第二十話 品種改良の進捗
キダト村との合併話を進めて二年が経過した。
並行して進めてきたランム鳥の品種改良に効果が現れたことに気付いたのはやはりというべきか、マルクトだった。
「味の評価結果が上向いてきています」
マルクトが掲げた評価の集計結果はグラフにしてあった。
ランム鳥の味の評価方法は、焼き、蒸し、燻製の三通りに調理したそれを二切れずつ用意するところから始める。
特別施設で育てているランム鳥の三グループから無作為に二羽ずつ、さらに飼育小屋からさらに二羽を〆て、適当に番号を振り、どこから来たランム鳥かを評価者に知られない様にしてから供し、評価するという形式だ。
最初は横並びでさほど違いの分からなかった特別施設のランム鳥は、次第に味を明確にしてきた気がする。
まだ、普通のランム鳥と混ざっていると知っていれば見つけられる程度で、事前情報がないと判断に苦労するとは思うけど、進歩しているというその一点だけでもマルクトが興奮する理由になるのだ。
「遺伝子説は間違ってませんよ、村長!」
「とりあえず暑苦しいから落ち着け」
飼育小屋に呼ばれてきてみれば、この興奮ぶりである。
俺は飼育小屋の管理人室に置かれている椅子に腰かける。
「遺伝子説の証明とするには、ランム鳥の品種改良の成功は具体的に説明ができない。見て分かる特徴ではないからな。ただ、方向性として間違ってないと判断してもよさそうだと俺も思う」
評価者の感覚だよりの味という評価項目だから、バイアスが掛かりやすくて遺伝子説を後押しするのが難しい。
とはいえ、俺たちの目的は遺伝子説の証明ではなくランム鳥の品種改良にあるから、どうでもいいと言えばどうでもいい。
「しいて言うなら、ヨーインズリーの学者さんたちから研究費名目の支援を引っ張ってこられないという点が痛いかな」
「特別施設の運営費用はそんなに切迫しているのでしょうか?」
マルクトが心配そうに訊ねてくる。
「いや、大丈夫だ。ただ、今後は外からランム鳥を購入して優秀な個体を選別、掛け合わせる方法を取るだろう? 品種改良を推し進めるのなら費用はいくらあっても無駄にはならないからさ」
今まではタカクス村のランム鳥の中から優秀な個体を掛け合わせてきたけれど、外から血を入れておきたいとも思っている。
「マルクトなら、どこのランム鳥が美味しいとかの噂を聞いたりしてないか?」
「先日のキダト村との交流会で聞いた話では、二百年ほど前に西の方の村で美味しいランム鳥を出すところがあると」
「なら、手始めにその村と交渉して取り寄せてみようか」
「いえ、その村はすでにランム鳥事業から手を引いているそうです。産卵頻度が極端に減って、断絶したと」
近親交配を繰り返したかな。
「じゃあ、コマツ商会経由でいくつかの村から取り寄せて、選別する事になるかな」
管理人室の窓から飼育小屋の中を覗く。
γ系統種が百二十羽ほどひしめき合っている。それでも、スペースはまだ余裕があるだろう。
「村長、β系統を入れて見ませんか?」
「β系統かぁ」
味に優れるも縄張り意識が強く気性が荒いため群れ飼いができない系統種だ。
品種改良用に仕入れるのはありかもしれないけど、値が張る。
「γ系統種でもう少し頑張ってみてくれ。β系統は血を薄めるのに利用したい」
「分かりました」
俺は味評価の集計結果に加えてハーブの栽培記録をマルクトからもらい、飼育小屋を後にする。
春めいたぽかぽか陽気の下を歩き、事務所に到着した。
「ただいま」
「おかえりなさい。どうだったの?」
マルクトと話した内容をそのまま伝えると、リシェイは頷く。
「β系統種を購入するのは見送りね。コマツ商会から手紙が来ていて、αやβを仕入れるかどうか聞かれていたわよ」
「コマツ商会長は本当、目端が利くというか商機に敏感だよな」
そうでなくちゃ、摩天楼ヨーインズリーで商会経営なんてできないのかもしれないけど。
まぁ、ランム鳥の品種改良に協力的な人が多いに越したことはないし、コマツ商会長は頼りになる。
作業室に入って着替えを済ませ、事務室に戻る。
エプロン姿のリシェイが、箒と水桶、布を持ったお掃除スタイルで待っていた。
「はい、箒」
