第二話 弟子入り生活
俺がじっちゃんと住んでいたレムック村は世界樹の東に位置している。
レムック村から一番近い町はハラトラ町、人口は三千五百人ほどだとレムック村に出入りする商人から聞いたことがある。
雲下ノ層、つまり雲の下にある枝三本に跨る町で、枝と枝の間には橋が架かっている。
そう、橋だ。
「おぉ、これが世界樹の橋!」
おのぼりさん全開でハラトラ町を見回す。
晴れた空の下、いくつも住居が並んでいる。道幅は狭く、左右の住居の屋根がやや道路側にせり出している事もあって圧迫感がある。
なにより目を引くのは世界樹の枝と枝を繋ぐ巨大な橋だ。世界樹製のそれは枝の間を渡しており、バードイータースパイダーという魔虫の糸で作った太いロープで吊るされている。形式的には斜張橋、枝の上に設けたアルファベットのAに似た形の塔からロープを斜めに張ってある。
「ニャッタン橋に近い外見かな。実にいい」
響きが可愛いニャッタン橋。外見も白と赤のコントラストが良い感じの可愛い斜張橋であると大評判だ。主に俺の中で。
ハラトラ町の橋の塔は白一色だけど、これはこれでいい感じだ。
と、こうしている場合でもないな。
俺はハラトラ町を素通りしてさらに先の目的地へ向かう。
そうして到着したのはサラーティン都市だ。
人口一万三千から一万四千人とされる大きな都市で、雲下の層に五本、雲中ノ層に二本の枝を有する。
サラーティン都市の入り口でその威容に息を飲む。
世界樹の枝の上に作られた住居の屋根の上を空中回廊が走っている。無数に渡された空中回廊には在りし日のロンドン橋もかくやといった様子で住宅街が形成され、その住宅街の上にも空中回廊が通っている。
立体迷路のような空中回廊群が雲中ノ層、つまり雲ができる高さまで延々と続いていた。
高さを確保した空中回廊から雲中ノ層にある枝への橋が伸びている。雲中ノ層の枝の上には他より少し立派な建物が並んでいた。
都市や摩天楼では創始者一族と村時代からの古参住人の一族がより上の層の枝に住む慣習がある。あの雲中ノ層にある建物にもサラーティン都市の創始者一族が住んでいるのだろう。
ちょっとした高級住宅街に見えるけど、多分見間違いではないな。
「すみません、魔虫狩人ギルドってどこにありますか?」
道行く人に魔虫狩人のギルドのありかを聞く。
弟子入りも大事だが、ひとまず自活できるようにならないとまずい。
手元にあるのは鉄嘴鳥の嘴から作られたもっとも価値が低い貨幣である鉄貨が数枚。宿暮らしをするとしても十日ちょっと持つだろうか。
サラーティン都市は東の摩天楼ヨーインズリーにほど近いから、貨幣価値もヨーインズリー基準だろう。
この世界の通貨発行権は摩天楼のみが持つ。
なぜなら、雲上ノ層に生活圏を広げている摩天楼でしか狩る事が出来ないレインボウインセクトから作られる玉貨はもちろん、最上位貨幣である果皮貨も摩天楼でしか作れないからだ。
果皮貨なんて見たこともないけど、何でも世界樹の実の果皮から作られているらしい。万病の特効薬とされる世界樹の実から作られる貨幣だ。希少性も高い。
村育ちの俺に見る機会なんかなかった。
確か、果皮貨千枚で世界樹の実と交換できるとの事で、貨幣価値を保っているらしい。
ポータルラーメンの橋を渡って雲下ノ層の枝を移動し、空中回廊へ上がるための階段を上る。手摺には滑り止めを兼ねた彫刻が施されていた。
空中回廊は幅も様々だが、大体は二十メートルから三十メートルで収めてあった。道路幅が三メートル、残りを左右の住宅や店舗が占める形だ。
空中回廊の上に並ぶ民家の間には時折展望台を兼ねて外側にせり出した部分がある。高所から望むサラーティン都市も面白い。どう見ても迷路だ。高所恐怖症には優しくない世界だと常々思っていたけど、空中回廊は別格だな。
