第一話 旅立ち
「アマネ、朝の訓練の前に水を汲んできてくれ」
「了解、じっちゃんは的の準備しといてな」
育ての親であるじっちゃんことジェインズ老に言われるまま、俺は二つの木壺を前後に引っかけた天秤棒を肩に担いで家を出た。
レムック村の外れにある家にじっちゃんとの二人暮らしだから、この手の力仕事は俺の領分だ。
「しかし、マジで転生することになるとは」
まだ夜も明けていないため暗い空を見上げて苦笑する。
この世界で生まれておそらく十五年、ようやく実感も湧いてきたが時々前世の事を思い出す。
靴底を通して足の裏に〝樹皮〟の感触を楽しみながら、俺は鍛錬の意味も込めて小走りに取水場へ向かう。
井戸なんてこの世界には存在していない。発明されていないのではなく、原理上作れないからだ。
なにしろ、ここには地面が無い。
「世界樹の上だもんなぁ」
転生した実感が十五年経った今頃に湧いてくるようなこの世界は、ファンタジー極まっていた。
人間――俺の前世の知識から言えばまんまエルフだが――の寿命は千年。子供が出来にくい体質らしく、人口が増えすぎて困る事態には陥っていないようだ。
この世界では皆、世界樹の枝の上に住居を作り、村を、町を、都市を作って暮らしている。
上を見上げれば白み始めた空に太さもばらばらな世界樹の枝が浮かび上がる。
最も太い枝ともなれば数百メートル単位で幅があるのは、いかにも世界樹といった風情である。幹なんかここからだと霞んじゃって見えないし。
木の枝の上という不安を伴う字面の足場にも関わらず、飛んだり跳ねたりしてもびくともしない。
だが、もちろんのこと弊害はあるわけで、地面ではないから掘り起こしたっておがくずを量産するだけで水なんか出てこない。そもそも許可を取らずに掘り起こしたりするのは犯罪行為だ。
俺が天秤棒で担ぎ上げている壺も粘土を焼き固めた物ではなく世界樹の枝を削り出して作った木製である。
何もかも前世のまさしく地に足を付けた生活様式と異なっているものだから、慣れるのに十五年もかかってしまった。まぁ、寿命は千年を超えるので十五年程度大したものでもないのかもしれない。
モノホンのエルフなんて、前世の先輩が聞いたらおもむろにスマホを取り出しかねないほどファンタジーしてる。魔法はないけど、魔物っぽいのはいるし。
取水場に到着した俺は天秤棒を下ろして壺を一つ抱える。木製とはいえかなりの大きさだから、成人を間近に控えた俺であっても両手で支えないと危ない。
壺を世界樹の葉の先に設置して、別の壺も同じように別の世界樹の葉の先に置く。
夜の空気で冷えた世界樹の巨大な葉に朝露ができる。ちょっとした家くらいありそうな巨大な葉を見ていると、小人にでもなったように錯覚してしまう。
俺はコロボックルかと。フキの葉じゃなく世界樹の葉だけどさ。
葉に溜まった朝露が葉脈に沿って流れ、集まり、葉先に溜まって行く。
「こんなものかな」
ちょんと葉っぱを指先でつついて発破をかける。うん、またつまらんギャグを作ってしまった。
揺れた葉の先から朝露が落ちて木の壺に入る。少し零れてしまったが、多いに越したことはない。
二つの壺に水を満たした頃には朝日が昇っていた。
俺は朝日を見るべく壺を置いて振り返る。
霞むほど遠くにある世界樹の枝先が指し示す様に朝日へ延びていく。
茶色の樹皮に覆われた世界樹の枝と朝露に濡れてキラキラと輝く巨大な世界樹の葉。
見慣れた光景で、しかし、見惚れる景色だ。
俺は壺を再び天秤棒で担ぎ上げ、育ての親であるじっちゃんの家に足を向けた。
来た時と同じ道をたどって家に帰り着く。世界樹の上にあるのだから分類上はツリーハウスだけど、世界樹の枝は幅数百メートルあるため前世の住宅とあまり変わらない。
木造二階建てで屋根裏部屋のあるじっちゃんの家の前で、家主である御年九百三十歳のジェインズ老が二人分の弓と矢筒を持って俺の帰りを待っていてくれた。
