第十七話 冬の日々
監査役さんの話によると、ケインズの村、アクアスはすでに人口百人に上り、家畜を育てていない事から臭いや騒音とも無縁の静かで綺麗な、少し風変わりな村として注目を浴びているらしい。
新進気鋭の建橋家であるケインズはその建築物の美麗さから建橋家資格を取得している。
そのケインズが〝住みたいと思わせる家並み〟をテーマに村の建築物をすべて手掛けており、アクアスは美しくも独創的な家が立ち並ぶ特異な景観を有する村となった。
資金源はミッパを始めとしたありふれた農作物でありながら、村の料理屋では各種農作物に加えて養殖魚アユカを品物に加える事で観光客の興味を引き、村の活性化を図っている。
世界樹南の村や町の中では最も活気があり今後も大きくなっていくだろうアクアス村は、早期に別の枝へ橋を架ける事で農用地や住宅用地を確保する狙いで、来年から橋の建設を始めるとの話だった。
カッテラ都市へ帰って行く監査役さんを見送って、俺はランム鳥の飼育小屋へ向かう道を少し外れ、タカクス村の中を見て回る事にした。
ケインズにまたも先を越されてしまったが、こればかりは焦ってもしかたがない。
タカクス村は俺だけの村ではない。
村のみんなの生活が懸かっている以上、無理をして経営破綻したのでは目も当てられない。
ゆっくり、確実に。
現在のタカクス村は住人五十人、カムツ村から疎開してきた人たちが十人いる。
雪を降ろした後にも関わらず差し掛け屋根の上にうっすらと雪が積もった公民館を眺め、村を振り返る。
ランム鳥の飼育で有名なゴイガッラ村は片流れの屋根で向きまで統一されていたけれど、タカクス村は多様な屋根の形が混在している。
住人それぞれに家の希望を聞いたため、統一感があまりない雑多な雰囲気になっていた。
ほぼ平坦な枝の上に立つ村だけあって、区画整理は行き届いている。碁盤の目のように道が配置されている状態だ。まだ家も二十軒程度なので、碁盤を例えに持ち出すのは大仰か。
しいて言うなら田んぼの田。
しょぼいなぁ。
だが、住宅区だけでなく畑などへの道もきれいに碁盤の目で統一されている。
俺は飼育小屋へと向かう。
村の外れにある飼育小屋は越屋根で壁にも開閉式の窓が複数ある。いまは冬の冷たい外気を入れないよう窓は閉じられ、ブラインドが下ろされていた。
あと十歩ほどで飼育小屋の扉というところまで来るとランム鳥の臭いが感じ取れるようになってくる。扉を開けると飼育小屋に詰めている雪かき班とマルクトの賑やかに笑う声が聞こえてきた。
「村長、お帰りなさい。いまポチ乃進がおが屑の中に埋まってる炭を掘り起こして集めてるんですよ。ほら、あれ」
「ポチ乃進ってなんだよ」
マルクトが指差す方を見やれば、茶羽のランム鳥がおが屑を翼で払い飛ばし、出てきた炭を嘴で摘まんで飼育小屋の奥へ運んで行った。
「あれがポチ乃進です。物を集めるのが好きみたいで」
変な奴だな。
「それよりもマルクト、そろそろ羽毛クッションを燻そう。交換を手伝ってくれ」
「了解しました」
マルクトが予備の羽毛クッションを持ってきて、ランム鳥たちが下敷きにしている物と交換する。
雪かき班が古い方の羽毛クッションを持って俺の前に立った。全部で五つの羽毛クッションだが、一つはわざわざ男二人で持ち上げている。
羽毛クッションの名前の通り、中身は羽毛だ。一人で五つ持ち上げるくらい造作もない。
俺は笑顔で雪かき班全員から羽毛クッションを奪い取った。
「あぁ、ずるい!」
「村長、ずるいぞ!」
「一人で燻煙施設に行ってテテンちゃんのあられもない姿を見る気だろ!」
「あそこはいま女衆のたまり場になってるんだぞ!」
「貴重な薄着姿なのに! 薄着姿なのに!」
「――えぇい、やかましい! 下心の塊みたいなお前らを連れていけるわけないだろうが!」
そもそも、俺以外の男が行ったら問答無用で追い出されるんだよ。
「なんで村長はいいんだよ」
「それはほら、実績じゃね?」
「なんの?」
「リシェイちゃんとメルミーちゃんとテテンちゃん、三人の美女に囲まれて手を出してないんだぜ?」
「村長……」
憐れまれたんだけど。
俺はランム鳥の臭いが染みついた羽毛クッションを五つ重ねて持ち上げる。
「襲うつもりがないだけで、襲えないわけじゃないからな。お前ら、俺が不能だとか思ってんじゃねえぞ」
雪かき班五人が俺の背中に蹴りを入れてくる。
