第四十一話 肥満解消
ヘッジウェイ町との貿易を行うためにミッパ農家を募集してみると、意外なことに世界樹の東側からはるばる移住者がやってきた。
タカクスの住人が手紙で知らせたらしい。
「タカクスの雲中ノ層の家って独特じゃないですか。住んでみたいと思ってたんですよ」
との事である。
ミッパは水を大量に必要とする植物だから、雲中ノ層に住居と農地を提供すると確約したのが大きかったようだ。
ミッパを育てていた経験もあるとの事で、さっそく畑を用意して育て始めてもらった。
――という状況報告をヘッジウェイ町に送ったのだが、返信には調整チーズが添えられていた。
もう生産を始めたのか。フットワーク軽いなぁ。
「特別飼育小屋に届けてくる」
「行ってらっしゃい」
リシェイに見送られ、俺は調整チーズの入った木箱を抱えて事務所を出た。
我が家の荷車ケナゲンは雲上ノ層の自宅に置いてあるため、今回は徒歩で雲上ノ層に向かう。
途中、雲中ノ層にあるミッパ農家の家の前を通った。
タカクスの職人もかなり和風建築に慣れてきたから建設にさほど時間がかからなかった家々だ。新品の瓦がいい感じ。魔虫の甲殻から作った模造品だけど。
京町屋風の奥行きがある家だ。どういう理由か知らないけど、移住してきた人達の内、とある四人組が路地裏を作ってほしいと言ってきたのが京町屋風になった原因だったりする。
ひょいと路地裏を覗き込むと、イチコウカの植木鉢と防火用の水鉢、魔虫の甲材をタイルのようにして貼り付けた木製の小さな机と椅子が置かれていた。雨に濡れないように蝋引きして防水性を高めた布を屋根代わりに張ってある。何この秘密基地みたいな空間。
この路地裏、実は四人組の私有地を均等に分配して作られている。だからどう利用しようと彼らの自由だけど、これがやりたかったのだろうか。
京町屋は奥行きがあるから、平行に並べるだけでこうした路地裏が簡単に作れる。不思議な注文ではあったけど、この様子を見る限り満喫しているみたいだから別にいいか。
天橋立を渡っているうちに木箱を持つ腕も疲れてきたため、途中にある喫茶店で一休みする。
秋も終わりの時期、風も冷たいから温かいお茶は気も休まるのだ。
「紅茶とヤナレパイをください」
「はい、ただいま」
喫茶店の看板娘がいそいそと厨房に注文を伝えに行く。
俺は木箱を開いている椅子に置いて、腕を揉んだ。
風が冷たいため、外の席に客はいない。店内には観光に来たらしい若夫婦が一組、カップルらしき二人組もいる。
昼間でこの客入りなら繁盛している方だろう。天橋立の途中にあるこの喫茶店は基本的に夕方、仕事や観光を終えて家やビロースの高級宿屋に帰る客が来店するのだ。
「お待たせしました」
看板娘が紅茶とヤナレパイを運んできてくれる。
本職だけあって紅茶はなかなかの味だ。しかし、飲み慣れているからかリシェイが淹れてくれた紅茶の方が美味しい気もする。
ヤナレパイは取れたてで甘味抜群のトウムを粉にして作ったパイ生地にヤナレという柑橘系の果物の皮を混ぜたお菓子だ。サクサクの生地を噛むたびにトウムの甘さが広がり、ヤナレの香りが甘さを上品に昇華させる、この喫茶店の人気メニューである。
「アマネさん、雲上ノ層に用事ですか?」
仕事が一段落ついたのか、看板娘が俺の向かいの椅子に座る。
「調整チーズが届いたから、ヘロホロ鳥の飼育小屋へ持って行くところなんだ」
俺は木箱を指差して説明する。
ヘロホロ鳥の家禽化計画については看板娘も知っているらしく、納得したように頷いた。
「それで珍しくこの時間にアマネさんが来たんですね」
「そういう事。今日はちょっとのんびりできる日だからね」
差し迫った問題もないし。
看板娘が身を乗り出してくる。
「そうだ。デザートチーズが空中市場に売られてるじゃないですか。ヘッジウェイ産のやつ」
「一口サイズでミノッツとかが入っているチーズの事?」
ヘッジウェイ町が開発した新商品だ。複数の種類があり、空中市場でも取り扱っている。
売れ行きはそれなりだが、やはり賞味期限の問題で好調とまでは言い難い。
「それです、それです」
コクコクと頷いた看板娘は内緒話をするようにさらに身を乗り出してきた。
「実はですね。新作お菓子にあのチーズを使ってみようかって話してまして。ヘッジウェイ町から直接卸してもらえれば空中市場で仕入れるより安くならないかなって、相談したいんですけど」
「店長はなんて言ってるの?」
俺は厨房の方を見て訊ねる。調理中なのか、店長さんの姿は見えない。
「いくつか試しに作ってみたらしいです。でも、やっぱり単価が高くって売り物としては難しいって言ってました」
「それで材料費を下げたいのか。でも、加工品で輸入品だから、せいぜい一割値下がりするくらいだと思う」
元々、空中市場で売られているデザートチーズは市場での動きを見るために置いている側面が強い。いわば試供品だ。
「賞味期限の問題もあるし、普通のチーズを買ってこの店の厨房でミノッツとかを加えた方が安上がりだと思うよ」
