第五話 結婚式
夏の盛りに教会の建設は始まった。
こけら板にするための板を割っているメルミーの側に立ち、俺は全体の指揮を執っていた。
カッテラ都市から招いた工務店は教会の建設経験が浅いという話だったけど、建設そのものは滞りなく進められていた。
「入り口の彫刻はどうするんです?」
工務店から派遣されてきた職長さんが声をかけてくる。
赤茶色の髪をした五百そこそこの大男で、工務店の中では最も教会の建設経験があるという話だった。
だからだろうか、少々プライドが高いきらいがある。
「やらせて頂けるんなら、こっちで用意した図案をお持ちしますよ?」
「いえ、図案はすでに用意した物があります。彫刻もこっちのメルミーが担当しますよ」
職長さんがメルミーをちらりと横目で見てから、矢羽橋の方へ視線を移す。
「あの橋の彫刻を施した職人って、そのメルミーさん?」
「そうですよ」
職長さんは頭を掻いてため息を吐いた。
「あの柔らかさはちょっと真似できないですね」
案外あっさり引いてくれたことに内心驚く。
職人さんたちを手伝いに行く職長さんが離れてから、俺はメルミーに声を掛けた。
「メルミーの彫刻、評価されてるみたいだな」
「もっと褒めていいよ?」
「褒め殺しがご希望?」
「いや、それはやめて」
笑いあってから、俺はメルミーに彫刻の準備に移るよう指示を出す。
教会彫刻は魔よけの意味合いを兼ねた複数の架空の花やツタ、樹木、鳥からなる。他にはその教会のモチーフになった植物が象られる。
今回はこの世界でよく使われる魔よけの樹木の中から〝変わらない物〟を意味する葉を持たない架空の樹木クラクトと〝祝福と安全と息災〟を意味する三つの翼をもつ架空の鳥キューの二つを組み合わせた図案を採用している。
左右からクラクトの木が入り口の扉を支えるように上へと延び、入り口の上部で左右のクラクトの枝が作る連理の枝の上に二羽のキューが翼を休めている。
四つから五つのモチーフから作った図案がこの世界での標準だから、教会の入り口を飾る図案としてはかなりシンプルだ。
それだけに、彫刻家の個性が際立つ。
道具を持ってきたメルミーが腕まくりをして入り口を飾る予定の木板の前に座り込む。
「さぁ、可愛く仕上げるよ」
「可愛すぎない程度に柔らかく頼む」
冗談で言っているだろうけど、一応釘は刺しておく。
メルミーは木板に下書きを描いてから、彫刻刀の刃を入れた。
浮き彫りでクラクトの木を彫り続けるメルミーを横目で確認していると、職人たちが俺に声をかけてきた。
「アマネさん、アプスの確認をお願いします」
「いま行きます。メルミー、俺はちょっと行ってくる」
「りょーかい」
メルミーを置いて建設途中の教会の裏手に回り込む。
すでに小樹も支柱を立て終えて壁板も立ててあるため、外観はすでに完成形が見え始めている。
教会裏手に到着すると、祭壇のある内陣を外側から見る形になった。半円柱上の教会裏手は、樽板とも呼ばれるスターヴ教会らしさが前面に出ていた。ぶっちゃけた話、比喩抜きで巨大な樽にしか見えない。
アプスはそんな巨大な樽の蓋の辺りにくっつく半ドーム状の屋根だ。
「位置はあの高さであってるんですよね?」
「えぇ、大丈夫です」
壁の厚さも問題ないだろう。
「設計図見た時にも思いましたけど、あんなに高くて大丈夫なんですか? 外側に力がかかっちゃいますから、倒壊するんじゃ……」
「耐えられるように壁を厚くしたり、壁の板をがっちり組み合わせたりしてるんですよ」
「建橋家のアマネさんが言うからには大丈夫なんでしょうけど、回廊にして祭壇裏に廊下を通す教会ばかり建ててきたもので、ちょっと不安なんですよ」
祭壇裏に廊下があれば、単純に壁が二つになる。それだけ丈夫なのは分かる。
「安心してください。壁一枚で十分なように設計してありますから」