歳を感じさせる真っ白な髪だが、体の方は衰えた様子もなく筋肉質だ。黙って佇んでいると質実剛健という文字が似合う老齢の武人に見える。
「おぉ、アマネ、帰ったか。早かったの」
「誰も来てなかったからね」
「これ幸いと女の家にでも寄り道するかと思ったんじゃがな。もうすぐ十五だろう。抱きたい女の一人や二人や十人や百人や千人、いるもんだろうに」
途中から何で十倍していったんだよ。
「村に住んでる人全員集めても八百人に届かないって。残りの二百人はどっから湧いた」
ツッコミを入れると、じっちゃんは白いひげを撫でながら感心したように俺を見る。
「老若男女を問わずに村人全員相手にしようというその気概、大したもんだぞ、アマネ。もう穴があったら何でもいいんじゃな」
「何故そうなる」
すかさず二度目のツッコミ。
しかし、じっちゃんは堪えた様子もなく腰に両手を当てて前後に振る。
「儂くらいになると、残りの二百人程度頭の中で用意できるぞ。穴はほれ、ここに」
右手を筒状にして構えるじっちゃん。
ツッコミをする気力も萎えて、俺はため息を吐きつつ壺を家の中に運び込む。
外見は年を取っても彫りが深くて味のあるイケメン老人だというのに、中身はエロガキ小学生だ。本当に手におえないレベルで。
「壺も穴だからって突っ込むんじゃないぞー」
「誰がするか!」
後ろから追いかけてきた声に言い返し、壺を置いた俺は天秤棒を片付けて外に出た。
「じっちゃん、弓」
「ほれ」
じっちゃんに投げ渡された弓を空中で掴みとり、弦の張り具合などを確認してから家の壁に立てかけてあった矢筒を肩に掛ける。
俺が水を汲みに行っている間にじっちゃんが設置した的が三十枚ほど、四、五百メートル先に点在していた。
じっちゃんは俺の隣に立ち、的を指差す。
「それじゃあ、朝の訓練を開始しようかの。今朝は十七番の的から数字を三つ飛ばしに射る。できるだけ早くな」
「分かった」
十七番の的を探して、弓に矢を番える。
じっちゃんが一歩下がり、口を開いた。
「膜を破くつもりで丁寧にな」
「気が散るから、いちいち下ネタをぶち込むなよ!」
「いちもつをしもにぶち込む?」
「だぁかぁらぁ!」
本当にどうしようもないよ、この人。
いつもの事といえばそれまでだけど、いつもこうなのがむしろ悲しい事実だ。
七歳からじっちゃんに教わってきたとおりに弓を構える。世界樹の枝を削りだして作られた弓は用途に応じて長弓と短弓を使い分けるけど、実戦では長弓を扱う事が多い。じっちゃんに教わっているのも長弓が主だ。
弦を引き絞り、十七番、二十番、二十三番と次々に射抜いて行く。三十番の次は三番からだ。
七番の裏に置かれている九番を弓なりに矢を飛ばして射抜き、十二番へ。
「十五番は裏の十八番ごと貫通させて射抜け」
じっちゃんからの追加指示を受け、俺は十五番に狙いを定めつつ足の開きを大きくして弦を思い切り引き絞る。
放った矢は十五番を貫通し十八番に突き立った。
その後の的も順番通りに射抜き、訓練を終える。
立て続けに三十本以上の矢を放ったけれど、長年続けてきた訓練の賜物か腕が疲れるようなことはない。
「アマネはやはり速射の才があるな」
じっちゃんが的を見渡して顎を撫でる。
「早漏は嫌われるから、気を付けよ」
「なんでそっちに話を持って行った!」
褒めた直後に下ネタを振って来るのはやめてほしい。素直に喜べない。
「もう、的を回収するから先に家に入ってなよ」
「怒るな、怒るな」
じっちゃんが頭を乱暴に撫でてくる。
もう成人の十五歳も間近だというのに、子ども扱いは変わらない。相手は九百歳越えのじっちゃんだから、俺は昨日今日生まれたのと大差がないのだろうけど。
年齢三ケタまでは若造扱いだからな。三ケタにもならんガキ、が慣用句的に使い回されている世界だし。
的を回収して家に運び込み、俺は荷物を片手に家を出る。
