第四十二話 マルクトパパ
安産だったらしい。
マルクトが駆け込んだ時にちょうど生まれたとの事だ。
「よかった、よかった」
それなりに医療が発達している世界ではあるけど、医療器具よりも医者の技術によるところが大きい。
乳幼児死亡率もそれなりだからまだ気を抜くわけにはいかないとはいえ、ひとまず無事に生まれて安堵したのはマルクト夫婦ばかりではないだろう。
一応、お金さえあれば万病の特効薬こと世界樹の実という選択肢もあったりするけど。
さて、無事に生まれた以上はやらなくてはならない事がある。
「マルクトの親父化記念に飲むぞー!」
「っしゃああああ!」
「……みなさん、飲みたいだけでは?」
そうとも言う。
今日のお店はいつもの通りにマルクト行きつけの焼き鳥屋。最近はランム鳥のたたきなんかもメニューに入っていて、焼き鳥屋というよりランム鳥専門店の様相を呈しているお店だ。
ヘロホロ鳥の家禽化に成功したら、メニュー増えそうだな。
「ちなみに、明日は奥さんが女子会に出席するから、マルクトが赤ちゃんの面倒を見ることになってる。酔い潰すなよ」
「了解!」
「安心していいのかいまいち確信が持てないのですが」
「マルクト、一々うるせえぞ」
「主賓なんですが……」
抗議するマルクトの前にジンジャーエールっぽい飲み物が置かれる。
「へい、おまちどーさん」
店主がマルクトの前に置いたのはシンクで作ったレバーケーゼだった。日置して辛味の増したトウム粉とマヨネーズを合わせて山椒マヨネーズ風にしたソースが添えられている。黒い平皿にレバーケーゼの薄い桃色とソースの乳白色が綺麗なコントラストを描いていて、見るだけで食欲をそそられる品である。
「祝いだ。奥さん宛てにも包んどく」
店主が親指を立てて白い歯を光らせる。
マルクトがお返しに親指を立ててから、レバーケーゼを一口食べ、拳を握って感動に打ち震える。
いつもの光景である。もう慣れた。
店主がビロース達にも酒を配り、俺の前に澄んだ琥珀色の酒を置いた。
「アマネさんにはデニエリィね。ヨーインズリーの十五年物。祝いの一杯だから割引しとくよ」
「店主さん太っ腹だな」
「お世話になってるからね。特にマルクトさんには」
厨房へ戻っていく店主に礼を言って、杯を掲げる。
「それでは、マルクトの娘さん誕生を祝って乾杯って事で――マルクトから娘さんの名前を発表!」
「ミトイに決まりました」
「おぉ!」
パチパチと拍手して、酒を飲む。
木を焼いた香ばしい匂いにアルコール臭が完全に打ち消されているのに酒精はしっかりある。木の葉型の皿に盛られたランム鳥のもも肉たたきに思わずフォークが伸びた。
抜群の相性だ。口の中が幸せ。今度、家で作ってみんなで食べてみよう。
無難に焼き鳥盛り合わせを頼んだビロースがせせり串を頬張ってからマルクトを意外そうに見る。
「ずいぶんとまともな名前だな。奥さんに怒られたか?」
「いえ、自分が考えました」
「マルクトが!?」
驚愕する周囲にマルクトは首をかしげる。
「えぇ、ランム鳥とは違ってそんなにたくさん生まれるわけでもないですし、奇を衒った名前で被らないように配慮する必要もないでしょう。むしろ、呼びやすく覚えやすい名前が一番では?」
「……そうか。マルクトって鳥さえ絡まなければまともなんだよな」
忘れてた。最近はヘロホロ鳥の家禽化計画ばっかりだったし。
ビロースが腕を組む。
「それにしても女の子だったか。お洒落させないとな」
「マルクトさんって高給取りですよね?」
サラダを摘まんでいたラッツェがマルクトと俺を見て訊ねてくる。
人の給料を暴露するのもどうかと思うので、俺はマルクトを横目で見た。
マルクトはランム鳥の飼育責任者で、シンクの飼育責任者でもあって、ヘロホロ鳥家禽化計画でも責任者である。タカクスにおける鳥関連の基幹事業を統括しているだけあってかなりの額が支給されているのだ。
