第二十二話 雲中ノ層第二の枝
秋の赤色が濃くなったキスタの葉を横目に二重奏橋を渡り、第四の枝空中市場を通り抜ける。
市場に接続する空中回廊の先に見えてくるのは、雲中ノ層の枝まで伸びる高層建築物群だ。
完成したばかりのそれは三段からなっており、一段目から上に行くほど細くなっていく。
遠目に見ると太い塔のような外観だ。
一段目にある六件の建物は全てが七階建て。内部には数種類の薬草を育てる設備が作られている。ほぼすべてが陰性植物で、中には薬効をもつ苔の類も存在している。
建物の最上階から出入りできる二段目は六階建ての建物が四件。その上にある三段目には展望台が存在し、直接雲中ノ層の枝に上ることができるようになっていた。
最下層から数基の水力エレベーターを乗り換えて展望台まで上がることもできる。
今日は動かせる人が少ないのと、各建物を視察しないといけないから三段目で水力エレベーターに乗ることになっている。
「名前はどうするの?」
メルミーが眼の上に片手で庇を作って水力エレベーターの天辺を見上げ、訊いてくる。
「展望塔」
「そのままだね。こういうのは分かりやすい方がいいのかな?」
「凝った名前を付けると、一般のお客さんに登っていいのかをいちいち説明しないといけなくなりそうだからってリシェイに言われたんだ」
展望塔の真下まで来ると、建物とは別に二段目以上を支えるための支柱があるのが分かる。
建物の壁面との相性を考えつつ、構造を計算して試行錯誤した支柱は魔虫甲材の複合素材でできており、二重に螺旋を描くツタの模様が幾何学的な構図で彫り込まれていた。
「やっぱり、真下まで来ると薄暗いな」
「夜に若人がいちゃいちゃしに来る場所にならないと良いね。アマネ、メルミーさんと予約しとく?」
「場所取りするのか? なんだか涙ぐましいというか、せせこましい努力の上に成り立ついちゃいちゃだな」
「そんな言い方されると気分が乗らないね」
メルミーがくすくす笑う。
けれど、メルミーの言う通り夜間には警備員を巡回させるなどした方がよさそうだ。
「そういえばさ、あの箱、何?」
メルミーが指差す先には大きな魔虫甲材製の箱があった。高さは三メートルほどで、幅奥行は五メートルを超える。箱の上部は展望塔の二段目以降を支える支柱の一つから出た管が繋がっていた。
「貯水槽だよ。水力エレベーターで使用した水をあの貯水槽に溜めて、第四の枝の畑に農業用水として供給するんだ」
これのおかげで第四の枝の水事情は恵まれている。農地拡大も視野に入れることができるほどだ。
元々が高齢化したキダト村のあった枝の上だけど、最近は外に出て行った子供世代や孫世代がタカクスの噂を聞いて戻ってきている。彼らが労働力となるため、農地の拡大にも対応できるだろう。
建物の中に入ってみる。階段で直接三段目の水力エレベーターまで上がる事もできるのだけど、この建物の設備面も確認しないと俺の仕事が終わらない。
「どれどれ」
メルミーが手近な扉を開けて中を覗き込む。
「おぉ、一面緑だ」
メルミーが開けたのは苔を育てている部屋だ。床一面にうっすらと土と苔が敷き詰められている。
施設内には薬草に加えて数種類の苔を育てており、幾つかの用途別に建物を振り分けている。
「ここにあるのって野鳥の餌だよね?」
「そうだ。育てた後、雲上ノ層の特別飼育小屋の野鳥たちに食べさせる手はずになってる」
観察や解剖による結果から、野鳥は数種類の苔を食べていることが分かっている。
餌としてなのか、栄養補助的な意味があるのか、あるいは野鳥にとっての薬効成分が含まれているのかは今のところ分からない。
ただ、ヘッジウェイから来ている建橋家さんはいくつかの苔をコヨウが好んで食べているのを見たと証言していた。
羊に似たコヨウは基本的に遊牧で育てており、コヨウ飼いと呼ばれる人たちが管理している。自治体を離れて世界樹の葉を食べながら移動するコヨウは、世界樹の枝に時折生えているコケをつまみ食いするらしい。
やはり、何かありそうだ。
「これから特別飼育小屋の野鳥から健康な個体を選んで、苔を与えるグループと与えないグループに分けた上で対照実験を行う予定になってる。いい結果が出ると良いけどな」
「その辺はよくわからんないや」
あっさりと考える事を放棄して、メルミーは廊下に出てくると部屋を片っ端から確認し始めた。
「何か探してるのか?」
「名前忘れちゃったけど、ほら、植え替えとかに使うフワフワして水を吸収するやつ」
「あぁ、タップルか」
ミズゴケみたいなコケだ。
吸水性、排水性に優れていて、乾燥させた物を水で戻して植木鉢に入れておくと植物を育てやすくなる。匂いもしないのでクッション材としても一部流用される優れものである。
「タップルは別の建物で育ててる。後で見に行くとして、今は二段目に向かおう」
ここはまだ一階だし。
二階から七階まで見て回り、屋上となる空中回廊に出る。分類上は空中回廊だけど、建物が乗るほどの広さがある。靴底を通して伝わる感触は硬く、魔虫甲材に特有の鈍い光沢と共に金属質な印象を抱く空中回廊だ。
「二段目の建物ってまだ中身空っぽなんでしょ?」
「いまはな。これから博物館に展示しきれない蒐集品の保管をしたり、貴重な種子の保存を目的とした貯蔵庫なんかに利用する予定になってる」
他にも、これから建て替えが必要になって来るであろう第四の枝の住居用資材などの保管庫も兼ねている。
