第十七話 キダト村
夏も終わり、秋らしく涼しい風が吹きぬける。
俺は事務所の裏にある鉢植えにジョウロを傾けた。
第三世代のハーブたちもかなり生い茂ってきた。それでも、ここにある葉っぱが割れていない一群はまだ純正ではないため、先割れがいくつか芽吹いていた。
水をやり終えた俺は、事務所の窓に立てかけておいた調査票を手に取る。
「さてと、先割れはいねぇがぁ」
なまはげスタイルにハーブの葉っぱを確かめ、先割れの株を間引いて行く。
三十株中三株が先割れか。
調査票に番号を記載する。
コンタミする事もあるだろうし、これ以上先割れの割合が減ることはなさそうだ。
実験はこのまま継続してデータを取る事にしよう。
事務所の壁に背中を預け、第三世代までの調査結果を見比べる。
予想通り、このハーブは葉っぱの先が割れる劣性遺伝と、割れない優性遺伝を持つ。
まだデータは少ないため遺伝子の存在を確証できないけれど、法則性はおぼろげながら見えていた。
マルクトから預かっている花の色のデータを見る。
赤、桃、白の花の色があるが、マルクトの研究を見ていくと、花の色を決定する遺伝子に優劣がない事が分かる。
赤と白を掛け合わせれば桃色、赤と赤なら赤、白と白なら白となる。
桃色は雑種なのだろう。
「遺伝子は存在する、とみていいか」
結論はほぼ出たけれど、データ採取のためにハーブの育成は続けることにしよう。
このハーブが好きなリシェイも喜ぶし。
「早く花が咲いてほしいな」
冬までに第四世代の種を取って撒いておきたい。
鉢植えのハーブに先割れが混ざっていないかを再度確認してから、俺は事務所の窓を叩いた。
リシェイやメルミーと話をしていたテテンがソファから立ち上がって面倒くさそうに歩いてきて、窓を開けた。
「……なんだ、こら」
「テテンよ、なぜ喧嘩腰なんだ」
「乙女会話、邪魔された。……絶対、許さない」
「そうか。まぁいいや。ランム鳥の飼育記録を取ってきてくれないか?」
「なんで――」
「なんで俺の言う事を聞かないといけないのか、だろ。……事務所の中に戻ってお前らの会話に混ざってもいいんだぞ?」
「っく、卑怯な……。しばし、待て」
扱いやすいなぁ、こいつ。
書棚から飼育記録を取ってきたテテンが窓越しに俺へ差し出してくる。
「ありがとう」
「うむ。くるしゅうない……」
飼育記録を受け取って、礼を言うと、テテンはおかしな答えを返してソファに戻って行った。
窓を閉めようとすると、リシェイと目が合う。
「アマネ、窓は開けておいて。換気しておきたいの」
「オッケー。じゃあ開けておく」
窓を開け放したまま、俺は飼育記録を開いて座り込む。
鶏なんかだと、とさかに遺伝の法則が当てはまるんだったか。
ランム鳥にはとさかがない。それでも、ランム鳥愛好家マルクトの飼育記録を読んでいくと羽根の色に遺伝法則が適用できることがすでに分かっている。
羽根の色と肉質には関係がないため、資料的な価値しか今のところ見いだせていないのが事実だ。
現在稼働中の特別施設では三つのグループに分けたランム鳥から優秀なモノを選別するやり方をしている。
特別施設産のランム鳥はまだ第一ないし第二世代で、飼育小屋との味の違いはほとんどない。マルクトの他、俺やメルミー、宿の若女将といった味覚が優れている者だけで味の評価をしている段階だ。
十世代くらい重ねていけば味の変化も分かるかもしれないけれど、今のところは金食い虫だな。
飼育記録を眺めていると、事務所の中からリシェイ達の会話が漏れ聞こえてくる。
「――それでね、ビロースさんが若女将と一緒に矢羽橋を歩いていたんだけど、その時に手を握ってたのよ。ぎこちなく」
「あはは、最近ビロースさん夫婦ってよく散歩してるよね。雨でも雪でもさ」
「……宿は仕事場所、とか、いってた」
ビロース夫婦の話をしているらしい。
そう言えば、二人が並んで散歩しているのをよく見かける。手を握っているところは見た事ないけど。
「良いよねー。あんなふうに二人きりでデートしてみたいよ」
メルミーが弾んだ声で言う。
「な、なら、某と……」
テテンが焦りすぎて無茶苦茶な一人称を口走る中、事務所の呼び鈴が鳴らされた。
会話が途切れ、リシェイとメルミーの足音が聞こえる。
リシェイは訪問者に応対するため玄関に向かったらしく足音が遠のいていく。
「――残念だったねー。デート計画は自分で組み立てなきゃだめだよ、アマネ」
窓からひょいと顔だけ出したメルミーが俺を見て悪戯っぽく笑う。
「何の話か分からないな」
「本当かなー?」
くすくすとからかうように笑いながら、メルミーは俺から飼育記録を受け取った。
「表に回りなよ。お客様とお話ししないとでしょ」
「あぁ、そうする」
俺はジョウロを片付けて玄関に回り込み、事務室に入った。
