第十九話 魅せるモノ
事務所で帳簿に儲けを記載していたリシェイが顔を上げた。
「今月分の利益は玉貨一枚。ランム鳥の堆肥が鉄貨四百枚、卵の殻の肥料が鉄貨三百枚、卵の売り上げが鉄貨三十七枚、残りがランム鳥肉五羽分と野菜の利益ね」
「ランム鳥の丸肉が相場鉄貨五十枚だよね? やっぱり肥料で儲けだしてる感じだね」
メルミーが帳簿を眺めながら呟く。
土が貴重な世界樹の上では肥料の価値が高い。放牧を行う羊に似た家畜コヨウでは堆肥を作りにくく、ランム鳥の堆肥の価格はかなり高くなる。
ランム鳥の飼育で上がる利益はほとんど粉砕卵殻入り肥料やフンの堆肥によるものだ。特に、堆肥は土の団粒化を助けるとの事で最近値が上がり始めている。
それにしても、玉貨一枚か。
魔虫狩人の若手とビロース達が春の間に周辺の魔虫を狩って得られた素材の代金が玉貨十枚ほど。最近は周辺の魔虫が減った為ここまで大きく稼げることはないが、今年一番稼いだのは彼ら十三人だろう。
俺は窓の外の陽気を確認する。
季節は夏。
リシェイが帳簿の記載を終えてソファに背中を預け、楽な姿勢になる。
「村の利益で一番大きいのが変動の激しい魔虫素材の売却額というのは、少しむなしくなるわ」
「運営の観点から見るとな。それでも、ビロース達の働きは村に利益をもたらしている」
「分かってるわよ。今年の内にサラーティン都市孤児院出身者の家を建て終えてしまえたのもビロース達のおかげだわ」
俺はメルミーを見る。
「コマツ商会が建材を安く売ってくれるって話だけど、持ち込まれた資材の質も悪くなかったろ?」
「怖いくらいにね。相場の二割くらい安いんだっけ。なんでそんな話になったの?」
俺が建築家をしていた頃から贔屓にしているヨーインズリーのコマツ商会は、タカクス村設立時からの付き合いだ。
長い付き合いだから、と資材の値段を下げてくれたが、美味い話には裏があるのはこの世界でも同じこと。
リシェイが公民館の方を指差す。
「バードイータースパイダーの糸製の落下防止用ネットをアマネが別の商会から買ってきたからよ。橋を架ける計画が進行しているって事に勘付いたの」
「え、つまり、橋の材料はコマツ商会で買えって言ってるわけ?」
「そういう事だ。二割引きと言っても世界樹製木材なんて代金のほとんどが輸送費用だからな。橋を架けるとなればかなりまとまった量が必要になるから、二割引きでも利益は十分に出ると踏んだんだろ。橋なら振動吸収のために特殊な建材も必要になるし、コマツ商会のあるヨーインズリーには木籠の工務店がある」
メルミーの実家でもある木籠の工務店は橋を架けた実績をいくつか持っている。タカクス村の経営陣にメルミーがいる以上、木籠の工務店に橋架けを依頼するのは想像に難くない。
今頃はコマツ商会も木籠の工務店との連携を深めているだろう。俺が建築家、建橋家をしていた頃から多少なりとも俺を通した交流はあったけど、今はさらに強化されていると考えるべきだ。
「悪い話でもない。コマツ商会から安く資材を卸して木籠の工務店の優秀な職人を呼び込んで安く橋を架けられるんだ。みんな得してる」
俺はペンを走らせていた発注書をリシェイに回す。中継ぎのメルミーがざっと目を通す。
メルミーから受け取ったリシェイは発注書の不備がないかを確認してから机に置いた。
「橋を架けるのね?」
「あぁ。いまから始めないと村の拡大に追いつけなくなる」
タカクス村の現在の人口は七十人。今年の雪揺れの影響で家の倒壊が相次いだため経営破たんした村から移住の希望も舞い込んでいる。今年中に村人百人できるかな状態だ。
本来、百人程度の人口なら橋を架けずとも住居を建てる余裕があるものだけど、タカクス村の場合はランム鳥の飼育小屋や堆肥の発酵所、飼料用トウムの畑、燻煙施設と燃料用の挿し木畑といった施設が多い。
村人百人になると住宅用地がないのだ。
「橋の建築費用は玉貨二十枚、現在の蓄えと来月出荷予定のランム鳥の肉と肥料でギリギリ捻出できる金額になった」
