エピローグ
結婚後の夫婦生活の節目には、銀婚式や金婚式、結婚記念日などが前世でもあったものだ。
俺は前世で結婚していないから具体的に何をするのかは漠然としか知らないけど、世界樹の上に住むこの世界にも似たようなものがある。
一つは花咲式。
結婚式で鉢に植えた植物が芽を出し、蕾を付けて花を咲かせた際に行われる結婚記念日にあたる節目だ。
「――で、今度はすっぽかさないようにってのは分かるけどさ」
開花時期を予想してくれと頼んできたビロースに呆れつつ、ビロース夫妻が植えた低木の植木鉢を眺める。
盆栽のように大きくならないように剪定したりして整えてあるこの植木鉢は、若女将が手入れをしているらしい。拳大の赤くて大きな蕾が五つ、開くその日を待っていた。
「早くて五日、遅くても九日以内には咲くと思う」
「そうか、そうか。何か贈り物を買ってこないとならねぇな」
ビロースが腕を組んで悩み始める。
こいつ、一度花咲式をすっぽかして夫婦喧嘩してるんだよな。
「また女子会を開かれるようなことがないように注意しろよ?」
「分かってるっての。だから、こうしてアマネに開花予想までしてもらってんだ」
「それならいいけどな。それじゃ、俺は戻るよ」
「おう。アマネのところも花咲式か?」
ビロースの問いかけに首を横に振る。
「いや、比翼の刻だ」
「あぁ、そうか。もうそんなに経つのか」
ビロースは組んでいた腕を解き、片手をあげた。
「めでたいな」
「ありがとう」
俺も片手をあげて返して、自宅に向かう。
比翼の刻とは、結婚二十年目に行う儀式だ。
神話ではこの世界樹の根元にあったという村に住んでいた夫婦が子や孫を世界樹の上に運ぶ際、比翼の鳥になったという。
比翼の鳥となった二人は今もまだ世界樹の頂上に座し、時折地上から人を連れてきて保護するのだとか。
この故事から転じて、死ぬまで一緒にいることを夫婦で誓い合う儀式として発展した。
自宅の扉を開けるとテテンが玄関先で通せんぼの構えをしていた。
「なにか用か?」
「……通りたくば、倒して、いけ」
「小癪な」
靴を脱いで家に上がり、素早く距離を詰めてデコピン。
よろめいたテテンが額を押さえる。
「……これで、勝ったと、思うな。第二、第三の」
「めんどくさいから、もう行くぞ」
魔王みたいな台詞を吐き始めたテテンの横をすり抜ける。
比翼の刻は結婚後、二十年、四十年、六十年、と二十年おきに行われる物だけど、まさかテテンは二十年おきに復活する魔王なのだろうか。
スライムより弱そうだけど。
後ろを付いてくるテテンを置いて行かないように歩幅を調節しつつリビングに向かう。
「……リシェイお姉さま、大丈夫?」
「どうだろう。手を貸すわけにもいかないしな」
リビングに到着した俺を待っていたのは楽しげに講釈を垂れているメルミーとそれを真剣な表情で聞いているリシェイだった。いつもとは真逆の光景である。
「類型は全部で四つと言われているけれど、差異が大きすぎて分類の意味がないわね」
「もうリシェイちゃんは頭でっかちなんだから。足があるとかないとか、尾羽の形とか、冠羽の有無とか、どうでもいいんだよ。何を作りたいかを考えるべきなの!」
「メルミー、そうは言うけれど、冠羽の有無にも意味があるという見方があるのよ。流行ったのは五百年くらい前だけれど、起源をたどると――」
「だぁかぁら! そういう意味付けをする前にちゃんと彫れるようにならないと実行できないでしょ。ちゃんと説明を聞きなよ」
「……それもそうね。続きをお願い」
「メルミーさん、疲れて来たよ。アマネー代わってよー」
「彫刻の説明はメルミーが適任だと思うんだけど。まぁ、司会進行くらいはするから説明を続けてくれ」
「はーい」
メルミーが説明に戻る。
「比翼の刻で彫る事になる彫刻は、透かし彫りでもいいし、丸彫りでもいい。浮き彫りとかでも、とにかく形が分かればそれでいいんだけど、リシェイちゃんは彫刻をほとんどしたことがないから線彫りにする。ここまでは決定事項だからね!」
「妥当よね。下絵に沿って彫ればいいだけだもの」
「そう単純なものでもないんだけど、最初の比翼の刻だと職人以外は大体線彫りに挑戦するんだよ」
比翼の刻は儀式であり、作法が存在する。贈り物を贈ったりする花咲式よりも少し格式ばった行事なのだ。
この行事の内容故に、珍しくメルミーが説明役でリシェイが聞き役になっている。
