第三十四話 天楼回廊計画始動
春を迎え、天楼回廊計画が本格始動した。
本格始動と言っても、今回は基礎工事だ。急勾配や崖を通行可能にし、最低限の道として整える計画である。
以前、ヘッジウェイ町から建橋家さんを呼んでカッテラ都市との間の道路を整備したことがあった。今回は雲上ノ層で俺が一人で現場指揮を執る。
「なんか成長した気分」
「これでニヤニヤしていなければ頼り甲斐もあるのにね……」
リシェイが苦笑気味に俺の頬をつついてくる。
久々に成長を実感していい気分に浸るくらいは許してほしい。
リシェイが地図を広げる。
「世界樹北側はタカクスの受け持ちだから、全部アマネが設計と工事指揮をすることになるわ。今回は日差しが強くなる夏までを工事期間として、基礎工事と資材置き場の建設を進めてね」
「了解。メルミー、皆を集めてくれ。出発するぞ」
「はいさー。リシェイちゃん、お留守番は任せたよ」
「任されたわ。そちらこそ、何か必要な物があったら手紙で教えてね。すぐに送るから」
メルミーに両手を握られてぶんぶん上下に振られながら、リシェイが言う。
工事期間中は雲上ノ層の建設現場付近にテントを張って寝泊まりする事になる。タカクスからカッテラ都市、世界樹の幹付近までが工事範囲になっており、移動だけで数日かかってしまうくらいなら現場で寝泊まりしてしまう方がいいという結論が出たからだ。
俺は職人たちを見回してから、護衛の魔虫狩人たちを見る。
一応、俺も弓を持ってきているけど、基本的には他の魔虫狩人に周辺の警戒を任せるつもりだ。
「ビロース、悪いな」
魔虫狩人を束ねるビロースに声を掛ける。宿の仕事もあるとは分かっていたけど、雲上ノ層での狩りや幹周辺の危険性を認識しているビロースは今回必須の人員だから引っ張ってきたのだ。
ビロースは弓の弦の張りを確認しながら口を開く。
「運動不足で腕が鈍らないか心配だったんだ。気にすんな。それに、春の内だけだ。素人連中を教育したら宿に戻るしな」
「本当に悪い、頼んだ」
他にも朱塗り短弓の魔虫狩人などもメンバーに加えてある。このメンバーが実質的な戦力で、ビロースが言った素人連中は予備戦力として偵察などを行う。
世界樹の幹に近付く以上、まとまった戦力が必要になるのだ。
この世界には魔虫がいる。その中には当然、飛行能力に乏しい種類も存在する。
そんな魔虫が世界樹を登って来る唯一の経路が幹だ。幹をよじ登ってくる魔虫は飛翔能力に乏しい代わりに体が大きくタフな種類が多く厄介というのがこの世界での共通認識である。
中には漆喰の材料になるカルシウムの塊を運んでくるメガスネイルという大して強くないカタツムリ型の魔虫もいるけど、用心しないといけない。
世界樹北側の天楼回廊計画では、幹の近くにある町への物資人員輸送を円滑に行えるようにする目的もあり、回廊を近くまで伸ばすことになっている。
天楼回廊で人や物の行き来が容易になれば世界樹北側が一つの巨大な居住地区としてまとまる。これを守るためには、脅威となり得る魔虫に対する防波堤が幹周辺に必要だ。
「それじゃあ、出発だ。魔虫狩人組は偵察を頼む」
ビロースに指示を出し、俺たちはタカクスを出発した。
七メートルほどの高さがある急勾配に到着すると、テントを張り始める魔虫狩人たちを横目に職人組が仕事を始めた。
「アマネ、準備できたよ」
メルミーに頷いて、俺は職人たちに指示を出す。
「これから建てる施設は工事期間中、資材置き場として活用されるけど、天楼回廊が完成した暁には休憩所として利用されることになる施設だ」
いつもとは違って工事後に取り壊すモノでない事を周知させ、工事を開始してもらう。
二階建てで二十人ほどが寝泊まりできる造りの建物だ。魔虫の襲撃にも対応できるように頑丈な造りが求められるため、所々に魔虫甲材を取り入れている。
停留所ではなく、あくまでも休憩所であるためそこまで大規模な物ではない。
