第五十三話 弟子
春先になると、派遣先の村から元ギリカ村の住民が続々と戻ってきた。
住民たちもプレハブ小屋にガタがきている事は理解していたらしく、建て直しにはすぐに合意したものの、俺の予想通り雲中ノ層への移住を希望する者が相次いだ。
魔虫狩人ギルドが近いというのも理由の一つだが、利便性ではなく有事の際にすぐ連絡を付けられる点に重きを置いたらしい。
キリルギリを迎撃した魔虫狩人たちらしい考え方である。
そんなわけで、雲中ノ層第一の枝に元ギリカ村の住人が住む区画を整備するべく計画を詰めていたところ、雲上ノ層の我が家に訪問客があった。
「――造園の指導?」
俺を名指しで訪ねて来たのはビューテラームに近いトラミア都市の若手造園家だった。
俺が考案したことになっている雲中ノ層の枯山水庭園を学びに来たらしい。
「学びに来たと言われても、俺は造園に関して素人だから、大したことは教えられない」
「考え方や基礎的な技術だけでもいいんです。どうかお願いします」
と言われたところで、雲中ノ層にある枯山水だってプロが見れば首をかしげるようななんちゃって庭園である。
トラミア都市といえば、ビューテラーム建築からの脱却を掲げて近年張り切っている自治体だ。
ビューテラーム出身の建築家や建橋家、造園家が多く、留学までして取り入れていたビューテラーム建築からの脱却は難航しているとも聞いている。考え方の基礎がビューテラームに寄っているから、根本的な思想から変革しようと北のタカクスまでやって来たらしい。
この世界的には新しい物ばかり存在するタカクスなら固定観念が壊せると考えたのだろうか。
「じゃあ、これからタカクス学校図書館の庭でやった枯山水の造園予定があるから、それを見学するって事でどう?」
「ぜひよろしくお願いします」
意気込み十分なところ悪いけれど、俺は本当に教える事がほとんどないんだよ……。
枯山水の造園予定地は雲中ノ層の新ギリカ区画である。雲下ノ層のギリカ区画はプレハブ住居を順次取り壊していく予定だ。
そんなわけで雲中ノ層に新しい住宅区を建設するに当たり、防火目的で設けることになったのが枯山水庭園である。
道路工事はすでに終わっており、後は元ギリカ村の住人が遠征に出るなどで長期間タカクスを出るタイミングで住居建設に当たる事になっている。最初の建設予定である二十日後までに庭園を造園するのだ。
予定について説明しつつ、若手造園家を連れて雲中ノ層へ。
まだ空地ばかりの新ギリカ区画の道路を歩いた先の広場を目指した。
雲中ノ層第二の枝へのアクセスも容易なこの場所に枯山水庭園を造る理由の一つに休憩所の設置がある。
服屋などの店舗も増えてきた雲中ノ層へ買い物にやってくる客の中にはカッテラ都市からのお客さんも多い。
宿がある雲下ノ層から雲中ノ層へやってきて買い物をした後、大文字橋を通って雲下ノ層の宿へ舞い戻るのは体力がいるため、ここに庭園を造って簡単な休憩所にするのだ。
そしてもうひとつ、雲下ノ層第三の枝を抜けてきた夫婦客向けのデートスポットである。
雲下ノ層第三の枝はイチコウカの畑やタカクス劇場、高級料亭などが並ぶ華やかなデートスポットだが、落ち着き始めた夫婦がデートをするには些かきらびやかに過ぎるという意見があった。
タカクスが摩天楼化した事で老夫婦の観光客も増えたため、落ち着いた観光場所が欲しかったのだ。
――といった造園理由を若手造園家に説明し、現場に足を踏み入れる。
俺が見慣れない若者を連れているのを不思議そうに見ていた職人たちの中からメルミーが歩いてきた。
「どうしたの?」
「造園を見学したいってさ。トラミア都市の若手造園家らしい」
「へぇ。建築家志望の弟子より先に造園家の弟子を作っちゃうなんて、アマネってどこに向かってるのさ」
「明日に向かってるんだよ。さぁ、工事を始めよう」
枯山水を構成するのは木や草、苔と水の流れを表現する砂利、表現する水の流れに変化を加える岩だ。
本来の枯山水は禅と共に発展したため、三尊石組みや手水鉢があったりする。他にも鶴や亀を模した石で長寿を願ったりもするが、この世界では意味が通じない。
ケインズが見つけたアユカがいるくらいだし、探せばどこかにカメもいるのだろうか……。
禅と共に発展した枯山水は禅寺に多く取り入れられ、禅の基本である座禅を行う縁側の前に展開する。散歩に用いるような庭ではないし、禅寺で飲めや歌えの大宴会を展開するはずもないため、静かに鑑賞するための庭として発展した。庭を巡って楽しむ回遊式庭園などとは用途が異なっている。
俺は若手造園家の横で各職人へ指示を飛ばす。
「配置と角度に気を付けて運んでくれ。草木は後回しだ」
職人たちが運んでいるのは魔虫の甲殻を粉砕して混ぜる事で硬度を高めつつ色を調整したバードイータースパイダーの液化糸からなる複合素材だ。すべて特注品である。
若手造園家が複合素材を興味深そうに観察しながら首を傾げた。
「なんでこんな歪な形をしているんですか?」
「あぁ、それな」
どう説明しようかな。池を囲む石の代用品といっても石がそもそも通じないし。
「メルミーさんが説明しよう!」
どこから出てきたの?
