第五十六話 変異リッピークル展示会
「面白かった。実に面白かった!」
愉快そうに大笑しながらシンクの唐揚げにフォークを伸ばすのは、食道楽のお客さんである。
場所は雲上ノ層にあるビロースの高級宿屋だ。
「ヨーインズリーで少量販売されていた図鑑を買って読んだ時から興味を引かれていましたが、ああも一堂に会していると壮観でしたな!」
「本当ですよ。アマネ師匠、またやる時には声をかけてください。絶対に見に来ますから!」
食道楽さんに相槌を打っているのは去年の冬に雲中ノ層の枯山水庭園の造園を見学した若手造園家である。
ヨーインズリーにいた彼は展示会で食道楽さんと出会い、意気投合したらしい。
そう、展示会である。
「一口にリッピークルといっても、あんなに違いがあるとは思わなかった。まことに面白い」
本業は観葉植物の販売だという食道楽のお客さんはパンフレットを眺めてニヤニヤ笑う。
ラッツェとミカムちゃんを責任者にしたタカクス専門学校生による変異リッピークルの展示会はじわじわと評判を伸ばし、見物客が右肩上がりに増えていた。
モノが植物だけに展示会の開催期間はそう長い物ではないが、今の段階でも十分に盛況と呼べる賑い振りだ。
リッピークルはチューリップに似た背の低い一輪咲きの植物である。園芸品種として有名で、タカクス劇場の庭園にも植えられている。
細長い壺にも似た花はチューリップと同じく様々な色と柄がある事で有名だったが、展示会に飾られているのは濃淡の違いがあるとはいえすべて白で統一されており、その時点で園芸植物の展示会としては異色だった。
元々はラッツェが講師をしている間の授業で形状の変化が分かりやすいように白い物だけを選別して生徒に配っていたからなのだが、これが功を奏した形となる。
「背が低い植物のはずが倍近い背丈になっていたり、花そのものが大きかったりと変化に富んでましたね。イチコウカの生みの親ラッツェさんの面目躍如といった風情です」
「私は縮れ咲きが気に入った。あれはもはや別の花にしか見えない」
「リッピークルとは思えない形状でしたからね」
花弁一枚一枚が縮れたようなリッピークルが書かれたパンフレットのページを開いて食道楽さんが言うと若手園芸家も同意するように頷く。
「縮れ咲きもそうですが、二重花弁も良かった。重厚感と豪華さが出てましたから」
「リッピークルと聞くと良くも悪くもどこでも見かける園芸植物ですからな。こうして複雑な形状の物が出回れば、リッピークルそのものの地位向上にもつながる」
最近になって一部の店で安定した提供が始まったヘロホロ鳥の焼き鳥を食べながら若手造園家がパンフレットをめくっていく。
「園芸植物としてみていくなら、縮れ咲き、二重花弁。花弁の先だけが外側に開いた先開き、花弁の根元から開いている根割き、切れ込みのある花弁が特徴の先割れ、後はこの一層豪華な牡丹咲きですかね」
次々とパンフレットで紹介されている変異リッピークルの種類を読み上げて、若手造園家が俺を見る。
「この名前付けはラッツェ先生が?」
「ほとんどはそうだ。牡丹咲きだけはメルミーの命名だけどな」
以前に何らかのデザインに使えるかもと思って俺が描いた前世地球の花の絵を思い出して付けたらしい。
変化アサガオには命名のルールがあるらしいけど、変異リッピークルについての研究は始まったばかりで命名則は存在しない。
食道楽さんがヘロホロ鳥と若コヨウの合挽きハンバーグを頼み、俺に声を掛けて来る。
「この変異リッピークルは安定生産できるモノですか?」
「難しいですね」
再現性が低く、変化が固定されないものがいくつか存在しているのだ。二代目辺りまではいけても三代目、四代目になると元のリッピークルに戻ってしまったりする。
「そうですか。新機軸ともなり得る商品になるでしょうに、残念です」
食道楽さんが首を横に振り、ビロースが運んできた合挽きハンバーグを一口食べるなり瞳を輝かせた。
「これは美味い。コヨウの臭みが全くない。ソースが掛かっていないというのにこれは……ヘロホロ鳥の木の実の香りで上品に仕上げているようですな。この発想はなかった」
興味が一瞬で料理に向いた食道楽さんに苦笑した若手造園家が話を続ける。
「商品価値を見出すには再現性を高めないといけないわけですけど、展示会には園芸品種に明らかに向かない物もありましたよね。捩じれ、とか」
「捩じれなぁ」
縮れとは違って貧相に見えてしまう捩じれもまた変異リッピークルの一種だ。花弁一枚一枚が複雑に捩じれているうえに茎が細いせいで花の重量を支え切れずに倒れてしまう。
園芸品種としてはもちろん、野性でもまず子孫を増やせないだろう変異である。
「ヨーインズリーから来ていた研究者たちは喜んでいるみたいでしたけど、自分には何が楽しいのかよくわかりませんでしたよ」
「変異は種の保存に有益なものしか起こらないって学説があったんだよ。捩じれは花の重みで倒れてしまって種を作るには自家受粉になってしまう。そうなると新しい遺伝子が入ってこないから出来る種はまた捩じれになってしまう。そんな堂々巡りが種の保存に有益かどうかで研究者たちは盛り上がっていたってわけ」
「分からない世界ですね。そう言った知識を得ていけば、もっと花や庭を楽しめるようになるんでしょうか」