建物は直方体に屋根を載せたような形だが、所々に強度を高めるために魔虫甲材の柱を使用している。魔虫の襲撃時に突進を受けても壁が崩れないようにするための物だ。壁面に入った魔虫甲材独特の光沢が良いアクセントになっている。
天窓は強度の問題から排除しているが、一階にも二階にも二重窓を採用した。雲上ノ層は空気が乾燥しているため、夜間は一気に冷え込む。天楼回廊を進んでくる旅人や行商人が休憩所を利用するのは夜がメインになるだろうから、二重窓で断熱効果を高め、建物内部が早く温まるようにする。
断熱効果を高めるのならば窓そのものを廃してしまう方が効果が高いけど、魔虫の警戒と迎撃ができるように窓が必要なのだ。
「メルミー、女性陣を連れて建物周辺の塀を作ってくれ」
「例の奴だね。任せて」
メルミーが女性職人たちを連れて資材置き場から小さい魔虫甲材をいくつも持ってくる。
魔虫に直接建物を攻撃されないように作る塀については色々と悩んだ。
結果、魔虫甲材を積み上げる塀にすることが決定。かなり値の張る代物だけどその頑丈さは折り紙つきでメンテナンスも最低限で済む。
この休憩所は管理人として魔虫狩人が定期的に派遣されるだけで居住場所ではないから、メンテナンスは容易な方が良い。
メルミーが魔虫甲材をその場でざっと積み上げて、他の職人へ説明する。
「アマネが考案したレンガ風の塗りがあるでしょ? 今回は実際に魔虫甲材を積み上げる形だよ」
魔虫甲材をレンガ代わりに積み上げるという発想は前からあったけど、見た目が全く違う上に価格の問題もあって断念していた。町中で魔虫甲材の壁なんて頑丈な代物はまず必要ない。
けれど、今回は事情が違う。とにかく頑丈な建物にしなくてはならないのだ。
俺は職人達の動きを観察して、ふと横を見る。いま俺が立っている雲上ノ層の下、雲中ノ層の枝の上で視線を南へ向けていくとカッテラ都市があった。
風に乗って漂ってくるわずかな煙の匂いの出所はカッテラ都市か。
まさかここまで煙の匂いが来るとは思ってなかったけど、対策はしてあるから問題ない。
「アマネ、急勾配の方だけど、まだ支え枝が成長しきってないから後回しでいいんだよね?」
メルミーがやってきて、急勾配を指差す。
急勾配を均すため、今回は支え枝を持つ緩い坂を作ることになっている。天楼回廊が完成すれば世界樹全域から人がやってくるから、道路幅を確保するために重量を支持する支柱代わりの支え枝が必要なのだ。
メルミーが指差した急勾配に植えられた支え枝は少し成長が遅い。生き物だからこういう事もあるだろうし、事前調査で成長が間に合わない事は分かっていたから、予定を組む時にも加味している。
「坂は後回し。資材置き場が完成したら次の現場に向かって、帰ってくるときに建設だな」
「だから木材とかが運ばれてきてないんだね」
昨日の会議で言っておいたはずなんだけどな。
念のため、作業中の職人達にも坂については後回しになる事を通達してまわる。
作業は順調に進んでいった。
この世界で砦と言えば、世界樹の幹周辺にある対魔虫用のログハウス型の砦がある。人同士で戦争なんて起こらないから、魔虫狩人でもないとまず見る事のない施設だ。
中世ロシアで言うところのオストログに近い建造物で、物見塔などから構成される木造の砦である。
しかし、今回俺が作っている休憩所はどちらかといえば日本の砦に近い外観をしている。
天楼回廊は世界樹北側の主要道路ともなり得るため、東西南北それぞれの摩天楼が独自の趣向を凝らした建物を配置して地域色を強めることになっている。タカクスのある北側は和風建築が採用された。
メルミーはレンガ風といった魔虫甲材を積み上げる塀も、魔虫甲材の形や大きさが様々なのでどちらかというと石積みに近い形になる。光沢の問題でいまいち石垣に見えないのが個人的には不満点だったりするけれど、妥協するしかない。
