第二十四話 虚の図書館長、再訪
橋の建設が順調に進む中、特別施設で発生した特殊なランム鳥シンクについての研究と考察が進められた。
日中は橋の建設作業、夕方からは飼育記録や交配記録などを調べていく生活だ。
「肉質グループの第七世代で同様の肉色をしている個体が三羽。第八世代を調べた限り、劣性遺伝なのは間違いないな」
「第六世代は比較的肉色が薄く、第五世代との戻し交配の結果生まれたのがシンクで間違いないようです」
研究を共にするマルクトが交配記録を調べた結果を教えてくれる。
「単なる劣性遺伝なら今までにも似た色の個体が出ていてもおかしくないけど、それがない。第四世代以前を調べた方がいいな。どっかで遺伝子が変異して伝わった可能性がある」
「外部から購入した個体の可能性は?」
「その可能性もあるか。事務所から購入記録を取ってこよう。後を頼む」
「了解です」
マルクトに任せて、俺は特別施設を出る。
シンク遺伝子は劣性でおそらく間違いがない。ただ、その遺伝子がどのように発現するかがまだ分からない。
肉質を決定する遺伝子が一つだけとは考えにくい。第八世代の状況が統計的に遺伝法則にあっていないのだ。
おそらくは相互に作用する複数の遺伝子が発現する事で、あの肉質になるのだろう。
一つは肉質、もう一つは肉の色あたりだろうか。
事務所から購入記録を取ってきた俺は、マルクトと一緒に交配記録と照らし合わせる。
「関係がないようですね」
「そうだな。血が入っている第七世代と入っていない第七世代がいる。とりあえず、シンクを産んだ親の子孫と第八世代を掛け合わせてみよう。それから、飼育小屋の個体から適当な一羽を選んで交配させる」
「第八世代の親からシンクが出て、飼育小屋の方では出なければ、第八世代に因子が受け継がれている可能性が高いというわけですね」
「あぁ、もしくはシンク因子が劣性遺伝という事で半ば決定できる」
系統図を書いたりしつつ考察を深め、明日も早いからと俺は一足先に事務所へ戻った。
翌朝、支え枝に出向いた俺は現場指揮を執っていた。
支え枝から伸びるワイヤーが橋桁の中央に固定されている。
支え枝に作られた土台からタカクス村側へと延びる橋は完成間近だった。逆方向も同じ速度で進めているため、タカクス村からキダト村との間にある枝までの橋が今日中に完成する予定だ。
「ストラットは使わないと聞いた時はまたつまらん橋になるんじゃないかと思ったが、いい具合だな」
木籠の工務店の店長さんが呟く。
「ビューテラームの橋のデザイン大会で五位に入賞したのは、飾りになってるストラットも評価されたからだろう。こだわろうとか思わなかったのか?」
店長に問われて、俺は矢羽橋を思い出す。
メルミーの柔らかな彫刻に加えて、遠方から橋を見た時に興を添える形になったストラットは、デザイン大会での評価点の一つだった。
ストラットは橋桁下部にあり、桁の両端にかかる荷重を支える効果がある。矢羽橋では機能していなかったけれど、今回架けているくの字型の橋には有効な手ではあった。
タカクス村とキダト村を繋ぐ橋は一面吊りの斜張橋。
一面吊りは桁の中央にワイヤーを張るため、桁の両端を支える事が出来ない。前世では涙滴型の主塔で桁の両端を支持する構造の矢作川橋などもあるけれど、今回俺が架ける橋の主塔は桁中央を貫くI型だ。
だから、ストラットで桁の両端の荷重を支えて橋の幅を確保する事も考えた。
ただ、ストラットには無視できない問題があるのだ。
「ストラットは好きですけど、今回の橋には似合わないんですよ。そもそも、一面吊りにした理由と言うのが全体的な構成物を減らしてすっきりした外観に仕上げたかったからなんです。そこにストラットを使用すると、橋の上部と下部で見た目のバランスが取れないんです」
ストラットは幾本もの斜めに走る棒状の部材だ。一本や二本では効果が期待できないから、どうしても何本も使用する事になる。
橋桁にストラットが何本もあると見た目がうるさくなってしまう。
一面吊りハープ状のワイヤーが生み出す簡素さと規則正しさの調和が魅力の橋上部と、ストラットが幾本も連なる複雑さと規則正しさが調和する橋下部で見た目が喧嘩してしまうのだ。