マルクトはレバーケーゼの最後の一切れを食べ終えて、チーズソースのふわトロ卵焼きなる料理を注文した後、ラッツェを見た。
「それなりにもらっているので、お洒落させる事は出来ますね。まだ気が早いでしょうが」
「是非テグゥルースの雑貨屋を……といいたいところですが、服は扱ってないんですよね」
テグゥルースが顎を撫でながら言って、アレウトさんを見た。
「孤児院の子供服はどこで買っているんですか? それとも、教会からの支給でおさがりが回って来るとか?」
「ヘッジウェイ町の孤児院を通じて買い付けているんですよ。カッテラ都市から買ったりもしますが、基本的にはヘッジウェイ孤児院に資金を融通する代わりに衣類を買ってもらっています」
アレウトさんは杯の水面を揺らして店内照明の反射で遊びながら答える。
「タカクスの空中市場で買うと行商人の儲けの兼ね合いで少し高くなりますし、タカクス教会と孤児院単体であればともかく、世界樹北側全体でみるとそう予算があるわけでもありませんからね」
「付近の教会に資金提供してるんでしたね。なら、自由になるお金もあまりないわけですか。結構お洒落している子が多い印象でしたが」
孤児院の子供達を思い出しているのか、テグゥルースが明後日の方を見る。
アレウトさんが椅子の背もたれにかけていたコートを指差した。
「これは孤児院の年長の男の子が作ってくれたんですよ。最近、お洒落している子が多いのはその子の作品を着ているからですね。セーターが多いでしょう?」
「あぁ、自作してたんですか。あの柄はどこの市場でも見かけないし、どうなっているのか疑問だったんですが、なるほど」
納得した様子のテグゥルースがアレウトさんのコートを観察し始める。
俺も興味を引かれて眺めてみたが、縫製もしっかりしている上、襟には刺繍まで施されている。蔦と葉っぱを図像化したもののようだけど、タカクス教会の司教でもあるアレウトさんが日常使いしても問題ない品のある刺繍だ。
売り物になるぞ、これ。
「ビューテラームにでも留学させてみるか? 本人が行きたいなら、だけど」
「本人はカッテラ都市に行きたいそうです。向こうにもヘッジウェイ町近隣から入ってくる衣類や糸を扱う工房と商会がありますから」
「煙の臭いが付くって事であまり流行ってないはずだ。そりゃあ、流行ってないから競争も激しくないし、この腕なら雇ってもらえるとは思うけど、自己評価が低すぎないか。テグゥルースはどう思う?」
「アマネさんと同意見です。これは図案も含めて本格的な勉強をした方がいいでしょう。発想力があります」
「アマネさんとテグゥルースさんがそういうなら、本人に伝えておきましょう」
それにしても、お洒落をするには手作りからとはたくましい。
「マルクトや奥さんは手芸できるのか?」
「妻が多少は心得ています。ランム鳥のぬいぐるみを作ってくれましたし」
「……お、おぅ」
もう英才教育が始まってた。おくるみにランム鳥のアップリケとかついてそう。
周囲を見回せば、ビロースやラッツェも苦笑している。
マルクトが思い出したようにラッツェに声を掛けた。
「そういえば、授業の方はどうですか? 慌ててないかと妻が心配していましたが」
「事前の顔見せも済んでいたので混乱もなく引き継げましたよ。生徒たちもおめでとうと言っていました」
「そうですか。伝えておきます」
いい感じに亭主の落ち着きが身についてきたような気がするマルクトである。
ビロースがマルクトの首に腕を絡めた。
「できる男みたいなキリッとした顔してんじゃねぇよ。似合わねぇ上に、この面子の誰に見栄張ってやがんだ」
うんうん、とラッツェがビロースの言葉に頷く。今のマルクトの落ち着きっぷりに違和感があったのだろう。
「今の内から父親の威厳という奴を身に付けておけば娘の反抗期も乗り越えられるかと思いまして」