「これはだね。水が浸透しないくらい密で長期間風雨にさらされても風化しなくて、苔が付いても腐らないっていう謎の物質なんだよ」
「世界樹の幹や枝のような?」
「そうそう」
いま枯山水の構成が根本から歪んだ気がした。
でも、この世界の人から考えれば、メルミーの語った条件でまず最初に思い浮かべるのは世界樹の枝だよな。前世持ちの俺は石や岩しか浮かんでこなかったけど、これも一種の固定観念なのか。
若手造園家はメモを取ってひとしきり頷く。
「つまり、実際の池と同じように作りながら水を完全に排するって事なんですね」
「その通り」
「水音がないから静謐ですし、水流がないから不動ですし、管理も楽ですね。虫も湧きにくい。何より、水を確保する労力がいらない」
湧水なんかないもんな。水のある庭園を造ろうと思うと定期的に水を汲んで追加するか、ビューテラームやアクアスのように池を内包する枝を探さないといけない。
前世の日本でも、枯山水が最初に生まれたのは禅とは関係なく水の確保ができない場所に庭を作ったからだというし。
「ただ、なんというかその、空虚な気がしますね」
「そこが良いんだよ」
「そういうものですか?」
「トラミア都市の庭ってやっぱり、水ありきの庭園様式か?」
水が豊富なビューテラームの影響が濃いと聞くからまず間違いないだろうと思いながら訊ねると、若手造園家は深く頷いた。
「アマネさんのこの枯山水はどこから? ヨーインズリー方面にも見られない様式ですよね」
「ヨーインズリーはコケや低木を左右対称に配置して遊歩道を設ける庭だからな。枯山水とは違うよ。まぁ、ただの思い付き」
「思い付き……」
若手造園家が肩を落とす。落ち込まれても困るというか、申し訳ない。
俺は築山にコケと低木のキスタを植えるように指示を出してから、若手造園家に声を掛ける。
「新しい事を思いつこうと考えるんじゃなく、今ある要素に足し引きしたり、掛け合わせてみたりすればいい。配置されているモノが実利的な物なのか、精神的な物、宗教的な物なのかを考えたりさ。枯山水だって、早い話が庭から水そのものを引いて流れだけを残したものだしさ」
物事を分解して足し引きをするのは基礎的な考え方ではある。だが、基礎だからこそ大概のものに通じるのだ。
若手造園家が考え込んでいる間に作業が進んでいく。
一口に枯山水といっても、種類がいくつか存在する。タカクス学校の図書館の庭は平庭式と呼ばれる平面の庭に石などの構成物を置いたものだが、今回の庭園は世界樹の枝の小さな瘤を小山に見立てて準平庭式と呼ばれる物を造る。
庭園内に隆起が存在するのが特徴だ。
枯山水の造園と並行して休憩所となる庵も建設が進んでいた。枯山水庭園を眺められる場所に建設中の庵は縁側のある小さな家ほどの大きさの建物になっており、観光客がゆっくりとくつろぐことができる。
庵そのものが小さいため、休憩所の収容人数を増やすために四つ庭園を囲むように配置されている。これに合わせて、庭園も正方形の空間を木の板で区切って四か所に分け、それぞれの庵に正面を向けるようデザインしてあった。
数日の間、庭園の建設を進めていると、若手造園家も考え方が分かって来たらしくスケッチを描く筆も軽くなっていく。
「アマネ師匠、こんなのどうでしょうか?」
彼が考えたという枯山水式庭園のデザイン案を見せられて、俺は内心反応に困った。
俺の反応を見て、若手造園家は不思議そうに首を傾げつつデザイン案を説明してくれる。
「砕いた魔虫甲材や白漆喰の筋で水の流れを表現するというのが枯山水の根本なわけですよね。でも、流れを表現するのなら流体でさえあれば水でなくとも構わないと思うんです。そこで、大気の流れと雲を表現するという考えでデザインしてみたのですが、どうでしょうか」
