第十六話 春の予定
雪が降る。しんしんと降り積もる雪は夜を彩り、その風情だけはまことに美しい。
しかしながら、俺の机の側で筋トレに励む生体暖房マルクトが何もかもをぶち壊していた。
「どうにも、春から秋にかけて、鍛錬を、怠っていたために! 筋力が! 落ちているようでっ!」
「気合を込めながら言葉を切るな。暑苦しい」
「けっこうな! ことでは! ないですかっ!?」
マルクトとの冬籠りが始まったばかりなのにめげそうだ。暑苦しい。少しテテンの気持ちが分かってしまう。
女の子に癒されたい。一緒に過ごすだけでいい。お茶でも飲みながらただ話すだけでもいい。
メイド喫茶とか、この世界でもウケないかな。
つらつらと取り留めもない事を考えていると、雪かきを終えた五人組が入ってきた。
「マルクトは相変わらずだなぁ。魔虫狩人をやってみる気はないか?」
筋トレをするマルクトを見ながら平気で笑える数少ない村人ビロースが声を掛ける。
雪を叩き落としたビロースは椅子に座りこんで手を擦り合わせた。
「寒いのなんのって、もうたまらねぇや。テテンちゃんはもう燻煙施設にいんのか?」
「あぁ、もういるはずだよ。まだ火は入れないように言ってあるけど、羽毛クッションを燻す準備をしてもらっている」
「冬場に唯一暖を取れる場所なんだがな。女連中のたまり場になりそうだ」
テテンの一人勝ちだな。
「冬場の内職はメルミーたち女性陣が主導でやってるんだ。頑張ってもらえるなら燻煙施設を占拠されるくらい安いもんだよ」
「雪かきは男の仕事か」
筋肉量の関係で代謝熱もありそうだからな。詳しくは知らないけど。
スクワットを続けるマルクトが会話に入ってくる。
「それでは、卑猥な! お話など、いかがか!」
「なんで卑猥の単語に気合入れたし」
「いいじゃねぇの、男しかいないんだしよ」
雪かき班五人は全員男である。去年より村の住人も増えたため、男性で固めたのだ。
女性たちは内職が主だが、リシェイの提案により飼育小屋に籠る俺たちへの鍋の差し入れなどをしてもらう事にもなっている。
それに、エロトークするには都合が良い事にしがらみのない独身者しかいない。
ビロースがトランプに似たゲーム用のカードを配りながら、口火を切った。
「タカクス村に来るまでの女性遍歴から行こうぜ」
「あ、自分童貞でっす」
即座に戦場を離脱した雪かき班の一人にビロースが横目を向ける。
「んだよ。流儀が分かってねぇな。ヤッたヤらないの話は切り札にしとくもんだ。誰が童貞か分からない中で適当ぶっこいて、乗って来た奴を童貞呼ばわりの笑い者にするのがおもしれぇんだろうによ」
性格の悪い楽しみ方するなぁ。人狼ゲームかよ。
ところで、経験は前世も含まれるんだろうか?
「そういうビロースはどうなんだよ」
雪かき班の一人が話を振る。
ビロースは胸を張って答えた。
「魔虫狩人に女を作る暇なんかねぇよ」
「偉そうなこと言って童貞かよ!」
笑いが起こる。
「女に声を掛けることはあるぜ? でも不思議と振られるんだよ」
「下心が丸見えなんだろ。胸でも凝視してたか?」
「見ない奴は男じゃねぇって。逆説的に、凝視できる奴が真の男ってもんよ」
軽い所だけ抜粋。
俺はせせこましく仕事をするだけだ。
今日の報告書を書くだけだ。
この会話とかな。
「村長はどうなんだよ。聞いてるぜ。最近はテテンちゃんまで事務所に入り浸ってるじゃねぇか」
「確かに入り浸ってるけど、ビロース達が期待するようなことは何もないぞ」
テテンが事務所に居ついてるのも、公民館が騒がしくなったからだしな。
「そんなこと言ってよ。三人も美人を侍らせて、何も起きないわけがないだろ」
「三人もいるから何も起こらないんだって」
「またまたぁ」
五人いる雪かき班からの波状攻撃をのらりくらりとかわし続ける。この話の言い出しっぺであるはずのマルクトはひたすらに筋トレに励み、ただ聞きに徹している。
「いい加減に吐けよ。誰が一番よかった? 言ってみ?」
「キスすらしてないよ」
答えた時、マルクトがスクワットを止めて腹筋運動に切り替えながら割って入る。
「村長が書いてるのって業務日誌ですね」
「あ、バレた?」
「――おい、アマネ、何書きやがった!?」
俺から業務日誌をひったくったビロースが目を見張る。
「破こうとか思うなよ? 向こう二十日分の日付けを先に入れておいた業務日誌だから、抜けがあったらリシェイに即気づかれるぞ」
「て、てめぇ……」