「あぁ、そういう……」
「生まれたばかりなのに、もう悩んでるんですね」
子無し男しかいないため、いまいち悩みが分からずに微妙な空気になりかけたところで、アレウトさんがおもむろに腕を組んで深く頷いた。できる男の顔をしている。
「そういう事でしたら私にお任せを。これでも孤児院長として男女関係なく様々な反抗期を見守ってきた玄人の私ならば、いくらでも相談に乗る事が出来ますので」
「――やべぇ、未婚なのに子育ての玄人、アレウト師匠がいらっしゃった!」
「未だに彼女もいないのに幾組もの夫婦を誕生させてきたタカクス教会の司教様、アレウト師匠は貫録が違うぜ!」
ビロースと一緒に煽ってみる。
「ふふふ、何でも聞いてください。夫婦、子育ての悩み事の集積所、このアレウトがお答えしましょう」
「全く動じてないですね」
ラッツェが感心するほどアレウトさんは俺たちの煽りをあっさりと受け流してみせた。
煽り耐性高ぇ。これはマジモンのできる男だ。
「なんで彼女出来ないんだろうな」
ビロースも煽るのを止めて首をひねる。
アレウトさんが遠い目をした。
「単純に出会いが無いですから。教会に訪ねてくるのは恋人同士ばかりなもので」
「あぁ、それはどうしようもねぇな。結婚願望はあるんだろ?」
「それはもう」
ふむふむ。
俺はラッツェの肩を叩く。
「聞きたいんだけどさ」
「はい、なんでしょうか?」
「ミカムちゃんとは最近どう?」
「……え?」
「ばれてないと思った?」
「……勘弁してもらえませんか?」
「鎌掛けただけ」
「えぇ……」
俺の鎌掛けにあっさり引っかかったラッツェに話題の矛先と視線が一極集中する。
恨みがましい目で俺を見てくるラッツェと、抜け駆けした元同志を弄り倒す気満々のテグゥルースにアレウトさん、それらを高い所から見物する構えのビロース、マルクト既婚組。
俺はラッツェの肩をもう一度叩き、助け舟を出す。マッチポンプは消火までが仕事です。
「合コンのセッティングをすれば許してくれるはずだ」
「ごうこん? せってぃんぐ?」
「頷け。話はそれからだ」
「凄い卑怯ですね!?」
渋々頷いたラッツェに合コンについて説明する。
「安心しろ。俺も裏から手を回しておく」
「アマネさんに裏から手を回されたら、こちらが何もしなくても決まっちゃいそうなんですけど」
「いやいや、こういうのは本人の意思が重要だから」
「アマネさんがそれ言いますか?」
「そうは言うけど、あれ見てみろ」
俺はテグゥルースとアレウトさんにラッツェの視線を誘導する。
二人は見るからに喜んでいた。もう外堀を埋める気満々である。片や行商人から摩天楼タカクスを代表する空中市場に店を構えるに至った商人、片やマリッジブルーに悩む新郎新婦を前向きにして円満な結婚生活を送らせる司教。口で勝てる相手ではない。
「はぁ、分かりましたよ。企画すればいいんでしょ。やりますよ、もう」
やけになって請け負い、酒を煽ったラッツェをテグゥルースとアレウトさん、ついでにビロースが称え、囃し立てる。
盛り上がる彼らにため息をついているラッツェの肩をまた叩く。
今度は何だとばかりに横目を向けるラッツェ以外に聞こえないよう声を落とす。
「鎌掛けといったな。あれは嘘だ」
「……どっちなんですか、もう」
「何故、気付いたかというとだな。ミカムちゃんがリシェイに相談している場面に出くわしたんだ」
「え、詳しくお願いします」
「これ以上は言えないが、脈はある。ラッツェが誤解されないよう、合コンの件も助力する。ついでに、天橋立の喫茶店の看板娘が発起人だから、上手いことアレウトさんへの助力をよろしく」
「鎌掛け云々の時点でアマネさん暗躍してたんじゃないですか。おそろしいな、もう」
あの喫茶店は行きつけだから、頼まれるとリシェイ共々断れないのだ。
 