「良いと思うよ。ただ、空を表現するのなら象徴的な何かが欲しい所だよね」
例えば龍とかさ。重森三玲先生がやってるけど。
それにしても、と俺は若手造園家のデザイン案を端から端まで眺める。
宗教的な要素も精神的な要素も排除してある。
禅の思想がないこの世界で俺が作っている枯山水も宗教的な要素は排除していたけど、もっと徹底した排除を行い、代わりに万人に通じる要素を付け足していた。規則的に繰り返す雲模様などはまさに万人受けする図案だろう。
ただ、この規則的というのが厄介で、西洋的な自然物を管理して美しく見せる庭ならば噛み合うが、日本式の自然そのものの悠然さを表現する庭に落とし込むのが難しい。
しかしながら、俺が枯山水を日本人の価値観と視線で見ているからこそ違和感があるだけなのだ。この違和感が精神性から来るものならば、この違和感こそを排除してこのデザイン案を見た時に最初に思い浮かぶ単語は、モダンという奴だろう。
「雲上ノ層の建物を見てきた?」
「やっぱり、分かってしまいますか」
そりゃあ、こんなモダンな物を見せられればね。
「多分、周りの建物も考えないとこの庭の存在が浮くよ?」
「あくまでも一案ですから。実際に造園するとなれば、もっと馴染む物を造りますよ」
「それなら大丈夫かな。それで、この案なんだけどさ、雲がぶつかる世界樹の枝とかも表現に取り入れてみたら?」
「なるほど。足元が見えてませんでした。枝を取り入れればかなり動きが出せますね」
あれこれ悩み始めた若手造園家を他所に、俺は庭園を見渡す。
もうほぼ完成だ。
小山となっている瘤へと打ち寄せる波を表現したワックスアントの白い甲材の破片。液化糸と粉砕した魔虫甲材を混ぜて作った複合素材の石もどきが囲む架空の池に、そこへ流れ込む滝を表現した枯滝石組。
池から溢れて流れていく小川には歪でごつい石もどきを支えにした橋石組が渡してある。橋桁となる石もどきは繊細さを感じるよう薄い物を使用した。
奥はキスタを見どころに暗い色のコケで埋め尽くしてある。水や波を表現する白い甲材の破片との対比がより顕著に奥行きを感じさせる構成だ。
凛として、厳として、寂として、落ち着き払った庭園である。
「完成したわけだけど、見学していて何か参考になった?」
「得るところは多かったですよ。自分の考え方、価値観とかが作品にどう影響していたのかを見つめ直すきっかけになりました」
「それはよかった」
正直、造園に関しては門外漢だから師匠呼ばわりされるような事が出来ているか不安だったのだ。
「これからどうするんだ?」
「ヨーインズリーの虚の大図書館に行って過去の資料を発掘してみようと思います。物事を分解して足し引きをすると言っても、元になる知識や技術がない事には引出しに限界がありますから」
「そっか。東側の庭園は西側ともまた違うから参考になるだろうな」
ついでだから、幾つかヨーインズリー近郊の庭園と造園家を教えておく。かつては拠点にしたこともあって、仕事上の付き合いで知り合った造園家に何人か心当たりがあるのだ。
さっそく明日出発するという若手造園家にお土産とシンクの燻製を多めに持たせる。
「俺の名前を出して、このシンクの燻製をお近づきのしるしって事で渡せば多少は話を聞いてくれるはずだから、頑張って」
非売品ってわけでもないけど、名刺代わりにならない事もないのだ。
礼を言って宿に帰っていく若手造園家を見送っていると、メルミーが後ろから抱きついてきた。
「次は建築家志望が来ると良いね」
「本当、なんで来ないんだろうなぁ」