「体が反応しても心に野獣を秘めてない村長は男じゃねぇ。でてけ!」
「なんだよ、その理屈!?」
飼育小屋を追い出され、俺は五つの羽毛クッションに視界を半ば塞がれながら雪の中を燻煙施設へ歩き出す。
村の北外れの飼育小屋から、東外れの燻煙施設までは畑を突っ切る形になる。
冬を越して春に実るいくつかの野菜が雪の下に埋もれている畑に左右を挟まれた道。
踏み外さないように、畦道の代わりに設けられた木の道を進む。
畑のおかげで視界を遮る物もなく、飼育小屋からさらに離れた場所にある堆肥の発酵所なども雪にかすんではいるが確認できた。
進む先に燻煙施設が見えてくる。
魔虫の甲殻で作られた煙突から煙が出ていた。近付くにつれ、女たちの高い声が聞こえてくる。煙を逃がすためと、一酸化炭素中毒を起こさないように通気をいくらかよくしてあるために声が外に漏れているのだろう。
俺は燻煙施設の扉に付いた呼び鈴を鳴らす。バードイータースパイダーの糸で吊り下げられた呼び鈴が施設の中で鳴る音が微かに聞こえた。大半は女性たちの声にかき消されていたけど、中にいるテテンの気は引けたようだ。
「アマネ……?」
「羽毛クッションを運んできた。中に入れるか?」
「……待って」
テテンの足音が遠ざかり、中の女衆の声が小さくなる。
小さくなったかと思えば、よく通る声が中から聞こえてきた。
「アマネっち、いまならリシェイが薄着一枚だよー!」
「メルミー離しなさい! あ、アマネ、まだ入ってきちゃダメ!」
いや、そっちが開けてくれない限り、入るつもりはないって。
「村長、服を着てないのはリシェイとメルミー、それからテテンだけだから遠慮せずに入っちゃいなさい」
村でも年長の奥さんの声が聞こえてくる。
いいの? 入っちゃう?
入りたいけど規則は規則なので、中から扉が開かない限りは動かない。俺マジ紳士。
でも早く入れてほしい。寒い。雪が吹き付けてくるのだ。さっきから背中に入った雪が解けて背筋を伝っていくものだから、体が冷えて仕方がない。
と思っていたら、中から扉が開かれた。ちなみに、扉は横にスライドするタイプだ。外開きだと雪で開かなくなる恐れがあるし、内開きだと中毒を起こした時に外から救助できない可能性がある。
「あぁ、助かった。風邪ひくかと思――」
羽毛クッションの隙間から見えたのは、扉を開けたテテンの姿だった。肌色が透けて見える薄い生地のタンクトップにズボンは腰のラインが手に取るようにわかるほどぴっちりした硬めの生地で太ももの半ばまでしかない。
こんなに薄着になる必要があるのかと思った瞬間、燻煙施設の中から溢れてくる熱気と煙に、俺の服に付いていた雪が瞬く間に解けだした。
サウナ風呂みたいになっているようだ。窓なんかほぼ全開なのに。
「入れ、風邪ひく……」
自らの肩を抱いて身を震わせたテテンが出入り口から体をずらして外気から身を守る。
すると、中の様子が見えてきた。
リシェイに後ろから抱きついて拘束し、ニマ付いているメルミーの姿がある。
リシェイはメルミーから逃れようと暴れた後なのか、ただでさえ薄着の服がめくれあがって胸のふくらみの下の辺りまで見えている。視線は俺に合わせたまま、顔を真っ赤にして完全に硬直していた。
「あはは、り、リシェイが完全に固まってる。わ、わらえる」
メルミーはリシェイを解放すると腹を抱えて笑いだす。
そんなメルミーもかなりきわどい格好をしていた。下はくるぶしまであるズボンを穿いているが、上半身はスポーツブラのような布面積の少ない服だ。服と言って良いのか? 下着だろ、あれ。
リシェイが復活する前にこの場を後にした方がよさそうだ。
「テテン、この羽毛クッションを頼む。半刻ほど燻してから上下反転させてくれ」
「中身は……?」
「中身を取り出して燻す必要はない。そこまですると羽毛クッションに煙の臭いが染みついて、ランム鳥が嫌がるらしいんだ」
ゴイガッラ村長からの手紙にはそうあった。
「それじゃあ、後で引き取りに来るから」
「……待てばいい」
「ここで待つと酷い目に遭いそうだから、逃げるんだよ」
三十六計逃げるにしかずってな。
燻煙施設を出ようとした俺の手をテテンが掴む。
まだ何かあるのかと思って振り返れば、テテンはにんまりと悪い笑みを浮かべて俺を上目使いに見つめていた。愛想笑いは出来ないくせに、こういう悪い笑みは上手なのか。
「……風邪引く」
「いやだから、飼育小屋に」
「雪道往復……体に良くない」
