第四十八話 観光客への対応
音楽祭の賑わいは開催期間の半分を過ぎても衰えるどころか増しつつあった。
タカクスへの観光客数が当初予定していた人数をはるかに上回っており、飲食店や宿泊施設でも一部混乱が見られている。
「ちょっとまずいな」
「ここまで賑わうとは思っていなかったものね」
リシェイと二人でタカクスの各店から挙げられた報告書を読み進める。
祭り期間中の各店における食事メニュー、一日ごとの食品消費量、来店者数の記録を照らし合わせ、残りの祭り期間中に食品が足りるかどうかの計算を行う。
場合によっては各店に資金を融資してでも追加の食材を遠方に発注する必要があるのだ。
交通網の整備が進んだとはいっても、世界樹の上に住むこの世界では人の動線が限られる上に一日で移動できる距離もばらつきが少ない。車などがあれば広範囲を短時間で移動でき、一時的な人口の一極集中が周辺都市に与える影響は少ないのだが、この世界での移動手段は徒歩かコヨウ車の二択であるため、長距離の移動はなかなか出来ない。
思い起こされるのは前世の大学時代。海に行った帰りに夕食をどこかの店で食べようと車で流し、行列のできるお店を何軒も素通りして結局は友人宅で鍋パーティをした記憶である。この世界では行列ができているからといって素通りできるほどの選択肢がないため、周辺都市への影響を考えなくてはならないのだ。
祭り期間中に集中した観光客がカッテラ都市やケーテオ町に分散する可能性が高い以上、周辺の自治体から食品を購入するのは得策ではない。
「キノコ類は開催直前にヨーインズリーに追加発注しているから大丈夫として、果物類が問題だな」
「青果はどうしても輸送中に傷んでしまうから、コヨウ車を優先的に振り分けてなるべく早く運んでもらいましょう」
動かせるコヨウ車の数や積載量の見直しはリシェイに任せて、俺は魔虫狩人ギルドに依頼しておいた交通量調査のグラフを出す。
「今のタカクスの各道路の使用状況がこれだ。時間帯ごとに百人単位で色分けしてある。青い道路を使って輸送すれば、混雑の発生を極力抑えられるはずだ」
「こうしてみると、裏道まで人が歩いてるわね」
俺が広げたタカクスの地図を覗き込んだリシェイが感心する。
この文字通りお祭り騒ぎの中でも渋滞などの交通問題が発生していないのは裏道を含めた交通整理が上手く機能しているからだ。
魔虫狩人ギルドに依頼を出して行っている交通整理は、タカクスの各所に配置された観測員が各道路の始点と終点にいる魔虫狩人に手旗で信号を送り、信号を受けた魔虫狩人が人の流れを別の道へ振り分ける形で行われている。
もっとも、人の流れを逃がす道がきちんと設けられていなければこんな芸当は無理だ。
タカクスの都市設計に不備がない証拠だろう。もっと大きな理由はタカクスの単位面積当たりの人口が少ないため、観光客の動線とタカクス在住者の動線がぶつかりにくいという点にありそうだけど。
今回のデータを参考に、タカクスの人口が増えた際の空中回廊の整備計画を見直した方がよさそうだ。
「そうそう、陳情があったのよ」
「陳情?」
「観光客の目があるから洗濯物が干しにくいそうよ」
「あぁ、塀がない家もあるからなぁ」
特に雲下ノ層の第一の枝や第四の枝にある住宅街は元が村だった時の名残で敷地面積が広い代わりに塀が無い家が多い。
「公民館に宿泊者はいないよな?」
「いないわね」
「なら、第一の枝の住人に関しては公民館の庭に区画を設けて今回は対応しよう。お祭りが終わり次第、各家に塀を作る方針でみんなに伝えて」
第一の枝はタカクス設立時に住んでいた古参住人のほとんどが雲上ノ層に住居を移したことで人口がさほど多くない。公民館の庭の貸し出しと、人の流れをある程度制限する事で洗濯物が目につかない空間を維持する事は可能だ。いざとなれば、畑もある。
「問題は第四の枝かな」
「空中市場の下は洗濯物が乾きにくくて、特定の日当たりが良い場所に干しているものね」
第四の枝にある空中市場は日照を考慮して所々に明り取り用の空隙が開いており、その下に陽光が注がれる広場がある。広場にある反射鏡で周辺に陽光を散らしているが、洗濯物を乾かすには広場に注がれる陽光を直接利用する必要がある。
観光客の中には市街地になっている空中市場の下を見学する人もおり、そういった人たちの目から洗濯物を隠すとなると家の敷地内に干すしかない。
コヨウの毛がほとんどの衣類の原料で基本的には陰干しが勧められるとはいえ、日光のある広場を利用しにくい現状はストレスだろう。
さて、どうしたものか。
「観光客が住宅街に入れないようにするのが一番早いけど、雲中ノ層第二の枝が賑っている現状、水力エレベーターがある雲下ノ層第四の枝の交通を一部とはいえ制限すると他の道路が割りを喰う形になるんだよな」
空中市場とそれに接続する空中回廊は幅がそれなりに広いのだが、現在の賑わいを考えると混雑が予想される。
雲中ノ層第一の枝に接続している雲下ノ層第三の枝に適宜観光客を振り分けたいところだが、第三の枝はタカクス劇場の観客でごった返しているためなかなか難しい。
「……早朝と夜間は空中市場の通行人が減る傾向にあるわね」
「あの辺りは宿があまりないからだな。キダト村時代から営業している宿があるけど、空中市場の下からは外れてる」