比翼の刻では、神話の比翼の二人にあやかっているためこれをモチーフにした木彫りを教会に奉納する習わしがある。彫り方は何でも構わないが、一つだけ落とし穴があるのだ。
「リシェイちゃん、下絵に沿って彫るって言ってもさ。きちんとアマネの彫りに噛み合うようにしないといけないんだから、彫りの深さとか線の細さとかも気にしないといけないんだよ。ガタガタの線で下書きから大きくずれちゃったりしたら、やり直しだからね?」
「慎重にやるわ」
リシェイがメルミーの忠告に顎を引き、気を引き締める。
比翼の鳥は片翼の鳥が二羽つながった姿で描かれる。比翼の刻で彫られる比翼の鳥もこの姿であり、夫婦がそれぞれ一羽を担当して彫りあげた後に双方を合わせて教会に奉納する。
一枚の板を複数に分ける割符とは異なり、下絵だけを同じ紙に描いてから完全に別々の板に彫刻を施し、後で合わせる。板に下絵をかくのはそれぞれでやるから、紙に描いた下絵があるとはいえ線がずれてしまう事もある。
「……アマネは、彫れる?」
「職人並とは言わないけど、修業時代から彫刻は少し齧ってるんだ。フレングスさんに、職人の腕の良し悪しは彫刻に出るが、見抜ける目を養うには自分でもやるのが早道だと言われてさ」
下絵に沿って彫るくらいは難なくこなせるし、丸彫りなどもやってやれない事はない。
作業中もお互いの彫った物が見れるのならば俺がリシェイに合わせる解決方法も取れたけれど、この儀式は夫婦の共同作業であると同時に息があっていることを示す意味合いもあるため、完成するまで互いのを見せ合ってはいけないのだ。
そんなわけで、リシェイに頑張ってもらうしかない。
「メルミーさん達にはまだあんまり関係ないけど、お葬式でも使うんだから半端なやつはダメなんだからね」
メルミーが念を押す。
夫婦のうち片方が亡くなった時、後追い自殺をするわけにもいかないため、死後にきちんと比翼になれるようにと、生存している方が比翼の刻で作った彫刻を変わり身として持たせて世界樹の下に送り出すのがこの世界における夫婦者の葬式だ。
未婚のまま亡くなった場合や、結婚して二十年経つ前に先立たれた場合などは、仕事道具を持たせて送り出すことになっている。
ふと、俺はテテンを見た。
視線を受けて小首を傾げるテテンはこのままだとおそらく未婚のままだろう。それは本人が気にしていないから良いとしても、こいつに持たせる仕事道具は燻製に関係する何か、例えばトングなどになる。
百合小説とペンを持たせて送り出されることはないはずだけど、こいつはどちらがいいんだろう。
一人悩んでいると、メルミーが腰に手を当てて胸を張った。
「このメルミーさんを納得させる出来をこころがけてくれたまへ」
「はいはい。それで、彫刻刀はどれを使えばいいのかしら?」
リシェイの質問を受けて、メルミーが再び説明を始めるのを聞き流し、俺はメルミーと彫る事になる木彫りの下絵を描く。
メルミーと作るのは透かし彫りの物だ。飛び立つ間際の姿を描きつつ、俺でも彫れるような太いパーツになるよう心がける。
大胆な構図にはなったものの、比翼の鳥の足に花を持たせる事でメルミーの柔らかい彫刻を生かせるように気を配る。
「こんなものかな。後は陰影か」
「陰影はメルミーさんが入れるよー。アマネは続きの講義をお願い」
「あぁ。分かった」
メルミーに下書きを渡して、俺は教師役を交代する。ついでに、リシェイと相談しながら下書きを完成させるつもりで白紙を机の上に広げた。
リシェイと作るのは線彫りになる上、リシェイは彫刻刀を満足に使えない。直線を多めにしつつどうにかこうにか形にする必要があった。
使う木の大きさが決まっているわけではないから、手間を考えなければ大きな木の板を用意してしまうという手もあるけど、教会に奉納する以上は常識的な範囲の大きさがある。
「羽を閉じて枝に留まったデザインね」
俺が描いた下絵を見て、リシェイは指先で線をなぞり始める。包丁も満足に使えない子だからちょっと心配だ。
「それじゃあ、十日以内に彫り終えるように頑張ろうか」
「分かったわ」
「メルミーさんは作業部屋に直行するね。アマネ、これ完成した下絵」
メルミーに渡された下絵を見て、俺は額を押さえた。
リシェイだけじゃなく、俺も失敗するかもしんない。
―――――――――