「工房に行ってくる。帰りに市場へ寄るけど、何か切らしてるものとかある?」
「そうさな。塩が欲しい」
「わかった。買ってくる」
じっちゃんからのお使いも聞きだして、俺は村に向かった。じっちゃんの家は村はずれにあるのだ。
世界樹の枝の上を歩く。俺が住むレムック村のあるこの枝の幅はおよそ五百メートル。前世における一般道が三メートルちょっとだし、利根川の群馬県辺りでの幅が五百メートルほどだったろうか。
幹の方へ行けば違ってくるらしいけど、基本的に利用できる土地が少ない。土地って言うか、木の枝だけど。
村に到着して、俺はすぐに工房へ向かう。
「おっちゃん、きたよー」
「おう、アマネ君か」
工房に呼びかけると、彫刻刀を持って箪笥に意匠を刻んでいたおっちゃんが作業を止めて俺を見る。
「さっさと上がりな。もう時間もないだろ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
靴を脱いで工房に上がり、作業靴に履き替える。
壁に立てかけてあった作りかけの弓を手にする。
おっちゃんが弓を見て、腕を組んだ。
「何とか間に合いそうだな」
「今日の内にはどうにかね。じっちゃんが使ってくれるかどうかは分からないけど」
俺が作っているのは成人式で親に渡す仕事道具だ。
この世界では、成人の儀で親にこれまで育ててくれた事に感謝するため仕事道具を贈る風習がある。
あくまでも儀式的な風習なので実用に耐える物である必要はないのだけど、どうせ贈るなら飾りで済ませたくはないと思い、俺は工房のおっちゃんに頼み込んで指導してもらっている。
とはいえ、じっちゃんが実戦で使う弓はブランチミミックというナナフシに似た魔虫から作られた最高級の弓なので、専門の職人でもない俺が作った弓を使う事はないだろう。
「こういうのは気持ちが大事なんだ。今時、ここまで本格的に作る若者は珍しいぞ」
おっちゃんはそう言って、俺の作業を眺める。
「ウチの娘はその辺が大ざっぱでなぁ」
「この工房の掃除をしてくれてるんでしょ? いい人だと思うけどね」
娘さんのフォローをしておくと、おっちゃんは工房を見回す。
「そうなんだよなぁ。掃除をしたり料理を作ったりって事には小さなころから積極的だったが、ついぞ細工物を作る事には興味を示さなかったなぁ。アマネ君、後を継いでくれないか?」
「申し訳ないですけど、俺は魔虫狩人なので。他に夢もありますし」
じっちゃんには弓を教わったけど彫刻などは分からない。
まだ十五歳だし、いまから始めればそこそこモノになるとは思うけど、俺には夢がある。工房で修行している時間はない。
「っと、できた!」
話しながら作業を続けていた事もあり、弓が完成した。
一度弦を引いてみて、感触を確かめる。放した瞬間にしなっていた弓が元に戻り、パンっと小気味良い音が鳴り響く。
なかなかいい出来だ。少々不恰好ではあるけれど、練習用に使う分には問題ないくらいの出来だと思う。
「明日の成人式までここに置いてもらっていい?」
「あぁ、忘れずに取りに来いよ」
出来立ての弓を掲げて、おっちゃんに許可を貰う。
弓を壁に立てかけて、掃除をした後で俺は工房を後にした。
樹皮ででこぼこした道を歩き、市場を目指す。
市場にはマトラやミッパといったこの世界の野菜がずらりと並んでいる。出入りの商人が広げた敷物の上にはこのレムック村では育てていないコヨウという羊に似た家畜の干し肉などが売られていた。
コヨウのもも肉ベーコンが鉄貨三十枚。栄養失調覚悟で食費を切り詰めた場合一年間の食費が二人で鉄貨五十枚って事を考えると、やはり肉類は高い。
「おや、アマネ君かい? でっかくなったなぁ」
商人が俺を見つけて声をかけてくる。俺がようやく独り歩きし始めた頃にはすでに村に出入りしていただけあって、顔なじみだ。
「もうすぐ成人だっけか?」
「会う度にそれ言ってるよね。明日、成人の儀だよ」