「――そりゃあ、なりますよ」
俺と若手造園家の話に割って入って来た食道楽さんが断言する。
「知識が増えれば視点も増える。多角的に物事を見れるようになるんだから、つまらないものの新しい面を見てそれを面白く感じるかもしれない」
「逆もあるのでは?」
「面白い物がつまらなくなるって話ですかな? それはね、捻くれてるだけなんですよ。面白い物をつまらないと思いたがっているんだ。もっと言えば、つまらないと思い込む事で視点が増えた自分は成長したのだという思い込みに酔っているんですよ。それを成長だと言えるのは思春期だけなんですがね」
中二病とか高二病って奴ですね。
「物事を面白いと思える視点は自分の中に絶えず保持しておくべきものです。視点が増えたから今までと同じように楽しめないと賢しらに語るのなら、その一時だけでもつまらない知識は忘れちまうことをお勧めしますよ。それが賢い生き方ってものでしょう」
「器用な生き方してますね」
流石はランム鳥食べ歩きを道楽にしているだけはある。人生楽しそうだ。
「ただ、視点や知識が増えたのならそれを生かして面白い物を作るのも道楽でしょう。そこでアマネさん、黄色いキスタは作れませんか?」
「そうきますか」
流れるような話運びで商談を持ち込まれたところに年季の違いを感じつつ、思案する。
キスタはリッピークル以上に広く知られた植物だ。一年を通して葉をつけている低木で秋には葉が紅く染まるため季節感の演出が出来る点でも人気が高い。生垣などにも使われる。
ただ、キスタには紅以外の色素があるのかが不明だ。交配可能な近縁種次第だろうか。
「研究してみない事にはどうにも」
「必要な研究材料があれば行ってください。取り寄せましょう」
投資してくれる気はあるのか。
ただ、ラッツェはしばらく忙しくなるだろうし、他の研究者に話を持って行くことになりそうだ。
「ひとまず、研究者に話を通しておきましょう。彼らが興味を持つようなら、またご連絡します」
「お待ちしてますよ。それはそれとして、ラッツェさんがご結婚されると聞きましたが」
ハンバーグを切り分けて食べた食道楽さんが話題を変えてくる。
「えぇ、近いうちに式を挙げるそうです」
話を聞いたらしいヨーインズリーの研究者たちが展示会場でラッツェを見つけて祝いの言葉を掛けていた。彼らからしてみると、ラッツェはもう身内みたいなものらしい。
ミカムちゃんには展示会に出品された変異リッピークルをまとめた書籍がいつ出るのか、虚の大図書館への寄贈予定はあるのかなどの質問がされていた。ラッツェの未来の奥さんが誰なのかは研究者たちも聞いていなかったらしい。
「イチコウカにはお世話になっていますのでご祝儀を出したいんですが、顔繋ぎをお願いできますか?」
「構いませんよ」
この人の性格上、キスタの品種改良に関する賄賂ってわけでもないだろうし。そもそも、この世界の人に賄賂の概念があるのかどうかすら怪しいものだ。
俺はこっそりとビロースの様子を窺う。追加のお酒を持ってきたビロースは俺と目があって不思議そうな顔をしたが、話がラッツェのご祝儀についてだと気付くと苦笑して肩を竦めた。
賭けの件は覚えているようだ。
ビロースが若女将に呼ばれて、果実酒をテーブルに置いて食堂を出ていく。
「今回の展示会はタカクス学校の生徒による物でしたな。今後も定期的に開かれるのですか?」
ビロースが置いて行った果実酒を手酌で杯に注ぎながら食道楽さんが訊ねてくる。
「定期開催の予定は今のところありません。盛況ですから、また生徒たちがやりたがるかもしれませんけど、今は企画されていませんね」
「それは残念ですな。他にも変わり種の園芸植物があれば見て見たかったのですが」
「変異リッピークルの種であれば、空中市場で買えますよ。変異が固定されているわけではないので、通常種の種も紛れ込んでいますけど」
「難しいんですな。……おや、ビロースさん、それは?」
食堂に再び姿を現したビロースが抱えているキャンバスらしきものを差して食道楽さんが訊ねる。
俺と若手造園家の視線を受けたビロースがキャンバスを俺たちに見えるように掲げてくれた。
「へぇ、これはなかなか」
若手造園家が眼を細めてキャンバスに描かれた絵を食い入るように見つめ、食道楽さんは腕を組んで少し体を引いて鑑賞する。
キャンバスに描かれていたのはひときわ華やかで人気が高い変異リッピークル、牡丹咲きだ。二重花弁も発現しているらしく、もう別種の花にしか見えない。しかも、展示会に飾られていないはずの白地の中央に紫の線が一本入った美しい花弁である。実に上品なその変異リッピークルがキャンバスに堂々と描かれていた。
ビロースはどこに絵を飾るかを迷うように食堂を見回す。
「寄贈されちまった」
「あんな立派な変異リッピークルどこに咲いているんですか?」
食道楽さんがキャンバスの絵を指差して俺を見る。
「ラッツェの家でしょう」
「秘蔵の品ですかな?」
「結婚式で植える種を準備している間に出来た花ですよ。そういう意味ではおまけですね」
「あれがおまけ……」
「惚れ込んでますなぁ」
ここにいないラッツェを茶化すような空気の中、俺達はビロースが壁に飾った絵を眺めて笑い合った。




