たちの方が倒すの難しそうだけど」
新人建築家といっても、実務経験は百年を超えていたりするのがこの世界の怖い所である。そりゃあ、五百年この仕事をしていますという、日本の価値観に照らし合わせると一代で老舗みたいな人たちに比べれば、百年なんてひよっこなんだろう。
実際、百年目ぐらいから目が出なくて転職してしまう人や逆に成功して名前が売れ、独立していく人も多くなるらしい。
「この受注競争を僕かアマネが勝ち抜けば、新人の枠組みから一気に脱出する事だって難しくない。成功すれば建橋家への最短距離になる」
ケインズの意気込みは良く分かる。俺だって百年ものんびり下積みなんてしていられない。
寿命千年は確かに長いが、俺の夢は摩天楼を築く事だ。いくら急いだって遅いくらいに目標は遠い。
「お互い頑張ろうな」
ケインズは俺にそう声をかけて、測量に戻って行った。カラリアさんも俺たちに一礼して、ケインズの後を追う。
ケインズ達の邪魔にならないよう、俺はリシェイと一緒にその場を離れてハラトラ町の安宿に向かう。
「カラリアさんとはどんな関係?」
水を向けると、リシェイは難しそうな顔をした。
「学術試験でカラリアさんが毎回一位、私は二位だったり、三位だったり。そんな関係よ」
「それが原因で苦手意識をもってる?」
「それだけではないけれど……」
言いよどんだリシェイが続きを口にしたのは、安宿に着いてからだった。
費用削減という事で借りた二人部屋に入ってから、リシェイは口を開く。
「私は孤児だけど、親の顔は覚えてるの」
「物心ついた時から親がいなかったわけではないんだね」
そのあたりは俺と違うらしい。
俺は物心ついた頃にはじっちゃんに育てられていた。最初の頃はじっちゃんが俺の祖父なんだろうくらいにしか思っていなかったくらいだ。
リシェイは部屋の椅子に腰かける。
「両親が他界したのは私が十歳の時。揃って病で倒れたの。それまでは家族三人で暮らしてた」
リシェイの昔語りを聞くため、俺は向かいの椅子に腰を下ろす。コヨウの毛を織った布の中にこの世界で鶏のように扱われている飛べない鳥、ランムの羽根が詰められている安い椅子だ。ランム鳥の羽根は静電気を溜め易く毛先がチクチクするから、この手の安い椅子のクッション材くらいにしか需要が無い。
リシェイの昔話は続く。
「いい両親だったの。尊敬できる両親だった。だから私も勉強して、学術試験に応募して、点数もそれなりに取ったのよ。両親は褒めてくれたわ」
「十歳で両親が他界したって事は、学術試験はそれ以前から?」
「七歳からね」
七歳か。俺がじっちゃんに弓を習い始めた頃だ。
職業訓練を始めるには早すぎるのだが、じっちゃんの場合は高齢だから早いうちに俺が自立できるように仕込んでくれたのだ。
当時を思い出していると、リシェイが話を戻した。
「褒めてはもらえたけど、私はいつも一番にはなれなかったの。カラリアさんがいたからね」
「カラリアさんが毎回のように一位を取っていたんだっけ?」
ケインズの証言を確認すると、リシェイは深く頷いた。
「そう、カラリアさんがいつも一番。私はその下。両親は私の事を励ましてくれたわ。カラリアさんは天才だから、仕方がないって」
「それは……」
暗にリシェイは凡人で敵いっこないって言っているようなものじゃないだろうか。それほどまでに、カラリアさんの優秀さは群を抜いていたという事か。
リシェイが苦笑する。
「本当にすごかったの。カラリアさんはとある商会の長の次女で早くから学術分野で頭角を現して、才女とか、天才とか呼ばれていたわ。百点満点のテストで二位の私に三十点差をつけたこともある。カラリアさんが受けるから試験の難易度を上げようかという話が出た、なんてまことしやかに語られたりもした」
「それは凄い」
たった一人で試験の難易度を上げさせようとは。仮に事実だとしたら、他の受験者はたまったもんじゃないだろうな。