「おぉ! ようやくアマネ君も一人前って事か。村の入り口で何度も転んで水をぶちまけてたあの子がねぇ」
「それ言わないでよ」
何年前の話してんだよ。かれこれ十年前じゃねぇか。
「いやいや、よく泣かなかったもんだと村の男連中はアマネ君の事を褒めてたんだぜ?」
「ニヤニヤしながら言われても信憑性に欠けるよ」
指摘すると、商人はケラケラ笑った。
「それで、今日は何をお求めで?」
「塩ある?」
「雲上ノ層で作られた最高級品――」
「雲中の奴でいいよ」
「しまり屋だねぇ」
この世界では雲ができる高さを基準に世界樹の枝を雲上ノ層、雲中ノ層、雲下ノ層と呼び分けている。雲中ノ層以上の枝では樹皮を煮詰めると塩が取れる。レムック村は雲下ノ層にあるため塩は輸入物に限られていた。
雲上ノ層で作られた塩は世界樹の樹液の影響か心地よい甘味が僅かにあり、塩気を程よく引き立てる調味料になる。その分高価なため、今回は買うつもりはない。
商人が用意してくれた塩を鉄貨一枚で買う。
市場を後にして村はずれの家に帰れば、じっちゃんが矢を手作りしていた。
九百を超えていれば多芸にもなるという事か、机の上に並べられた完成品の矢はそん所そこらの職人顔負けの出来だ。ゆがみのないまっすぐなシャフト。用途に分けて矢じりにも細工が施されている。どれも世界樹の枝から削りだした木製だ。
「塩を買って来たよ」
「床下に入れておいてくれ」
「オッケー」
「アマネはたまに妙な言葉を使うな」
床下収納に塩を放り込んで、俺は本棚に向かう。
じっちゃんがあちこちを旅していた若かりし頃に買ったという世界樹の地図を引っ張り出す。
俺の住むレムック村は世界樹の東に位置している。そこから西の幹の方へ向かえば、この世界でも最大級の人口密集地、摩天楼ヨーインズリーがある。
摩天楼。それは雲下ノ層から雲上ノ層まで高層化が進んだ都市の事だ。この世界に二つしか存在しない。
この地図をめくるたびに前世でやり残した仕事を思い出すのだ。
都市開発がしたい。死んでも死にきれずこうして転生したのだから。
――摩天楼を作りたい。
十五歳を迎えた日の夜、俺は正装に身を包んでいた。
バードイータースパイダーという半径二十メートル以上の巣をつくる巨大な蜘蛛の糸から作られた高級品だ。いくつもあるボタンは飾りも兼ねていて一つ一つに彫刻がされている。
「ほぉ、なかなか様になっとるじゃないか」
じっちゃんが俺を見て腕を組む。
今日は村の成人式だ。
この世界では成人とされるのは十五歳。
村では今年十五歳になったのが俺しかいないため寂しい成人式になるかとも思っていたのだが、みんな騒ぐ口実に飢えているだけあって嬉々として盛大な式の準備をしている。
ちょっと村の熱気が怖いくらいだ。いま村に足を踏み入れたら祝いの言葉を掛けられながらもみくちゃにされる未来しか見えない。
じっちゃんは嬉しそうに俺を眺めながら、髭を撫でる。
「お前を拾ってからもう十五年か。早いもんじゃな」
「じっちゃんは九百歳超えてるもんな。俺の何倍だよ」
「六十二倍じゃな」
あっけらかんととんでもない数字を出してくるが、事実なんだからしょうがない。前世を含めても圧倒的な人生経験の差だ。
「歳の差は倍数で表せるんじゃが、女経験の差は足し算でしか表せんのが悲しいのぉ。なぁ、童貞や」
「ゼロに何を掛けてもゼロだもんなって、大きなお世話だ!」
九百年以上生きていてなんで未だに頭の中にエロしかないんだよ、この爺さんは。
俺は椅子に腰かけて村の方を見る。村はずれにあるこの家からだと、にぎわう村の様子がよく見えた。
向かいの椅子に腰かけたじっちゃんが俺の視線を追って村を見る。
「村の者もはしゃいどるようじゃな」
「ちょっと照れくさいけど」
俺のために準備してくれてるんだと思うと、どうしてもね。