リシェイが先に通したのだろう客人が事務室で俺に一礼してくれた。
「キダト村で村長をやっております」
そう言って、頭を下げるのは八百を超えていそうなご老人だった。
キダト村と言えば、タカクス村からは徒歩四日ほどかかる、別の枝にある村だ。良く晴れた日には遠くにその姿が見える。
「お疲れでしょう。どうぞ座ってください」
キダト村から来たのであればカッテラ都市を経由して四日ほどかけてきたはずだ。
八百歳の老人には少々辛い道のりだったはずである。
「どんな用事か知りませんが、手紙を頂ければこちらから出向きましたよ?」
もう暑い季節は過ぎたとはいえ、長旅がつらい事に変わりはない。
事務室のソファに座ってもらい、リシェイにお茶を用意してもらう。
キダト村長は旅装を解きながらほう、と息を吐いた。
「いえ、一度タカクス村に足を運び、この目で見ておく必要がありましたので。話には聞いていましたが、良い村です。行商人伝てに聞いた通りですね」
よくタカクス村で卵や肉を買っていく行商人がキダト村にも訪れるらしい。
俺も商談中に情報収集として周辺の村や町の事は聞いているけれど、キダト村についてはあまりいい話を聞いたことがない。
別に住人の素行が悪いとかの話ではなく、高齢化が進んで閉塞感が漂っているという噂があるのだ。
村長を相手にそんな話をするのも不作法なので口に出すことはない。
「今日は旅の疲れを取って頂いて、明日にでも村を案内しますよ」
「それはありがたい」
キダト村長はリシェイからお茶を受け取って一口飲むと、改めて俺に向き直った。
「では、本日タカクス村にお邪魔した理由をお話しさせていただきます」
キダト村長は鞄から一冊の名簿を取り出した。
人口百五十人近い今のタカクス村の名簿も小冊子くらいの厚みになっているけれど、キダト村長が出したそれはまさに本と言うべき厚みがあった。
「こちらはキダト村の住人名簿です」
「住人名簿……なんだってそんな物を」
「タカクス村に合併を申し込みたい」
え、合併?
大きくなった村や町、都市が隣接した村などを吸収合併する事例はある。
けれど、キダト村とタカクス村は別の枝にあり、隣接なんてしていない。
話がすっ飛ばされている気がして、俺はキダト村長に質問する。
「合併って、タカクス村とキダト村でって事ですよね。規模を考えるとキダト村が主体になる話だと思うんですけど」
正直、そんな条件、一考の余地もなく蹴る。
リシェイも俺の隣に座って難しい顔をしていた。
キダト村長は俺に名簿を差し出してくる。
「主体はタカクス村の方です。一からご説明させていただきましょう」
名簿を受け取った俺に、キダト村長が話を続ける。
「実は先日、うちの村の建築家が亡くなりました。享年九百七十歳、本人も良く生きたと笑っておりましたから、満足でしょう」
村の建築家が亡くなるとどうなるか。
まず、村のある枝の測量を執り行う者がいなくなる。限界荷重量の算出など、村に住まう建築家や建橋家の仕事は重要度の高い物が多い。
大概は周辺の村や町から建築家、建橋家を派遣してもらって測量や算出を行ってもらう事になる。
キダト村がタカクス村に吸収合併を申し込む直接的な理由にはならないはずだ。
キダト村長が続ける。
「我がキダト村は五百年ほど前に始まりました。私が興した村です。しかしながら、特産品もなく、特に目立つような村ではありませんでしたから二百年ほどで人の移住も途絶え、細々やってきたのです」
俺はリシェイに横目で確認を取る。無言の頷きが返ってきた。
キダト村長の言う通りなのだろう。
キダト村の住人名簿を開くようにキダト村長に言われ、開いてみる。
おおよそ四百人分の名前が書かれていた。高齢者がかなり目につく。
ページを何度かめくってみて、俺はキダト村長を見た。
「現在のキダト村の平均年齢は?」
「七百五十歳です。どこに出しても恥ずかしくない、高齢化した村ですね」
行商人から話を聞いてはいたけど、平均年齢七百五十歳となるとテコ入れしなければ村が存続できなくなるかもしれない。
ここまで高齢化が進むと村の中で新しく子供が生まれても焼け石に水だろう。
村の建築家が亡くなった事で、外から建築家や建橋家を派遣してもらう手間をかけるくらいなら、いっそタカクス村に吸収してもらおうという考えだろうか。
俺の予想を肯定するように、キダト村長が口を開く。
「現在急成長しているタカクス村と合併し、キダト村を形だけでも残したいのです。どうか、ご検討くださいませんか?」
検討と言われても、現在のタカクス村の人口が百五十人。対してキダト村が四百人だ。
人口がいきなり四倍弱に増えるこの合併を受け入れると、どんな弊害があるか分からない。
