第三十三話 新しい父親
「新たな父親誕生に乾杯!」
カルク先生が呼んだケーテオ町の助産師によりマルクトの奥さんの懐妊が確認された今日、俺はさっそく男連中を集めて飲み会を開催した。
マルクトの奥さんはリシェイ達が女子会を開いてお祝いしている。お酒を飲まない方が良いのはこちらの世界でもいっしょらしい。
この飲み会で杯を掲げているメンバーは主役のマルクト、主催の俺に加えて、古参メンバーの代表としてビロース、マルクトと仲のいい遺伝学研究者のラッツェや雑貨屋のテグゥールースもいる。
マルクトの結婚式を取り持ったタカクス教会司教のアレウトさんと医者の意見を聞く事もありそうなのでカルクさんも呼んだ。
会場は当然のように焼き鳥屋である。マルクトを祝うにあたりこの店以外はあり得ない。
「あのランム鳥専用生体暖房マルクトがついに父親になるのか。感慨深いなぁ」
「まったくだよなぁ」
冬が来るたびにランム鳥の飼育小屋で筋トレしていたあのマルクトが父親になる日がくるだなんて誰が想像しただろうか。
俺とビロースでタカクスがまだ村だった頃を振り返っていると、ラッツェが遠い目をした。
「あの頃は凄い、その、濃い人だなと思ってたんですが、立ち回りは上手いですよね」
「そう言えば、ラッツェはマルクトの奥さんと同じ孤児院出身か」
同じサラーティン孤児院出身者だったはずだ。
ラッツェは肯定しながら、マルクトを見る。
「あの娘、タカクスに来てすぐの頃からマルクトさんにご執心でしたからね」
「飼育小屋籠りの際にも良く差し入れを持ってきてくれました。体が温まるようにと考え抜かれた品々のおかげで飼育小屋の室温を上げる努力に身が入ったものです」
懐かしそうにマルクトが頷き、ランム鳥もも肉に塩を軽く振って頬張る。
そんなマルクトは今年も筋トレを欠かしていないらしく、引き締まった体をしていた。雲上ノ層にある野鳥の特別飼育小屋は陽光を取り込んで内部を温められるようになっているから筋トレをする意味がないはずなのに。
まぁ、マルクトのやる事に意味を求めても仕方がない。どうせ理由は知れている。マルクトの生活は鳥肉を中心に回っているのだから。
カルクさんがマルクトの腕をペタペタ触って筋肉の付き方に何やら感心している。
「なかなか実用的な筋肉だ。バランスもいい。マルクト君の筋肉はデッサンモデルにちょうどいいね」
「ランム鳥の肉で出来た筋肉ですから!」
マルクトの筋肉由来は百パーセントランム鳥なのかよ。野菜も食えよ。
などと思っていると、マルクトは葱っぽい野菜と胸肉を交互に挟んだ焼き鳥串を注文した。
その隣でビロースが皮とぼんじりを頼む。厨房の店主は大忙しだ。
ビロースがマルクトの杯に酒を注ぎながら、口を開く。
「それにしても、本当に感心するぜ。この中で最初に子供を作るのはてっきりアマネだと思ってたからな」
「自分もそう思っていました。まさかアマネさんの先を行く日がこようとは」
「あのなぁ、俺をどういう目で見てんの?」
「育ての親があのジェインズ老だぜ?」
「あぁ、なんか納得した。でも、じっちゃんはあれで子供がいないからな」
元々、この世界の人類は子供ができにくいみたいだから、仕方がないのだろうけど。
タカクスができて三十年近く経つけど、古参メンバーで父親になった者は今のところいない。それだけ、この世界では子供ができにくい。
もっとも、村時代は忙しくて子供を作るどころではなかった。
タカクスが摩天楼になって落ち着いた今ならみんなが子供を作ることに前向きになり、出生率も上がるかもしれない。
「それはそれとして、アマネさんに相談があります」
不意にマルクトが真剣な顔になって、俺に向き直る。
「なんだよ、改まって」
「雲上ノ層に子供部屋のある家の設計をお願いしたいのです」
「――気が早えよ!」
マルクトが切り出した瞬間、ビロースがツッコミを入れた。
「子煩悩ですねぇ」
「微笑ましい限りです」
ラッツェとアレウトさんがにこやかな表情でマルクトを見る。どことなくやっかみが混ざっている気がした。
「我がテグゥールースの雑貨屋は揺り籠や玩具も置いていますので、どうぞご利用ください」
「商魂たくましいね」
テグゥールースが営業を掛けると、カルクさんが笑いながら応じる。
マルクトが珍しく動揺した様子で皆を見回した。何故弄られているのか分かっていないらしい。
俺は苦笑しつつ、説明する。
「まだ懐妊したばかりで雲上ノ層に自宅なんか建ててみろ。奥さんがほぼ毎日、雲下ノ層のタカクス専門学校まで通勤する羽目になる。生まれるまでは今の家で我慢しとけ」
「言われてみれば、たしかにそうですね。どうにも何から手を付けていいやらで……」
マルクトも初めての経験だから混乱してるのか。
マルクトに生暖かい視線を全員で向けていると、頼んでもいないレバーがマルクトの前に届けられた。この店の定番にして最も美味いと評判のメニューである。
店の主人がマルクトにぐっと親指を立てる。
「祝いだ。食ってけ」
「流石はご主人、ありがたく頂きます」
親指を立て返して、マルクトがレバー串に食らいつく。
「専門学校の講師の件でもご相談がありまして」
「産休の事なら、今リシェイと話し合ってるところだ。ラッツェ、ちょっといいかな?」