職人たちは顔を見合わせると、何人かが作業を再開する。
俺を呼んだ職人さんが教会の中を指差す。
「中のアーケードも確認をお願いします。側廊の屋根の角度の確認もですね」
「屋根の確認はすでに終えているので、アーケードの方を見てきます」
建設途中の教会の中に入る。まだ屋根まで作業が進んでいないため、頭上から光が降り注いできた。
入り口をくぐるとすぐ、左右に木の柱が立ち並んでいる。片側五本で計十本の木の柱はそれぞれに切り込みが入っていて、視線を上に向けさせるよう細工が施してあった。
木の柱は上部で尖頭アーチ型に連結されており、その上には通路を兼ねたトリフォリウムがある。
トリフォリウムの上に職長さんを見つけて、声を掛ける。
「手摺りの方、どんな感じですか。光の入り方が分からないなら、先に窓をつけてからでもいいですよ?」
「いや、光の入り方は分かってるから大丈夫なんですが、ちょっと質問良いですかね?」
「はい、どうぞ」
職長さんはまだ手摺りのないトリフォリウムから俺を見おろして、口を開く。
「この通路を司教以外が使ったりしますかね?」
「使わせませんよ」
「そうですか。それだけ聞きたかったもので」
職長さんは笑うと、迷わず手摺りの取り付け作業に入った。
俺は職長さんの働きぶりを眺めながら、質問する。
「やっぱりその手摺りのデザインだと、通路側から身廊を見下ろした時に気になりますか?」
「いえ、デザイン面では問題ないですよ。ただ、子供が隙間を潜ろうとして落ちるんじゃないかって心配になったもんで」
スカスカだしな。
この教会の運用方法も考えると、事故の発生はかなり怖い。
司教以外が通れないよう、扉と鍵をつけるなりの対策を考えた方がいいか。
教会が完成したのは夏の終わり頃だった。
リシェイとメルミー、テテンを連れて、俺は出来上がったばかりの教会の前に立つ。
入り口を囲むのはメルミー作の柔らかさを感じる彫刻だ。クラクトの木がうねりながら立ち上がり、入り口の上では連理の枝の上に翼を休める三枚翼の架空の鳥、キューが二羽浮き彫りになっている。
当初の図案そのままだ。
リシェイが入り口を眺めて口を開く。
「華麗と言うより可憐な彫刻ね」
言い得て妙だ。
メルミーが照れたように笑う。
「柔らかい仕上がりを心掛けたからね。気に入ってくれた?」
「……素敵、だと、思う」
テテンが呟く。メルミーの作品だからと盲目的に評価しているわけではない事は、じっと彫刻に向けられた目元の柔らかさでわかった。
入り口をくぐると奥行の深い身廊が出迎える。横を見れば四連尖頭アーチとその上に一回り小さな四連アーチ、さらに一メートルほど上には魔虫の翅を使った丸い採光窓が五つ並んでいる。
天井は高く、鋏梁を見上げることができる。
一度、両手を打ち鳴らしてみると、教会内に音が反響し、奥から木霊となって返ってきた。
木霊の大きさも申し分ない。教会に求められる要素ではないけれど、この教会の利用方法を考えると木霊ははっきり聞こえた方がいいのだ。
リシェイが身廊内を見回す。
「ヨーインズリーの教会よりずいぶん中が明るいわね」
「ヨーインズリーの教会は虚穴を模して内部を作ってるから、光の取り込み口を意図的に減らしてるんだ」
知の集積地と言われ、虚の中に図書館を有するヨーインズリーにとって、木の虚がどれほど重要な存在なのかが分かるデザインだと思う。
対して、俺がデザインしたこの教会は光を多く取り入れ、内部に春めいた輝きを演出している。
身廊から奥へ進む。
先に見えてきたのは祭壇だ。
一段上がったところにある祭壇には小樹が聳え立ち、ひときわ高く作られた尖塔の天井を支えている。
祭壇を占める小樹の大きさもさることながら、この教会の特徴は小樹とその後ろのアプスにある。
半球状に窪んだアプスから桜色の光が無数に降ってくるのだ。