ただでさえ、二本の橋がくの字に接続される事で橋を渡る間もう片方の橋の側面が見えてしまう以上、見た目が喧嘩しているなんて状態は絶対に避けるべきだ。
「というわけで、今回はデザイン上の理由でストラットを使わずに桁裏にトラス構造を仕込んで乗り切る事にしたんです」
それでも幅は少し狭いけれど、一面吊りのおかげで左右に開放感があるため問題はない。
「装飾性なんかの設計が苦手だった奴とは思えない台詞だな。生意気になったもんだ」
「デザイン大会で五位に入賞したんですから、多少の生意気くらいは大目に見てくださいよ」
「甘えんな。まだまだ半人前だろうが」
そんなやり取りで店長に小突かれつつも、橋の建設は進んでいく。
タカクス村とキダト村の途中にある枝までの橋が完成したのは昼を少し過ぎた頃だった。
まだ、キダト村までの橋があるため道半ばではあるけれど、タカクス村はこれで三本目の枝を持ったことになる。
けれど、喜びもつかの間、現場にリシェイがやってきて事務所を指差した。
「ヨーインズリーの虚の図書館長が来ているわ」
「……やっぱり、シンクの件?」
リシェイが頷く。
まぁ、現在は廃れてしまった学説を用いて品種改良を半ば成功させたのだから、いつかは来ると思ってたけどね。
「行商人のルシオから話を聞いたコマツ商会の動きから何かあった事を悟ったみたい。まだ何も情報は与えてないわ。どうする?」
リシェイが首を傾げて訊いてくる。
「会って話をすることになるかな。けど、いまさら援助も必要ないし、研究資料も渡せない。ただで渡すには汎用性が高すぎる」
品種改良に用いた遺伝子説を半ば証明する研究資料だ。俺たちがシンクを売り出し、ブランド力を蓄えてからでなければ、この研究資料は渡せない。
俺は職人たちに休憩の指示を出して、事務所に向かう。
「どこまで話すの?」
「品種改良が半ば成功した事は話してしまおう。これから売り出せばどの道知られるんだしな。それにしても、虚の図書館長はヨーインズリーの重鎮だろうに、動きが早すぎないか?」
「学術都市の重鎮で知識の殿堂たる虚の図書館の主。研究資料の収集には余念がないのよ。それが失敗であれ、成功であれ、ね」
そういえば、虚の図書館長は品種改良事業が失敗したと考えている可能性もあるのか。
いや、コマツ商会の動き一つで乗り込んできたくらいだ。タカクス村の雰囲気だけで、失敗していないことくらいは気付くか。
果たして、事務室で俺を待っていた虚の図書館長はにっこり笑って開口一番言い放った。
「おめでとうございます」
こんなあからさまな鎌掛け、普通は引っかからないだろう。
けれど、ここですっとぼけても話を続ける間に品種改良が成功したことは伝えるのだから、意味がない。
「ありがとうございます。それで、今回はどのようなご用件でしょうか?」
「ランム鳥の品種改良研究の資料をまとめて公開していただきたいのです。もちろん、適切な謝礼をお支払いいたします。研究費用を一切出していない身で厚かましいお願いだとは思いますが、ご一考いただけませんか?」
予想通りの要求だった。けれど、予想外の低姿勢だ。
虚の図書館長が話を続ける。
「タカクス村のランム鳥品種改良計画は遺伝子説に則って組み立てられたものです。これが成功したという事は、液状伝達説に対する強力な反証材料にもなります。研究資料としての価値は正当に高く評価しておりますので、ヨーインズリーが予算も出します」
「ありがたいお話ですが、研究資料はまだ公開できません」
「やはり、品種改良したランム鳥が市場に出回るまで、資料の公開は出来ませんか?」
摩天楼の重鎮だけあって話が早い。
品種改良の研究には総額で玉貨七枚近くが飛んでいる。直接的な出費だけで玉貨七枚だ。
特別施設にいるランム鳥は個体差が生じないように餌も厳格に管理している。また、生まれた卵は市場に出せない。親鳥もそうだ。
金に出来ないランム鳥を数十羽育てているわけで、特別施設の運営は赤字前提で回している。
これから赤字を解消しようという矢先に品種改良のノウハウを売り渡す真似はさすがにできないのだ。
虚の図書館長はしばし考えた後、おもむろに切り出した。
