第十六話 虚の図書館長
「お世話になりました!」
揃えて頭を下げ、春先に四人組はヨーインズリーへ帰って行った。
お土産にランム鳥の燻製肉と燻製マトラを持たせてある。日持ちのする食料だし、よほど管理の仕方が悪くなければ道中で腹を壊す心配はないだろう。
四人組は雪解け道を進んできた行商人に預けてあるので、また遭難する事はまずないだろうし。
他に何か見落としている事はないだろうか。
「歯ブラシ持ったかな?」
「お父さんか!」
メルミーに突っ込まれた。
「いや、遠征の時とかを思い出すと、どうにもあの四人組が頼りなくて心配になるんだよ」
「それには同感ね」
リシェイがこくりと頷く。
「体力なし、記憶力なし、行動力あり、思慮が浅い。典型的な失敗する人の人物像だもの」
「リシェイちゃんがものすごい勢いで貶し始めた!?」
「メモを取って何度も読み返すように指導したから大丈夫だとは思うのだけど、あの四人組だけで今後も活動するのなら心配よね」
「俺もそう思って、ヨーインズリーで活動してる知り合いの魔虫狩人に紹介状を書いておいた。厳しいけど面倒見がいい奴だから、ヨーインズリーに帰り着けば酷い事にはならないだろう」
「それなら安心ね」
「子供を送り出す夫婦の会話だ、これ」
メルミーのツッコミを聞き流しつつ、事務所へ歩き出す。
春の陽気に雪かきを免れた名残雪たちが溶かされ、樹皮の隙間を雪解け水が流れていく。
春が来たからには、冬の間に計画していたランム鳥の品種改良を行う特別施設の建設を行わなければならない。
事務所に到着した俺は設計図を書棚から取り出し、すぐに公民館へ向かった。
リシェイがメモ書きを片手にメルミーを見る。
「メルミーは建設現場の測量をお願い。もう雪も降らないでしょうし」
「うん。そうするよ。あとは村の職人を集めて作業分担を相談しておくね」
特別施設の建設現場にかけていくメルミーを横目に、リシェイが口を開く。
「春の終わりごろには完成するかしら?」
「もっと早いかもな。構造としては案外単純だし」
特別施設は平屋の建物で、卵の管理を行う部屋とヒナを育てる部屋、遺伝子交雑を防ぐための成鳥の隔離部屋、資料室、物置、職員室からなっている。
卵とヒナ、成鳥の管理を行う部屋は独立した空気の循環を行わせる。吸排気管を独立させておかないと疫病の発生時に全滅する恐れがあるからだ。
熱源管理官を常駐させて室温管理を行う事も考えたけれど、今回は断熱性の素材を利用する事で様子を見ることになっている。
公民館に到着した俺とリシェイは玄関から入って共用倉庫に向かう。
共用倉庫には一昨年の冬支度の際に余った世界樹製の木材とこの冬に俺とビロースが調子に乗って狩りまくった雪虫の毛が保管されていた。
「雪虫の毛、売って欲しそうにしてたわよ」
四人組をカッテラ都市まで送り届けてくれる行商人の事だろう。
ヨーインズリーに限らず防寒具が品薄のため、雪虫の毛やバードイータースパイダーの糸、コヨウの毛などが高く取引されているらしい。
この倉庫にある雪虫の毛は十三匹分。一冬でこれだけの数を狩れるのは、雪の多い世界樹の北側に住み、それなりに魔虫狩人としての腕を持つ俺達くらいのものだ。
「これだけあれば、二十着くらい作れるだろうし、行商人としては売ってほしいだろうな」
用途がすでに決まっているから売れなかったけど。
需要の高まりを受けて雪虫の毛も高騰しているはずだから、この冬で狩れたのは僥倖だった。
冬の間は他所との交通網がマヒする関係で情報がなかなか入ってこないし、春になってから雪虫の毛が高騰している事を知ったら予定が狂っていただろう。
リシェイが雪虫の毛を指先で摘まみあげる。
「これが断熱材になるのよね?」
「あぁ、フェルト状に加工して、壁に使う」
変温動物である雪虫が吹雪の中でも活動できるほどに、この毛は断熱効果が高い。雪を弾くほどの撥水性を持ち合わせ、非常に軽量。バードイータースパイダーの糸ほどの強度や一本ごとの長さはないが、用途次第では優秀な建築資材だ。
しかも、そう簡単にはカビない。
絶対にカビない保証はないから定期的にメンテナンスする必要はあるけど、ランム鳥を飼育する特別施設に使う断熱材としては最適だろう。
「魔虫素材だから費用は高くつくのよね?」
「世界樹の北側に住んでる俺たちなら自前で用意できるから、そこまで問題にはならないだろ」
今回も自分たちで狩ってきたんだし。
必要な建材が揃っていることを確認して、公民館を後にする。
向かう先は特別施設の建設予定地だ。
「飼育小屋から離してよかったの?」
「飼育小屋で疫病が発生した時に被害が拡大するのは避けたいからな」
疫病の蔓延防止のため、特別施設は飼育小屋の風上に設置する事が決まっている。