「あ、はい、なんですか?」
アレウトさんと話をしていたラッツェに声を掛けて、こちらに来てもらう。
現状、講師をこなせるほど遺伝学に詳しいのはマルクト夫婦とラッツェ、そして俺だけだ。
マルクトは野鳥の家禽化計画で忙しいため手が空いていない。
俺は状況を説明し、ラッツェに提案する。
「――というわけで、臨時講師をやってほしいんだ。手が空いてない時は俺が代理で入るけど、どうかな?」
「リッピークルの研究も終わっているので時間は取れそうですけど、ぶっつけ本番は無理ですよ?」
不安そうな顔のラッツェを励ますため、俺は彼の肩を叩いた。
「まず、マルクトの奥さんの助手って形で授業を手伝って雰囲気を掴んでくれ。その後、リッピークルを題材に実験の方法や研究論文のまとめ方を教えてくれればいい」
マルクトの奥さんから授業進度については話を聞いている。前世で言えば中学生レベルの知識はあるはずだけど、実験関係の授業はまだまだといったところ。
ラッツェの方が頻繁に実験研究を行っているため、教えるのならむしろ適任だろう。
それに、と俺はビロースと一緒に野鳥を使った新作焼き鳥を食べているテグゥールースを指差す。
「テグゥールースがリッピークルの球根を専門学校生に売り込んだんだ。育て始めた学生もそれなりの数になってる」
自身の名前を呼ばれた事でこちらに注意を向けたテグゥールースが笑いながら頭を掻く。
「ははは、アマネさんは耳が早い。知ってましたか」
「まぁな。でも、感謝してるよ。おかげでラッツェが授業展開しやすいからな。それで、ラッツェ、引き受けてくれないか?」
訊ねると、ラッツェは悩むような顔で酒を傾けてから、決心したように頷いた。
「分かりました。リッピークルなら資料を流用して教本を作れると思います。あとで監査をお願いできますか?」
「それは自分がやりましょう」
マルクトが監査役に名乗り出る。
奥さんが妊娠したのがきっかけで臨時講師に引っ張り出してしまったから、責任を持ちたいのだろう。
ラッツェからも文句は出ないようなので、監査役はマルクトに任せることにした。マルクトなら、奥さんに生徒の理解度について聞きながら適切な表現に書き換えたりもできる。
「これでマルクトの懸念は片付いたな?」
問いかけると、マルクトは質問の意図を掴めなかったようで不思議そうな顔をしながら頷いた。
俺はビロースにハンドサインを送る。
俺のハンドサインを見てやおら立ち上がったビロースがマルクトの首に腕を回して逃げられないようにする。
「アマネが言質を取ったところで、マルクトを弄り倒すぞ、お前ら!」
「よし来た!」
「いよいよこの時間がやってまいりました」
「さてさて、まずはどこから攻めようかね」
「――なんでそんなに盛り上がるんですか?」
俺だけじゃなく、ラッツェやテグゥールース、カルクさんまでマルクト弄りに参加を表明するのを見て、マルクトが不思議そうに俺たちを見回す。
俺はテーブル席にマルクトを連行するようビロースに指示を出し、席に着いて腕を組む。
「さてマルクト、君の今までの所業を振り返ってみろや、こら」
「いきなり喧嘩腰ですね」
「お前がランム鳥関連でどれだけの人間を振り回したか懇切丁寧に説明してやんよ。まずはビロース」
俺が水を向けると、マルクトを片腕で拘束したままビロースは酒を一口で煽り、話し出す。
「あれは二十年前だったか。まだタカクスが村だった頃の冬の日だ。ランム鳥が逃げ出したとかで魔虫狩人に招集を掛けやがった。深夜だぞ、深夜。雪こそ降ってなかったが、冷たい風がびゅーびゅー吹いてやがって、朝までランム鳥探しに駆り出された。たまったもんじゃねぇよ」
「ピラフ新之助行方不明事件ですね。無事に見つかった時は涙が出ました」
「涙が出ましたじゃねぇよ」
しみじみと言うマルクトの頭をビロースが軽く叩く。
次に文句をぶつけたのはカルクさんだった。
「あれは夏風邪が流行った九年前の事だったよ。タカクス学校の設立直前の話だ。受付にマルクト君が並んでいるから何かと思えば、ランム鳥の風邪予防ができないか、だと。そんな薬が人間相手の診療所にあるわけないだろうに。挙句、作れと来たもんだ」
「無茶振り過ぎる……」
「ほんとうだよ、まったく」
カルクさんはぼやいて、マルクトの杯に酒を注いだ。医者のカルクさんが飲ませようとするからには、酔いつぶれることはないだろう。
マルクトが大人しく注がれた酒を飲む。
そこで、司教のアレウトさんがコホンと咳払いして注目を集める。
「では、教会からも一言。当教会ではランム鳥の結婚式は受け付けておりません」
「そんな依頼出してたのかよ、マルクト!?」
予算はどこから? まさかの自費?
マルクトが情けなく眉を下げる。
「キャラメル純子とスカイ秀彰沙衛門はヒナの頃から二羽揃って片時も離れなかったのです。せめて、〆るまえに添い遂げさせてやりたかった……」
「いい話風にしようとしてるけど騙されないからな? 結局〆てるだろうが」
「大変、おいしゅうございました」
目的だけは絶対にぶれない奴である。
とはいえ、ランム鳥の事しか頭になかったマルクトが子供部屋の事を考えているのは、ちょっと面白い事実だった。