当時の記憶は曖昧だが、俺はどこぞの世界樹の枝の上に捨てられていたところを魔虫と呼ばれる馬鹿でかい虫を倒しに来たじっちゃんが見つけ、保護してくれたらしい。
だから、俺はいうなればこの村にとってよそ者なのだが、それでもみんな成人式のお祝いをしてくれる。
じっちゃんは俺の心の内を見透かしたように朗らかに笑った。
「子供を大事にするのは当然の事じゃろ。比翼のお二人に倣うまでもない」
比翼の二人、とはこの世界における神話の登場人物だ。
地上に魔物が溢れた時に比翼の鳥となった夫婦で、子や孫を連れてこの世界樹に俺たちのご先祖様を連れてきてくれたんだとか。
そんな神話があるくらいだから、この世界の人は子供を大事に扱う。
じっちゃんはコップに水を入れて一口飲むと俺を見た。
「アマネ、お前も晴れて成人するわけだが、これからどうする?」
「どうするって?」
「村を出るつもりなんじゃろ?」
質問に頷いて、俺は壁にある本棚を見る。
じっちゃんがこの村に定住する前、魔虫狩人として働いていた頃の地図がそこには収まっていた。
「俺は村を出て、魔虫狩人をしながらあちこち見て回りたいと思ってる」
「やはりそうか」
寂しそうな顔をするかと思ったが、じっちゃんは予想に反して嬉しそうに笑った。
「お前はやはり、儂の息子じゃ。成人式前から世界中の女を抱きに行く決心をするとは」
「おい、こら!」
「何じゃ違うのか? そうか、男もか」
「全然違うっての。勝手に納得すんなよ!」
まったく、油断も隙もあったもんじゃない。
俺はコップの水で喉を潤してから、村を出ることに決めた理由を打ち明ける。
「摩天楼を見に行きたいんだ」
「摩天楼……ヨーインズリーやビューテラームの事か」
じっちゃんも本棚の地図をちらりと見る。
摩天楼、それはこの世界で最大級の都市である。
雲ができる高さを基準に雲上ノ層、雲中ノ層、雲下ノ層の三つに呼び分けられるこの世界において、人の住む場所には村、町、都市、摩天楼の区分が設けられている。
一層だけならば町と呼ばれ、二層に跨る町を都市、三層全てにまたがる巨大な都市は摩天楼と呼ばれ尊重される。町の中でも世界樹の枝一本の上にあるこのレムックのような場所は村と呼ぶ。
現在、この世界に摩天楼は世界樹の東にあるヨーインズリーと西のビューテラームの二つだけ。
俺はその二つの摩天楼の存在を知った日から、ずっと見に行きたいと思っていた。
だが、見に行くのはあくまでも参考にするためだ。
「じっちゃん、俺は摩天楼を作りたいんだ。第三の摩天楼を」
「ほぅ」
じっちゃんは一声呟いて、じっと俺を見つめる。
この世界で物心ついた頃から胸の内につっかえている、前世でやり残した都市開発の仕事がしたい。
俺の手で生み出され、生まれ変わって行く都市が見たい。
前世では結局、生まれ変わった姿を見る前に死んでしまったが、この世界ではそんな悔いを残さない様に生きてみたいのだ。
じっちゃんは俺の眼から決意を読み取ったのか、茶化すこともなく真面目な顔で口を開いた。
「魔虫狩人としての仕事の仕方は教えたが、それだけでは生計を立てる事は出来ても摩天楼を建てるのは無理じゃろうな」
「俺もそう思う。だから、建築家の資格を取ろうと思ってるんだ。ゆくゆくはその上の建橋家になるつもりでいる」
この世界における建築家、建橋家というのは偽れば極刑も有り得る重要な資格を必要とした職業だ。
この世界は枝の上に人が住む村や町を作る。当然、枝には荷重の限界があり、村や町などの大規模な建築物群を無計画に建てようものなら枝が折れ、上に住んでいた人々全員が世界樹の根元へまっさかさまだ。
だから枝の荷重限界を計算し、計画立てて家を建てる建築家は摩天楼の創始者一族が発行する許可書を得なければ名乗ることも許されない。
当然、その資格取得試験は難しいと評判だ。
そして、建築家にはその上位職業である建橋家が存在する。
複数の枝に跨る橋などの建造物を作る際に必要な資格であり、かなりの難関試験を潜り抜けなければ名乗れないエリート職だ。