「掃き掃除はリシェイがやればいいよ。春らしい陽気とはいえ、まだ風は冷たいんだし、俺が水拭きする」
桶と布を受け取って、俺は窓の掃除から取り掛かった。
「メルミーはテテンと一緒に燻煙施設の掃除か?」
「えぇ、冬の間の汚れを落とすそうよ。帰ってきたら煤まみれだろうから、体を拭けるように準備をしておいた方がいいかしらね」
掃除を続けながら言葉を交わしていると、事務所の呼び鈴が鳴った。
リシェイと顔を見合わせる。
雪が溶けてやや暖かくなってきたこの時期、タカクス村はどの家も大掃除をしている。事務所を訪ねる暇がある者はほとんどいないのだ。
「俺が出るよ」
「お願い」
エプロン姿のリシェイを応対させるわけにもいかないので、俺は玄関に向かう。
玄関先にいたのはビロースだった。宿の主であることを示すエプロン姿である。
「村長、ちょっと相談だ」
「いま、中が散らかってるんだ。ここでいいか?」
「あぁ、大掃除中なのは知ってたんだ。時間を取らせてすまねぇな」
ビロースが申し訳なさそうに頭を掻く。
俺は後ろ手に玄関を閉めて、ビロースに向き合った。
「それで、用事っていうのは?」
「例の、ランム鳥好きのお客さんが来た」
リシェイ専用の卵料理が生まれるきっかけになったあのお客さんか。
年に数回の頻度で来てくれている上得意だったけど、この一年ほどは仕事の出張で世界樹西側へ行かないといけないとかで来ていなかった。
そうか、帰ってきたのか。
「それで?」
「ランム鳥の品種改良の話を聞いたらしいんだ。ぜひとも味わいたいとさ」
そう言って、ビロースが特別施設の方を振り返る。
品種改良はまだまだ途中段階だし、個体の数は一羽単位で俺とマルクトの管理下にある。勝手な持ち出しは厳禁だし、特別施設に入る専用の鍵は俺とマルクトしか持っていない。
「まだ味にそこまでの違いはないって話はしたのか?」
「ウチのかみさんが話をしたんだが、どう変わったのかを知りたいんだとさ」
ビロースの奥さんである宿の若女将も味の評価に参加しているから、割と詳しく話したはずだ。
それでも食べたいというのなら、断る事もないか。
「宿に他のお客はいなかったよな?」
「あぁ、春になったばかりのこの時期にタカクス村に来るお客さんはそうはいないからな」
「分かった。マルクトの許可が得られたら俺のところに来てくれ。俺からもお客さんに話をしておきたい」
まだ品種改良の途中でしかない改良ランム鳥の味について、部外者の意見を聞いてみたいというのもあるけど、一番は口コミで広まらない様にするための釘刺しだ。
今回はあくまでも特例だと言っておかないと、他のお客さんにまで振る舞う事になりかねないからな。
マルクトの了解も得て、宿で特別施設産の改良ランム鳥が供されることになった。
厨房で若女将が調理している間に、俺はランム鳥好きのお客さんと宿の食堂で面会する。
「アマネさん、いつもわがままを言ってすみません。話を聞いて、いても立ってもいられなくなりまして」
肩まで届く茶髪のそのお客は、俺を見るなりそう言った。
「いえいえ、お得意様ですから。でも、今回だけですよ? まだ改良も途中段階なので、味の保証もできません」
まだまだ先がある。この程度では完成にほど遠い、とはマルクトの言葉だけど。
お客さんと同じテーブルに着き、ビロースに声を掛ける。
「燻製マトラと野菜のスープをくれ」
「なんだ、村長も食っていくのか?」
「軽くな」
ビロースとの会話を聞いて、お客さんが窓を見た。
「風が出てきましたか」
「けっこう冷たい風ですよ。おかげで体が冷えてしまって」
「それでスープを……すみません、自分にも同じスープを貰えますか?」
「はいよ。スープを二人前ね」
ビロースが厨房の若女将に注文を伝えに行った。
俺はお客さんに声を掛ける。
「西に行ってらしたそうですね。ランム鳥は食べましたか?」
「えぇ、もちろん。西に行ったら食べないとでしょう」
お客さんは味を思い出したのか相好を崩した。
世界樹の西、ビューテラーム方面で飼育されているランム鳥は主にβ系統種だ。群れ飼いができないものの、味に優れているβ系統種はビューテラーム周辺の料理に多大な影響を与えていると聞く。