こいつ、俺をリシェイの生贄にする気だ。
村の女衆も楽しげな笑みを浮かべていた。
「テテンちゃんの言う通りだね。ささ、中には入んな」
「冬は長いんだから、話題を提供してくれても罰は当たらないっしょ」
「はいはい、扉閉めちゃって」
「村長を奥へごあんなーい」
完全に捕まった。
無理やり奥へ連れ込まれ、女衆に周りを囲まれる。
「村長にはいろいろ聞きたいことがあるのさ」
「煮え切らないから見てて面白くな――リシェイちゃんたちが可哀想でね」
いま何か言いかけたよな。
「そろそろ大きな動きの一つもあっていいと思うんだよ」
「誰が本命だい? それとも他にいい人がいるのかい?」
「まさか、この中に?」
「やだもー」
……帰りたい。
「メルミー、リシェイ、こっちきなよー」
「リシェイちゃん、なんで服着てんの!」
「え、だって――」
「だってじゃないよ。リシェイちゃんがそんなだからはっきりしないんだよ。こっちおいで」
リシェイがダメだしされ、涙目で俺の隣に座らされた。むろん、薄着である。俺はさりげなく視線を逸らした。
視線の先には俺をリシェイと挟むように座ったメルミーがいた。スポーツブラ状態だ。俺は視線を下げて床を見つめ、年輪を数えることにした。
「おーい、メルミーさんのお色気姿を目に焼き付けなくていいのか―い。おぉいー」
メルミーが耳元でささやいてくる。息がこそばゆい。やんややんやと女衆が囃し立ててくる。
「……消えたい」
リシェイに心から同意した。
「そんちょー、押し倒せとまでは言わないけどキス位したらどうよ?」
「冬なんだし、多少暑苦しく愛を囁いたってみんな気にしないってば」
「たとえばそう、俺が温めてやろうか、とか言ってみなよ」
「きゃー」
女衆に煽られつつ、半ば魂が抜けた状態で時の流れに身を任せていると、テテンが燻し終わった羽毛クッションを持ってきた。
「……終わり」
テテンに羽毛クッションを差し出された。引き留められたときには悪魔に見えたけど、今は女神に見える。中身を知らなければ惚れちゃいそう。
だが、女衆はとどまる所を知らなかった。
「何を言ってるんだい。テテンちゃんも仕事が終わったんなら話に加わりな」
「……え?」
テテンが困惑の表情を浮かべるが、奥さんは気にすることなくテテンの手を取り、俺とリシェイ、メルミーを眺めた後にっこりと笑った。
「空いてるのは膝だね」
「……うぇ?」
困惑から驚愕へ移ったテテンの事など構いもせず、奥さんはテテンを俺へ押し出し、無理やり座らせる。
胡坐をかいていた俺の膝の上へ……。
猫背気味で小柄なテテンはすっぽり俺の前に座り込んだ。
状況について行けずにテテンが周囲を見回し、背後の俺を肩越しに振り返る。
「巻き添え……」
「自業自得だろ」
観念して女衆の餌食になれ。
俺の帰りが遅い事を心配したマルクトが扉を叩くまで、俺は針のむしろを味わう事になった。
冬が過ぎて、春が来た。
女衆に軟禁されない夢の季節が到来したのだ。
俺は爽やかな気持ちで雪解け水の滴り落ちる音を聞きながら、未だ冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
今日からは昼も事務所に居ていいのだ。
マルクトでもない限り、飼育小屋に籠るのは気が滅入る。雪かき班たちもほっと一安心している事だろう。
「そろそろ資材が来るかしら?」
「支え枝の奴?」
リシェイとメルミーが事務所から出てくる。昨日は燻煙施設の掃除をしていたとの事で、テテンは疲れ果てて朝寝坊中だ。
俺は村の入り口を見る。ちょうど行商人がこちらに向かってきていた。
資材を乗せたコヨウ車を操る行商人はよく卵などを買って行ってくれるお得意様だ。
だが、今日は見慣れない十人の若者を連れていた。
「タカクス村長、お久しぶりです」
行商人がコヨウ車から降りて声をかけてくる。
冬の雪が降り始めた辺りから雪でタカクス村への道が封鎖状態になり、買い付けに来れなかったらしい。
「タカクス村の被害はどうです?」
「こちらは何とも。ヒナも今年は全部生き残りましたよ」
「そうですか。それは何よりです。いえね、他の村では雪揺れもあったらしくて建物の倒壊被害が出てるんですよ」
「雪揺れですか。こっちまではなかったですね」
雪揺れは世界樹の枝に積もった雪が一度に落下する事で起きる揺れだ。世界樹の枝は太く丈夫なため早々簡単には揺れないのだが、雲中ノ層辺りから振り落ちた雪が雲下ノ層の枝に直撃したりすると揺れる事がある。