この教会のアプスには桜色に着色した魔虫の翅を無数に入れてあり、外からの光を透過して桜色の光を小樹に注ぐ。
剪定をする司教以外が触れられない様、この世界で窓ガラスに使われる透明な魔虫の翅で囲われた小樹は、アプスから受ける光のおかげで満開の桜を想起させた。
透明な魔虫の翅の囲いの中に入れば、翅に反射した桜色の光もあって桜吹雪のただなかにいるようにも見える。
「綺麗――」
リシェイが満開の小樹を見て呟く。
リシェイの言葉に同意するように、テテンが頷いた。
「……想像、以上」
そうだろう。
「光の入射角を計算して、反射した時に像が不自然にぶれないように気を遣ったり。あえて光を重ねたり像を小さくすることで遠近感を出したり、それはもう気を使って――」
「アマネー、リシェイもテテンも浸ってるんだから野暮なこと言わないの」
メルミーに腕を引っ張られ、俺は強制的に祭壇から退去させられた。
……頑張って設計したんだから、ちょっとくらい苦労自慢させてくれてもいいじゃないか。
教会入り口でいじけていると、ビロースがやってきた。
「ビロース、式場の下見か?」
「う、うっせぇ。文句あんのか」
「ないよ。いまはリシェイ達が中にいるから、出てくるまで待ってくれ。暇ならちょっと話をしよう」
ビロースになら苦労自慢してもいいよね?
ビロース達の結婚式は二日後に行われた。
満開の小樹を背にしての新郎新婦に惜しみない拍手が贈られ、あえて反響するように作った教会内部で幾度も木霊し、実際以上の人数からの祝福を錯覚させる。
その後、村は結婚ラッシュが始まり、結婚週間のようなありさまになっていた。
さて、結婚は祝福されるべきことだし、村の者の大半はお祭り騒ぎではあるのだけど、事務所の中ではため息が聞こえていた。
リシェイである。
「お祝いで出費が……出費が……」
帳簿にペンを走らせながら、リシェイが熱に浮かされたように呟く。
祝賀会は結婚した連中をまとめて一回で済ませたものの、祝い事となれば相応の料理を要求されるため食材費はかなりの金額になっていた。
ほくほく顔で行商人がタカクス村を出ていくくらいに。
メルミーがレモンっぽい香りのハーブを練り込んだクッキーをリシェイに差し出しながら、声を掛ける。
「まだ教会ができて日が浅いし、仕方がないよ。それに、悪い事ばかりでもないでしょ?」
メルミーが俺に視線を向けてくる。フォローしろ、と言う事だろう。
アイコンタクトを受けて、俺はリシェイに声を掛ける。
「観光客向けのいい宣伝になったと思えば、必要経費と割り切れるんじゃないか?」
「そうだけれど……くぅ」
悔しそうなリシェイに、テテンがすっと寄り添う。
「……若女将から、連絡」
がばっと、リシェイが帳簿から顔を上げ、テテンを見る。
テテンはリシェイの勢いに気圧されて腰が引けていたが、すぐに立ち直った様子で連絡とやらの内容を口にした。
「結婚式、したい客、来た……」
「やった!」
リシェイが珍しく喜びも露わに飛び跳ねる。
普段は見ないリシェイの可愛らしい仕草に、メルミーもテテンときょとんとした顔をした。
二人の反応で子供っぽい行動だったと気付いたのか、リシェイは反応を窺うように俺を盗み見てくる。
「可愛いと思うよ。いまの」
「わ、忘れなさい。私は若女将を交えてお客様の要望を聞いてくるから、帳簿の続きお願いね」
リシェイが逃げるように事務所を出ていく。
「メルミー、リシェイの補佐を頼む。あんまりからかうなよ?」
「真っ先にからかったのはアマネの癖に、どの口が言うかなぁ」
苦笑して、メルミーはリシェイの後を追いかけて行った。
俺は帳簿の続きを記載する。
資金的には乏しい。宿を作ったうえで無理をして教会を建てたのだから、当然だ。
しかし、帳簿を見てみると宿の利益が微増しており、農作物の輸出量は据え置きと言う状態になっていたため、村全体の収益が増えていた。
