第二十一話 二人の使者
「というわけで、遺伝形質は一定の法則に従って受け継がれるんだ」
公民館の食堂にて、俺は希望者を相手にランム鳥の品種改良に関する講義を行っていた。
俺が育てている事務所のハーブやマルクトが育てているハーブの花が均一化しているのを見て、自身の畑に応用ができないかと考える者達から理屈が知りたいと希望されたためだ。
ハーブの世代ごとに取りまとめた結果資料を指し示しながら、メンデルの法則を説明していく。
「希望者には、俺かマルクトが育てているハーブの種を提供する。君たちで育ててくれれば、液状伝達説を覆す資料にもなるだろう」
葉っぱが割れるか否かと花の色の遺伝形質に関しては、ほぼ純血統の種を確保してある。
誰が育てても俺やマルクトの資料からそう外れた結果にはならないはずだ。
「あぁ、そうだ。現在主流の学説とは別で、なおかつ一度は否定された学説でもあるから、どっかの学者が話をせがんでも相手にしないでほしい。余計な軋轢を生む事にもなりかねないから。しつこいようなら、俺かマルクトを呼んでくれれば対応するよ」
資料付きでないと説明が難しいからな。
「質問良いですか?」
受講者から手が上がる。
どうぞ、と先を促すと、受講者は口を開いた。
「一度有用な遺伝形質を持つ純正の種子を得ないと、品種改良は上手くいかないのでしょうか?」
「いや、純正の種子を得たのなら、その時点で品種改良は成功と言えると思うぞ」
「……そうですね」
一瞬考えた後で、質問者は納得した。
「まぁ、複数の有用な形質を受け継がせたいという場合なら、純正の種子を得てからの方が成功率は上がると思うけど、時間がかかる。それなら、純正でなくても欲しい形質を持つ複数の個体を掛け合わせた方が早くなるかもな」
「でも、村長が言う劣性遺伝の場合、受け継がれても表面上に出てこない可能性もあるのでは?」
「その場合は近親交配を行う」
近親交配は、有用な遺伝子を受け継がせるために血を濃くしてしまうやり方だ。
特別施設のランム鳥もこの近親交配を用いている。
「他にも、戻し交配という、親と子で次代を作るやり方もある」
手順の説明をして、ハーブの種を希望者に配り終えた俺は講義の終了を告げた。
長々と説明したせいで渇いたのどを潤すために、俺は食堂を出て厨房に入る。
「誰もいないのか」
まぁ、今は公民館に住んでいる奴もいないからな。
木の壺から水を汲んで、のどを潤す。
入り口に誰かが立つ気配がして、俺は振り返った。
「ラッツェか、どうかした?」
元サラーティン都市孤児院の出身者の中では最年長のラッツェは、同郷の者達のまとめ役として畑の収穫量などを資料に纏めている。
先ほどの講義でもかなり熱心に話を聞いていた。
ラッツェは軽く頭を下げると俺と一緒に水を飲み始める。
「講義、お疲れ様でした」
「ありがとう。内容はどうだった?」
分かりやすく説明できた自信があまりない。
ラッツェは困ったように笑う。
「学が無いもので、良く分かりませんでした。僕の畑で実験してみたいと思っていたんですが、何から手をつけたらいいのか。失敗して収穫量が下がったらみんなに迷惑をかけてしまいますし……」
「いきなり畑でやるには難易度が高いよな。ひとまず、俺やマルクトがやっているように植木鉢で育ててみたら?」
「そうですね。そうしてみます」
俺もマルクトも畑の方までは手が回らないから、ラッツェが収穫量を上げる研究をしてくれるのは助かる。
「植木鉢で何を育てるんだ?」
「タコウカをやってみようかと思います」
「タコウカって発光植物の?」
「はい。サラーティン都市では当たり前のように見かけていたんですけど、タカクス村だと育ててませんし、ちょっと懐かしさもあって」
タコウカは都市などの空中回廊で回廊脇に植えられている植物だ。
二年草で、一年目の終わりに花が咲くと同時に葉に色が付き、以降枯れるまでの一年間葉っぱを光らせ続ける。
その特性から空中回廊などで安価な光源として利用される植物だ。
ラッツェは使ったコップを洗いながら、話を続ける。
「タコウカは育てる時に強い光と炭を混ぜ込んだ土が必要らしいです。タカクス村の堆肥って炭も入っていましたよね?」
「あぁ、入ってるよ」
ランム鳥の糞から作る堆肥だけど、おが屑や炭などもかなり混ざっている。飼育小屋に撒いてあるため、フンをかき集める時に一緒に集めて発酵させているのだ。
タコウカの栽培に適しているともっぱらの評判で、行商人が高値でこの堆肥を買っていく理由でもある。
タコウカは町などの人口密集地で空中回廊が存在する場所では必ず需要がある上に、発光期間は一年だけだ。そのため、けっこう売れる商品でもある。
