第三十六話 野鳥家禽化計画・進捗
夏である。
燦々と降り注ぐ太陽。世界樹の葉が常にも増して青々と茂り、メルミーが机に突っ伏してバテていて、テテンが窓から離れた部屋の隅でゴロゴロしている、そんな季節。
リシェイが事務所から持ってきた書類関係を処理しながら、俺に声を掛けてきた。
「天楼回廊の進捗はどう?」
「予定通りだな。この夏と秋は工事を休んで、冬から開始するわけだけど、魔虫がどんな被害を出しているかにかかってる」
夏は日差しが強くなるため、水などの補給もまだ難しい天楼回廊の工事は一時中断だ。秋には腹を空かせた魔虫も出てくるから、様子見である。
では、夏と秋には職人の仕事がないかといえば答えは否で、タカクス内での工事がいくつもある。メルミーがバテているのも昨日までの工事が原因だった。
机に突っ伏したままのメルミーがぼそぼそと何かを言い始める。隣にいたリシェイが興味を引かれたように耳を寄せた。
「……メルミーさんはエネルギーを貯蓄しているんだよ」
「エネ……?」
「メルミーさんはエネルギーを貯蓄しているんだよ。ちょっと待ってね」
「またアマネに妙な言葉を教わったのね」
エネルギーなんて単語いつ教えたっけな。
記憶を紐解いていると、部屋の隅にいたテテンが床の上を転がってくる。きちんと床も掃除してあるから、テテンの長い茶色の髪に埃が付くようなことはない。
「……教えた」
犯人はテテンらしい。
リシェイが不思議そうに首をかしげる。
「テテンが?」
「アマネに、教わった。えすえふの、単語……」
「また知らない単語が出て来たわね」
「よむ?」
「貸してくれるの?」
コクコクと勢い良く頷いて、テテンは体を起こすと自室へ走っていった。階段を上がる音が途中で間延びし始めたのは、体力が切れたからだろう。
GL小説を書いている事がばれないように定期的にカモフラージュの小説を発表するマメなところは見習ってもいい。癪だけど。
エネルギーの充填が終わったのか、メルミーが起き上がる。
「果物食べたい」
「キッチンにあったかしら」
「昨日サラダに使ったから、もう残ってないはずだ。今から買いに行くとなると、雲中ノ層の商店街かな」
「よし、メルミーさんがひとっ走りしてくるよ」
「充填したエネルギーを即刻使い切るのか」
「腐っちゃうからね」
メルミーは俺に言い返すと、テテンとは比べ物にならない素早さでリビングを飛び出して行った。
リシェイが思案顔で小首をかしげる。
「えねるぎーって腐るのね」
リシェイさんの中のエネルギーが生ものになった瞬間である。
勘違いを正そうとして口を開きかけた時、リビングにテテンが帰還した。戦利品であるSF小説を掲げてリシェイの側に到着したテテンは、恭しくSF小説を差し出す。
俺がエネルギーについて説明するよりあの小説を読んでもらった方が早そうだ。
「……どうぞ、おおさめ、ください」
「ありがとう。読ませてもらうわね」
さっそくページを開き始めたリシェイのそばを離れて、テテンは珍しく俺の隣にやってきた。
「……メイド、喫茶、登場させた」
「でかした、同志よ。この調子で日常に溶け込ませ、刷り込んでいくのだ。メイド服は可愛い。可愛いは正義。つまり、メイド服はジャスティスだと」
「……じゃすてす」
テテンが胸の前に両こぶしを掲げる。固い決意を秘めた眼だ。
リシェイがページをめくっていく。
これで、作中に登場するメイド服の形が分からないとか言い出してくれたら、実際に作ってみようと提案してあわよくば――
「――アマネさーん!」
唐突に家の外から聞こえてきた声に、俺はテテンと共にため息を吐いた。
いい所だったのに、邪魔が入るとは。
リシェイが読みかけの小説を閉じて、立ち上がる。来客に対応するためだ。
「……鳥狂い、ゆるさぬ」
「というか、何の用事だろう。奥さんの事で相談かな」