ランム鳥は増産を優先しているから輸出額が減っている。
「テテン、書棚にある飼育小屋の資料を出してくれるか?」
「……これ?」
書棚を眺めたテテンが飼育状況が記載されたファイルを抜き出して俺に差し出してくれる。
「ありがとう。ヒナは無事に孵化してるんだな」
教会の建設を始めた頃に孵化したヒナは成長してそろそろ卵を産み始める頃だ。
この調子なら来年にはランム鳥百羽を目指せるだろう。
帳簿の続きを記載していると、リシェイとメルミーが帰ってきた。
「アマネ、朗報よ!」
うきうきした表情でリシェイが俺の下に駆け寄ってくる。
「お客様の提示資金が玉貨一枚なの!」
「玉貨?」
祝い事とはいえ、大盤振る舞いだな。
いや、結婚式の相場とか明るくないけど。
「相場が分からないんだけど、その提示資金って高いのか?」
「ヨーインズリーの教会で式を挙げるとしたら玉貨二枚は確実ね。でも、この辺鄙な村で挙げる事を考えたらかなりの額よ。普通は地元の教会で挙げてもっと費用を抑えるから」
ヨーインズリーの場合は教会を借りる金額よりも列席者に振る舞う料理の方が高くつくらしい。食料を外部からの輸入に頼るヨーインズリーらしい事情だ。
リシェイは教会併設の孤児院で暮らしていた経験上、教会で何らかの式が行われる場合は手伝いに駆り出されていたらしい。
「私の事はいいの。それよりも、お客様の要望よ」
俺は帳簿を閉じて、リシェイの話を聞く。
結婚式に参加するのは新郎新婦に加えてその親族が二十名ほど。この親族は公民館に寝泊まりする事になるという。
「二十人って、ちょっと待て。そのお客さん、どこから来るんだ?」
「カッテラ都市から来るそうよ」
「徒歩で片道二日の距離だろ。それを二十人で移動って……」
コヨウ車を数台使えば、早朝にカッテラ都市を出てその日の深夜にタカクス村へどうにか到着できるかどうか。
「てっきりもっと近い、この付近の村から来ると思ってたんだけどな」
丸一日馬車に揺られてきたら疲れて式どころじゃないだろうし、最低でも二泊三日は村で過ごすだろう。その間の食費、宿代など、考えることが山積みだ。
「悩むのは分かるけど、これは絶好の機会なのよ。受けるべきだわ」
「式の日取りは?」
「雪が降る前に済ませたいそうよ」
「なら、準備するだけの時間はあるか。とにかく、まだ教会には専任の司教さえいないんだ。当日に司教不在なんてことになったら目も当てられないから、まずはカッテラ都市の教会に行って司教を派遣してもらえないか交渉しないと」
後はパーティー料理のメニュー決めとか、コヨウ車の運行経路だとか、部屋割りだとか、やることが多すぎる。
「村のみんなを集めて、すぐに取り掛かろう。仕事を分散すればどうにか準備はできる」
幸いと言うべきか、ビロース達の結婚式のおかげで大体の流れは分かっているし。
それにしても……。
「なんでそのお客さん、わざわざタカクス村で式を上げようなんて考えたんだ?」
「新婦さんがどうしてもって言ったそうよ」
「アマネが想像する以上に、あの教会は可愛いからね。宿で出してる料理も、アマネの創作料理が人気だし」
華やかな教会の内部はビロース達の結婚式を挙げることを意識した物だったけど、それがランム鳥の肉や卵を食べに来た食道楽のカップルの心を射止めたらしい。
いまや俺が作るとリシェイ専用料理になるあの卵料理も、宿では人気だというし、女友達に話を聞いて宿を訪れる女性客もいる。
着実に女性客を取り込めている今、結婚式を成功させればブライダル事業への道も拓ける、と。
リシェイの言う通り、これはチャンスなのだろう。
「手分けして動いていてくれ。俺はいまからカッテラ都市に行ってみる」
「人材は早めに準備して、当日までに綿密に打ち合わせをしないといけないものね」
リシェイに頷いて、俺は席を立った。