魔虫狩人のギルドはすぐに見つかった。
「坊主、何か用か?」
ちょうどギルドに入ろうとしていた魔虫狩人らしき男が俺を見咎めて訊ねてくる。
「依頼人には見えねぇけど……」
じろじろと不躾に俺を見ていた魔虫狩人は、俺の背負っている荷物に長弓を見つけて目を細めた。同業者だと気付いたらしい。
まぁ、正確にはギルドに登録していない俺は同業者と言い切れないけど。
「登録しにきました」
「なんだ、そうか。しっかし、若いなぁ。食いあぶれて村を出てきた口か?」
面白い物を見つけたように目を細めて、魔虫狩人は俺の代わりにギルドの扉を開けてくれた。
「ほれ、入んな。受け付けはまっすぐ行ったところだ」
「どうもありがとうございます」
「礼儀正しいな。魔虫狩人なんてのはどいつもこいつも粗野だが、別に理不尽に暴力をふるったりはしねえから、そんなかしこまらなくていいぞ。俺はビロースってもんだ。ここじゃあまだまだ俺も若手だが、聞きたいことがあれば何でも聞け」
案外気の良い人らしい。
ビロースと握手を交わしてから、受付に行って登録を済ませる。
成人を迎えたばかりの十五歳という事で実力を見せてほしいと言われ試験も行ったが、一線級の実力有りとお墨付きをもらう事も出来た。鍛えてくれたじっちゃんに感謝である。
個人で活動しつつ、時にはギルドが動員しての討伐作戦もあるとの事で、住む場所が決まったら報告しなければいけないらしい。宿を探してから来るべきだったか。
説明を受けた後、俺はギルドの職員に訊ねる。
「建橋家に弟子入りしたいんですけど、サラーティン都市の建橋家に心当たりはありませんか?」
建築家であればどんな小規模な村であっても必ず一人は常駐しているものだが、建橋家はエリート中のエリートだ。都市でもなければまずお目にかかれない。
職員さんは少し困ったような顔をした。魔虫狩人が建橋家に弟子入りしたいなんてことはまずないからだろう。
「いる事はいるんだけど、あまりお勧めはしないよ。偏屈で頑固、しかも厳しいって評判なの。今までにも三人弟子を取ったけど全員堪えられなくて逃げ出しちゃったらしいし」
魔虫狩人ギルドに所属している証であるメダルを俺に差し出しながら、職員さんは頬に手を当てる。仕草が可愛い。眼鏡をかけた仕事のできるOLっぽい外見でそんな可愛らしい仕草をしないでほしい。ギャップ萌で惚れてしまう。
密かに職員さんに萌えながら建橋家の住所を教えてもらう。
「ありがとうございました。ちょっと弟子入りしてきます」
「近所に買い物行くみたいなノリね」
「えぇ、将来を買いに行くんです」
軽口を叩いてギルドを後にする。
件の建橋家はフレングスという名前らしい。
齢五百四十。この世界の人間は十五歳まで普通に成長するけれど、その後は途端に老化が遅くなるため、五百四十歳といっても外見は五十そこそこだろう。若く見える人なら三十台でも通じるくらいだ。詐欺には注意しなくてはならない。
大体この世界の人は年齢に対する感覚がアバウトすぎるのだ。プラスマイナス三十歳程度は誤差の範疇である。ほぼタメと変わらない。
だから、あのギルド職員さんが三百二十歳でも結婚したがる人は多いだろう。日本人的感覚に照らし合わせれば三十二歳。
……ありだな。
建橋家フレングスさん宅は雲下ノ層を基底とした空中回廊群の中段辺りにあるすこし幅広の建物だった。二階建てのようだけど、外から見た感じ屋根裏部屋がありそう。
いいよね、屋根裏部屋。秘密基地っぽくて好みですよ。物置にするなんてとんでもない。程よく物置にする分には構わない。