ケーテオから来てくれた産婦人科医の話だと、生まれるのは今年の秋の終わりごろって話だし、何をするにもまだ気が早いと思うんだけど。
許さないだのと言ってもマルクトが苦手なのは変わらないらしく、テテンは二階の自室へ避難していく。
俺はリシェイと一緒に玄関までマルクトを向かいに出た。
「アマネさん、ランム鳥の飼育管理表です」
開口一番、マルクトはそう言って紙を差し出してくる。
別に明日でもいいだろうに、わざわざ持ってきたからには理由があるのだろう。
「もしかして?」
「えぇ、キリルギリ襲撃前の数にようやく戻りました」
ついにか。
雲下ノ層第一の枝にあった飼育小屋をキリルギリに文字通り踏みつぶされてから五年。元々数が多かったうえに、カッテラ都市などとの取引もあるためなかなか増やしきれなかった。
「お疲れ様。大変だったろ?」
「オスが生まれるかメスが生まれるかは運任せですからね。産み分けができればよかったんですが、ランム鳥もそこまで器用ではないもので」
「産み分け方法か。あったとしても、想像できないな」
「アマネさんでもお手上げですか」
話しながら、マルクトから渡された飼育記録を確認していく。
「大丈夫そうだな。改めて、お疲れ様」
「そこでご相談なんですが」
いきなり、マルクトが笑みを浮かべながらにじり寄ってくる。思わず一歩引いた俺に二歩詰め寄って来たマルクトはニタニタ笑いながら相談とやらを話しだした。
「お疲れ会って事で、飼育員を集めて食べてもいいですか?」
「増やしたそばから食うのかよ。まぁ、五年間お疲れ様って事で、やってもいいぞ」
「流石はアマネさん、話が分かる!」
「マルクト、くれぐれも独り占めするなよ?」
「分かってますとも。では、準備してまいりますので」
くるりとその場で反転して駆け出そうとしたマルクトは、走り出して五歩目でくるりと反転すると戻ってくる。
「忘れていました」
ランム鳥が食べられると聞いて頭がいっぱいになったせいで忘れたんだろうな。
マルクトは雲上ノ層の特別飼育小屋の方角を指差す。
「野鳥の家禽化計画についての進捗状況なのですが、ちょっと来てもらえますか?」
「特別飼育小屋にか? リシェイ、留守を頼んだ」
「えぇ、行ってらっしゃい。ゴイガッラ村からも進捗状況を訊ねる手紙が来ていたから、明日にでも返信をお願いね」
「分かった」
リシェイと自宅前で別れ、マルクトと一緒に特別飼育小屋へ向かう。
ツリーハウス型の特別飼育小屋はすぐに見えてきた。
マルクトが道の先にある特別飼育小屋を見つめながら、真剣な顔で話しだす。研究者然とした横顔だ。こと、鳥に関する事であればずいぶんと頼もしい表情をする。ただし、食べる時は例外とする。
「この四年間の研究結果から、ヘロホロ鳥が最も商品価値が高く、数も増やしやすいことが分かってます」
「ヘロホロ鳥か」
大型の野鳥だ。
肉質は引き締まっていて適度な歯ごたえと弾力があり、木の実を砕いてまぶしたような風味が漂い、非常に美味しい。ステーキなどの単純な肉料理に適しているらしい。
高い飛翔能力が厄介で、狩人でもなかなか仕留められない貴重品だ。商品価値は文句なしに高い。
「他の二種類に関しても四年間の調査結果を報告書にまとめてあります。ワギサの品種改良は芳しくなく予算から見ても諦めた方が無難ですね。悔しいですが」
本当に悔しそうに、特別飼育小屋のワギサが入っている区画を見る。
二つ折りの階段を上がって特別飼育小屋に入ると、飼育小屋の中の鳥が騒ぎ出した。防音対策をしてあっても、飼育小屋の中に入ると効果はない。
マルクトはヘロホロ鳥の区画に俺を手招く。
マルクトは飼育小屋内で飼われているヘロホロ鳥を一羽捕獲して戻って来た。
「アマネさんに見てもらいたいのはこれなんです」
「ずいぶんと太ましくなったな」
