第三話 宿の運営
町の入り口に宿屋が完成すると同時に、橋の見学申し込みに随時返信することになった。
リシェイと一緒に事務作業である。
ちなみに、メルミーは宿でビロースや従業員として働く予定の人たちに設備の説明などを行っている。テテンは例によって部屋の隅で膝を抱えてリシェイに見惚れていた。
「全部で二十通。返信はこれで終りね」
返信を終えた申し込みの束を書類ファイルにまとめて、リシェイが筆記具を片付ける。
「後は行商人に渡すだけか。一番近い予定は?」
「行商人だと、ルシオね。コマツ商会ともつながりがあるし、手紙は早めに届けてもらえるでしょう」
あぁ、ランム鳥を買った時の行商人か。
コマツ商会と繋がりを持ちつつこの周辺を回っているらしく、ときおりタカクス村にも訪ねてくる行商人だ。
よく卵を買って行ったりする行商人とは別人である。
「それじゃあ、ついでに教会建築の資料も取り寄せようか。コマツ商会経由でヨーインズリーの最新の資料が欲しい」
「後は歴史本ね。お互いに自費で」
「それは当然」
というわけで、お互いに財布を出して予算を確認する。
テテンがそろりそろりと近付いてきて、財布を取り出した。
「テテンも何か買うのか?」
「……か、紙とインク、所望」
所望って、それ夜に俺に読み聞かせてくるアレを書くための物だろ……。
いや、ポケットマネーから出す分には俺も文句言えないけどさ。
気を取り直して、手紙の配送にかかる料金なども計算して皮袋にひとまとめにしておく。
「教会を作るとして、司教はどうするの?」
「カッテラ都市からの派遣になるかな」
常駐になるかどうかはまだわからない。タカクス村には孤児もいないから、常駐してもらう必要はないため、司教の意思に任せることになるだろう。
金庫にしている箱へ皮袋を入れて鍵をかけ、ようやく人心地着いた。
「メルミーはまだかな?」
「そろそろ戻ってきてもいい頃だと思うけれど……」
設備の説明をしているだけなのに、ずいぶん時間が経っている。
迎えに行こうかと相談していると、当の本人が事務所の扉を開けた。
「ただいまだよー。資金の取り扱いとか相談したいって言うから、ビロース達を連れてきましたん」
おちゃらけたいつもの調子で言ったメルミーの後ろから、ビロースとその彼女がやってくる。
ソファに腰掛けたビロース達に資金についての話をする。
「あの宿はタカクス村の公営宿という位置づけになるから、運営資金は村の運営費から出る。軌道に乗ったらビロース達に権利を渡して独自に運営してもらう事になると思うけど、しばらくは気にしなくていい」
後々ビロース達に託して民営化するとしても、数十年先の事だろう。
掃除をしたり、洗濯や布団を干したりといった維持管理をビロース達にしてもらい、客が増えたら村から従業員を募る形になると思う。
「宿で出す食事だが、食材はどうなる?」
ビロースの質問にはリシェイが答えた。
「献立を提出してくれれば、こちらで手配するわ。ただ、提供開始の二週間前には献立を決めておいてくれると助かるわね」
リシェイがメルミー達と一緒に組み立てたメニュー表を参考資料としてビロース達に差し出す。
「ランム鳥も使っていいのか」
「数によるわ。あんまり豪勢に使われると困るから、献立の作成時には食材の量も記載しておいて。食材の廃棄率はこっちの資料にまとめてあるから、参考にするといいわ」
リシェイが続けて出した分厚い資料にビロースが頬をひきつらせる。
ランム鳥であれば骨は食べられないから廃棄せざるを得ない。ある程度の個体差はあるにしても、大量に食材を発注する場合は可食部分をまとめた資料を見ながら献立を組み立てないと、提供する料理の量に影響が出てしまう。
村で作っている野菜などであれば畑に走って補う事も可能だけど、ホウレンソウや小松菜に似た野菜であるミッパなどの輸入品はそうもいかない。
「けっこう細かいんだな」
「ビロースさんはこの手の事が苦手だものね」
ビロースの彼女がくすくす笑って資料を手に取り、ぱらぱらとめくった。
