第二十五話 第三の枝開発計画
虚の図書館長が帰って二カ月が経ち、タカクス村とキダト村を結ぶ橋は一応の完成をみた。
まだ欄干の設置が済んでいないため通行禁止としてあるものの、両村の住人が橋の両端に集まって手を振り合う光景が度々みられる。
「欄干の設置は三日以内に終わる。その後、最終点検をして開通だ」
店長さんが予定を説明し、俺の背中を叩く。
「それより、どうするんだ、あのヨーインズリーからのお客さん」
「どうするもこうするも……」
お客さんこと研究者たちは、事務所で俺が育てているハーブを囲んで話をしているようだった。
遺伝子説に関する講義が行われるのは三日後だというのに、タカクス村にはすでに十人の研究者が来ていた。
ヨーインズリーに住む研究者だけで十人。ビューテラームからも噂を聞きつけた研究者が来るというし、液状伝達説の立場を取る研究者も何人か訪れるらしい。
おそらく、受講者は二十人を超えるだろう。
「店長さんたちは申し訳ないですけど、キダト村の方に滞在してください。ウチの村の宿の客室は埋まっていますし、これから来る客で公民館も埋まると思うので」
「建設現場にはキダト村の方が近いから別に構わないが、アマネ、本当にあの偏屈屋どもを相手に講義なんかするのか?」
「言い出したのは俺の方なので、いまさら中止にもできないです。せめて、原稿を今のうちに頭の中に入れるくらいしか対策はないですね」
まさかこんな団体さんが乗り込んでくるとは思わなかった。
液状伝達説側の研究者なんて、粗探ししようと手ぐすね引いてそうな気がする。
「魔虫狩人で建橋家で村長でもうすぐ町長で、その上研究者か。次は何になるんだ?」
「茶化さないでくださいよ。メルミーの夫になっちゃいますよ?」
「……講義に参加してやろうか?」
「絶対粗探しする気ですよね?」
大人げないな、この人。煽ったのは俺だけど。
「せいぜい泣かされないようにするこったな」
店長はそう言って、キダト村へ歩いて行った。
俺はメルミーと並んでタカクス村に戻るため橋を渡る。
一基が二キロメートル、二基でおおよそ四キロメートルのこの橋は支え枝三本と都合三本の世界樹の枝に支えられている。幅は約四十メートルで、中央にはハープ状のワイヤーが張られているため片側約二十メートルある。
「おっきい橋になったね」
メルミーがきょろきょろと橋の上を見回す。工事中は忙しくて橋の全体像を落ち着いて観察する暇がなかったのだろう。
「タカクス村とキダト村で住人が合わせて五百五十人でしょ? この橋はちょっと大きすぎないかな?」
合併後のタカクス村は住人が五百五十人。全員が一斉に橋を渡るなんてことはまずないし、幅四十メートルのこの橋は村の規模にそぐわない。
「コヨウ車が通る事を想定しているのもあるけど、今後、タカクス村が発展していく上で、土台となる雲下ノ層の橋が貧弱だと交通渋滞が起こるんだ。いまのうちに準備を整えているんだよ」
町にしろ、都市にしろ、摩天楼にしろ、最下層である雲下ノ層の交通網は食糧や衣類などの行き来によく使用される。
発展するほどに高層化する傾向にあるこの世界では、下の層ほど交通網が広域をカバーするというのが理由の一つ。もう一つは、コヨウ車が坂道に弱いためだ。
そんなわけで、アップダウンの少ない雲下ノ層の交通路を充実させるのが将来の布石になる。
タカクス村へと橋の上を歩いていると、キダト村との境にある何もない枝に到着した。
「この辺りの開発はどうするの?」
「ちょうど中間地点だから臭いや騒音が出ない何かを作ろうと考えてるところ。でも、飲食店と宿は必要かな」
リシェイとも話をしているけれど、いい案は出ていない。
メルミーは橋の上から夕日に照らされる枝の上を見渡し、腕を組む。
「ここって上り坂と下り坂を繰り返してるんだよね」
「そこが問題なんだよ。どう整備しても坂道の問題が立ちふさがるんだ」
空へ向かってアップダウンを繰り返しながら伸びていくこの枝は建物を建てにくい場所になっている。
コヨウ車の運用も考えて坂の途中に荷車を引くコヨウが休憩できるようなスペースを設ける必要もあり、都市計画が難航しているのだ。