「分かったら俺を弄るのはやめるんだな。さぁ、童貞どもよ、醜く争うがいい。誰が下心満載な童貞かを暴き立て、この業務日誌に記載させれば、女衆の憐憫の眼から逃れられるかもしれないぞ?」
「てめぇ、童貞の心を弄びやがって!」
勝ったわ。
ちゃっかり会話に加わらず的確なタイミングで暴露したマルクトもきっちり勝ち組である。
まぁ、この業務日誌は糸で留めてあるだけだから簡単に差し替えできるんだけど。後で封印しておかないと、ビロース達が可哀想だし。
なにより、エロトークしてたことをリシェイやメルミーが知ると火種になりかねない。どっちがより魅力的か言え、と迫られたら俺が困る。
ビロースが何か決意を秘めた目で雪かき班を見回す。
「男には何があっても守らなければならない物がある。互いに恨みっこなしでいこうか」
何そのカッコいい台詞。俺もいつかカッコいい場面で口にしてみたい。
悲壮な覚悟が窺える表情で雪かき班たちが頷きあう。互いを倒すべき敵だと認識を改めたのだ。
争え、もっと争え。
不和の原因になっても困るので、ここらで種明かしをしようか。
「諸君、覚悟は決まったようだな。とりあえず、議事録がてら、ここに会話を書き込むと良い」
真面目くさった声でビロース達に告げて、俺は糸で留めただけの業務日誌をばらしてビロースの前に置く。
「あぁ、お前が原因だが、感謝す――」
日付と内容を見たビロースが俺の頭を叩いた。
「たちの悪い冗談はよしやがれ。ったく」
「アマネ村長も人が悪いなぁ」
雪かき班たちにも一回ずつ頭を叩かれた後、俺はまじめな話に移る。
「みんな、この資料を見てくれるか」
「んだよ。改まって」
自らの名誉が脅かされないと知ったビロースが脱力気味に資料に目を通す。
「限界荷重量の話か?」
「そうだ。ランム鳥の飼育規模拡大にいま公民館に寝泊まりしている移住者二十人分の家を建てるとなると、限界荷重量が見えてくる」
「もうか。早いな」
ビロースが呟く。
マルクトが腹筋を止めて席に着いた。
「堆肥の施設などもありますからね。燻煙施設を稼働させる以上は薪も多く確保しておく必要があります。一番重量があるのは挿し木畑ですか?」
マルクトの予想を肯定する。
挿し木畑は世界樹の枝の上で木を育てるようなものだ。材木ではなく薪として育てているためあまり大きくなる前に切ってしまうが、それでも重量はかなりのものになる。
「挿し木畑を潰すわけにもいかねぇんだよな?」
本来、薪などは俺たちが家を建てて暮らしているこの世界樹の枝から延び出た側枝を使うが、燻煙施設などでは薪を大量消費するため側枝だけでは追いつかない。
これからランム鳥の肉を使った燻製なども研究するため、挿し木畑を潰すわけにはいかないのだ。
マルクトが口を開く。
「支え枝での補強ですか?」
「そうなる。今年も雪が降ったし、カムツ村の件もある」
カムツ村は雪の重みで枝が傷んだことから疎開騒ぎになった。
農業を主軸としていたカムツ村だから疎開しても土さえ残っていればやり直せる。
だが、タカクス村の主要産業はランム鳥だ。手もかかる。疎開なんてすることになれば全部殺すしかなくなってしまう。
脳裏をよぎるのは俺の育ったレムック村だ。あの村を俺が出ることになったきっかけはブランチイーターの食害だった。
「まだ余裕のある今の内から、支え枝で限界荷重量の増加と安定を図りたい」
支え枝をしておけば、仮にこの枝が傷んでも支え枝でいくらか持ちこたえることができる。
雪かき班の一人が頷いた。
「今後も村が今の勢いで発展するとは限りませんが、もしも勢いが失われないのなら今のうちに手を打った方がいいですね」
「費用はどうするんだ? というか、いくらかかる?」
ビロースからの質問に、俺はおおよその目安を答える。
「支え枝の工事費用は玉貨七枚前後になる。タカクス村の乗ってるこの枝は下の枝と近いから、工事期間も短く済むはずだ。だが、これは外部の建橋家に仕事を依頼した場合の金額だな」
支え枝の工事費用の大半を占めるのが建橋家への代金だ。別の枝から別の枝へ掛かる構造物となる支え枝は、工事許可にも管理にも建橋家資格保持者が必要になる。
マルクトが俺を指差した。
「村長がいるなら、建橋家に支払う金額は実質ゼロですよね?」
「そうでもない。支え枝にしろ、橋にしろ、別の建橋家の監査官から許可を取る必要がある」
そうでないと、建橋家が村を無理なペースで大きくしてしまいかねないし、周辺の町や都市との連携が取れずに気が付いたら共倒れなんて事態も起こり得る。