「蓄えをほぼ全部使う事になるけどね。しばらくは外からの買い物禁止よ。お茶とか」
「切り詰められるところは切り詰めるさ。メルミー、今の内からお茶菓子を隠そうとか考えるなよ?」
「村でも甘い物作ろうよー」
「手がかかりすぎるから駄目だ。害虫、害鳥の駆除にどれだけ手間がかかるか」
甘い物がー、と駄々をこねているメルミーを、部屋の隅で膝を抱えているテテンが愛でるような目で見ている。長い前髪に隠れているからメルミーには見えないだろうけど、横顔が見える俺の位置からは丸わかりだ。
「テテンも、しばらく趣味で紙を使うの禁止な」
「……むぅ」
不満そうだが、テテンは渋々頷いた。
このテテンが何に紙を使っているかといえば、GでLなお話を書くのに使っている。ばれないように暗号文で書かれているそれの内容をなぜ俺が知っているかと問われれば、ときおり感想を求められるからだ。
真夜中、家人も寝静まり月明かりが頼りなく作業部屋にしかれた布団に寝転ぶテテンを照らす。不健康そうな色白の肌は月明かりに馴染む。
とか書けば色っぽいけど、男が一切登場しない少女同士の恋愛模様をテテン本人の口から音が漏れないように耳元でささやかれながら眠るのは拷問だ。割と拷問どころかはっきり拷問だ。
感想を求められて仕方なく述べれば翌朝まで百合談義だし、もうこいつと寝るのやだ。
男に一緒に寝るのが嫌と言わせる女って相当だと思うよ?
女が恋愛対象のテテンは喜ぶだろうけどさ。
メルミーが片手を挙げて発言する。
「落下防止用のネットはあるし、吊り橋に関しても春先に取った糸で作ったけど、他の資材はこれから発注だよね。どれくらいかかるの?」
「資材の到着までに二十日かな。それから職人が到着して、押出し式工法でやるから橋そのものは枝の上である程度作ることになる。完成するのは来年の夏だろう」
「冬の間は工事できないの?」
「橋を架けるのは無理だろうな。ただ、加工は出来る」
とりあえずは発注を済ませようか、と俺はコマツ商会や木籠の工務店宛てに手紙を書いた。
コマツ商会から注文した品が届いたのは十五日後だった。これを見越して渡りをつけていたらしく、かつてない早さである。
俺からの手紙が届くと同時に木籠の工務店と連絡を取ったらしく、注文の品が届いた翌日には木籠の工務店から店長を含む優秀な職人たちがやってきていた。
「取りかかるぞ」
タカクス村に着くなり店長は開口一番にそう言って、俺に橋の設計図を要求してきた。
「一日くらいゆっくりしたらどうですか?」
「何を言ってんだ。ビューテラームの建橋家ケインズが作ったアクアスはもう橋を架け終えてるんだぞ。アマネはヨーインズリー代表の若手建橋家だろうが、負けてんじゃない。さっさと橋を架けるんだ」
ライバル視し合っていたのは俺たちだけではなく、周囲もまたそうだったらしい。
まぁ、ケインズに先を越されて悔しい気持ちは少なからずあるのだけど、焦ったっていいものができるわけではないのだ。
やる気をそいでもいいものができないけど。
すぐに工事を始めるべきかで悩む俺の背中にメルミーが手を添えてきた。
「始めちゃおうよ。リシェイに言って夕食は少し豪勢にしてもらえばいいし」
「――そうだな」
メルミーにリシェイへの伝言を任せ、俺は店長さんに設計図を見せる。
「箱桁橋か。距離と資金を考えれば妥当だが、つまらんな」
楽しさを求める物ではないからね。
しかし、店長さんはしばらく眺めてから設計図を指差した。
「メルミーを呼んで来い。それから、もうちょっとだけでも外観をどうにかしてくれ」
「そんな事を言われても、予算もないんですよ」
ギリギリの資金で架けようとしているのだ。
店長さんは頭を掻いた後、設計図に目を落としてから決心したように口を開いた。
「依頼料をまけてやる。やる価値のある仕事だ」
「どれくらいまけてくれますか?」
「これからアマネが弄った分の作業で発生する宿泊費その他をなしにしてやる。さっさと仕事にかかれ」
マジでいいの?