けれど、世界樹南のワラキス都市とガメック都市のおもな輸出品でもあるタコウカは、花が咲かない限り発光色が分からないという欠点がある。時には葉の色が黒になり、発光しても分からない事さえあるのだ。
葉の色が遺伝で決定されるのならば、安定した栽培と輸出ができるだろう。
「タコウカの色を制御する実験はワラキス都市とガメック都市がやっていた事がある。ヨーインズリーに資料があるはずだから、写本を取り寄せようか?」
「いいんですか?」
「同じ失敗をしたらつまらないからな。研究するなら、資料の作り方も説明するから、いつでも来てくれ」
「ありがとうございます」
ラッツェに礼を言われながら、俺は厨房を出る。
食堂を覗きこんで俺を探していたらしいリシェイが、俺に気付いて駆け寄ってきた。
「カッテラ都市とケーテオ町から使者が来てるわ」
「連れ立ってきたのか?」
「そうみたい。ランム鳥の品種改良の進捗状況が知りたいそうよ」
応対はメルミーがしているとの事で、俺はリシェイと一緒に事務所に向かう。
食堂に放置されている講義資料の片づけは、申し訳ないけどラッツェに頼んでおいた。
「でも、なんでカッテラ都市とケーテオ町の使者が気にするんだ? ランム鳥を育てられる場所じゃないから、品種改良の進捗状況なんて気にしなくてもいいだろうに」
カッテラ都市やケーテオ町は人口密集地だ。
いくら世界樹北側ではランム鳥の飼育がほとんど行われていないとはいっても、新たに参入するには住民の理解を得るのにかかる労力が半端ではない。
そう思っていると、リシェイが考えを話してくれた。
「タカクス村のランム鳥はケーテオ町にとっては貴重な栄養だもの。コヨウの肉も出回っているけれど、ランム鳥の卵ほど安定して数を確保できないから、品種改良に失敗したランム鳥が全滅したりすると困ると考えたのよ」
「なるほど。カッテラ都市の場合はそれに加えて燻製品に加工して他の地域に輸出しているから、品質が向上するなら恩恵にあずかれるかもしれない、と」
「えぇ、燻製品なら世界樹の東や西へも輸出できるし、品種改良で味がよくなったらカッテラ都市の燻製技術もあって売り出せる範囲も広がる、と考えたのでしょうね」
そう考えると、タカクス村の特産品となっているランム鳥の動向を世界樹北側の都市や町が気にするのも当然か。
事務所に入ると、カッテラ都市とケーテオ町の使者がハーブのクッキーを齧ってメルミーと歓談していた。
使者はどちらも女性で、年齢は三百歳ほど。比較的若いけれど、着ている服はバードイータースパイダーの糸で作った高級品だ。
おそらくは古参の一族だろう。タカクス村のランム鳥の重要性を考慮しつつ、平均年齢が低いタカクス村を相手に経験豊富な老齢の人物を回して不信感をもたれることを恐れたのだろうか。
「お待たせしました。タカクス村で村長をしております。アマネです」
挨拶を交わし、ソファに座る。
リシェイの予想通りにランム鳥の品種改良についての懸念を前置きとして使者の二人は、おもむろに進捗状況を訊ねてくる。
「タカクス村では遺伝子説の立場を取って品種改良を行っているとか。血が濃くなることで奇形が生まれやすくなったり、出生率が落ちるという弊害を聞きます。率直にお聞きします。現在のところ、弊害は見られますか?」
「現状では起きてないですね。飼育記録にも、産卵頻度に影響は出ていません。奇形についても同様です」
「飼育記録をお見せいただくわけにはまいりませんか?」
「特別施設の資料は村の内部だけで共有している段階です。お見せできませんね」
いくらカッテラ都市やケーテオ町がランム鳥の飼育をしていないと言っても、研究費用を出してもらってるわけでもないのに研究結果につながる資料の閲覧なんて許可できない。
俺の返答は想定していたのだろう。使者は二人とも頷いた。
「タカクス村とキダト村の合併の噂もありますが、合併後もランム鳥の事業は続けるおつもりですよね?」
「拡大する事になると思います。キダト村の方とも合意を形成しています」
「では、輸出量に影響は出ないと?」
「その予定です」
ケーテオ町の使者は俺の回答に満足したようだったが、カッテラ都市の方はまだ何か考え込んでいる。
人口の問題で、カッテラ都市はケーテオ町よりもランム鳥事業の動向による影響が出やすいからだろう。
「γ系統のランム鳥を毎月カッテラ都市へ納入していただく契約を結ぶことは可能でしょうか?」
産卵頻度が落ちる可能性のある品種改良種ではなく、γ系統種を納入させる契約をタカクス村と結び、タカクス村が品種改良種に比重を置きすぎて事業破たんする可能性を減らそうという考えだろうか。
「ありがたいお話ではありますが、お断りさせていただきます。他の取引先もありますので」
「タカクス村の負担が少なくなるよう、調整する事も可能です」