矢羽橋を掛けた二本目の橋の上に建設する案もあったけど、冬場にクッションを燻す際に燻煙施設までの距離が遠いという事でマルクトに却下された。
せっかく燻しても移動の最中に雪を付着させてずぶ濡れにしたらカビの発生を助ける事にもなりかねないからだ。
飼育小屋を素通りして建設予定地に到着する。
「待ってたよー」
メルミーが手を振って駆けてくる。
「担当の振り分けは終わったから、いつでも建設開始できるよ」
「じゃあさっそく始めるか」
冬場に育てていたレモンバームっぽいハーブに花が咲き、種が付き、その種を蒔いて、芽が出て、葉っぱがワシャワシャと繁茂した頃、特別施設は完成した。
メルミーを含む職人たちと一緒に完成祝いを兼ねてお茶会を開く。たびたび様子を見に来ていたマルクトも参加だ。
お茶会に供されるのは俺とマルクトが別々に冬の間育てていた例のハーブで作ったクッキーである。
「これがランム鳥の研究施設!」
マルクトがクッキー片手に感動している。
「これでしっとりした肉の内にコクのあるあっさりした脂をもつ至高のランム鳥を生み出せる……!」
まぁ、やる気があるのは良い事だと思うけどね。
マルクトと一緒に来た彼女さんを盗み見る。
「良かったね。マルクト」
とてもニコニコしていた。
マルクトがランム鳥狂いと分かっていて彼女をやってるだけはある。
クッキーを齧りつつ、俺はマルクトに近付く。
「それで、繁殖予定のランム鳥は決まってるのか?」
「無論です。肉質の良い個体を選び、若鳥を確保しました。春先に〆た親鳥は肉質が軟らかいモノ、脂を良く蓄えたモノ、しっとりとした肉質のモノ、脂のコクがあったモノを選んであります。まずは肉質と脂、双方に分けて調整していく所存です」
マルクトがぐっと拳を握って決意を新たにする。
三種類あるランム鳥の系統のうち、優れた味を持つβ系統種をγ系統種で再現したいと意気込んでいたマルクトだけあって、この品種改良計画には並々ならぬ熱意を注ぐつもりのようだ。
俺はマルクトの彼女を振り返る。
「暴走して体を壊さない様に、マルクトの体調管理を頼むよ」
「心得ています」
いつもニコニコ彼女さんは当然とばかりに頷いた。
マルクトが俺に向き直った。
「ところで、ゴイガッラ村から優秀な個体を取り寄せるという話はどうなりましたか?」
「それが、話に興味を持ってはくれたんだけど、取引枠拡大のために繁殖中らしくてこちらに送るのは無理だそうだ」
「やはり、一度失った信頼を取り戻すのは難しいんですね」
ヨーインズリー側も歩み寄りの姿勢を見せているというから、ゴイガッラ村の状況は改善しつつあるようだけど、まだ数を十分に確保できていないのだ。
特に、群れ飼いが難しいβ系統の繁殖に手間取っていると手紙には書かれていた。
「ゴイガッラ村の協力が得られないとなると、血が濃くなるのをどう防ぐんですか?」
「適当に外から取り寄せたランム鳥から優秀なモノを選別する形になるな」
「それは当初の予定よりかなり資金が必要では?」
マルクトが心配そうに訊ねてくる。
「予算は組んである。この春に俺も魔虫狩りに参加してたのは知ってるよな?」
「えぇ。もしかして、資金稼ぎですが?」
「そうだ。この計画は成功するか分からない。と言うか、過去のタコウカの事例を見ると失敗する可能性の方が高い。そんな計画に村の資金を投入するわけにはいかないから、俺の財布から出すんだ。無駄使いするなよ?」
何を隠そう、この春にいちばん魔虫の討伐数が多かったのは俺だ。速射のアマネさんを舐めないでもらおうか。
強弓を誇りつつも手数が不足しがちなビロースが悔しがっていた。
マルクトが少し申し訳なさそうな顔をする。
「自分のわがままで村長に無理をさせて、すみません」
「資金稼ぎの件がなかったとしても、結婚事業を円滑に行うために近辺の魔虫狩りが必要だったから、結果は同じだよ」
一時的に立場を忘れるくらい本気出したけどな。
「アマネが率いていた組とビロースが率いていた組とで温度差が凄かったからねー」
メルミーが会話に混ざってきて、思い出すように言う。
ビロースの側には去年カッテラ都市から弟子入りに来た若手の魔虫狩人たち、俺の方には素人四人組という編成だった。
「アマネが率いていた方は出発した時には遠足に行くみたいな空気だったのに、帰ってきたら競歩みたいな速さで歩きながら陣形組んでるんだもん。何事かと思ったよ?」
「直前にワックスアントの群れを襲撃したから、その名残でピリピリしてたんだろ」
まだ巣を作ってもいない放浪中の群れで、女王を含めて十匹しかいなかった。
それでも、素人四人組にとっては初の対多数の戦闘だったため緊張が村に帰るまで持続したのだ。