「こちらで食べるランム鳥の倍近い値でしたから、頻繁には食べられませんでした。しかし、あの肉汁の美味さ、しっかりとした肉の主張は忘れられませんよ」
流石はランム鳥好きだけあって、マルクトと言っている事が似通っている。
だが、おおむね同意だ。β系統の肉はとにかく旨味が強い。
お客さんの思い出話は続く。
食道楽のお客さんらしく料理の話が多い。
「そうそう、南にあるアクアス村の特産だという奇妙な肉の話をご存知ですか?」
「えぇ、食べたことがあります。あちらの村長とは知り合いですから」
「それは羨ましい!」
お客さんが身を乗り出してきた。本当に食べることが好きらしい。
「どうも流通量が少ないようで、二回しか食べられませんでした。一度は燻製にした切り身、その次はスープの出汁に使われているとの事で崩れた身が少量スープに沈んでいたのです。いままで味わった事のない食感、あっさりとした味でした。スープに沈んでいた崩れた身は綿のような柔らかな口当たりで、β系統のランム鳥の旨味との相乗効果が得も言われぬ――」
お客さんは天使にでもあったように滔々と語りだす。
大規模養殖に成功したアクアスの淡水魚アユカは足が早いため燻製にした物が流通している。
ビューテラーム方面で見かける事が多いのは、元々ビューテラームに事務所を構えていたアクアスの村長であるケインズがその伝手を使うと西に比重が偏ってしまうからだろう。
お客さんの話を聞いている内に調理が済んだようで、若女将が料理を運んでくる。春が来たばかりのこの時期に宿に客が来ることはまずないため、従業員が若女将しかいないのだろう。
「お待たせしました」
テーブルに置かれたのは俺が頼んだ燻製マトラのスープ、お客さんの前には同じものと一緒にランム鳥のモモ肉のソテーが置かれた。
もも肉のソテーはトウムパンで作ったパン粉をまぶしてカリカリに焼き上げたものだ。
さっそくナイフを取ったお客さんがもも肉を切り分けようと刃を入れる。
「柔らかいですね。繊維が短いのか、あっさりと切り分けられる。何かに漬けた様子もない」
一口食べたお客さんが感心したように言う。
「それに、肉の色が赤いような……」
食べ慣れているだけあって見た目の特徴にも気付いたようだ。
特別施設で育てているランム鳥の肉は繊維が短く柔らかい上に、肉が赤い。この赤さは世代を経るごとに次第に濃くなっているようにも思え、近親交配の影響かも知れないとヨーインズリーの文献やゴイガッラ村の飼育記録を問い合わせている。
今のところ、近親交配の影響ではなさそうだという事で結論つけられてはいるけれど、懸念材料の一つではある。
「味はそこまで変わっていないようですね。臭みがほとんどないですが、味そのものは向上しているようにも思います。まだβ系統と張り合う事は出来そうもないですが、去年の味からは間違いなく向上している」
「良い舌を持ってますね。こちらも似たような意見でまとまってるんですよ」
まだまだβ系統種の足元にも及ばない。
「――ただ、β系統種とは方向性の違いがすでに明確になっています」
お客さんが鋭い目をもも肉のソテーに向ける。
「品種改良の結果は確かに現れていますね。ヨーインズリーの研究者が資料を欲しがるのでは?」
「どうでしょう。実はこの品種改良計画が動き出した頃に虚の図書館長がタカクス村に訪ねてきたんですよ」
摩天楼の重鎮である虚の図書館長直々と聞いて、お客さんが唖然とした顔をする。
「……凄い大物が来てたんですね」
「液状伝達説が現在の学会では主流との事で、品種改良計画案が遺伝子説にのっとって組み立てられている事を知って帰って行きました」
「学説の事はよく分かりませんが、味が改善されているのは事実です。資料価値はありそうですけどね」
お客さんが首をかしげる。
「まだ、味の違いが分かる人は少ないですし、味と言うのは数値化できない指標ですから品種改良計画の効果と断言できないんですよ。タカクス村としても、遺伝子説の証明自体に興味がないですから、なるようになれとしか思いませんね」
「我々客の立場としては、美味しいランム鳥が食べられるだけでありがたいです。計画の成功を祈りつつ、このソテーを味わわせていただきますよ」
そう言って、お客さんは美味しそうにランム鳥のソテーを口に入れた。