第四十四話 出店ラッシュ
天楼回廊の停留所建設を終えてタカクスに戻ってみると、さっそくリシェイに事務所へ引っ張り込まれた。
「留守中に提出された書類よ。私には可否の判断が出来なくて」
「リシェイでも判断できないってどんな内容?」
書類仕事にはめっぽう強いリシェイでも判断ができない以上、何らかの予備知識が必要なのだろう。
事務机の上に重ねられた書類を取って読んでみる。
「あぁ、なるほど」
工房と武器屋の出店希望だった。リシェイには判断が難しいのは仕方がない。
「魔虫狩人ギルドにも話をしてあるわ。工房で作ったっていう試供品の方もギルド長に確認してもらって、合格を貰ってあるわ」
「その試供品を見せてもらえるかな?」
「ちょっと待ってて」
リシェイが事務室の隅に置かれていた木箱から矢と弓を持ってきた。
実用品だ。装飾は無く、武骨な造りではある。
リシェイから受け取って、一度弦を引いてみる。結構強い弓だ。
矢の方もシャフトが曲がっていたりせず、きちんと作られていた。鏑矢に軽く息を吹き込んで音を出してみたところ、雑音もない。ビーアントを落とせるだけの性能はあるだろう。
店を出そうとするくらいだから、相応の技術はあるに決まっているか。
書類に再度目を通し、工房の親方がどこで修業を積んだのかを探す。東の出身のようだ。
問題が起きるとすれば鉄の矢じりの方か。
「熱源管理官の資格はなし。という事は、矢じりは輸入してるのか」
「輸入経路についても提出してもらっているわ。矢じりの生産は北側のサトメ都市ね」
「サトメ都市か。よくお世話になるよな」
鉄製品の生産、再利用を行っている北側の都市だ。人口規模はカッテラよりも少ないが、有名な工房がいくつも立ち並ぶ工業都市である。
タカクスでも窓の装飾などに使う鉄格子などをよく輸入している。
鉄の質も悪くないはずだし、書類によれば加工までサトメ都市で行うらしい。魔虫の硬い甲殻を貫いてとどめを刺すことのできる鉄の矢じりは魔虫狩人にとって最も重要な製品だ。悪質なものなど早々出回らないけど、気を付けておくに越したことはない。
「後はアマネの裁可があれば、出店を許可できるわ。どうする?」
「良いんじゃないか。弓も矢も自作できない事はないけど、これから天楼回廊の各所にある停留所へ弓や矢を送らないといけなくなる。タカクス内で発注できるようになれば時間も手間も省けて助かるよ」
「決まりね。雲中ノ層に出店するらしいから、設計をお願い。これが依頼書」
「分かった」
工房併設の店舗に加えて住居も一体化させてほしいという要望か。
雲中ノ層に作る以上は和風建築になる。
一階を店舗と工房、工房部分は土間にするとして、玄関から通り土間で工房へ行き来できるようにすればいいか。一階の一部と二階を居住スペースにすれば要望は満たせるだろう。
大まかな間取りを決めて先方と意見調整かな。
設計をしに製図室へ行こうとしたところを、リシェイに袖を摘ままれて足を止める。
「まだあるのよ」
「え、そんなに?」
「天楼回廊の整備も本格的に始まって、流通の要所になる摩天楼に店を持ちたいって人が何人か申請してきているの。特に、タカクスはまだ有名なお店もないし、狙い目だと思われてるのよ」
あぁ、確かに競争率は低いだろうし、腕に自信があるなら今の内だろうな。
「カラリアさんからの手紙が来たのだけど、アクアスも同じ状況みたいよ」
「アクアスもできたばかりの摩天楼だもんな」
納得しつつ、出店の希望書の他、俺の許可が必要な書類を纏める。
これは忙しくなりそうだ。
「美容院か」
自宅で家族に切ってもらうか、元キダト村である雲下ノ層第四の枝の美容院を利用するのがタカクスでは一般的だ。
ただ、第四の枝の美容院はそろそろ引退したいと言っていたはずだ。老眼なのだとか。
「ビューテラーム出身って事は流行にも聡いだろうし、大丈夫かな」
「この人も雲中ノ層に店を出したいそうよ」
雲中ノ層がずいぶんな人気だな。
「まだ開発が進んでいない雲中ノ層第二の枝に出したいらしいわ」
「いいんじゃないか。高齢者の多い雲下ノ層第四の枝から水力エスカレーターで行けるのも良い」
老眼で手元が危ないとかもあって鋏を使いたがらない人も多いのだ。美容院の需要は案外大きい。
しかし、美容院か。雲中ノ層って事は和風建築だよな。
お洒落にした方がいいんだろうか。
書類を見た限り、この美容院を開くのは一組の姉妹らしい。三百歳になったばかりの若手だ。
お洒落といっても、この世界の感覚では和風建築からして未知のもので、新鮮さという点ではどこにも負けない建築物になるけれど、パステルカラーを用いる建築物、特にビューテラーム近郊で盛んなそれに比べるとだいぶ色味が地味になる。