「こんにちは。フレングスさんはご在宅ですか?」
コンコンと玄関扉をノックして家の中へ声を掛ける。
ほどなくして現れたのはエプロン姿の中年女性だった。中年イコール四百歳。この世界の常識である。もう慣れた。
「あら可愛い。でも眼つきの悪い子ね。うちの人に何か御用?」
中年女性は俺に微笑みかけてから家の中をちらりと振り返る。
「建橋家のフレングスさんに弟子入りしたくて訪ねました」
「あらあら、弟子入り志願なんて百年ぶりくらいよ。うちの人も喜ぶわ」
「――誰が喜ぶもんか。帰れ」
家の中から声が飛んでくる。
姿を現したのは見るからに頑固そうな中年男性だ。おそらく、フレングスさんだろう。
フレングスさんは鋭い目つきで俺を睨んで、ハエでも追い払うように手で空気を払う。
「もう弟子なんか取らん。どいつもこいつも腑抜けですぐに逃げ出しやがる。こちとら忙しいんだ。もう無駄な事はせん」
「そんなこと言って嬉しいくせに。面倒な人だねぇ」
中年女性がフレングスさんの言葉を否定してまぜっかえす。
何故か怯んだフレングスさんはそれでも俺を追い払うつもりなのか玄関先に出てきた。
「とにかく、弟子なんかもう取らん。三人も面倒見てどいつもモノにならなかったんだ。これ以上は無駄だ、無駄」
帰れ、帰れと連呼される。
魔虫狩人ギルドで聞いた偏屈で頑固という言葉が頭をよぎる。
俺はフレングスさんに向かって深々と頭を下げる。こういう時は誠意が大事。学ぶ頭は下げる頭の精神だ。
「建橋家になりたいんです。お願いします!」
「だから、弟子は取らないと――おい、そのメダル、もしかして魔虫狩人か、お前」
先ほど魔虫狩人ギルドで渡されたギルド員の証であるメダルを指差して、フレングスさんが訊ねてくる。
俺は首から下げていたメダルを取って、フレングスさんに見えるよう掲げた。
「さっきギルドに登録してきました。村に住んでいた頃に何度か実戦経験もあります」
ブランチイーターとか。
フレングスさんは疑うように俺のメダルを検分し、本物と分かると少し考えるそぶりをした。
「……魔虫狩人をやれるくらいに度胸と根性が据わってるなら教えてやる」
フレングスさんは鼻を鳴らすと家の中に入って行く。
奥さんらしい中年女性が口に片手を当ててくすくす笑った。
「素直に期待してるっていえばいいのにねぇ」
「うるさいぞ」
フレングスさんの抗議を笑って受け流して、奥さんが俺を家の中に手招く。
「村から出てきたってことは住む場所もまだ決まってないんでしょう? いっそのこと住み込みで弟子をやりなさいな。うちの人も喜ぶから」
「だから、喜ばんといっとるだろうに」
「あらあら、嘘ばっかり」
暖簾に腕押しである。フレングスさんも奥さんには強く出られないのか、物言いたげな顔をしつつも部屋の中に引っ込んだ。
本当に上がっていいのか迷っていると、フレングスさんが部屋から顔だけ出して俺を睨む。
「いつまで玄関にいる気だ。さっさと入ってこんか。まずは簡単な計算から教えてやる」
それだけ言ってまた部屋に引っ込むフレングスさん。まじツンデレである。
戸惑いつつもお邪魔しますと声をかけて家に上がった俺に、奥さんが耳打ちする。
「ほら、喜んでるでしょう」
みたいですね。
部屋の中でいそいそと机を動かし、教材を準備してくれているフレングスさんを見て、俺は奥さんに同意した。
凄く、喜んでらっしゃいます。
―――――――――
「アマネ兄さん、あそぼー」
近所の少女に服の裾を引っ張られる。
「アマ兄、弓教えろー」
近所の少年に袖を引っ張られる。
「アマ兄ちゃん、結婚しよー」
近所の幼女が右足に抱き着いてくる。
「あらあらまぁまぁ、アマネ君ったら罪作りねぇ」
