第五十五話 婚約報告
夏といっても、雲上ノ層の夜は比較的涼しく過ごしやすい。
空気が程よく乾燥しているのか、窓を開けておくだけで汗もかかないでいられるほどだ。
「……塩」
「ほらよ」
テテンが単語で指示を出す時は俺に対してである。リシェイやメルミー相手なら「塩を取ってください」と噛みながらも言い切る。
食卓の上から俺が取って回した塩を卵焼きに一振りしてから食べ始めるテテンがぴたりと動きを止める。
「……人、接近中」
「こんな時間に訪問客とは珍しい。急用かな」
俺は席を立ち、玄関へ向かう。
ほどなくして呼び鈴が鳴らされ、俺は足を止めることなくスムーズに扉を開けた。
扉の向こうに驚いた顔のラッツェとミカムちゃんが立っている。
「凄く反応が早かったですね」
「警戒装置がいるからな」
「は、はぁ。優秀な警戒装置ですね」
一瞬だけ困惑した顔をしたラッツェだが、すぐに用件を思い出したのか隣のミカムちゃんを見る。
「えっと、結婚のご挨拶に来ました。リシェイさんにもご報告したいのですが」
「よろしくお願いします」
丁寧に頭を下げるミカムちゃん。
俺もリシェイも二人の保護者ってわけではないけど、お世話になった人に挨拶をして回っているらしい。すでにマルクト夫妻とビロース夫妻には挨拶してきたという。
「そういう事なら、中へどうぞ。夕食は済ませてる?」
「いえ、まだです。……もしかして食事中でしたか?」
途端に申し訳なさそうな顔をする二人を家の中に手招きながら笑顔を向ける。
二人とも日中は仕事で外せないから日が沈んだこの時間にやってきたのだろう。夕食時に当たってしまうのは不可抗力だ。
「せっかくだから一緒に食べよう」
遠慮しようとする二人をさっさと家にあげる。
俺やリシェイも仕事で忙しい以上、日を改めてというのも調整が難しいのだ。今日済ませられることは今日済ませてしまえばいい。
リビングに二人を通すと、リシェイは食事の手を止めた。
「日取りはいつかしら?」
「開口一番それか。まぁ、一目で分かるよな」
席を用意して二人を並んで座らせつつ、メルミーとテテンが追加の料理を作りに立ち上がる。
「祝いだー!」
「……祝い、か」
テテン、その複雑そうな顔は隠せ。
キッチンへ入っていく二人を見送って、俺はリシェイの隣に座り、ラッツェとミカムちゃんに向かい合う。
「では改めて、おめでとう」
「ありがとうございます」
デレデレしてるラッツェはともかく、ミカムちゃんは割と澄まし顔だ。精一杯に澄まし顔を取り繕っているだけなのは口元で分かるけど。
この様子なら上手くいくだろう。
ラッツェが俺に頭を下げてくる。
「アマネさんにはずっとお世話になりっぱなしで。サラーティン都市孤児院でどこにも就職できずに困っていたところを拾ってもらったり、タコウカの遺伝法則を確かめるための資金援助までしていただいて、本当に頭が上がりません」
「サラーティン都市孤児院で引き取り手を探しているって話はカムツ村の村長から聞いたんだ。孤児院長とカムツ村長にも礼を言った方がいい。タコウカの遺伝法則にしたって、勝算があるから資金援助をしただけだ。イチコウカを誕生させたのは純粋にラッツェの力だよ」
ラッツェはもうタカクスの二大遺伝学者だ。もう一人がマルクトであることを考えると、話し易さの点でタカクスの代表的な学者である。
「それよりさ、なんでミカムちゃんとくっついたわけ? やっぱり、代理講師の件が切っ掛けで知り合ったんだろ? その後はどうやって距離を詰めたのか聞かせてくれよ」
「私も気になるわね」
リシェイさんから援護射撃を頂きました。
ミカムちゃんはタカクス学校図書館司書の立場にある。日中は図書館から出てこないため、簡単には近づけない。ちょっとした深窓の令嬢のような立ち位置である。
リシェイに視線を向けられると、ミカムちゃんは視線を泳がせる。
「資料を読みに研究所の方へ行って、少しお話をしたり……」
「あぁ、ミカムから近付いて行ったのね」
「僕の方からも、学校図書館へ資料の寄贈に行ったり、図鑑の編集で資料をあたりに行ったりしたので」
「図鑑の資料? あぁ、変異リッピークルの図鑑か。よくできてたもんな」
互いの仕事場を往復していて、しかもそれが仕事上でいくらか自然な事だったから周りもなかなか判断できなかったのか。
気が付いたら二人が付き合いだしていたから、いつ仲良くなったのか不思議だったのだ。臨時講師の期間中は半年とちょっとだったから、彼氏彼女になるには些か期間が短すぎると思っていた。