一本の枝の上にあるのが一つの村だけとは限らないのだ。
これを防止するために区分で上にくる町や都市からの工事許可を得る必要があり、そのために建橋家の監査官が派遣されてくる。
タカクス村の場合、最も近いのはカッテラ都市だ。
「支え枝の管理なんかは俺ができるから、カッテラ都市の監査官に払う代金だけで済むと思う。後は材料費も換算して、玉貨二枚くらいかな」
「家が建つな。それでも三割まで費用が下がるとは、建橋家様様だ」
玉貨七枚が二枚に値切れるわけだし、お得ではある。俺が建橋家資格を取ったのも村を興す初期資金を稼ぐ目的以外にこの費用削減がある。
自分の設計した家で埋め尽くしたいだけなら建築家資格だけでよかったのだが、橋も含めて設計するなら建橋家資格が必須だ。
「工事の開始は何時からだ?」
「春先。雪の被害を見極めてからでないと工事に移れない。許可だけは冬の間にもらうつもりだけど」
いまは計画を立てる事と、それをもとにカッテラ都市から派遣された監査役の建橋家を説得する事を考えればいい。
「冬が過ぎたらすぐに大仕事って事か。話題に事欠かない村だな、ほんと」
「みんなには苦労を掛けるね」
「何をいまさら。一緒に苦労したい奴らばかりが集まってるのは村長も知っての通りだろう」
「まったくだ」
ケラケラ笑っていると、飼育小屋の入り口が開いて村の女衆が入ってきた。
「差し入れだよ。体が冷えた頃だろうと思ってね」
「ありがたい。手が凍えてカードを持つ手が震えてきたところだったんだ」
ビロースが手を擦りながら言うと、女衆の一人が笑う。
「まだまだ冬は長いんだ。遊びつくさないようにするにはちょうどいいだろう。もうちっと寒さに縮こまってるかい?」
「勘弁してくれよ。かわいい子の手料理を食べてあったまれると思えばこそ、独り身連中がこうして我慢できてんだ。そうでなければ、夫婦者の家に殴り込みかけてら」
「バカ言ってんじゃないよ。しょうのない人だねぇ」
なんだアレ。ポンポン軽口を飛ばしあって、気安い感じ。
ちょっといい雰囲気だな。
雪かき班の残り四名も女衆と話をしていた。マルクトにはサラーティン都市の孤児院から来た女の子が話しかけている。あの子、マルクトが冬の間だけ筋トレ魔になる事を知らないんだろうなぁ。
ところで、リシェイ達はこないのかな?
入り口を見てみる。
誰もいな――いや、テテンが顔をのぞかせた。
「……独り身ざまぁ」
それだけ言って、テテンは燻煙施設に向かって雪の中を走って行った。
……あんにゃろ。
冬の最中でも、カッテラ都市へ送った手紙は無事に届き、監査役の建橋家がやってきた。
飼育小屋の中で応対するわけにはいかないため、俺は久しぶりに事務所で昼を過ごしていた。
「資料も細かく作ってますね。建橋家が村長をやっているだけある」
監査役さんは俺が出した基礎資料に一通り目を通してから、リシェイが入れたお茶を啜った。
基礎資料を机に置き、監査役さんはため息を吐く。
「忙しくなる春先ではなく冬場に声をかけてくれて助かりましたよ。この雪ですから、来年もあちこちで支え枝の工事をする事になるでしょうからね」
「どこも雪の被害は深刻ですか?」
「去年の事もあったので、対策を打っている村や町が大半です。深刻な被害までは出ないでしょう。ただ、村の中には高齢化していて雪かきの手が足りなかったりする地域もありますから、カッテラ都市では人を派遣したりして上を下への大騒ぎですよ」
監査役さんは基礎資料を俺に返して、結果を話す。
「この資料を見る限り、支え枝を始めても問題はありませんね。規則なので、一度カッテラ都市による測量などはしますが、先ほど言ったとおり今は忙しいもので、早くとも春先でしょう」
「分かりました。準備ができ次第、知らせをください」
「えぇ、カッテラ都市の市長一族より、手紙が届くと思います」
監査役さんはお茶請けのクッキーに手を伸ばす。とれたてのトウムを粉にしてから焼いたもので、ほのかな甘みが美味しいクッキーだ。
「若手の建橋家が相次いで村を作った時はどうなるかと心配でしたが、うまくやれているようですね。ケインズ君のアクアス村は橋の建設まで計画しているようですし」
「――橋、ですか?」
それはつまり、ケインズのアクアス村がじきに町に昇格するという事か?
監査役さんはきょとんとした後、頷いた。
「まぁ、噂ですが、まず間違いないと思いますよ」