雲下ノ層から雲中ノ層、さらに雲上ノ層まで三つの層に跨る摩天楼を作るのなら絶対に建橋家としての知識や資格が必要になる。
じっちゃんは難しい顔で髭を撫でる。
「大きく出たもんじゃな。どこぞの建橋家に弟子入りせんと難しいじゃろ。師匠に当てはあるのか?」
「サラーティン都市までいけば建橋家も住んでると思うから、直接弟子入りをお願いしてみるつもりでいる」
展望と言うには行き当たりばったりだが、村を出た事が無い今の俺に立てられる計画はこれが精いっぱいだ。
じっちゃんもそれをわかっているからか、特に詳しく聞いてくることはしなかった。
「魔虫狩人としてなら明日からでも一人で仕事ができるように仕込んだつもりじゃ。生きていくだけなら一切心配はしとらん。摩天楼を築きたいというのも、若い者らしくていい夢だ。困難を承知で挑むというなら、儂は応援しよう」
「ありがとう」
引き留められるかもしれないと思っていたが、意外とあっさり許可を貰えてしまった。
じっちゃんはニマニマと笑いながら俺を見る。
「引き留めるとでも思ったか?」
「そりゃあね」
じっちゃんはくつくつ笑う。
「儂も若い頃は方々を歩き回ったものじゃ。それで得られる経験がある事もしっとる。ちと早いとは思うが、成人するからには自分のケツくらい自分で持てるじゃろ」
「じっちゃんの場合、女の尻を追いかけ回してたんじゃないのか?」
「自分のじゃ満足できんからな」
悪びれずに言って、じっちゃんは盛大に笑った。
その時、家の扉が乱暴に叩かれた。
「ジェインズ爺さん、大変だ!」
扉が開くのも待てない様子で、外から呼びかけられる。
じっちゃんと俺はすぐに立ち上がって視線を交わす。
「なんじゃ、落ち着いて話せ」
じっちゃんが扉を開けに行く間に、俺は壁に立てかけてある弓と矢筒を手に取る。
じっちゃんによって開かれた玄関扉の先に村の男の子が立っていた。
男の子は村の方を指差し、息を整えるのももどかしいとばかりに口を開く。
「枝の付け根にブランチイーターが出たって知らせがあったんだ。すぐに討伐してくれって」
やはり魔虫か、と思いながら俺はじっちゃんに弓と矢筒を渡す。
ブランチイーター、通称枝食みはその名の通り世界樹の枝を喰い荒らす全長三メートルほどの巨大なカミキリムシだ。
食害を受ければ枝が折れてしまい、村ごと奈落の底へまっさかさまになる。発見次第即討伐が推奨される魔虫である。
「アマネ、急ぐぞ」
じっちゃんが仕事用の顔で俺に声をかけ、年齢を感じさせない身のこなしで男の子の横をすり抜けると走り出す。
俺も自分の分の弓と矢筒を持って後を追い駆けた。
レムック村がある枝の付け根に向かって走る事しばらく、ブランチイーターの姿が見えてきた。
強力な顎で枝を噛み、咀嚼している。三メートル近くある巨大な体にふさわしい大きな複眼はすでに俺とじっちゃんを捉えているだろう。
「大分食われとるな。発見が遅れたか」
じっちゃんは顔を顰めて弓を構え、引き絞る。
じっちゃんの強弓から放たれた矢は一直線にブランチイーターの複眼を射抜いた。
枝を食べていたブランチイーターが食事を止め、触角を動かす。
「アマネ、右側面に回り込め。頭の付け根を射抜けば動きも鈍る」
「分かった」
今までも何度か実戦を経験しているため、特に恐怖はない。いつも通りにやればいいだけだ。
じっちゃんが注意を引きつけている間に、俺はブランチイーターの右側面に回り込んで矢筒から長めの矢を取りだし、弓を引く。
ブランチイーターとの距離を目測し、俺は弓を八十度ほど上に構え、矢を放った。
山なりに飛んだ矢がブランチイーターの真上から襲いかかり、首の付け根を射抜いて世界樹の枝へ磔にする。
すかさず二射目を放ってブランチイーターの右脚の関節を射抜き動けないようにする。