ちょっと近代的な和風建築に設計思想をシフトさせようか。縁側に似た形のウッドデッキを作るとか。
それに、美容院となると床を簡単に掃除できないといけない。畳なんてもっての外だ。
リノリウムとか欲しい所だけど、ここは無難に石材に見せかけた外観になる複数の甲材を砕いて混ぜた複合素材を選択すべきところだろう。
となると、髪を切ったりする接客スペースは土間になるのか。俺の感覚ではお洒落から離れているように思う。
よし、後回しにしよう。メルミーに意見を聞いてからでも遅くない。
「それで、他には?」
「服屋があるわ」
「服屋?」
あ、本当だ。
申請書によるとカッテラ都市に拠点を置く服飾店だ。しかも、本店を移転するとの事である。
書類を埋める文字から気合が伝わってくる。
「煙に悩まされる事のない新天地という事でタカクスを選んだらしいわ」
「カッテラ都市は大丈夫なのか?」
「元々、カッテラ都市は服飾関係の事業を持て余していたところがあるでしょう。空中市場の建設を依頼されたのだって、煙の臭いやヤニが染み付くと売れなくなってしまう服や家具を売れる場所が欲しいと近隣の村から嘆願されたからだったわ」
「そう言えばそうだった」
という事は、この移転もカッテラ都市は歓迎しているのか。
まぁ、結局のところは服屋の主人の問題であって、俺達タカクスの運営陣やカッテラ市長のクルウェさんたちが何を思っても関係ないんだけど。
書類そのものに不備はない。リシェイも太鼓判を押しているし、経営状態も悪くない。カッテラ都市でこの営業成績ならタカクスでも活躍できるだろう。
リシェイが書類を指差してくる。
「タカクスで従業員を雇いたいとも書いてあるわ。カッテラ都市にある店舗はそのまま残して、店頭販売の他にも、注文に応じて配達する形を取るみたい。だから新規の従業員をタカクスで雇うつもりらしいわね」
「人手不足なんだけどな」
「タカクスで募集して集まらなかったら、他の町にも募集広告を出すみたいよ。ただ、タカクスの書類を整理できる事務員はどうしても欲しいみたい。私の責任でもあるけれど、タカクスの書式は東のヨーインズリーに近いから、北のカッテラ都市出身者は慣れないみたいね」
「自治体ごとに書式が違うもんな」
事務員に関してはすでに教育を済ませてあるため、募集を掛ければ集まるはずだ。一時期はリシェイが凄く忙しくしてたけど、今は余裕のあるスケジュールになっている。
「でも、最近はリシェイが書類を前に慌ててる姿って見なくなったよな」
いつも気にかけているはずなんだけど、オーバーワーク状態がなくなった。大概は事務所で一人、黙々と作業している。むろん、俺も現場仕事がない時は事務所で書類仕事をしているけど、仕事が減っている事はあっても増えている事は滅多にない。
タカクスの人口規模も増えたはずなのにおかしい、と不思議に思っていると、リシェイが答えを教えてくれた。
「書類の形式を少し改良したのもあるけれど、片付けきれない時にはどこからともなくふらりと来てくれたテテンが手伝ってくれるのよ」
「あぁ、テテンか」
ポイント稼ぎに余念のない奴である。
負けてられないな。
それはそうと、この服屋も雲中ノ層に出店したいらしい。
「クリーニングも受け付けてるのか」
「それがカッテラ都市で営業できた理由らしいわ」
しつこい煙の臭いも落とせるサービスか。納得だ。
これも第二の枝かな。
「試着スペースもやっぱり欲しいかな?」
「えっと、ここに要望書が――あった。はい、どうぞ」
「ありがとう」
リシェイから要望書を受け取って確認する。試着スペースは必要らしい。
出梁造りの店舗にして、外に張り出す分広くなる二階の窓側を試着スペースにしてしまえば照明の費用も掛からないかな。問題は外からの視線だけど、袖壁で隣家からの目隠しを行いつつ、スリガラス代わりの半透明の魔虫の翅を用いた格子窓を配置すれば解決できる。
木鼻にはメルミーに彫刻を施してもらうとしよう。装飾面はこの彫刻に依存する事になるけど、看板の存在も考えれば建物が装飾性に富んでいると利用しにくい。
とりあえず一つ案としてまとめて先方に要相談か。
「全部受け入れ可能って事で、返事を出しておいて。俺は先に職人たちの予定を聞いてくる」
天楼回廊の工事に出張して帰って来たばかりだから、数日は休日にするとして、冬までにはこの建築依頼が全部片付くだろう。
それにしても、服屋か。
俺はもう一度書類を見る。
ほう、服を仕立ててもくれるらしい。
……へぇ。