「献立の作成は私が引き受けるから、力仕事は頼んだよ」
「おう、まかせろ」
なんだかんだでいい夫婦になりそうだな。
羨ましそうにビロースの彼女を見ていたリシェイが気を取り直したように諸注意を述べる。
「まだ調度の類は入れていないけど、不足を感じたらすぐに言ってね。運営する側が気付くような不備は利用者も気付いている物だから、手を抜きたくないの」
「分かった。さしあたり必要なのはベッドにクローゼット、キャビネット、それから桶と水差し、タオル等の洗面器具か」
「そのあたりは手配済みよ。テテン」
「……これ、一覧」
リシェイに呼びかけられたテテンが部屋の隅から立ち上がり、手配済みの調度品の一覧をビロースの彼女に差し出す。
部屋の隅で気配を完全に消していたテテンがいきなり登場したように見えたのだろう、ビロースが驚いていた。
「魔虫狩人に気配を読ませないとは、テテンちゃんやるね」
「……ちょろい」
メルミーに褒められて得意になっているテテンを他所に、調度品一覧を眺めたビロース達は頷いた。
「流石に必要な物は一通りそろってるな。それじゃあ、明日には引っ越しを始める」
「手伝おうか?」
「大丈夫だって。どうせさびしい独り身だったんだ。二人がかりで運ぶような荷物もねぇよ」
何か問題が起きたらすぐに連絡すると言って、ビロース達は事務所を出て行った。
「これで宿も機能するだろうし、一仕事を終えたな」
「開業してからまた問題も起きるだろうけどね」
ビロース達に出していたお茶を片付けながら、メルミーが言う。
問題が起きたら起きたでその都度対処していくしかないだろう。
「あ、業務日誌つけてもらわないと」
言い忘れてた。
宿が開業して十日、矢羽橋を見に建築家や建橋家がやってきた。
設計者である俺はもちろん、彫刻を施したメルミーにも質問が飛ぶ。
技術的にはさほど見るところのない橋で矢羽模様などのデザイン性が評価されているため、質問する事もそれほど多くない。
「アマネさんもお忙しいでしょうに、無理を言って見学を申し込んですみません。デザインが評価されている橋は一度この目で見てみないと何もわからないものですから」
真新しい宿を見て何かを察したのか、建築家の一人が頭を下げてくる。
「いえ、こうして見学に来ていただけるのは嬉しいですから」
それに、宿の宿泊費で儲けさせてもらっている。まだまだ建設費を取り返していないけど。
見学を終えた建築家たちを見送って、俺はメルミーと共に事務所へ帰る。
「メルミーさんは疲れたよ」
ぐっと背筋を伸ばしながら、メルミーが吐息を漏らす。
「同感だ。ここ最近、入れ代わり立ち代わりに同じような質問されるし」
そういう役割だから仕方がないけど。
「ご褒美が欲しいよ」
「どんな?」
俺ももらえるのかな?
メルミーは少し考えた後、口を開く。
「指輪とかネックレス?」
「ご褒美以外の意味が込められてそうだな」
「じゃあデート」
「村の中にデートできるような場所ってあるか?」
「矢羽橋とか」
「橋の上かぁ。心中っぽいな」
「文句ばっかりだなぁ」
心中云々は抜きにしても、矢羽橋関係の説明で疲れているんだからデートで矢羽橋に行かなくてもいい気がする。
「アマネが決めておくれー」
「一日中褒め殺しの刑とか?」
「アマネって時々訳の分からない事を言いだすよね」
「メルミーほどじゃないさ」
徐々に村の中で拡散しつつあるハロロースとか、メルミーの仕業だろ。
「お試しにメルミーさんの事を褒めてごらんよ。このメルミー、ちょっとやそっとの褒め方で気を良くするほどちょろくないからね」
「普段は恥ずかしくて言えないけど、この流れなら言えることがある」
「ほほぉ、何かね、アマネ君」
「普段のお調子者メルミーも可愛いけど、彫刻をしてる時の真剣な表情が結構好きだ。最近は、というか矢羽橋を架けた後からは真剣な表情で口元にうっすら笑みを浮かべているのもあって、もっと好きになった」
メルミーが逃げ出した!
しかし、俺が回り込んでしまった!