そのうち、石垣に見える加工方法とかも研究してみたいけど時間がなぁ。ヨーインズリーの研究者に丸投げしたら嬉々としてやってくれそうではあるんだけど、タカクスの存在感を増すためにも開発からやっていきたい。
そうこうしている内にメルミー達が塀の建設に取り掛かった。休憩所の外周をぐるりと囲む塀は使われている魔虫甲材の光沢で鋭い光を周囲に放っている。雲上ノ層の直射日光をそのまま打ち返すようにギラついていた。
もう一、二年も経てば日光の影響で魔虫甲材の表面が劣化して光の反射率も下がると思うけど、しばらくは鬱陶しいくらいに光り輝きそうだな。
「おい、アマネ、カッテラ都市から水の運搬車が来てんぞ」
ビロースに肩を叩かれて顔を向ければ、カッテラ都市からやってきたらしいコヨウ車が水を満載してやってくるところだった。
視察も兼ねているのか、コヨウ車の御者台には次期カッテラ市長のクルウェさんの姿もある。
俺のそばまで来て停車したコヨウ車からクルウェさんが降りて来た。
「こんにちは。工事は順調みたいですね」
光り輝く塀に目を細めながら、クルウェさんが声を掛けて来る。
「食料品も間もなく到着するはずですが、受け入れ準備は整ってますか?」
「ビロース、テントは?」
「もう張り終えてる」
ビロースが指差す先には、モンゴルのゲルに似た形状の大きなテントが張られていた。魔虫狩人が遠征を行う際に拠点として使用する、コヨウの毛をフェルト状にした物を使う丈夫なテントだ。
雨が降らない雲上ノ層とはいえ、強い風が吹き抜けるし虫も湧く。食料や水はテントのような場所に保管しておく必要があるのだ。
俺はクルウェさんが乗ってきたコヨウ車の御者に向き直る。
「あのテントに運び込んでください。ビロース、案内を頼む。魔虫狩人を何人か連れて行って、教育もしておいてくれ」
水や食料の保管の際、出し入れしやすいようにテント内での保管場所がある程度決まっている。今回の魔虫狩人の中には遠征の経験が少ない素人もいるため、ビロースに教育をお願いしておく。
ビロースが何人かの魔虫狩人に声を掛けてコヨウ車と共にテントへ向かっていくのを見届けると、クルウェさんがカッテラ都市の位置を確認しつつポケットから地図を取り出した。
「タカクスができてから世界樹北側は目まぐるしく変わっていきますね。天楼回廊、でしたか、カッテラの古老たちが泣いて喜んでいましたよ。生きている内に時代の節目に立ち会えた、と。私たち若者世代も熱気を帯びていますし、完成が楽しみですね」
「ありがとうございます。天楼回廊計画は世界樹全体で取り組むものでもあるので、カッテラ都市にも支援をお願いする事になります。今年は基礎工事だけなので大丈夫ですが、来年からは建橋家や職人の派遣などもお願いするかと思います」
世界樹北側の天楼回廊は俺のデザインでほぼ統一するけど、北側だけで見た場合にも地域色が欲しい。その都市や町の代表的な建橋家と共同設計する事にもなっている。
何しろ大規模なプロジェクトだから、タカクスだけでは圧倒的に人手不足なのだ。この点、古くからある摩天楼のヨーインズリーやビューテラームとは異なる。
人の派遣にはお金以上に物資の采配などで手間がかかる。しかし、クルウェさんはむしろ歓迎だとばかりに不敵な笑みを浮かべた。
「タカクスにばかりいい格好はさせられませんからね。カッテラ都市の若者も、上の世代から託されるに足る実力があるとこの計画で証明しないといけません」
「その様子だと、もうすぐ市長に就任ですか?」
「えぇ、その通りです。リシェイさんやメルミーさんにもお伝えください」
クルウェさんは、今度挨拶にタカクスへ出向くといって、カッテラ都市へ帰っていった。
マルクトのところに子供が生まれる事といい、俺たちの世代がだんだんと主軸になっていく気配がする。
まだまだ学ぶところも多いけれど、後進の育成も視野に入れる歳になったのだろうか。