出来上がった彫刻を持って教会を訪れると、奉納した彫刻を見たアレウトさんが「ほぉ」と関心の吐息を零した。
「渾身の作ですね」
「リシェイよりもやり直すことになるとは思いませんでしたけどね」
リシェイは三回やり直したけど、俺はメルミーとの合作分を七回やり直している。メルミーの作った物と噛み合わなかったものだけで四回、単純に下絵通りに出来なかったものが三回だ。
「それでは、預からせていただきます」
「お願いします」
彫刻をアレウトさんに渡して、俺はリシェイとメルミーを連れて帰宅するべく踵を返す。
「何とか間に合ったわね」
「本当、良く間に合ったと我ながら自賛したいところだ」
結婚二十年目の今日に奉納できてよかった。今年中ならいつでもいいって話ではあるけど、縁起ものだし、節目を飾る物でもあるからちょうど二十年前に結婚式を挙げた今日に奉納したかったのだ。
「もう二十年か」
「まだ二十年よ」
あ、カルチャーギャップ。
リシェイのまだ、という表現にメルミーも頷いていた。
「千歳まで生きるとして、後五十回くらいこの儀式があるね」
「いつまでも線彫りでは箔がつかないし、私も丸彫りできるようになろうかしら」
「丸彫りとはまた、大きな目標だな」
「夫がアマネだもの」
「摩天楼を築いちゃった人だもんねぇ」
負けてられないよね、とリシェイとメルミーが笑い合う。
大きな目標こと摩天楼は出来上がり、後は緩やかに発展していくのみ。
両手には花のような嫁二人、帰れば居候マスコットが一名。
順調な人生だと思う。
「アマネの次の目標は?」
「そうだな……」
タカクスをこの調子で発展させていきたい。これも確かに目標ではあるんだけど。
「誰かの夢を応援しようかな」
俺がそうだったように、一人では成し遂げられない夢も支えてくれる人がいれば叶うかもしれない。
そうやって支え合って夢を叶えていく。世の中はきっとそうやって回って、発展していく。
寄らば大樹の陰。世界樹に比べれば随分と頼りない若木の俺でも、頼られるくらいにはなったんじゃないかと思うのだ。
と、語ってみると、メルミーが微妙に納得がいかないような顔をした。
「アマネさ、自己評価低いよ?」
「そうかな?」
だって、未だに弟子の一人もできないじゃないか。いまいち頼りがいがないからではないかと。
「いやいや、アマネは毎日忙しそうにしてるから、弟子になっても時間ばっかり取らせちゃって申し訳ないって遠慮しちゃうんだと思うよ」
「私もメルミーの意見に賛成ね」
「え、俺に弟子ができないのってそんな理由だったのか?」
もっとみんな貪欲に俺の時間を奪ってくれてもいいのに。
リシェイとメルミーが顔を見合わせる。
「ひとまずの目標はアマネの日程を程よく空ける事ね」
「弟子になりたがっている人が気軽に声を掛けられるようにしておくんだね」
時間が空いたらデートに使いこみたいって思うんだけど、ダメなのかなぁ。
俺の予定をどう管理するかで話し合っているリシェイとメルミーに挟まれながら、第三の枝の坂道を上る。
「さしあたって次の目標は北側の発展かな」
キリルギリの残した傷はだいぶ癒えたとはいえ、雪揺れなどの災害が起こりやすく寒い気候の北側は他に比べて人口も少なく発展が遅い傾向がある。
北側の摩天楼として地域をけん引する立場である以上、北側の発展は課題にして目標だ。
呟いて決意を固めていると、リシェイとメルミーが揃ってため息を吐いた。
「まだしばらく弟子は出来そうにないね」
「子供を作った方が早いわね」
「そうだね」
タカクスも子供みたいなものだったのに、大きくなったよなぁ。
まだ日も高いのに生々しい会話をしようとする二人から視線を逸らして空を見上げた時、両手を二人に取られた。
「さぁ、早く帰りましょう」
「タカクスも手がかからなくなったんだし、次の子を作らないとだね」
摩天楼のような立派な子に育ってほしいなんて、親の期待が重すぎないだろうか。
そんな懸念は生まれてから考えればいいのか。
「そうだな。早く帰るか」
テテンに邪魔されないと良いけど。
これにて後日談完結です。
最後までお付き合いいただきまして、ありがとうございました。
新作も投稿しましたので、気が向いたらどうぞ。
ただし、作品の方向性は全く違います。
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