「店長さん男前!」
俺はすぐに事務所に戻って設計図や資料を見ながらデザイン面を多少弄る事にした。
とはいえ、橋の長さはもちろん工法などをいまさら変えるわけにもいかない。弄る事ができるのは欄干など一部だけだ。
箱桁橋とは中身が空洞の箱を繋いで上部を通れるようにした単純構造の橋であり、あまり長く作る事が出来ない。支間も短く、橋脚が必要となる。利点として、工費が安い。
今回の箱桁橋の場合、箱内部に入って点検することもできるように設計してある。
さて、当初の俺のデザインでは、長方形の筒の上にただ欄干があるだけの面白みのないデザインだ。
いまからデザインを変更できるのはこの欄干の部分と、橋の床版を支えるストラットを飾りとして付けるくらいか。構造計算のやり直しも必要だけど。
ストラットとは橋の上を往復する人などの荷重を受ける床版を桁側面から伸ばして支える部材の事だ。幅が広めの橋を下から見上げた際に、床版の端と桁の側面を繋ぐ何本もの斜めに伸びた柱である。
このストラットは橋の床版の幅を広げるために設けられる。一休さんも、はしを渡れるようになる素敵な部材である。
「道幅が増えるよ、やったね、一休!」
「……変人アマネ、降臨、か」
「やかましいぞ、テテン」
というかいつの間に作業部屋に入ってきたんだ、こいつ。まぁ、いいか。
冗談はさておいて、このストラットは橋を横や下から眺めた時に機能美を添えてくれるものでもある。
並ぶストラットの美しさときたらもう……。
そんなわけで、余計な部材と知りつつ飾りとしてストラットを橋の横に取り付ける。何しろ飾りだから、設計の許す範囲内で好きな配置ができる。ぶっちゃけ、蛇行したストラットという機能美無視の飾りとして付ける事だって許される。俺のセンスは許さない。
手早く計算をしながら、元の設計への影響を極力少なく新しい設計を行う。
「――こんな感じかな」
橋の全長は六十メートル。ストラットは五メートルおきに十二本、太さは二十センチ。主桁は幅五メートル。床版は五メートル三十センチ。欄干は手を置く架木と平桁、地覆いの三本の平行線と、平桁を貫通する通したたらは矢羽模様の彫刻を入れた幅の広い板で作る。
ここまでやればつまらないとは言われまい。矢羽模様はこの世界では存在しない模様だけど、弓矢を主兵装に魔虫を倒すこの世界では奇天烈とも言われない。
急いで店長さんの下に持って行く。
「ほう、一気に遊び心のある橋になったな」
「見せてー」
メルミーが店長さんから設計図を受け取り、したり顔で頷いた。
「この彫刻良いね。魔虫狩人兼建橋家のアマネらしい外観になりそう」
「――その彫刻はメルミーがやれ」
店長さんが唐突にメルミーに仕事を振った。
メルミーは設計図を指差して、恐る恐る店長さんに声を掛ける。
「この彫刻をやるの?」
「お前以外の誰がやるんだ」
「いやだって、橋の顔みたいなものだよ!? こういうのって現場で一番腕のいい――」
「やかましい! ここはお前の村でもあるんだろうが。尻込みしてねぇで気合入れろ」
つっけんどんに言い放った店長さんは他の職人たちを見回して作業の開始を告げる。
威勢のいい声で返事をした職人たちが作業を開始する中、店長さんは俺の横に立った。
「平々凡々な仕事しかできない娘だが、助力を頼む。メルミーが独り立ちするための仕事にしたい」
「……不器用ですね」
「いっぱしの口ききやがる。早く孫を見せに来い」
……あれ?
孫って、メルミーの子供? 俺と作るの?