距離を取って向かい合いながら、左右にフェイントをかけ合う俺たち。
「まだ逃亡には早いぜ、メルミー。もっと褒めさせろ」
「もういい、もういいから!」
「お試しとはいえ俺は全力でメルミーを褒め殺す。まぁ、お試しだからな。半日で許してやろう」
「人前に出られない位顔真っ赤になるから手加減してよ!」
嫌だね。
「照れまくってるメルミーが可愛いから却下だ!」
「普段は可愛いとか絶対に言わないくせに!」
「俺の褒め言葉は女の涙と一緒でここぞという時に使う物なんだよ」
「お試しに使ってるじゃないか!」
わいわい騒いでいると、リシェイが呼びに来た。
「何をしてるのよ」
呆れた声で言われてばつの悪さを感じる前に、メルミーがリシェイに泣きついてあることない事をご注進する。
しかし、リシェイは話半分に聞き流し、メルミーの手を引いて事務所へ歩き出した。
「じゃれ合ってないで早く帰ってきなさい。宿の献立で相談があるの」
「卵が苦手な客でも来たのか?」
「逆よ。卵が好きで、変わった食べ方をしたいという客が来ているの」
事務所に向かいながら、客の注文を詳しく聞く。
「新鮮な卵だからこその料理とか、あったかい物が良いとか言ってたらしいわ」
応対したのは宿の若女将ことビロースの彼女であったらしい。
建築家や建橋家向けに宿の部屋を確保してあるけれど、こういった飛び入りの観光客に備えて空室を用意してあってよかった。
「卵料理ねぇ。この辺だと新鮮な卵を食べられるのはタカクス村だけだもんね」
「他に育ててるところがないからな。カッテラ都市とかに住んでいて、新鮮な卵を食べようと思ったらこの村にくるしかない」
カッテラ都市までは二日かかる。行商人が仕入れた卵でも、カッテラ都市で食卓に上がる頃には二日か三日が経っているだろう。
事務所に到着した俺は、思い切りテテンに警戒されているビロースを見つけた。
なんとなく想像はつくけれど、一応目が合ったビロースに訊ねる。
「何かあったのか?」
「なにもしてない。って言うか、話してすらいないんだがな」
ビロースは困惑気味にテテンを見る。
男と二人きりの空間という事で男嫌いのテテンが警戒しただけだろうと結論付け、俺はビロースの向かいに腰を下ろした。
「それで、卵料理だったっけ? 宿のメニューで反応は見た?」
「おう、メニューを見た上で、他にないのかと言い出してな。半熟燻製卵は気に入ったようなんだが、もっと温かい物が良いって話だ」
半熟卵も食べられるのか。
村では俺の影響もあってか普通に半熟卵を食べているけど、取って数日が経った卵しか市場に並ばない他所の町や都市だと食べたことがないはずだ。
しかし、半熟卵ねぇ。
「ポーチドエッグは宿のメニューにもあったよな?」
リシェイに確認を取ると、宿の食事メニューの控えを渡された。
「調理時間が短い上に酢と塩とお湯だけで作れて費用面でも優秀だから、最初にメニューに加えた卵料理よ」
しまり屋さんらしい意見である。
ポーチドエッグがダメなら、エッグベネディクトという手もあるけどマフィンがなぁ。
小麦粉と違って、この世界で食べられているトウムは甘みが強く、時間が経つごとに山椒に似た辛みが出てくるため扱いが難しい。辛みへの変化は酵素作用によるものらしく加熱したりすれば甘さを保てるものの、小麦粉と違って扱いに癖がある。
マフィンを作るなら料理人を連れてこないと難しいだろう。
となると、調理工程が少なくて暖かいまま提供できる料理という条件を満たす必要が出てくる。
「……揚げるか」
「揚げるって、油で?」
リシェイとメルミーが同時に眉を寄せる。
リシェイは、まだ村での生産もできていない高価な油で作る事による費用を心配しているのだろうし、メルミーは調理時に油が爆ぜたりしないかを心配しているのだろう。
「固ゆで卵をランム鳥のひき肉で包んで揚げるんだ。単価が高くつくから、その客にどんな料理かを説明した上で注文を取った方がいいけどな」