ブランチイーターは生命力が強く、頭を切り落としてもしばらく動き続けるためこうして磔にするのがセオリーだ。
じっちゃんが鋭い鉄の矢を取りだし、力いっぱいに弦を引き絞る。鉄嘴鳥という鳥の嘴から作られた、魔虫に止めを刺す時専用の矢だ。
じっちゃんが全力で放った鉄の矢は狙い過たずにブランチイーターの頭を貫いた。
弱弱しくブランチイーターが無事な左足を動かしているが、直に絶命するだろう。
じっちゃんは弓を肩に掛ける。
「弱い個体でよかったが、少々被害が大きいのが気になるな」
じっちゃんの言葉に、俺は世界樹の枝を見回す。
俺たちが脚をつけているこの枝は幅五百メートルあるが、ブランチイーターによる食害を受けて大部分の樹皮の下が露出してしまっている。
深く抉られたような噛み痕が斜めに七百メートルほど続いていて、ちょっとした崖のようになっている。
「大丈夫かな、これ」
「世界樹の生命力は馬鹿にならんから枝が死ぬことはないじゃろうが、荷重限界量が気になる。カガイの奴を呼ばんといかんな」
レムック村の建築家であるカガイの名をじっちゃんが口にした時、村の方から狩人たちが走って来るのが見えた。
先頭にいたロットさんが絶命したブランチイーターを見つけてほっとしたような顔をする。
「終わってましたか。流石ジェインズ爺さんとアマネだ」
「弱い個体だったんじゃよ。だが、被害がちと大きい。カガイを呼んできとくれ」
じっちゃんの言葉に頷いて、ロットさんが後ろの狩人に声をかけ、カガイさんを呼びに走らせる。
ロットさんは食害の後を見て眉を顰めた後、俺の着ている服に気付いて驚いたような顔をした。
「アマネ、その格好で来たのか?」
成人式に出るための正装に身を包んだままの俺に、ロットさんだけでなく他の狩人たちもなんとも言えない顔をする。
「着替えてる時間がなかったんだ。破けてないから、大目に見てよ」
「服の心配なんかしてねぇよ。そんな動きにくい服で魔虫狩りなんかして怪我してないかと思ったんだ。無事ならいいさ」
もう子供ではないというのに、ロットさんは昔からやっているように俺の頭に手を置いて乱暴に撫でてくる。
とはいえ、寿命千歳のこの世界、ロットさんは今年で三百歳と少しなので、感覚的に俺は昨日今日生まれた赤ん坊みたいなものなんだろう。前世の年齢を足しても三百歳なんて届くはずもなく、俺も強く出れない。
「成人式だってのに災難だが、箔がついたと思う事にしろ。気落ちすんじゃねぇぞ、今日の主役なんだからな」
「こんな事で落ち込んだりしないって。というか首が痛い」
「この程度で首を傷めるなんざ、鍛え方が足りねぇな」
そんな無茶苦茶な。
ブランチイーターによる被害は思った以上に深刻だったらしく、調査が終わってすぐに話し合いの場が持たれた。
じっちゃんと一緒に会議に出席した俺は、成人した事に祝いの言葉を投げられつつ席に座る。
村長が会議室の面々を見回して全員そろった事を確認すると、カガイさんに始めるよう声を掛けた。
頷いて、カガイさんが立ち上がる。
「ブランチイーターによる被害規模はかなり深刻な物でした。荷重限界量も再計算しましたので、こちらを見てください」
カガイさんが計算結果を記した紙を広げる。
ざっと流し見て、会議室の面々は一様に暗い顔をした。
カガイさんが言いにくそうに口を開く。
「今回の食害により、この枝の荷重限界量はギリギリになっているのが分かると思います。むろん、余裕を持たせた数値ではありますがこのまま村を存続させるのは……無理ですね」
「疎開が必要、という事じゃな?」
じっちゃんが誰も言おうとしない事を発言する。
カガイさんが顎を引いて、村長を見た。
村長が口を開く。
「枝が回復するまでの期限付きで、村の者には疎開してもらう。親類縁者のいない者はこちらで疎開先を手配しようと思うが、もう一つ決定事項がある」
村の存続が危ぶまれる中での決定事項という言葉に、会議室の面々が不安そうに顔を見合わせる。