「ただ、この枝は上に向かっていく分、雲中の層への足掛かりにもなる。タカクス村とキダト村の中間に位置している事もあって、両村の交流地点にもなるし、設備や施設は充実させたい」
「湯屋とか?」
「それも考えてあるけど、キダト村の湯屋の息子さんがカッテラ都市の熱源管理官養成校から帰ってきてから話をすることになると思う」
タカクス村への橋を渡り始める。こちらの橋はすでに欄干を取り付けてあり、完成と言ってもいい状態だ。
メルミーは橋の欄干に自身が施した彫刻を指でなぞりながら、足を止めた。
「ねぇ、アマネ、公民館の透かし彫りの事は覚えてる?」
「あぁ、店長が彫った片方しかない奴だろ」
答えると、メルミーは頷いて意を決したようにタカクス村を橋の上から見つめた。
「残りの一枚、仕上げようと思うよ」
「自信がついたのか?」
矢羽橋を完成させた後も、メルミーは公民館の透かし彫りには手をつけなかった。
店長の透かし彫りと並べて飾れるほどに、まだ自身の持ち味を把握しきれていないからと言っていたのだ。
メルミーが俺を見る。
「もうすぐ、タカクス村が町になる。だから、この村と一緒に成長したわたしの職人としての腕を形に残したい」
まだ発展途上だけど、とメルミーは笑う。
「今やるべきだって思うんだよ」
「そうか。楽しみにしてるよ」
完成したら一番に見たいものだ。
メルミーが歩き出しながら背中で手を組む。
「ねぇねぇ、また一晩中頭を撫でてよ」
「また店長に公民館裏へ引っ張り込まれるから勘弁してくれ」
店長が未だに子離れできていないのは今日のやり取りからも分かっている。火種を放り込む気はない。
「メルミーさんのさらさらな髪を撫でる絶好の機会だよ?」
「店長が帰ったらって事なら、別にいいけど」
「じゃあ約束ね」
メルミーが俺に人差し指を出してくる。
指切りげんまんの要領で人差し指を絡ませて、約束の誓いをする。ここまでしなくてもいいだろうに。
人差し指を絡めるのは連理の枝に見立てた行為、簡易的な約束の儀式でもある。神話で男が女に逃げられたときに連理の枝に誓った事からきているらしい。
橋の先にタカクス村が見えている。
徐々に日が沈んで辺りが暗くなる中、タカクス村には転々と光が見えた。ひときわ明るく、色とりどりの光に包まれた家がある。
「ラッツェの家はここから見ると面白い事になってるな」
「タコウカの研究を始めたんだっけ?」
サラーティン都市孤児院の出身者のまとめ役でもあるラッツェは、ランム鳥の品種改良に関する講義を聞いてタコウカの発色遺伝の研究を開始している。
今はちょうど花が咲き始めて、タコウカの葉に花と同じ色がつき、発光を始めていた。
赤や青などの様々な色のタコウカが選別もされないまま発光しているモノだから、ちょっとしたイルミネーションのようになっていた。
イルミネーションか。教会の飾りつけに使えないかな。
むりか。タカクス教会の外観は冬の樹をイメージしているから、台無しになるのがオチだ。
「遠目に見ても綺麗だね」
「ヨーインズリーのタコウカは輸入したやつで、ああもまとまって畑に植わってる姿は見ないもんな」
橋や空中回廊で足元を照らすのに利用されるタコウカは、肥料食いの植物だ。
ヨーインズリーのようないくつもの空中回廊と橋を持つ摩天楼や都市にとってなくてはならない植物ではあるものの、そのほとんどが別の村や町からの輸入品であり、植木鉢に植え替えて道の両脇に等間隔で置かれている姿を良く見る。
ランム鳥を育てられない人口密集地では堆肥を自作できず、堆肥を一々輸入すると費用が掛かりすぎるため、タコウカは輸入するしかないのだという。
「そういえば、タコウカの畑があると魔虫に狙われやすいんだっけ?」
「夜行性の魔虫が寄って来るって言われているな。でも、あれは迷信だ」
「そうなの?」
「夜行性の魔虫はタコウカの光を嫌うんだ」
魔虫とは異なるただの昆虫の類では蛾などがタコウカに寄りつく。魔虫を呼ぶというのもこの蛾を見ての連想だろう。
「じっちゃんの話だと、タコウカに近付くような魔虫は狩られて絶滅したんじゃないかってさ」
タコウカはそこまで明るい光源ではないけれど、畑で栽培するなどで密集していれば、夜でも周囲の見通しが利くようになる。