「そう思って普通のチーズでも試作してみたんですけど、あのデザートチーズを使った物とは比較にならないお粗末な出来だったんです」
「あぁ……」
ヘッジウェイ町が特産品にしようと意気込んで開発した商品だし、一朝一夕にはあの味に近づけないのは仕方がない。
しかし、お菓子の材料としても違いがはっきり分かってしまうのなら、確かに輸入するのが手っ取り早い。
「ヘッジウェイ町とのミッパ貿易が始まれば、コヨウ車の行き来も増えて価格も下がると思う。今は調理方法を研究して、出来の良いレシピをヘッジウェイ町に教えればいいんじゃないかな」
ヘッジウェイ町長は商機に敏感な経営者だ。
摩天楼タカクスの天橋立にある喫茶店にデザートチーズを使った料理がメニューとして並ぶ事に宣伝効果を認めれば、融通してもらえる可能性がある。
「調整チーズの件でお礼の手紙を書くつもりだから、レシピを送りたいなら事務所のリシェイに事情を話して渡しておいてくれるかな。あとこれ、お勘定」
「分かりました。店長に伝えておきます。毎度ありがとうございます」
代金を支払って席を立ち、忘れずに木箱を抱えて店を出る。
「またのお越しをお待ちしてまーす」
看板娘と厨房の店長に送り出されて、俺は天橋立を再び上り始めた。
ふと振り返れば、秋らしいイワシ雲が雲中ノ層を覆っていた。雲間から覗く和風建築の街並みはなかなか風情がある。
雲上ノ層に到着して、ヘロホロ鳥の特別飼育小屋へと向かう。
古参住人、タカクス村を興した初期メンバーの七割くらいがここ最近で雲上ノ層に移住した事もあり、住宅街と呼べるようになってきた通りを抜けて郊外へ。
雲上ノ層の住居は俺たちの家もビロースの高級宿もモダニズム建築だった影響で、基本的にモダンな住宅が並ぶようになった。
合理性と機能性を追求し、宗教観などを排したモダニズム建築。前世地球ではどんな文化地域でも利用できる建築思想だったのだが、この世界では俺しかやらない。逆説的にタカクスの特色となってしまっている。
文化的、歴史的な背景がないため、建築思想と実情に矛盾が生じているわけだ。まぁ、予想していた事ではある。
建築は芸術だけど、住んでなんぼの実用品だ。住人が快適だと言ってくれている以上、悩む必要はないと割り切ってしまっている。
特別飼育小屋に到着し、螺旋階段を上ってツリーハウス上の特別飼育小屋に入る。
「マルクト、いるかー?」
「少々お待ちを」
ヒナ用の飼育部屋から掃除道具を持って出て来たマルクトが洗い場で手を洗ってやってきた。
マルクトが手を洗っている間に木箱を開けて、飼料計画書を引っ張り出す。
「調整チーズが届いた。ひとまずはこれで様子を見よう」
「早いですね。助かります。与える量は重量ベースでランム鳥と比較して調整しましょうか?」
ヘロホロ鳥の飼育記録を持って来たマルクトがランム鳥との体重比を出して、調整チーズの分量を計算する。
「五日分ですかね」
「事務所にまだ届いてるから、後で持ってくるよ。十日分くらいあるんじゃないかな。腐るからまとめて送る事は出来ないってヘッジウェイ町長からの手紙にもあった」
「なるほど。腐ってしまっては困りますもんね」
重量計算を終えたマルクトが木箱を持ち上げる。飼料用の保管庫に持って行くのだろう。
「ヘロホロ鳥の運動不足の件はどうだ?」
「ようやく解消傾向ですよ。若鳥は光り物をつつく習性があったので、木の枝からぶら下げて遊ばせています。まだ様子見は必要ですけども」
「おぉ、やったな」
これで運動不足からくる肥満と、脂肪の付き過ぎによる品質低下を防止できる。
実際に若鶏用の部屋を覗いてみると、飛びながら短冊形に切り出された魔虫の甲殻をつついていた。
飛翔し、下降しながら加速、羽ばたいていた翼を折り畳んで弾丸のように魔虫の甲殻をくちばしでつついている。キンッという硬質な音が響くと、また別のヘロホロ鳥が同じように甲殻を嘴で弾き飛ばした。
……ボッコボコだな。リンチか。
「なんというか、激しいな」
「あの遊び道具、三日に一回は取り替えないと傷だらけになってしまって光らないんですよ。そうなると興味を示してもらえないので、予備もいくつか作ってもらいました」
マルクトが苦笑しつつ飼育員休憩スペースの棚の上を指差す。箱の中に遊び道具が並んでいた。
効果はあるみたいだし、必要経費だろう。固いので有名なブルービートルを今度仕留めて、甲殻を持ってこよっと。
「――マルクトさん!」
唐突に、特別飼育小屋の外からマルクトを呼ぶ声が聞こえてきた。
ずいぶん焦った様子の声だ。
首を傾げながら外に出るマルクトに俺も続く。
ツリーハウスになっているこの特別飼育小屋の下を覗き込むと、若手の魔虫狩人がこちらを見上げていた。
「生まれるそうですよ! 急いで!」
「生まれ……え?」
「――え、じゃないだろ。飼育小屋の残り業務は俺が片付けとくから、さっさと行って来い!」
呆けているマルクトの背中をひっぱたくと、正気に返ったマルクトが大慌てで螺旋階段を駆け下りた。
「すみません、アマネさん、後をお願いします」
「いいから急げ!」