俺が訊ねる前に、店長さんは現場に乗り込んでいった。
事務所の裏で廃材に彫刻刀を当てていたメルミーがため息を吐く。
時刻は夜。今日の作業はもう終わりなのだが、メルミーはずっと廃材相手に彫刻刀を当てて練習していた。
矢羽模様を刻んで光に当て、掘り込み具合と陰影を確認する作業をメルミーは朝から続けていた。
「もう日も沈んだぞ」
「月明かりにも当ててみないと彫刻の表情がどうなるか分かんないっしょ」
彫刻の表情、か。
そんなもの、俺だってわからない。
けれど、メルミーの横にいくつか並べられた木板を見れば、良し悪しくらいは分かってしまう。
ここまでできれば及第点だ、と言い捨てて木籠の工務店の店長が彫った矢羽模様の彫刻数枚。
均一な模様が機械的に連続した一枚。風を受けてなびいた矢羽の流動的な美しさが表現された一枚。絶妙な陰影が飛び行く矢の姿を見せる一枚。どれも見事な彫刻が施されていた。
今こうしてみても、日の光の下で見た時と変わらない姿がそこにある。
別にメルミーの腕が悪いとは言わない。だが、メルミーの彫刻はよくできているけど、芸術ではないところで止まっているような気がした。
「わたしだって上手くないのは分かってるんだよ……」
不意にメルミーが呟いた。
店長の彫刻から視線を外せば、メルミーは廃材に刻んだ失敗作に見切りをつけ、別の板を取り出していた。
メルミーはわたし、なんて一人称を滅多に使わない。これを使う時が自己紹介の時とまじめな話をする時だってことくらい、俺だってわかっている。
「アマネの村に来たのは別に逃げたわけじゃないんだよ。それなのに、こんな無茶振りしなくてもいいじゃん」
無茶振りね。
「メルミーはさ、人の真似が上手いよな」
「……馬鹿にしてる?」
「いや、まじめな話だ。いままでのメルミーは店長さんたちの真似をして技術を磨いてきたんだろ。だからなんでも一通りこなせるようになった」
「どうせ技術の寄せ集めだよ」
むすっとして、メルミーは彫刻刀で木の板を削る。V字の刃で切れ込みを入れ、矢羽模様の下書きを作っていく。この段階ですでに、店長が及第点とした一枚の模倣だと分かるほど、メルミーの技術は個性がない。
だが、模倣しようにも店長とでは地力が違い過ぎる。形にはなっても、抜け殻じみた空虚さが残るだけだ。
月が傾いで夜も更けてきている。事務所の窓が開いてリシェイが顔をのぞかせた。
「中に入ったら?」
「うぅん……」
煮え切らない返事をして、メルミーが新しい木板に手を伸ばす。
俺はリシェイを振り返った。
「先に寝ていいよ。テテンにも伝えておいて」
「テテンならもう寝たわ。明日、燻製を作りたいそうよ」
「店長たちに好評だった燻製卵の再現か?」
「そうみたい」
なら別に構わないかな。煙が出てもまだ工事に影響は与えない。
リシェイが窓を閉め、事務所の中の明かりも消える。
俺とメルミーを照らしているのは吊り下げた提灯の明かりだ。反射板を兼ねた傘が付いているとはいえ、彫刻を続けるには暗すぎる。
「メルミー、少し話をしよう」
声を掛けると、メルミーは素直に木板と彫刻刀を置いて俺の隣に座った。
「なにさー」
「俺が失敗した話でもしようかと思って」
メルミーが横目を向けてくる。
「不幸自慢は聞きたくない」
「俺は幸せだけどな。あの失敗はそういう失敗だった」
いやまぁ、話すのは恥ずかしいんだけどね。
「実は建橋家資格試験の時にリシェイに怒られた事があるんだ」
「リシェイちゃんが怒るって珍しいね」
「怒るというか、諭すかな。うん、諭すの方が近いな」
俺は事務所を振り返る。
よし、寝てるな。
聞かれていたら恥ずかしくて部屋に閉じこもりたくなるから、用心しておく。
「メルミーも誰にも話すなよ?」
「リシェイちゃんにも?」
「できれば内緒の方向で」
諭されて奮起しましたなんて恥ずかしいからね。リシェイは当事者なんだから分かっているだろうけど、云わぬが花というものだ。
「何を諭されたかって言われれば単純な話でさ。ケインズを意識し過ぎるあまり自分の持ち味まで殺して何を作る気だって言われたんだ」
「建橋家試験の最後の課題?」
「そう、それ。俺がヨーインズリーから建橋家資格試験の受験を許されたのはケインズに対抗できる若手を育成する一環だった。だからなおさら、建築物の美しさとか、そういった外見を整える方に注力して迷走してたんだよ」
メルミーは膝に頬杖を突いた。