「メルミーさん的にはアマネだけ嬉しそうに笑ってるのが印象的だったよ」
「資金稼ぎが目的で狩りに行ったんだから、大猟を喜ぶのは当然だ」
「空気の差の話」
別にブートキャンプみたいなことはしてないんだけど。全員無傷だったし。
話をしていると、事務所でテテンと一緒に留守番しているはずのリシェイが歩いてくるのが見えた。
何かあったのかと思い、リシェイの方へ歩く。
「どうかしたのか?」
「それが、ヨーインズリーからお客様が来ているのよ。それも、古参の一族らしくて……」
「それはまた、大物だな……」
摩天楼ヨーインズリーが村だった頃から創始者一族を支えていた古参の一族ともなれば、ヨーインズリーそのものが動くような何らかの案件を持って来ている可能性が高い。
例えば、建橋家資格の剥奪とかそういうの。
やましい事はしていないから臆する事もないと、事務所に向かって歩き出す。
「用件は聞いてる?」
「ランム鳥の品種改良について、いろいろ聞きたいそうよ」
まだ動き出したばかりなのに、いったいどこから聞きつけたんだろう。
そんな疑問は、事務所でテテンとお茶を飲んでいた女性からすぐに答えを聞くことができた。
「ゴイガッラ村長から面白い事を始めた村があると聞きまして、詳細を訊ねた担当者より聞き及びました。ランム鳥の品種改良に着手するとか」
虚の図書館長を名乗るその女性は、齢五百とちょっとだろうか。大きな丸い眼鏡から覗く赤茶色の瞳は好奇心と知性で光っている。
「計画の内容をお聞きしたいのです。こちら村には図書館に歴史書を寄贈していたリシェイと言う女の子もいらっしゃるそうですし、タコウカの品種改良実験の結果は御存じでしょう? どのような計画を組み立てたのか、そこから興味があるんです」
グイグイくる人だなぁ。
リシェイの顔は知らないらしく、彼女が名乗ると驚いた顔をされた。もっと年齢が上だと思っていたようだ。
挨拶を済ませてから、計画の内容を話す。
すると、虚の図書館長は表情を曇らせた。
「否定された遺伝子説ですか。昨今の主流は液状伝達説ですが、こちらの方で研究を進める予定はないのですか?」
「今回の計画の根幹にあるのは遺伝子説ですね」
虚の図書館長は困ったような顔になった。
「特別施設まで作るのですから、現在主流派の液状伝達説で研究を行うと思っていました。遺伝子説にこだわる理由があるのですか?」
当然、それを聞くよなぁ。
俺は事務所の窓辺にあるハーブを指差す。
「遺伝子説の仮証明のため、あのハーブを育てています」
虚の図書館長の視線がハーブに向けられる。流石は学術の都ことヨーインズリーの図書館長だけあって、一目で種類を見抜いて品種名を口にした。
俺は肯定しつつ、鉢植えをテーブルに持ってくる。
「ご覧ください。すべて葉っぱが先割れですよね?」
「えぇ、どの株も先割れのようですね。間引いたのかしら?」
「第一世代からして先割れの種だけを植えました。その第一世代の段階で発生した割れていない葉を持つ株を間引いて成長させて種を取りました。その種から芽吹いたのがこちらの第二世代です。間引きはまだ行っていません」
二世代目にしてすべてが先割れとなった。外に植えてある割れていない方の一群はまだ混ざり合っている。
おそらく、先割れの葉は劣性遺伝だ。
「まだ第二世代ですから、これだけでは遺伝子の証明にも、液状伝達説の否定にもなりません。経過観察が必要ですね」
と口では説明しつつ、俺は早くも確信を持っている。
虚の図書館長はしばらく悩んだ後、口を開く。
「実は、ランム鳥の品種改良計画に資金援助をしようという話がヨーインズリー上層部で持ち上がっています」
リシェイが僅かに反応した。
品種改良計画はかなり金がかかる。資金提供を受けられるのならありがたい話だ。
だが、虚の図書館長は難しい顔で首を横に振った。
「我々ヨーインズリーは液状伝達説に的を絞って研究を進めています。人手が足りない事もあり、また都市部では飼育が難しいランム鳥についての研究でもあると聞いて、タカクス村への資金援助の話が出たのです。研究が終わり次第、研究資料や結果の写しを虚の図書館に寄贈していただく条件を出すつもりでした」
でした、過去系か。
虚の図書館長は申し訳なさそうにリシェイを窺いながら、結果を言う。
「現状では、資金の提供はできません……」
リシェイは肩を落としつつ、苦笑した。
「一度は否定された学説ですから、仕方がないですね」
実を結ぶ可能性が低い研究に金を出せないのは当然だろう。失敗例にも資料価値はあるけれど、タカクス村が勝手にやってくれ、と結論を出すのも分かる。
研究費用は確保してあるのだから、焦る事はない。
ヨーインズリーへ帰って行く虚の図書館長を見送り、俺は事務所に戻ってハーブに水をやるのだった。