「だから私も、カラリアさんには敵わないって分かっていたし、両親の慰めもそのまま受けとめていた。ただ、その両親の励ましがカラリアさんの耳に入ってしまったのよ」
リシェイが十歳になったばかりの頃だったそうだ。
学術試験の結果発表が行われ、リシェイは二位、一位のカラリアさんとは二十点の開きがあった。
いつものように、リシェイの両親は彼女に惜しかったね、とか頑張ったね、と声をかけ、最後に言った。
「やっぱりカラリアさんが一番だったけど、あの子は天才だから仕方がないね」
リシェイがいつも通りその言葉に頷こうとした時、リシェイの前にカラリアさんが飛び出してきた。
そして、カラリアさんは怯むリシェイの両親を睨み据え、言った。
「できもしないのに才能の多寡を測るのはやめなさい。励ますつもりなら敵わない相手を設定するような真似はよしなさい」
リシェイの両親の言葉を両断し、カラリアさんはリシェイに向き直る。
「次もお互い頑張りましょう。今まで通り、一番は譲りませんけどね」
それだけ言って、唖然とするリシェイを置いてカラリアさんは帰って行ったという。
「――なんというか、かっこいいな、おい」
俺の感想にリシェイが苦笑する。
「そう、かっこよかったよ。何しろ〝今まで通り〟だからね。カラリアさんはずっと一位を独走してたけど、二位や三位を争っていた私たちの事もちゃんと見てたの。そのあとで両親が他界してしまったから、学術試験はそれきりになってしまったけれど」
「見事な励まし方だったわけだ。でも、今の話からは苦手意識を抱くような要素がなさそうだけど」
今の話を聞くとちょっと気が強そうだな、と身構えてしまうけど、苦手意識は抱かない。
リシェイはちょっと困ったような顔をした。
「私、村か町で事務会計をするつもりだったと、前に話したわね」
「初めて会った時に虚の図書館で言ってたね」
「私の能力だと、それが限界だなって思ったの。規模が大きくなる都市や、まして摩天楼の事務会計なんて無理だって」
「あぁ、それでカラリアさんと顔を合わせにくいのか」
規模が大きな仕事は無理だと諦めて就職活動をしていた手前、才能の限界を認めないとばかりにリシェイの両親に啖呵を切ったカラリアさんに会わせる顔が無いという事らしい。
それが苦手意識になっているのだろう。
別にカラリアさんと確執があるわけでもないと分かって少し安心する。
しかし、どうしよう。言うべきか、言わざるべきか。
俺は悩んだ末、ここで言わないのも不義理だと思い今後の事を打ち明ける。
「まだまだ先の事だから、と思って言わないでいたんだけど、俺には夢があるんだ」
「……夢?」
リシェイが首を傾げる。金色の髪が揺れ、窓からの光にキラキラと輝く。
「夢って、村を作る話よね?」
「その先だよ。俺の最終目的は東のヨーインズリー、西のビューテラームに次ぐ第三の摩天楼を築く事だ」
リシェイが口を半開きにする。碧眼を瞬いて、俺をじっと見つめてきた。
「本気?」
「本気」
「正気?」
「至って」
「はぁ……」
深々とため息を吐かれてしまった。
まぁ、普通はこういう反応だろう。
「そんなわけだから、村を作ってもすぐに発展させていくつもりだし、目標は摩天楼だ。リシェイにはその会計役として頑張ってもらいたい」
「そんなこと言われても」
「大丈夫だって、まだまだ時間もあるから」
さすがに十年や二十年で摩天楼まで発展させられるとは思わない。摩天楼になる前に俺自身の寿命が尽きる可能性の方がずっと高い。
「その時はその時、という事にしておきましょうか」
先送りにされた。まぁ、リシェイがそれでいいというなら俺も何も言わないけど。
リシェイがお茶を入れるため立ち上がる。
「未来の話よりもまずは目の前の話を片付けましょう。住宅区の計画、どうするの?」
「枝は決めたよ。ハラトラ町の東側にある、少し曲がった枝にする」
「理由は?」
リシェイの質問に答える前に、俺は状況を説明する。