タカクス村が主体と言う事は会議を開く場合でも俺やリシェイなどのタカクス村古参の意見だけで政策決定を行える。自治に関してはさほど問題はない。
あるとすれば、住民間の軋轢だろうか。
「何分、大きな話ですから即決は出来ません」
「もちろん、すぐに答えが欲しいとは言いませんとも。会議も必要でしょうから」
俺たちを急かすつもりはないらしく、キダト村長は穏やかに笑いながらお茶を飲み干した。
リシェイがキッチンにいるメルミーを振り返る。
「メルミー、キダト村長を公民館に案内してあげて」
「うん、分かったー」
眠そうに目を擦りながらキッチンから出てきたメルミーがキダト村長を公民館へ連れて行く。
メルミーとキダト村長が出て行ってから、俺はリシェイに声を掛ける。
「どうする?」
「どうしましょう?」
リシェイさんでも即決できませんよねー。
「キダト村と合併するとしたら、どうなるかな。まず直通の橋を架ける必要は出てくるよな」
「そうね。工費はどれくらいかしら?」
俺はソファから腰を上げて、書棚に仕舞ってある地図を取り出す。
タカクス村から枝を一つ越えた先にキダト村はある。距離にして四キロメートルくらいだろうか。
途中にある枝を利用して橋を架ける事を考えても、支え枝による橋脚の設置が必要になる距離だ。
やるとすれば吊り橋か。
「途中にある枝を経由させるから橋は二本に分ける」
途中にある枝は波打つようにアップダウンを繰り返しながら空へ伸びている。タカクス村やキダト村のある枝との高低差を考えると、架ける橋の位置が限定されるだろう。
タカクス村とキダト村の直通ルートとしての橋だから、可能な限り直線で作りたかったけれど、地図を見る限りでは途中の枝との高さが合わずに難しい。
工費を抑えることを念頭に置くと、内海大橋のようなくの字型の橋になる。
「橋二本、総額は玉貨三十枚くらいかな」
最低でも三十枚。天候不順などの影響で作業中断となればさらに費用が掛かる。
これは無理だな。
リシェイも帳簿を開きつつ、首を横に振る。
「無理ね。捻出できる額ではないわ。それに、キダト村の資金繰りも気になるわね。借金があったら、合併時に私たちが支払う事にもなりかねない」
「キダト村の資金繰りについてはカッテラ都市なり、コマツ商会なりに調査してもらおうか。もちろん、村長さんにも聞いておくけど」
メリットとデメリットについて整理した方がいいかもしれない。
俺はソファに座り直し、合併時の諸問題を列挙する。
「合併時に起こるのは、住民間の争いがまず一つ」
思い起こされるのは雪揺れの被災者を受け入れて人口が増加したケーテオ町だ。
ケーテオ町では喧嘩が頻発していた。
リシェイが帳簿を閉じて、代わりに口を開く。
「さっきも言ったけど、財務関係の統合で生じる問題もあるわね」
借金などの返済にタカクス村が巻き込まれるリスクだ。これについては明日にでもキダト村長に聞いておかなくてはならない。
「次に橋を架ける資金だな」
「住民間の仕事の奪い合い、は考えなくてもいいかしら?」
「……無問題」
キダト村の名簿をめくっていたテテンが答えた。
キダト村は農業が中心で、燻製作りを行う熱源管理官が一人、午後にだけ営業する湯屋に常駐する熱源管理官が二人いるらしい。他にも家具を専門に作る職人が何人か。
タカクス村との競合が起こらない。
「……ただ、年寄り多め。介護、必要、かも?」
介護人を出すとするとなると、タカクス村の人手が減ってしまう。
キダト村の住人四百人がすべて要介護者と言うわけではないものの、人口百五十人のタカクス村が支えるのは荷が重い人数だ。
デメリットをいろいろ挙げたけれど、もちろんメリットも存在する。
「キダト村を吸収する事で畑が増えるのは大きい。キダト村の技術や設備を取り込めるっていうのもあるな」
キダト村には燻製施設や湯屋がある。熱源管理官も常駐している。
燻製作りはその熱源管理官の秘伝だったりするけど、合併によりタカクス村で採れたランム鳥の卵や肉をキダト村の技術で燻製にして売り出すという方法がとれる。
湯屋も衛生面の向上に一役買うだろう。
「将来的には合併を視野に入れるとして、いまは交流に留めた方がいいと思うわ。キダト村長とも相談して、橋を架ける準備として支え枝を行えば、キダト村の人たちも閉塞感から解放されるでしょう?」
リシェイはキダト村の高齢者を放っておけないのだろう。
橋を架ける準備さえしておけば、キダト村の人たちもタカクス村との行き来が楽になる見通しができ、介護の手を心配せずに済むようになる。
「支え枝だけでも玉貨六枚は必要になると思った方がいい」
「キダト村と費用を折半しましょう」
「それができなかったら別の計画を立てる方がいいな」
無い袖は振れないわけだから。