しかし、村長は安心させるように微笑んでから、続きを口にした。
「今回の一件はこのレムック村が一本の枝の上にあるからこその問題だ。命を預ける枝一本が食害を受ける度に疎開するわけにもいかん。そこで、支え枝を行う事に決めた」
「支え枝?」
首を傾げた魔虫狩人のロットさんに、じっちゃんが説明する。
「いまある枝に対して、世界樹の幹や別の枝から新たな枝を伸ばして癒合させ、下から支える工事じゃよ。荷重を分散させる事で限界量を増やしつつ、今回のような食害に対する保険にもなる」
「あ、なるほど」
納得した様子のロットさんから村長とカガイさんに視線を移して、じっちゃんは顎髭を撫でる。
「支え枝は建橋家資格がなければできないはずじゃが、どうするんじゃ?」
「これから連絡を取るつもりだ。カガイの師匠さんに頼む事になるだろうな」
「工事期間中の枝の護衛は?」
「ジェインズ老とロットを中心に魔虫狩人には疎開せず村に残ってもらいたい。村の手入れにも人手がいるのでな」
村の維持に最低限必要な人手を残しての疎開という事らしい。
じっちゃんが俺を見た。村を出るのならこの場で表明した方が良いと言いたいのだろう。
俺は挙手して発言する。
「すみません。俺は村を出るつもりでいたので、残れないんですが」
「なんだ、アマネ、旅に出たいのか」
ロットさんが驚いたように訊ねてくる。
頷きを返すと、そうか、と呟いて寂しそうな顔をした。
「まぁ、良い機会かもしれんな」
「村が大変な時に心苦しいんですが……」
「そのあたりは心配いらないだろう。そうだよな、村長?」
ロットさんに話を振られた村長が頷く。
「魔虫狩人に関してはジェインズ老やロットがいれば纏められる。アマネは腕がいいが、他の者も負けとらんよ。安心して旅に出るといい。だが、たまにはジェインズ老に手紙の一つでも出すんだぞ」
「ありがとうございます」
周りからも寂しくなる、という言葉は聞こえてくるが、村が大変な時に出ていく事を詰る声はない。むしろ旅立ちを祝福するような声まで聞こえてくる。
「つい数年前までよちよち歩きしてたアマネが旅に出るんだもんなぁ。月日が経つのは早いもんだ」
「昔からしっかりしていたが、時々ドジ踏むから少し心配だな」
「水を汲みに行って村の入り口で転んだりな」
「同じところで何度も転ぶんだもんな。あれには笑った」
俺の失敗談が口々に語られていく。
縮こまってる俺を見て、村長が苦笑してみんなを止めてくれた。
「その辺にしておきなさい。それより、疎開の期間だが、十年で見積もっている。支え枝の完成も大体そのあたりになるだろう」
竹かと思うほどに生長が早い世界樹の枝だけあって、十年で村の重さを支えられるほどに成長するらしい。
十年あれば、俺も建築家の資格くらいは取れるだろうか。
疎開が解かれて村に人が戻ってきた頃に建築家として一度帰ってきたいところだ。
会議が終了して、参加者が次々に立ち上がった。
これから各地区に出向いて疎開の事を住民に伝えるのだろう。
みんな、俺の肩を軽く叩いたり頭を撫でたりして門出を祝ってから講堂を出ていく。
「儂らも帰るぞ。アマネも旅の準備をせねばならんだろう」
「服とかの用意はしてあるんだけどな。後は食べ物とか」
言葉を返しながら、俺もじっちゃんと一緒に立ち上がる。
講堂を出て、村はずれの家に向かう。
「そういえば、じっちゃんに弓を渡さないと」
「成人式のあれか」
頷いて、ブランチイーターの騒ぎで立ち寄れなかった工房においてある弓を思い浮かべる。
俺が気合を入れて作った。実用にも耐える力作の弓だ。
自信作だと話すと、じっちゃんは目を細める。
「使うのがもったいないのぉ」
「まぁ、練習の時にでもたまに触ってくれればいいよ」
「玉に触る?」
「おいこら、なんか発音が卑猥だったぞ」
すかさずツッコミを入れるも、じっちゃんはケラケラ笑ってごまかした。