いわゆるスコッチエッグである。牛も豚もいないので鶏肉で代用する。味が淡白になるけど、衣に一日置いて辛みを増したトウム粉を使えばいいだろう。
「けっこうがっしりした料理だな。肉で卵を覆うって事はそこまで大きくはならないんだろうが……」
「小食の客相手にはダメかもな。後は半熟のゆで卵そのものに衣をつけてあげるとか」
温泉卵揚げである。
変わった料理をご所望というと、高価な油を使って揚げるのが手っ取り早い。
頭の中で費用を計算していたらしいリシェイがビロースを見る。
「肉の在庫は?」
「客数が多いから、ささ身なんかが残ってる。後でテテン、さんに燻製にしてもらおうと思ってた」
テテンにじろりと見られたビロースが苦笑交じりにさん付けしつつ在庫状況を教えてくれた。
リシェイがメルミーを見る。
「アマネが言った料理を両方作ってみましょう。メルミー、お願いできるかしら?」
「いいよん。公民館の在庫と厨房を使うけど、いい?」
「しばらくは公民館の食品庫にあるものを使わないだろうし、使って構わないわ。使用した量は紙に書いておいてね」
メルミーが了解、と返して、テテンに声を掛ける。
「テテンもおいでよ。味見してほしいし」
メルミーの声に反応したテテンはすっくと立ち上がり、パタパタとメルミーに駆け寄った。
「……手伝う」
「張り切っちゃって。テテンは食いしん坊だなぁ」
ケラケラ笑いながら、メルミーはテテンの手を引いて事務所を出て行った。
メルミーも分かっているだろうけど、テテンは食い意地が張っているわけではない。
リシェイが公民館の食品庫管理票の写しなどを書棚から引っ張り出す。
「せっかくの観光客。しかも好みを打ち明けた上で注文してくれるのだから、満足してもらえれば今後も足を運んでくれる可能性があるわ。手を尽くしましょう」
「いま村にあって使える食材を調べるために管理票を引っ張り出したのか」
リシェイの言う通り、リピーターになる可能性の高い客だ。この付近で新鮮な卵を食べられるのがタカクス村しかない以上、卵目当ての客はリピーター予備軍だと思った方がいい。
注文に応えられれば、口コミの効果も期待できる。
「他に温かい卵料理となると、オムレツとかだし巻き卵とか」
「オムレツは公民館暮らしをしていた頃にアマネが作った事があったわね」
村の最初期、まだ家も事務所もなかった頃、公民館に暮らして持ち回りで料理を担当していた時の話だ。
そうか。あの頃はまだ俺たち二十三人しかいなかったから、今の村人の大半はオムレツを知らないのか。
まあ、似たような料理があるからそんなに目新しい物ではない。
「だし巻き卵は知らないわね」
魚介系の出汁がないからね。別にランム鳥でダシを取ってもいいんだけど、日本人としては動物系ではなく昆布とか鰹とかのだし巻き卵が食べたいわけですよ。前世ではこだわりぬいてアサリで作っていたけどさ。
ケインズが養殖しているアユカでなら作ってもいいかな、と思う。
だし巻き卵程度なら事務所のキッチンでも作れるので、俺は立ち上がった。
「そういえば、客は見た目にこだわるタイプだった?」
「どうかな。そこまでは分からん」
ビロースがどっちつかずの答えを返すけど、リシェイが口を挟んできた。
「見た目がいい物も作れるなら、両方作ってもらえるかしら? お客様としても、他所にタカクス村を紹介するときに料理の見た目も話すだろうから、宣伝効果が上がると思うの。女性に出すつもりでお願い」
「分かった。リシェイのために作るつもりでやってみるよ」
軽口を返すと、ビロースが感心したように顎に手をやった。
「ははぁ、こうやって口説くのか。参考になるな」
俺を参考にしても最後まで行きつけない気がする。実体験として、同棲までは行けるみたいだけどさ。
キッチンに立って、だし巻き卵を作る。いちいち何時間も出汁を取っていられないから、今朝の残りの出汁を流用する。見よ、この黄金色、本物じゃ、本物の出汁じゃあ。
四角いフライパンももちろんないので、丸いフライパンで端からクルクルと。