マルクトの娘が誕生した時の飲み会でもまだ付き合いだしてはいなかったし。
「ミカムが結婚する日が来るなんて思わなかったわ。本の虫で一生を終えるんじゃないかと」
「リー姉が結婚した事の方が驚きだったけどね」
「そう?」
「だって、リー姉っていまいち男女の距離感を理解してないところがあったから。アマネさんも苦労したんじゃないですか?」
「そこが可愛い所だから苦労とは思わないな」
「そんなさらっと……。聞いている方が恥ずかしいですよ」
聞いたのはミカムちゃんの方なのに。
リシェイの方にも多少の影響があったらしく顔を逸らされて凹みつつ、俺は気を取り直してラッツェに声を掛ける。
「それで、式の日取りは?」
「今は服屋に注文したばかりなので、出来上がってから決めることになります。変異リッピークルの展示会もあるので」
「展示会って何の話?」
リシェイなら知っているだろうか、と視線で訊ねるが、首を横に振られた。
「私も聞いてないわ。今日までに提出された企画書は全て目を通したはずなのだけど」
「まだ企画書としては提出していないんです」
ラッツェが話を引き取って説明してくれる。
「タカクス学校で臨時講師をした際、変異リッピークルを教材に授業したのは知ってますよね?」
「授業内容を決める時に俺もいたし、内容は頭に入ってるよ」
「その変異リッピークルを生徒たちが育てていたんですが、それの展示会をしたいと生徒たちから要望があったんです。それで、学校長の許可を待っているところでして」
「分かった。なら提出を待つとして、展示会の責任者はラッツェとミカムちゃんなのか?」
「そうです」
初めての共同作業ですね、分かります。
学校長に許可を申請しているのなら、企画書が提出されるまで五日ほど。そこから生徒を交えての準備。変異リッピークルが咲いている間に準備を終えて開催まで運ぶのなら時間はあまり残されていない。
俺はリシェイとほとんど同じタイミングで壁に掛けられたカレンダーを見た。
ミカムちゃんはリシェイの事務仕事を手伝ったりしていたから事務処理能力は結構高い。企画立案や計画性に関してはラッツェに任せるだけでいい。生徒をまとめるのは学校長が担当できる範囲だ。
となれば、後は展示会にどうやって人を呼び込むか、になる。
「テグゥールースにこの話は?」
「していません」
「なら、俺から話を通しておく。テグゥールースと一緒に広告を準備しよう。リッピークルの鉢植えは生徒が自前の物を用意しているのか?」
「はい」
「会場が決まり次第、すぐに連絡をくれ。飾りつけに関してはラッツェもミカムちゃんも素人だ。アレウトさんを巻き込めば、結婚式場の飾りつけを担当している孤児院の年長の子を引っ張れるだろう。後の事はラッツェ達で頑張って」
責任者がラッツェでタカクス専門学校の生徒が行う展示会となると、ヨーインズリーの学者も来る可能性がある。展示するのが珍しい変異リッピークルという点を加味すれば、園芸家、芸術家なども来る可能性がある。
あまり悠長に準備していたのでは間に合わないのだ。
リシェイと視線を交わし、頷きあう。
ラッツェとミカムちゃんによる共同企画でもある以上、結婚前の景気づけに盛況で終わらせたい。やりすぎない程度に支援しよう。
とまぁ、それはそれとして。
「二人とも孤児院出身だよな。式の列席者とか大丈夫か? サラーティン都市もヨーインズリーも、孤児院長を呼ぶには結構遠いけど」
友人知人はタカクスに在住している者が多いけど、ミカムちゃんの場合はヨーインズリーの虚の図書館に司書の先輩などもいる。
日程の調整などが複雑だろう。
「早めにアレウトさんに相談しておいた方がいいぞ」
「そうなんですけどね……」
ラッツェが困った顔でミカムちゃんと視線を交わす。
「先を越されたとか言われちゃいそうで……」
「あぁ……」
まぁ、公私混同はしない人だから大丈夫だとは思うんだけど。
「アレウトさんは今どうなってるんだ?」
「デートはしているようです」
「なら大丈夫だろう。むしろ、テグゥールースの方が心配かな」
「彼女出来ませんでしたからね」
あいつならそのうち自力でどうにかするだろうけど、合コンでは彼女が出来なかった。
飲み仲間で彼女がいないのはもうテグゥルースだけになってる。
心配してもしょうがないか。今はラッツェ達の方を優先しよう。