「笑ってないで助けてくださいよ、サイリーさん」
フレングスさんの奥さん、サイリーさんに救援を乞う。
フレングスさんに弟子入りして早二年、俺は十七歳になっていた。
近所の少年少女に絶賛玩具扱いされている。困ったときの遊び相手、将来の旦那さん(保険)まで手広くやらされてます。
「ごめんね、みんな、アマネ君はこれからうちの人と建築現場に行かないといけないの。遊ぶのは明日にしましょうね」
サイリーさんがやんわりと少年少女を引き剥がし、幼女を少年に押し付けてあたふたさせ、少女を台所でのお菓子作りに誘う。流石は手馴れている。
サイリーさんは少女を先に家の中へ上がらせてから、俺を振り返る。
「今までの弟子の子たちは二年間も計算や建材の種類を覚えたりだとかで現場に出してもらえなかったからやめてっちゃったのよ。アマネ君はここまでよく頑張ってくれたわ」
にっこり笑って、サイリーさんは続ける。
「うちの人は褒めたりしないから、代わりに私が、ね」
甘やかすなと言われるから内緒よ、と笑ったサイリーさんが、少女に呼ばれて家の中へ戻って行く。
家から出てきたフレングスさんが家の前にたむろする少年少女に顔を顰めた。
「アマネ、絡まれないうちに現場に行くぞ」
絡まれた後です。
「今日の現場って老朽化した商業区の空中回廊の工事ですよね。今日は調査だけですか?」
現場に向かって歩き出しながら確認する。
フレングスさんが頷いた。
「そうだ。商業区はどうしても人の出入りが激しいから傷みやすくてな」
今回の現場は五十年ほど前にフレングスさんが手がけた空中回廊らしく、建築家の領分で可能な仕事ではあるもののどうせならとフレングスさんに声がかけられたらしい。サラーティン都市の創始者一族にフレングスさんの建築物の大ファンがいるそうだ。
現場が見えてくる。
第一印象はフィレンツェのヴェッキオ橋だ。アーチ形の脚の上に商店が並び、空中回廊の外側に店舗の一部がはみ出している。橋は左右対称となっており、片側はこの世界で主食として食べられるトウモロコシに似たトウムを粉にしてから具材と共に焼いたお好み焼きもどきを出す料理屋を始めとした飲食街となっている。もう片方は食材を売っているようだ。
ヴェッキオ橋で言うところのヴァザーリの回廊もある。サラーティン都市の創始者一族や古参の一族が使用する専用回廊だそうで、今回フレングスさんに話が回ってきたのもこの回廊があるかららしい。
「初めての現場仕事だからって緊張して失敗なんかすんじゃねぇぞ」
「大丈夫です」
「はっ、可愛げのない奴だ」
失敗してほしいのかと。
「まぁ、アマネは計算間違いも少ないし、魔虫狩人の仕事で度胸もついてるから心配はしてないがな」
「その魔虫狩人の件で、この間失敗したんですけどね」
「それは新入りがドジ踏んだのが発端だと聞いてるぞ」
「新入り君がドジ踏むなんて当たり前で、俺が備えておかなきゃいけない位置関係だったんですよ」
「いっぱしの口ききやがる。お前もまだまだひよっこだろうが。三ケタにもならねぇ年の癖に」
あと六倍くらい生きないと三ケタに届かないわけですが。
前世の分を足しても全然足りないからな。
現場に到着して、傷んでいる場所の調査を始める。
偏屈フレングスが来たぞ、と触れ回る悪ガキを捕まえて頭を撫で繰り回して解放するのが俺の仕事だ。そしてなぜか懐かれる。
「アマネ君と足して二で割れば、性格も歳もちょうどいい塩梅なのにねぇ」
「お姉さん、今の俺じゃ不満ですか?」
「まっさか! 大満足よ!」
悪ガキをお姉さんに引き渡しつつ交流していると、フレングスさんに頭を叩かれた。
「女を口説いてる暇があったら仕事しやがれ」