「そして、観光客の通り道は日照を考慮しなくても構わない、はずよね?」
「……そういう事か。イチコウカの配置を少し変えて、早朝でも空中回廊の下を歩ける状態にするには――追加でイチコウカの手配が必要だな」
「決まりね。日の当たる広場へ洗濯物を持ち込む時間を早朝に限定し、イチコウカで住人が夜でも洗濯物を持って空中回廊の下を動けるように手配しましょう。観光客の通り道は少し遠回りになるけれど、第三の枝に近い裏道を利用すればいいわね」
「一昨日、面白い大道芸を見たんだ。それがタコウカの発光色を利用した芸で、暗所でないと見せにくい物でさ。話を通して空中市場の下に場所を移してもらって、通行人が遠回りに不満を持たないようにしてみようか」
オタ芸っぽかったあの大道芸なら、空中市場の下でも見せられると思う。暗幕を張ったりしないといけないから、周辺住人の了解も取る必要はあるけど。
今のところは夜間にしか披露していないみたいだから、多分それほど知られていないはずだ。
リシェイが予算案の書類を持ってくる。
「こちらの都合で移ってもらう以上、多少の礼金は必要よね。いくら包みましょうか?」
「一日で鉄貨百枚から二百枚かな」
「妥当なところね。暗幕はこちらで用意しましょう」
「じゃあ、決まりだな。後で話をしに行ってくる」
宿泊場所はすでに押さえてある。他の大道芸人と一緒にルームシェアのように部屋を借りているらしい。
リシェイがタカクスの地図を見る。道を交通量ごとに色分けしてあるそれは雲下ノ層第二の枝の大部分が青で塗られていた。
「タカクス学校を中心にした地域以外は人通りが少ないのね」
「基本的に住宅街やタカクス専門学校生の寮だから、芸を披露する場所もないんだ」
「タカクス学校だけ赤に塗られているのは、学生たちの催し物があるからかしら?」
「そう聞いてる」
タカクス専門学校や基礎学校ではローザス一座の協力の元、芸事の授業が一部に取り入れられている。素人の域はとうに超えているものの、それで食べていけるかと聞かれれば否と答えるしかない、そんな技術だ。
だが、無料で公開されている上に今後タカクス学校への入学を考えている人にとっては見学する良い機会でもあり、人が集まっている。
品種改良作物を使った創作料理の屋台や学生の発表なども行われて、学祭の様相を呈しているのも理由の一つだろう。
タカクス学校の様子を説明すると、リシェイは納得したように地図を見つめる。
「青果の搬送経路はほぼ決まりね。第二の枝ならタカクス学校の側に倉庫もあるわ」
「矢羽橋の幅員を考えると、短時間で第二の枝から第一の枝に移すのは難しい。輸送は夜間になるから、各店に通達しないといけないな。第四の枝に暗幕の件で了解を取り付けに行くついでに俺が回ってくるよ」
「ごめんなさいね。歩き回らせてしまって」
「日ごろから鍛えてるんだ。これくらいで疲れたりしないよ。どの道、視察に出たりもしないといけないし」
祭り期間中、問題が起きていないか調べるためにタカクスの各所を視察している。普段以上に歩き回っているけど、筋肉痛などの症状も出ていない。
「視察で思い出したけれど、ビューテラームから来てもらった楽団の様子はどうかしら?」
「凄く評判になってる。ローザス一座も負けてないけど、演目の数で少し押され気味かな」
ビューテラーム楽団を始め、歴史のある楽団一座が揃っているため芸の幅が広いのだ。ローザス一座も北側では名のある一座だけど、拠点を構え腰を落ち着けて団員の育成に励みだしてまだ二十年も経っていない。どうしても、団員の教育が足りずに演じられる物が少なかった。
音楽祭である以上、演劇などが対象外である事もローザス一座には逆風だろう。音楽祭の開催が決定してから演奏に重きを置いて練習していたけど、どこまで行けるか。
リシェイが難しい顔をする。
「多少負けるのは仕方ない、というのも悔しいけれど。分が悪いのは確かよね。ローザス一座の評判が落ちるとビューテラームに人が流れかねないのも気になるわ」
「俺たちが肩入れするわけにもいかないさ。何しろ運営側だしな。それに、悲観的にならずとも技術の高さは由緒あるビューテラーム楽団に比肩するのは誰しも認めるところだ。今後のローザス一座の活動に支障が出ることはないだろう」
「客観的にはそうよ。けれど、ローザス一座の団員たちがどう思うかは別問題でしょう?」
リシェイの言う通りだ。
レイワンさんが監督しているからめげる事はないだろうけど、心理的な苦手意識が芽生える可能性はある。
ビューテラームの創始者一族であり現トップのダズターカさんとも、この音楽祭は今後も共催行事として定期的に開催したいと話が一致している。
寿命千年ともなれば、苦手意識が尾を引く長さも相応である。どうしたもんかな。
ひとまず会議は終わりにして、各方面への連絡に走ろうかと椅子から腰を上げた時、事務所の扉が控えめに叩かれた。
割とみんな遠慮なく叩いたり呼び鈴を鳴らすから、控えめな音はちょっと新鮮だ。
誰だろうかと首を傾げつつ扉を開ける。
「レイワンさん?」
これが噂をすれば影が差すという奴か。
この世界では珍しいつば広帽子を取って頭を下げてくる。
「ご相談がありまして。少しお時間を頂いてもよろしいですか?」
企みを秘めていそうな、挑発的で少しばかりの茶目っ気を含んだ笑みを浮かべてレイワンさんはそう切り出してきた。