「俺たちが他の参加者に勝っている点があるとすればコマツ商会の後押しがある事だ。工事費用が大幅に削減できるから、損益分岐点を低く設定できる。何しろ住宅区一つ作りだすんだ。削減できる費用がかなり大きい」
「実績を求めている点で、コマツ商会は他の商会と事情が違うものね。無理をして利益を上げようとはしていない」
おそらく、俺たち以外にもどこかの商会の後押しを受けた建築家はいるはずだ。それでも、その商会がコマツ商会のように実績だけを求めているかといえば、可能性は低いだろう。
「それで、ハラトラ町の東には露店市を始めとした商業地区とコヨウの毛で服を作っている工業地区が存在している。東側の枝に住宅区を作れば、この商業地区と工業地区への行き来が他と比べて楽になる」
「それだけだと弱い気がするけど」
「もう一つあるんだけどね」
それを踏まえた住宅区の設計ができるかどうかが肝だけど、これから頑張るだけだ。
俺はリシェイが用意してくれたお茶を片手に、住宅区の設計を開始した。
住宅区の計画書をハラトラ町に提出すると、すぐに詳しく話を聞きたいとハラトラ町の役場に呼び出された。
俺が特別な訳ではなく、今までに計画書を提出した新人建築家たちも同様にハラトラ町の創始者を相手にプレゼンしたらしく、合否がその場で言い渡される場合もあれば他の参加者の計画書が出そろってから改めて、という場合もあるそうだ。
一次面接みたいなものだな。
「少しは緊張しないの?」
と訊いてくるリシェイの方が緊張している。
「人が住む場所を提案する側ががちがちに緊張していたら、そこに住む人が安心して眠れるはずないだろう」
って、前世の大学時代の建築学科の教授が言っていた。
リシェイがちょっと感心した顔で頷いてくる。やめて、受け売りなの。
「アマネさん、どうぞ」
会議室の中から声を掛けられる。
俺はこれ幸いと罪悪感から逃げ出した。
「失礼します」
会議室に入ると、何故か先客がいた。
「ケインズ?」
「アマネ?」
俺が来ることを知らなかったのか、ケインズも不思議そうに俺を見る。
ハラトラ町の創始者らしい八百歳ほどのおじいさんが俺とケインズを見比べてニコリと笑った。
「知り合いかね。歳も近いようだし、不思議な事ではないのかな」
「えぇ、ここでの枝の測量中に出会いまして」
知り合う機会をくれたのはむしろハラトラ町の創始者さん、あなたです。
創始者のおじいさんはケインズを見た。
「どうかな。アマネ君の計画を聞いて行っては」
「良いんですか?」
「アマネ君が良ければね」
ケインズも興味があるのか、俺に期待するような目を向けてくる。その後ろに控えているカラリアさんも測る様な目で俺を見ていた。
「良いですよ」
許可を出すと、ケインズとカラリアさんに椅子が用意される。椅子が運び込まれる間に、俺は壁にかかった大きなボードの上に設計図を張り出した。
「ふむ……」
ため息と聞き間違えそうな小さな声が聞こえてきて、俺はハラトラ町の創始者とその周りに座っているハラトラ町の古参の人々を盗み見る。
……何だ、この空気。
違和感があった。まだ計画について話してもいないのに、決定権を持つ創始者や古参の人々の反応が芳しくない。設計図を張り出した時点で期待が半減したような感さえある。
とはいえ、いまさら挽回できる手があるわけでもない。そんな手があるなら初めから計画なり設計なりに盛り込んでいる。
俺は準備を整えて創始者たちに向き直る。
「では、計画について話をさせていただきます。まず、選定した枝についてですが、ハラトラ町の東にあるこの枝です」
ボードに張り出したハラトラ町と周辺の地図から選定した枝を指し示す。
「ケインズ君と同じ枝だね」
創始者がケインズに声を掛けた。
測量しているところも見たからそうじゃないかと思ったが、同じ枝だったか。
俺は説明を続ける。最初の内はリシェイに安宿で話した内容と同じだ。