「これも立派な仕事ですって。お姉さん、傷んでる場所知りません?」
情報を提供してもらうなどしつつ作業効率を高めていくのだ。
ご近所の皆さんにも協力してもらいつつ調査を進めていく。
調査を進めていく過程で見えてきたのは、五十年前に比べて人の出入りが増えたため、予定より早くガタが来たという事実だった。サラーティン都市が発展していく過程で避けられない事態だったようだ。
「補剛で対応できますかね?」
「そうだな。デザインから見直す必要は本来ないだろう」
「本来?」
訊ねると、フレングスさんは空中回廊から見える景色を手で示した。
「この景観に五十年前のこの空中回廊が溶け込んでいるように見えるか?」
「正直、ここだけ古臭いですね」
「そうだろう。依頼には建て直しとある。商業区で、創始者一族も新し物好きだからな。すっかり建て直すことになるだろう」
すると、ここにある店舗も一時退去か。補助金も出るし、工事そのものは一年もかからないだろうけど。
この世界の職人さんの仕事の早さは異次元だしな。数も多いし。
「ほれ、こっち来い。まずは現場の見方からだ。空中回廊は下から見上げられることも考慮してデザインしてかないといけねぇんだ。忙しくなるぞ」
フレングスさんに引っ張り回されるようにして、改修予定の空中回廊をさまざまな角度から見ていく。大ざっぱながら今現在のスケッチも描いて今後の参考にしておく。
上にある店舗は飲食店が多いため、出火しても被害が拡大しないように道路幅を広く取ったりする必要がある。防災街区整備という奴だ。
「予算はどうなってるんですか?」
「玉貨五枚だ。それに俺への依頼料が玉貨二枚、工務店への依頼料で玉貨二枚に届かないくらいだから、総予算は玉貨九枚ってところじゃねぇかな。後は上にある店舗の建て直しその他を含めると玉貨四十枚は確実に飛ぶな」
「でっかい公共事業ですね」
玉貨一枚は鉄貨千枚と等価。
鉄貨五十枚で一人分の年間食費くらい。まぁ、ほぼ肉を食べずにかなり食い詰めての数字だけど。
つまり玉貨四十枚あれば八百人くらいを一年間養えるわけだ。
「というか、フレングスさんは玉貨二枚で依頼を受けてるんですか?」
「建橋家だぞ。玉貨一枚が相場だが、おれくらいになると玉貨二枚でも依頼が舞い込むんだ。おめぇの師匠は凄いんだって、その頭に刻み込んどけ」
実際凄い。玉貨二枚あれば家を建てることだってできるのだから。
サラーティン都市の創始者一族にファンがいるだけあって、売れっ子なのだろう。
空中回廊の調査は滞りなく進み、調査票を書き終えて帰り支度を始める。
「なぁ、もう帰んのか?」
俺のズボンを引っ張りながら、悪ガキ君が聞いてくる。
遊べとでもいうのだろうけど、もう日も傾いている。橙色の夕日に照らされて、帰路を行く人々が空中回廊の上からでも確認できた。
「お子ちゃまはもう帰る時間だ。明日遊んでやるよ」
「本当だな?」
「太陽が必ず沈んでまた昇るくらい間違いないね」
「明日は雨だって姉ちゃんが言ってたぞ」
あら。
「雲の上に太陽は昇ってるんだよ。でも、雨だと遊ぶ場所がなぁ」
「ウチ来いよ。姉ちゃんも喜ぶし」
「じゃあ、明日ここで待ち合わせにするか」
「よっしゃ。また明日な!」
「あぁ、また明日」
悪ガキ君に手を振って別れ、待っててくれていたフレングスさんと一緒にかえり道を歩き出す。
夕日に照らされた橙色の道を進むことしばらく、フレングスさん宅が見えてきた。
「今帰ったぞ」
「ただいまです」
フレングスさんと一緒に玄関を跨ぐ。
リビングでは、サイリーさんと近所の少女が作った夕食が待ち構えていた。
「アマ兄のためにつくったんだよ。どうぞー」
「ありがとう」