よほどランム鳥という蛋白源が重要なのか、カッテラ都市の使者が食い下がってくる。
しかし、リシェイが俺の代わりに発言した。
「キダト村との合併に向けて動いている最中でランム鳥の事業規模を急速に拡大するだけの資金がありません。また、品種改良にも人手を割いていますから、数を確保するのは難しいんです。ご理解ください」
「……分かりました」
リシェイがきっぱり断った甲斐もあり、カッテラ都市の使者は提案を引っ込める。
俺はフォローするべく、愛想笑いをしながら声を掛けた。
「タカクス村としても、ランム鳥は重要な輸出品です。品種改良に成功したとしても、γ系統種は引き続き飼育していくと思います」
「それならいいのですが……」
カッテラ都市の使者は言葉を濁して俺とリシェイを見た後、ため息を吐いて続けた。
「ここ最近、若者が各地で村を興している話は知っていますか?」
「タカクス村や南のアクアス村ではなく、ですか?」
タカクス村ができてまだ十年経っていないため、この世界の平均的な感覚からすると最近の範疇だ。
しかし、カッテラ都市の使者は首を横に振った。
「タカクス村とアクアス村……アクアスはもうすぐ町ですが、両方とも火付け役にすぎません」
「火付け役ですか。すると、他にも村ができてきていると?」
「そうです」
あまりいい話では無いようで、カッテラ都市の使者は深刻な表情で頷いた。
「タカクスとアクアスの急速な発展と成功を見て、商会に勤めていた若い商人や独立したばかりの若手職人などが各地で村を興しています。都市規模の創始者たちは会合の席を設けて動向を見守っていますが、良くない傾向です」
カッテラ都市の使者の話では、村を興した若い者達にはやや場当たり的な動きが見えるという。
タカクスにはランム鳥、アクアスにはアユカという特産品があり、周辺の村や町と競合が起きなかった事、若手の村長ながら経営陣を揃えてから村を興した事もあって成功した。
世界樹広しといえども他に存在しない特産品であるアユカを持っていたアクアスは、当初ミッパという水を多く必要とする野菜を主に輸出して資金を稼いでいた。
タカクスはランム鳥を世界樹北に輸出しながら、それでも資金難に長らく喘いでいた。村長である俺が魔虫狩人であり、同業への伝手もあったために糊口をしのぐことができたし、宿の建設による観光事業、教会の建設に伴う結婚事業の成功で一気に経営が流れに乗ったという背景がある。
「タカクス村長のアマネさんは多芸でいらっしゃるから、何とかやってこれたのだと思います。何より、アマネさんもケインズさんも建橋家ですから、建物を作る際のデザイン料がかからない上、商会や工務店に伝手があるのが非常に大きい」
「確かに、建橋家が村にいれば支出が大きく減らせますね。でも、それはいま村を興している人たちも分かっているのでは?」
「分かっていても、用意ができるかどうかは別問題です。そして、往々にして行動力と決断力が誤った方向に発揮される」
「……人材がそろっていない村おこしが多くみられる、と?」
「その通りです」
俺はリシェイやメルミーを横目に見る。どちらか一人でもいなかったら相当苦労していただろう。
ビロースやマルクトなどもそうだ。
「タカクス村に限らず、古参の住人というのは運営にかかわる重要な役割を担っている場合が多い。それは、古参住人が村の黎明期を支える人材だからです。村の経営が傾いた段階で人材を揃えようとしても時間が足らずに破綻する。それが、いま村を興している若い方たちが理解できていない部分です」
「お話は分かりました。ですが、それがタカクス村のランム鳥とどのような関係が?」
リシェイが結論を促すと、カッテラ都市の使者は一つ頷いて口にした。
「数年以内に、あちこちの村が破たんして難民が発生、近隣都市に流れ込んで食料事情を圧迫する事態を我々カッテラ都市は懸念しています」
だからこそ、世界樹北側の重要なタンパク源であるタカクス村のランム鳥の規模が縮小する可能性は潰しておきたいらしい。
都市ともなると、自分たちの事だけじゃなく周辺地域の尻拭いをしないといけないのか。
「その若者の村に支援などは?」
「接触を図ってはいますが、何分、独立気風が強いものですから」
「独立気風……」
メルミーさん、なんで俺の事を見るんですかね。
そりゃあ、ケインズに誘われた時に断って、あくまでも自分の村を作ることにこだわったのは俺だけどさ。
「お話は分かりました。γ系統種の飼育規模拡大を前向きに進めましょう」
「ご理解いただけて幸いです。この件に関してはカッテラ都市もご相談に乗りますので、連絡を密に致しましょう」
「よろしくお願いいたします」
俺は立ち上がって、カッテラ都市の使者と握手をした。