「この東の枝は商業地区への行き来が容易で、距離も程よく離れているため商業地区の活気による騒音にも悩まされません。私どもの計画ではコマツ商会の後押しもあり、工費を低く抑えることができます。提出した計画書に詳しい事が記載されていますので、ご確認ください」
「確かに、今まで提出された計画書の平均より三割ほど安く抑えているね。材料費を抑えているけれど、設計図を見る限り材料を少なくするという計画でもないようだ。なぜ、これほどまで安くできるのか、窺ってもいいかな?」
創始者のおじいさんに問われ、コマツ商会は今回の仕事の規模が初めてである事、実績を積み、従業員の技術力向上を今回の参加の目的にしている事を説明する。
「ふむ。コマツ商会の事情は理解した。本当にこの金額で卸してもらえるのか気になる所だけれども、それは直接コマツ商会さんに訊ねた方が良いかな?」
「必要でしたら、席を設けさせていただきます」
「うむ。ありがとう。計画書については以上かね?」
「いえ、説明を続けさせていただきます」
「……ほう」
創始者のおじいさんが目を細めた。少しだけ期待値が上がったらしい。
つまり、今までの話は他の参加者もやっていたと考えた方が良い。新人とはいえ試験を通った建築家たちだ。基本なんて押さえて当然なんだろう。
俺は住宅区の設計図を示す。
「この住宅区を作る予定の枝には東へ登ったところに村があります。農地を多く確保している村で、トウムを主軸に輸出も展開しています」
「うむ、ハラトラ町でも輸入しているよ」
それが何か、と面白そうに創始者のおじいさんは先を促してくる。
「ハラトラ町への輸入経路ですが、これまでは枝の付け根に移動した後、さらにハラトラ町のある枝を登る迂回路を使用していました」
これは世界樹に住居を作るこの世界ではよく見られる弊害だ。村や町へのアクセスがとにかく悪いのである。目と鼻の先に見えるのに、実際に足を運ぼうとすると枝の付け根や分岐点まで移動してから目当ての場所まで枝を登るといった行程を進まねばならない。
途中に都市や摩天楼があればそこの橋を利用して枝を渡る事もできるのだが、ハラトラ町と件の村の間には利用可能な橋がこれまでなかった。
「今回の住宅区を作る枝に橋を渡した場合、輸送費用が半減します。そこで、住宅区も村から輸入する食料品が滞りなく商業地区へ到達できるように設計しました」
「大通りがあるのはそのためかな」
「はい、住宅区を二分する大通りで商業地区へ向かう橋へ直接行きつけるように設計してあります。大通りを挟む建物を他より高くすることで大通りの騒音が住宅区全体に広がらない様にも工夫しました」
地味な計画なのは承知の上だが、採算性の高さは折り紙つきだ。
コマツ商会の後押しによる工費削減、枝とをつなぐ橋を利用した輸入費用の削減により住宅区の住人の食料を確保しやすくしつつハラトラ町全体に行きわたりやすくする。工業地区との行き来も容易、つまり働く場所が近い。
住宅区の外観だが、大通りを中心に外へ向かうほど建物の高さを段階的に下げてある。道幅を多少多めにとり、最小限の通りで人の移動がしやすいように設計した。
今後、ハラトラ町が成長するにしたがってこの住宅区もまた広がっていくと予想される。日照の問題を考えると高い建物をばらばらに配置するのは非常によろしくない。さらに、世界樹の町の特徴として空中回廊を使った多層化があり、最下層の道路が狭いと空中回廊による日陰が住居にまで及びやすくなる。
ハラトラ町の創始者は俺の設計図をしばらく眺めてから、まぶたを閉じた。
「意外性はないけれども、計画的で採算性も高い。今後の発展も織り込んだ堅実な計画だね」
「……ありがとうございます」
意外性、そう聞いて内心はっとした。
この計画は新人建築家を集めて競わせている。
ハラトラ町の創始者は若い力を町に取り入れたいと考え、町の若者たちに奮起してもらうための住宅区作りを俺たちに期待しているのだ。