もともとが高い飛翔能力を持つやや筋肉質な鳥という事もあって、脂肪がついているにもかかわらずがっしりした体型だ。
「小屋内のヘロホロ鳥はみなこのような有様で、有体に言えば運動不足です」
マルクトが言う通り、飼育小屋のヘロホロ鳥はどれも太い。盛んに歩き回っているにもかかわらず、滅多に飛ぼうとしないのは体重が起因しているのだろうか。
「味は?」
肥ったガチョウの肝臓料理を思い浮かべつつ訊ねると、マルクトは深刻そうに首を横に振った。
「ヘロホロ鳥の長所である歯ごたえや弾力が乏しく、脂肪分が多すぎてしつこい味になっています。特有の木の実に近い香りはあるのですが、あまりおいしいとは言えませんね」
太らせるのはまずい、と。
納得する俺に、マルクトが続ける。
「さらに、成長し切る前に死亡する個体も多くなっています」
「死因は太り過ぎか?」
「心疾患だと思われます。解剖結果を見ますか?」
「見せてもらうよ」
マルクトが捕えていたヘロホロ鳥を放してやる。逃げていくかと思いきや、疲れたようにその場でうずくまって羽根繕いを始めた。脂肪の付き過ぎで首が曲がらないのか、かなり難儀している様子だ。
深刻だな、これは。
特別飼育小屋の休憩スペースに戻ってマルクトが書いたという解剖結果を見る。
解剖図まで添えられているためややショッキングな内容ではあるけど、魔虫の解体などもしている俺にとっては何という事もない。
心臓や血管に脂が付いている事や、野生の個体に比べて翼の筋肉が衰えている事、代わりに足回りの筋肉がしっかりしている事などが記されている。
飼育小屋内の様子を振り返れば納得のいく解剖結果だ。
問題は、これをどう解消するかである。
「実際に家禽として育てるのなら、天井高や面積を確保した専用の飼育小屋が必要になります。初期費用と維持費は言わずもがなですね」
もっとも単純明快なだけあって避けては通れない解決方法をマルクトが口にする。
問題はそれだけの費用を投じても採算がとれるかどうかだ。
タカクス内にいくつかある高級料亭や、劇場での販売、ビロースの高級宿屋での利用が真っ先に思いつく。
ヘロホロ鳥そのものは貴重とはいえ様々な人が知っている食材である。需要は見込めるだろう。
しかし、タカクス内での限定販売で採算が合うとはちょっと思えない。テテンに一度燻製にしてもらって味を確認した後、カッテラ都市などへの輸出を視野に入れるべきだろう。
「この特別飼育小屋で運動不足を起こさないようにヘロホロ鳥を飼育するとしたら、どれくらいの頭数になる?」
「常時六十羽を維持する形でしょうかね。オウリィやワギサの区画も利用すれば、生育段階に応じて区画を分けられるので二百羽以上も可能かと思います」
二百羽となると、輸出商材としては全く足りないな。タカクス内での限定販売で様子見をしつつ、料理のバリエーションを増やしてレシピ集を作り、テグゥールースの雑貨屋で販売。ヨーインズリーの虚の大図書館にもレシピ集を寄贈して広報活動を展開した後、様子を見て増産に踏み切るかを再検討って所か。
諸々の準備にどれくらいかかるかは分からないけど、そろそろ赤字垂れ流しのこの野鳥家禽化計画も軌道に乗せたいところだ。
「飼育員のマニュアル作りはどうなってる?」
「運動不足の解消方法としてヘロホロ鳥を軽く追い立てたりもしていますが、先ほど見てもらった状態です。今のマニュアルは役に立たないでしょう」
「一から始める必要があるのか」
いま大規模に展開しても失敗するだけだな。
「なら、ワギサとオウリィに関しては計画を凍結。ヘロホロ鳥一種に絞って家禽化計画を続行しよう。今いるワギサとオウリィは破棄。食べても構わない。代わりに、空いた区画も利用してヘロホロ鳥の飼育マニュアルを作ってくれ」
「了解です」
マルクトは了承しながら、名残惜しそうにワギサとオウリィの区画を見つめていた。
 