料理上手のサイリーさんが指導しただけあって、少女が作ってくれた料理はとてもおいしい。
粉にしたトウムを薄く焼いた生地で具材を包んで食べる料理だけど、具材の選択が絶妙だった。生地のほのかな甘みに根菜の若芽の苦さが心地よい刺激になっている。
作り手である少女は俺の隣の椅子に座ってにこにこしていた。
「おいしい?」
「美味しいよ。ところでその可愛いエプロンは自分で作ったの?」
青い花の刺繍が施された桃色のエプロンを見下ろした少女は嬉しそうに頷く。
「お母さんに教わってつくったの」
「料理も裁縫もできるなんて、いいお嫁さんになりそうだね」
ご機嫌の少女は足を前後に揺らして蕩けるような笑みを浮かべた。
「えへへー」
「それにしても、こんなに頑張ってるのに何で気づかないんだろうね」
「……うん?」
笑みを浮かべたまま、少女が首をかしげる。
言葉が足りなかったらしい。
俺は壁の向こう側、道路を挟んだ向かいの家を指差す。今朝方、俺に弓を教えろとねだってきた男の子が住む家だ。
「ほら、君の幼馴染の男の子。こんなに花嫁修業をがんばっている幼馴染がいるのに弓の修行がしたいってさ。もっと一緒にいる時間を取ろうとか考えない物かなと」
「――アマ兄なんかもう知らない!」
あれ?
ぱたぱたと少女がリビングを走り去る。続いて玄関の扉を開ける音が聞こえてきた。帰ったらしい。
「えっと、あれ? あの子、幼馴染の子が好きだって前に言ってたはずなんだけど、ケンカでもしたんですか?」
ご近所事情に詳しい奥様、サイリーさんに質問する。拗れているなら仲裁役をしたい。
サイリーさんは首を横に振った。
「アマネ君の将来が心配だわ」
「天然ジゴロ朴念仁だな」
フレングスさんが杯を揺らしながら俺を横目で見てくる。
二人の反応から察するに、あの子の恋の標的が幼馴染の男の子から近所のお兄さんこと俺に移っていたらしい。いつのまに……。
「追っかけた方がいいですかね?」
「もうおせぇよ。教訓にしとけ。互いにな」
「若いっていいわねぇ」
―――――――――
フレングスさんに弟子入りして四年目、十九歳になった俺はフレングスさんに書斎へ呼び出された。
ここ最近は一人で現場の視察に行って来いと言われることも多く、今回もその類かと思ったが、書斎の椅子にでんと腰かけたフレングスさんから掛けられた言葉は予想に反した物だった。
「アマネ、もう教えることはない。ヨーインズリーで建築家資格を取ってこい」
「……まだ四年ですよ?」
一人前に仕事ができると胸を張れるレベルではないと思う。特にデザイン面がかなり弱い自覚がある。
フレングスさんの域まで到達するのにあと二百年くらいは欲しい。
しかし、フレングスさんははっと鼻を鳴らして俺の言葉を一笑に付した。
「おれに追いつくまで待っていられるか。おれはこれでも建橋家だぞ。数十年で追いつかれるようなヘボじゃない。もうアマネは十分に一人前だ。建築家としては、な」
「建橋家になるのにどれくらい必要だと思いますか?」
「そうだな……」
フレングスさんは少し考えた後、口を開く。
「二、三十年ってところじゃないか。建橋家資格試験の受験には建築家としての実績も考慮される。二十年もあれば何らかの結果は残せるだろう。特に、アマネは依頼者に合わせた建物を作るのが得意だからな。評価は割とすぐについてくると思うぞ」
珍しくべた褒めされて照れてしまう。
フレングスさんも気付いたのか、照れ隠しにそっぽを向いた。
「だがまぁ、まだまだだってのも事実だ。精進は怠るんじゃないぞ」
「はい!」
そんなわけで、予想よりも早く俺は建築家資格を取るために試験が行われる東の摩天楼ヨーインズリーに向かう事になった。