なんか懐かしいな。だし巻き卵を作るのなんて前世以来だ。
切り分けて皿に盛り、応接室兼事務室で待っているリシェイとビロースに第一弾としてご提供。
「簡単な料理みたいだな。見た目も卵を使ってあると分かりやすい。味もいい感じだ」
ビロースが一口食べて合格を出してくる。
リシェイも「おいしい」と言ってメニュー候補の中にだし巻き卵、と書き加えた。
俺はキッチンに戻り、出汁を加えた卵をフライパンに薄く延ばす。
ランム鳥のモモ挽肉やジャガイモに似たマトラの根を刻んで炒めた物をフライパンの上で薄く焼いた卵の上にひとまとめに置き、茶巾寿司の要領で包む。
深皿の中央にそれを置き、温めた出汁に少量の酒と酢を加えて深皿へ流し込んだ。
飾り切りにした野菜をだし汁で煮ればよかったと思いつつ、今回はお試しとしてそのままリシェイ達に出す。
深皿の中央に黄色い卵の茶巾寿司。ただし中身は鳥挽肉の炒め物だ。しかも、深皿には鳥の出汁の利いた簡単なスープ。
茶巾寿司のおかげで見た目もいいし、女性客になら受けると思うんだけどどうだろうか。
反応を窺うと、リシェイは深皿を見つめて小さくつぶやく。
「かわいい……」
「お気に召しましたかね?」
「えぇ、かわいいし、私は好きだけど……」
リシェイが言葉を濁す。
男性からの評価が気になるのかと思ったが、ビロースは特にコメントせず料理にフォークを入れていた。
「変わり種で面白いな。さっきとは趣が違うが、これはこれで別の料理としてメニューに加えてもよさそうだ。ただ、スプーンの方が食いやすくないか?」
「食器の方は宿で選んでくれ」
男性票も取り付けたし、宿の提供メニューで決まりだろう。
「若女将にも食べてもらってくれ。一応、作ってあるから」
ビロースの彼女こと若女将さん用に作った皿を出すと、リシェイが口を挟んできた。
「ちょ、ちょっとまって」
「なに?」
まだ何か確認が必要な物でもあっただろうか。
予算面でも、村で採れる食材しか使ってないから不安要素にはならないと思うんだけど。
リシェイは珍しく困ったような、恥ずかしがるような顔で視線を彷徨わせる。
「――あぁ、そう言う事か」
ビロースが何かに気付いて立ち上がり、したり顔で俺の肩を叩いてきた。
「レシピをくれ。俺が彼女のために手料理をふるまうとすらぁ」
「いや、レシピは用意してあるけど、若女将の分――」
「それは作ったお前が食べろって。悪いこと言わねぇから」
どうあっても受け取ってはもらえないらしい。
仕方がないのでキッチンに戻ってレシピを取ってくる。
「これがレシピ。卵で包む時に火傷しないように気を付けてもらって」
「おう、伝えとく。それじゃあ、お幸せに」
「は?」
意味深な言葉を残して、ビロースは笑いながら事務所を出て行った。
話の流れに取り残されたまま終わってしまった。
納得いかないまま席に座って、若女将に渡す予定だった料理にフォークを入れる。
確かにスプーンの方がよかったな。
「ごめんなさい」
リシェイが神妙な声で謝って来た。
「正直、状況が分かってないから謝られても良く理解できないんだけど」
察しが悪くてすみません。
リシェイは先ほど同様困ったような恥ずかしがるような表情で俺から視線を逸らす。
「アマネが私のために作るって言った時はいつもの軽口だと思って聞き流したのだけど、こんな可愛いのが出てくるとその、惜しくなったというか……。ビロースさんまでは許せるけど、私以外の女性にアマネの手料理として食べさせるのはちょっとというか……ごめんなさい」
予想外に可愛らしい理由が出てきた。
反応に困った振りで顔を俯ける。いま、俺の顔めっちゃ紅いです。
「なるほど、察せなくて悪かった。今度からはリシェイのためだけに作る事にするから、許して」
「え、えぇ、その、お互いに?」
「うん、お互いに」
最終的に、件のお客さんは提案された卵料理を全て平らげ、満足顔で帰って行った。
次は冷めても美味しい、持ち帰りができる料理を食べに来るそうだ。