「ヨーインズリーで品種改良したランム鳥を売るというのはどうでしょうか?」
「と言うと?」
「ヨーインズリーは御存じのとおり摩天楼。ビューテラームに並ぶ最大の人口密集地です。肉類は供給が不足しがちで、輸入できるのなら非常にありがたい。タカクス村さんはコマツ商会との取引がありますよね?」
頷きを返すと、虚の図書館長は続ける。
「ヨーインズリーで品種改良したランム鳥を売り出せば大幅な宣伝効果が得られるはずです」
ブランド化に協力してくれるという事か。
魅力的な提案ではあるけれど、俺は首を横に振った。
「申し訳ありません。まだ品種改良したランム鳥は数が確保できていないんです。ヨーインズリーの市場に少量だけ流しても、話題になる前に立ち消えてしまいかねない」
まぁ、簡単に忘れられるレベルの味ではないんだけど、その点は伏せておくべきだろう。
「それに、ヨーインズリーで有名になっても、タカクス村まで観光客を呼び込むまでに時間がかかります。ですから、カッテラ都市を中心に世界樹北側で徐々に広めていく方向で考えているんです」
タカクス村の観光事業とブライダル事業はかなり大きな収入源になっている。村の中で肉や卵を消費してくれれば行商人に売るよりもやや高く捌けるのだ。
また、ヨーインズリーは距離的な問題もあって生卵や生肉を売り込めない。シンクは燻製にしても美味いけれど、焼いたり蒸したりする方が適している事はすでに判明しているのだ。
可能な限り、村内で消費させる形に持って行きたいため、ヨーインズリーに売り込むのはむしろ悪手だったりする。
虚の図書館長が沈黙した。
「……これ以上、私共ヨーインズリーが提示できる条件が思い浮かびません」
諦めてくださいとしか……。
「また研究者たちに突き上げられる……」
ボソッと呟いて頭を抱える虚の図書館長さん。
なんか中間管理職っぽい悲哀の篭った声だった。
「品種改良したランム鳥が有名になったら、資料の公開をします。それだけはお約束しますので、今回はお引き取りください」
虚の図書館長はなおも思案していたが、結局いい案は浮かばなかったらしく小さくため息を吐いた。
「せめて、講義を開いてはくれませんか? ヨーインズリーで根強く遺伝子説を推していた研究者が結果を非常に気にしているのです」
講義くらいなら別に構わないか。
この世界では遺伝子に関する研究はほとんど進んでいない。メンデルの法則さえおぼろげな有様だ。
タコウカを使った実験の失敗もあり、研究費用が捻出できていないからだろう。
代わりに、適切な飼料や肥料の与え方、病害虫の発生がどのように起こり、広がるのかといった環境に対する研究がかなり進んでいる。殺菌の知識まである。
ゴイガッラ村で発生したランム鳥のカビ病が早期に特定されたのも、遺伝の知識がないなりに家畜や作物の味を向上する研究が進んでいたためだろう。
「あくまでも、遺伝子説に関する講義でいいんですよね?」
「そうです。やってくれますか?」
遺伝子説に関する講義、それもメンデルの法則の範疇であれば、ランム鳥の研究資料を使わずに事前の研究で行ったハーブの栽培記録で十分に説明が可能だ。
ランム鳥の遺伝子がどうなっているのかについての説明をしなくてもいいなら、断る事もない。
「ランム鳥ではなく、そこの窓辺にあるハーブを使った講義でも構わないのであれば、タカクス村で実施が可能です。いまは橋架けがあるので、俺はタカクス村を離れられませんが、落ち着いたらヨーインズリーに出向いて講義を行う事もできるでしょう」
遺伝子に関する講義が行えるのは研究に携わっている俺とマルクトだけだ。リシェイは頭が良いから説明するだけである程度講義をこなせると思うけど、実際に実験を行った者が行かないと質問に対応できない可能性がある。
俺は橋架け、マルクトはランム鳥の飼育責任者だから村から動けない。
虚の図書館長が眼を輝かせて身を乗り出した。
「ぜひ、お願いします!」
俺の気が変わらないうちにとでも思ったのか、虚の図書館長はすぐに日取りを二カ月後に定め、謝礼金に関しては玉貨一枚。受講者には別途で受講料を鉄貨百枚に決めるとヨーインズリーへ帰って行った。