「それで、何を言いたいの?」
「メルミーの今の状況は俺の前段階だなって話」
メルミーが眉を寄せ、少し考えてから首をかしげる。
「どういう意味?」
俺はメルミーの失敗作を数枚拾い上げ、おそらくは模倣しただろう店長の作品と並べる。
出来を比べるような並べ方に、メルミーが唇を尖らせた。
俺はメルミーを横目で見て、口を開く。
「あてつけじゃないぞ」
「分かってるよ。アマネがそんないやらしい真似するもんか」
失敗作と作品を並べ終えた俺は席に座り直す。
並べて見比べればなおのこと良く分かる。メルミーの彫刻は模倣の域を出ていない。技術はあっても経験と持ち味が足りてない。
だから、抜け殻のように無味乾燥な失敗作だけが量産されるのだ。
「俺は自分の持ち味を見失って迷走したけど、メルミーは自分の持ち味をそもそも持っていないんだろ?」
返ってきたのは沈黙だった。
多少抗議するような眼を向けてくるメルミーを無視して続ける。
「メルミーは店長さんたちの技術を真似てきたけど、十全に真似られてない。だから自分の技術を身に付けようとしてこなかった。違うか?」
「見てきたように言うね」
「見てきたさ。何年一緒に仕事してると思ってる」
言い返してやると、メルミーは言葉に詰まってそっぽを向いた。
「口説くなし。ヴァーカ」
「結論から言って、メルミーがこの先どれほど努力したところでこれ以上は店長さんを真似る事は出来ない」
「それはわたしの腕が――」
「メルミーの腕の問題じゃない」
先手を打って否定する。
「メルミーは、経験はともかく技術はきちんと身についてるんだ。これ以上を模倣できない理由は、ここから先が技術によるものではなく店長さんの持ち味、個性によるものだからだ。メルミーはどこまでいってもメルミーで、店長は店長だ」
「そんな見え透いた慰めで騙されるほど子供じゃないよ。並べてみれば、技術的にも劣ってるって分かるじゃん」
「そうか? 俺が職人じゃないから分からないのかもしれないけど、俺にはこの失敗作がどう見ても無理に模倣して崩れた結果にしか見えないよ」
本来のメルミーならもっとうまくやれる。その確信があるのは、先ほど言った通り一緒に仕事をしてきたからだ。
メルミーの仕事には個性がない。だが、模倣し続けて結実した原石とも呼べる技術はある。
「店長さんは多分、原石のままのメルミーに個性の輝きを放つ宝石になってほしいんだ」
言った後で、あまりにも気障な台詞だと気付いて身もだえしたくなった。のた打ち回りたい。切実にのた打ち回りたい。
俺の気持ちを知ってか知らずか、メルミーはぼんやり失敗作を見つめていた。
「いまいちよく分からないんだけど」
ですよねー。
それでも、言ってることは単純だ。
「自分が何を目指すかって事だよ。職人として何を魅せるのか、突き詰めて考えようって話だ」
「何を魅せるか、かぁ。もうそういう事を考えていいのかな。まだまだ何もできない気分なんだけど」
いきなり放り出されて、お前に出来る事を全力でやって見せろと言われてすぐに取り掛かれるやつもいないだろう。
「一晩寝てよく考えてみろよ」
「うーん。ねぇ、アマネ、添い寝して」
「なんでそうなる」
「じゃあここで寝る」
夏と言ってもさすがに風邪を引く、と止める前に、メルミーは寝転がった。
俺の膝の上に置かれたメルミーの横顔が耳まで赤いのに気付いてしまえば無下にもできない。
赤い顔を見ているとこちらまで照れくさいから、髪を撫でる振りをしてメルミーの横顔を隠した。
「……日が昇ったら起こしてやるよ」
「アマネ偉そう」
「うるさい。寝ろ」
くすくす笑うメルミーから視線を逸らして、俺は星空を見上げた。
翌日の昼、メルミーは店長に試作品の木板を突き出して有無を言わせずに作業に取り掛かった。
これにするから、と店長の意見を全く聞く気がないと分かる強気な姿勢でメルミーが渡した木板を見て、店長が頭を掻く。
「一晩でこんな色っぽい仕上がりの彫刻が施せるようになるとはなぁ……。アマネ、ちょっと面貸せ」
「いや、俺は何も――」
「面貸せ」
なんでだよ、おい!
「メルミー笑ってんな。てか、誰か助けて、ねぇ!」
店長さんに首根っこを引っ掴まれて、俺は作業場と化している共有倉庫から引きずり出される。
店長さんがもう一方の手で持っている試作品の板には、優しい風合いの矢羽が風の筋を思わせる年輪に優しく撫でられていた。