堅実で計画的で採算の取れる設計など、わざわざ新人建築家に依頼せずとも、橋作りを依頼する建橋家に任せればいい。その方がよほど地に足の着いた仕事をするだろう。
設計図を張り出した段階で期待が薄れていたのは、その時点で意外性が見えなかったからだ。
失敗した。完全に俺の落ち度だ。
コマツ商会の後押しである工費削減を長所としてさらに採算性を伸ばすことに気を取られていたが、むしろ費用の余裕を生かしてランドマークでもぶち上げた方がよかったのだ。
創始者のおじいさんが俺を見て微笑む。
「この町に架かる橋をどう思う?」
問われて、俺はハラトラ町にある三本の枝を繋ぐ橋を脳裏に思い浮かべる。ベトナムのニャッタン橋を彷彿とさせる斜張橋だ。白塗りのA型の塔が特徴的で、一度見れば思い浮かべるのもたやすい。
「覚えやすくて可愛らしい橋だと思います」
「覚えやすくて可愛らしい、か。嬉しいね」
創始者のおじいさんが笑う。
「あの橋を架けたのは儂だよ。ハラトラ町と聞いても誰もどこにある町か分からないだろうが、あの橋の特徴を言えば誰でも場所を言えるように、そう考えてあの橋を架けた。もう気付いているだろうけれども、儂らが君たち新人建築家に求めたのは、若い者の感性による新しい特徴を持った住宅区だ。だから、アマネ君、君の計画は採用できない」
「分かりました。教えて頂きありがとうございます。非常に納得のいくお話でした」
やっちまった感半端ない。これからコマツ商会長に頭を下げに行かないと。
コマツ商会長がっかりするだろうな、と暗い気分になっていると、創始者のおじいさんが口を開いた。
「しかし、君の歳でここまで現実的な見方ができて、なおかつ計画に反映できるとは思わなかった。同じ枝にある村に言及できたのは君を除いて二人、どちらももうすぐ独立できるだけの経験を積んだ者達だ。経済的に見ても、住みやすさを見ても、君の案はとてもいい物だった。そこは胸を張っていい」
「ありがとうございます」
町一つ作り上げた創始者だけあって、飴の与え方が絶妙だ。俺、創始者さんちの子になりたい。
創始者さんが俺から視線を外し、ケインズを見る。
「ケインズ君、アマネ君に君の計画書を見せてもいいかね?」
「どうぞ」
ケインズの計画書には興味がある。俺のプレゼンに同席させるくらいだから、何かあるだろうとは思っていたのだ。
ケインズが立ち上がり、計画書を俺に出してくる。
「これは……」
一目見て、息を飲んだ。
住宅区の西側、ハラトラ町の商工業地区とを結ぶ橋に隣接する形で小さな赤い塔が立っている。その赤い塔は根元に公園を持ち、橋への行き来を容易にするための空中回廊が塔の半ばに接続されていた。
赤いボトルに木目の美しいリボンでラッピングしたようなそれは、まさにランドマーク足り得るものだった。
その設計も驚きだが、さらに驚くべきことがある。
設計図とは別に、完成予想図がイラストで用意されているのだ。視覚的に強烈に訴えてくるそのイラストは、今回のような受注競争でのプレゼンに絶大な効果を発揮する。
パソコンなんてないこの世界で完成予想図をここまで写実的な絵で持ってくるとは思わなかった。プレゼンの基本ではあるが、俺もリシェイも絵は描けないから白黒のスケッチ程度しか用意できなかった。
「この絵はケインズが?」
「いや、カラリアだよ」
ヨーインズリーのとある商会長の次女だとは聞いたけど、絵の具を買って練習できるくらいにいい環境で育っていたのか。本人の資質も多分にありそうだけど。
これだけの絵を描けて、学術試験では常にトップか。才女だとか天才と呼ばれるのも分かる。
「今回は僕の勝ちってことで」
にやりと笑うケインズ。確かに完敗だ。
「認めるよ。次があったら負けないけど」
言い返すと、ケインズが手を差しだしてくる。
「僕も負けないさ」
俺はケインズと握手を交わして、創始者たちに一礼してからリシェイと会議室を後にした。
その後に聞いた噂によると、ケインズの計画書が正式に採用され、ハラトラ町は四本目の枝の開発に着手したそうだ。