そんなところへ魔虫が飛び込めば、タコウカの栽培をしている人間に即駆除されるのは自明の理だ。
自然淘汰された結果、タコウカを忌避する遺伝子だけが残ったのではないだろうか、と遺伝子説の講義を三日後に控えた俺は思うわけである。
「なら、タコウカの品種改良が終わったら、栽培規模を大きくしてもいいんだね」
メルミーはそう言って、タカクス村とキダト村の中間地点にある枝を指差した。
「あの場所、タコウカの畑にしたら二つの橋のどちらからも見下ろせて綺麗だと思わない?」
「あぁ、それもいいな」
一面吊り斜張橋だから、橋の外を眺める先にうっとしいワイヤーが視界に入り込む事はない。
タコウカ畑は見た目にも鮮やかで、配置次第ではロマンチックな雰囲気を出せる。それこそ、イルミネーション的な使い方だ。
「タカクス村教会で結婚式を挙げて、夜にこの橋からタコウカ畑を見下ろして夜景を楽しむっていう流れ。メルミーさんとしてはあこがれるよ」
「前向きに考えてみよう。それに、橋を降りてタコウカ畑を見ながら休憩できるような、雰囲気のある公園も作りたいな」
ちょっとしたデートスポットにしてしまえばいいのだ。
後は、新婚夫婦じゃなくても遠出の旅行に来たカップルや既婚者向けの料理店、髪飾りや指輪、ネックレスなどを売る小規模な販売店があればなおいい。
孤児院はタカクス村とキダト村にあるけれど、中間地点のここでは夜にまで子供がうろつくことはない。デートスポットとしての雰囲気が壊れることもないだろう。
「雰囲気のいい落ち着いた宿も欲しいね」
「多少離した方がいいけどな。下心が見えてたらデートスポットにならない」
「配置に関してはリシェイちゃんと相談すると良いよ」
話をしながら橋を渡り切り、事務所に帰り着く。
玄関を入ると、香辛料と肉の焼ける匂いが漂ってきた。
キッチンを覗くと料理をしているテテンの姿がある。軽く肉を焼いてからシチューっぽい物に放り込むつもりでいるらしい。
「……おかえり」
「ただいまデートから帰ったよー」
テテン、俺を睨むな。
「デートができるように中間地点の枝を発展させようかって話してたんだ」
事務室に入りながら釈明すると、テテンは調理に戻った。
代わりに、事務室で本を読んでいたリシェイが興味を引かれたように顔を上げる。
「どういう事かしら?」
問われるまま、メルミーと話した計画を伝えると、リシェイは真剣に考え込む。
「……いいわね。問題は角度かしら」
「角度って、何の角度?」
着替えを終えたメルミーが話に加わってくる。
俺は右手を橋に、左手を世界樹の枝に見立てて説明する。
「夜景は中心を俯角十度で見るのが一番綺麗だって説があるんだよ。今回の枝は坂道があるから、光源になるタコウカの畑をどこに設置するかを計算した方がいい」
けど、コンセプトが決まったのは大きい。何を建てるのかもある程度はまとまったし、開発計画はすぐにでも組み立てられるだろう。
けれど、その前にやるべきことがある。
「俺は原稿を覚えてくるよ」
「そういえば、講義が三日後だったね。大丈夫?」
「村で希望者を募って講義を開いたことがあっただろ。内容としてはあれよりも簡単なくらいだから説明自体は難しくないんだ」
問題は、現在研究者の間で主流になっている液状伝達説との齟齬をどう説明するか、質問にどう返答するかだ。
最新の研究資料も含めて頭にある程度入れておかないと質問に対応できない。そんなわけで、原稿を覚えるのと並行して勉強もしているのだ。
「魔虫狩人をしながら建築家資格の勉強もしてたし、アマネって勉強するの好きなのかな? メルミーさんには理解できない趣味だなぁ」
「遊ぶ方が好きに決まってる。やらなきゃいけないからやるだけだ」
「へぇ。がんばー。メルミーさんは役に立たないから見守っているよ」
メルミーは手をひらひらさせ、リシェイを見た。
「あれ、リシェイちゃんが読んでるそれって、もしかして……」
「最新の研究資料よ。アマネだけだと手が回らないだろうから、私も一緒に講壇へ立つわ。助手みたいなものね」
「おぉ、リシェイちゃん頼もしいね」
まったくだ。なんという心強さ。
俺もサボってられないな。