都市などでは空中回廊にも影響が出る災害の一つだ。
「カッテラ都市からきてるんですよね? 被害は?」
「カッテラ都市は被害なしですね」
情報交換をしつつ、行商人を公民館へ案内する。荷車を曳いているコヨウも公民館に併設してある厩に入れておくためだ。
「ヒナの死亡数がゼロとは凄いですね」
「去年の反省もあって、手を尽くしましたから。数も八羽と少ないですからね」
若鳥がかなりの数いるが、そいつらも羽毛クッションで暖を取っていた。
「来年は火鉢が欲しいなと思ってるんですけど、熱源管理官をもう一人雇うとなるとお金がね」
「世知辛いですね。支え枝用の資材で素寒貧ですか?」
行商人が荷車に積んでいる支え枝用の資材や苗木を振り返る。
そこで、俺はずっと気になっていた若者十人に付いて行商人に聞く。
「お弟子さんですか? 数が多すぎる気がするんですけど」
「あぁ、違うんです。彼らはタカクス村に移住したいとの事で、ここまで連れてきたんですよ」
「移住希望者?」
こちらから募集を掛けずにやってきてくれたのは初めてだ。
タカクス村も少しは名前が売れてきたのか。
なんだかうれしいな。
内心照れていると、若者の一人が俺に声をかけてきた。大体二十代前半だろう。
「魔虫狩人のアマネさんですよね。お噂を聞いて、弟子入りしに来ました!」
「……え?」
弟子入り希望? 建橋家としての俺じゃなくて魔虫狩人の俺に?
意味が分からず、俺はリシェイとメルミーを見る。
「俺って魔虫狩人としての名前はそんなに売れてないよな?」
「建橋家と両立しているのは珍しいから、少しくらいは話題に上ると思うわよ?」
「それにアマネって、前にワックスアントの巣を発見した事があったからさ。一時期、体も張れる建橋家って職人界隈で囁かれてたんだよ。下手に逆らうと酷い目に遭うぞーって」
何それ聞いた事ない。
しかし、若者の表情を見ると嘘を吐いているようにも見えない。
「なんで俺に弟子入り? というか、君たち魔虫狩人なのか?」
「はい。もともとは野鳥を狙って狩りをしてたんですが、去年の大雪で村の作物がダメになって、それを機に魔虫狩人を目指してカッテラ都市に出たんです」
若者たちの自分語りを聞く限りでは、魔虫狩人として働き始めたはいいものの満足に魔虫を狩ることができず、矢などの購入で資金が目減りしていく状態で、今は村を出た時の蓄えも底を突きかけているという。
そんな折り、カッテラ都市の魔虫狩人ギルドの会計役から俺の話を聞いたらしい。
「傷一つないビーアントの甲殻を一度に持ってきて市場動向を見極めたうえで最大利益を手にして帰って行ったって。腕もいいし交渉もできるから弟子入りしてきたらどうかって」
あれか。村を作ってすぐにビロースと狩ってきたビーアントその他の素材を売りとばした時の話だ。
リシェイが納得したように頷く。
「狩りの腕だけでは商会に持ち込んでも素材を買いたたかれるものね。一人前としてやっていくなら交渉事もこなせるアマネに弟子入りするのは間違ってないと思うわ」
「ギリギリまで搾り取ったんだっけ。アマネって時々容赦ないね」
「人聞きの悪い事を言うなよ。あのときは村の経営がピンチだったから仕方なくだな」
公民館に到着して、行商人に支え枝の資材の代金を支払う。
俺からの代金を手早く確認した行商人は後ろにいる十人の若者を指差す。
「それで、この若者たちはどうしますか? 村に迎え入れる余裕がないのなら、カッテラ都市に連れ帰りますが」
「いや、それには及ばないよ。どうせカッテラ都市に帰ってもジリ貧なんだろ? ギルドの会計さんに伝えておいてくれ。今度会う時は財布の中身を確認しておけってさ」
この若者を鍛えるついでに手に入れた魔虫素材で搾り取ってやるわ。
「ははは、とばっちりを受けたくはないですから、しっかり伝えておきましょう」
行商人は朗らかに笑う。
「次は家の資材も運んだ方がよろしいですか?」
「そうですね。公民館もいっぱいになっていますし、家を建てないといけないですね。帳簿と睨めっこしないといけないので、発注はもう少し待ってください」
「かしこまりました。では、卵の方を」
「今回は燻製卵もあるんですよ」
若者たちにはしばらく公民館の食堂で寝泊まりしてもらう事になりメルミーに仕切りを任せて、俺はリシェイと共に行商人を飼育小屋に案内した。