元々この枝の上にあったキダト村が高齢化していたこともあって、住人と苦楽を共にしてきた家屋も古い物が多い。キダト村成立以降も何度か建て替えしたとの話だけど、それでも老朽化している家が何軒か目につく。
すぐにどうこうという話でもないけれど、準備だけはしておこうと元キダト村の住人とも話し合いが行われている段階だ。
中身が空っぽの建物の中に入る。六階建てだが、外観はほとんどビルだ。一段目の建物群も同様だけど、これらの建物は外観をあえてシンプルにすることで三段目の水力エレベーターを含めて一つの構造物として認識できるように設計している。
タカクス全体を見渡してもかなり大きな構造物だけに、一段目や二段目にゴテゴテとした装飾があると見た目が非常に煩くなり、周囲との調和が取れないのだ。
二段目の建物の内部点検を終えてから三段目に出る。
「ここまで来ると流石に高いな」
「空中市場が全部見渡せるね」
メルミーが手摺りに手を付いて眼下の空中回廊を見渡す。
人の動きまで手に取るようにわかる、ちょうどいい距離だった。
この三段目の空中回廊から見渡せる範囲は第四の枝全体と第三の枝の一部、二本の枝を繋ぐ二重奏橋の片方だけだ。
景観を一望してから、俺はこれから乗る水力エレベーターの上を見る。
バードイータースパイダーの糸製の太いロープが数本、水力エレベータの入っているビルを上から支えていた。
雲中ノ層の枝からロープを垂らして雲下ノ層の構造物を吊り支えるという、世界樹ならではの設計だ。
修業時代に師匠のフレングスさんから聞いていたけれど、実際に設計してみるとその安定感に驚いてしまう。ロープが耐えられる重量であれば理論上は何トンでも吊り上げられるのだから、世界樹の枝の強度は常軌を逸している。
「アマネー早く密室で二人きりになろうよー」
「いっておくけど、仕事中だからな?」
水力エレベーターの前で手招いてくるメルミーに注意しつつ、俺も扉に歩み寄る。
魔虫甲材で作られた扉を開けて箱型の水力エレベーターに乗り込んだメルミーがエレベーター内を見回す。
「十人乗りだっけ?」
「定員は十名、荷物を持って利用する客も多いだろうから、実際は十五名まで大丈夫なように設計してある」
五席ずつの向かい合わせで椅子が並んでおり、椅子同士も少し離してあるから内部は割と広々している。
メルミーに応えつつ、俺は扉の横の黒い筒に口を近づける。
「準備できました。二十数えたら動かしてください」
「――了解」
黒い筒から声が返ってきたのを確認して、俺も水力エレベーターに乗り込む。
「伝声菅もちゃんと機能してるみたいだ」
「上とやり取りしてるんだよね? これからも利用するお客さんが一々声を掛けるの?」
「エレベーター乗務員を雇うつもりだよ」
エレベーターガールとか、ボーイとか呼ばれるやつだ。
ほどなくして、エレベータ―が動き出す。
垂直上昇ではなく斜めに上がっていくため、前世の記憶がある俺でもなかなか新鮮な体験である。
「動いてる。動いてる!」
メルミーが子供みたいにはしゃいでいるのを見て、俺は冷静を心がけることにした。
エレベーターは安全のため、窓のない完全な箱型になっているため外を見ることができない。当初は観覧車のように透明な魔虫の翅で壁面上部を窓のようにする予定だったのだけど、強度を確保できないためお蔵入りとなった。
強化ガラスの登場を心待ちにしております。魔虫甲材の色抜きとかできれば、強度も十分な透明素材になりそうなんだけど。
取り留めのない事を考えていると、エレベーターが停止した。
扉を開けて外に出てみる。
「後二回、これを繰り返すんだよね?」
メルミーがわくわくした顔で次の水力エレベーターの扉を見る。
おおよそ五百メートル上まで上る水力エレベーターだが、スペースや安全性、点検の都合もあって三基に分けて二百メートル弱ずつ上っていく。
そんなわけで、メルミーの言う通り後二回乗り継いで最上階を目指すことになる。
「伝声菅、メルミーさんも使いたい!」
「はいはい、どうぞ」
初めてハンコを渡された五歳児並みのはしゃぎっぷりである。
乗り継ぎを無事に終えること二回、最上階についた俺たちを出迎えたのは伝声菅でやり取りしていたヘッジウェイの建橋家さんだ。
「お疲れさん。乗り心地はどうだった?」
「さいこーだよ!」
未だにはしゃいでいるメルミーが即座に感想を告げると、建橋家さんは腕を組んで満足そうに頷いた。
「そうだろう、そうだろう」
俺としても、水力エレベーターの乗り心地は大満足だった。速度こそ遅いし、ぶっちゃけた話自分で階段を上った方が早いくらいだった。けれど、まったく揺れなかった。
「後は冬に凍結しないかだけが課題ですね」
「不凍液なんてものも開発されはしたが、維持費や処理費用を考えるとまだまだ実用化には遠いからな。ひとまず、凍結時の体積膨張で管が破裂しないよう、定期的な確認はした方がいい」
「心得ています」
運用方法について話しながら、俺は展望台の窓に近付く。
「これは、一度夜に見に来たいな」
第四の枝はもちろん、第三の枝のタコウカ畑やタカクス劇場、第一の枝の公民館なども含めて一望できる。目を凝らせば、第二の枝のタカクス学校まで遠目に確認できた。
「ほれ、双眼鏡」
「用意がいいですね」
建橋家さんに渡された双眼鏡でのぞき込むと、タカクスの雲下ノ層全体を見渡せる。
展望台としてはこの上ない見晴らしの良さだ。
「メルミーさんに見せてー」
双眼鏡をねだってくるメルミーに渡す。
「おぉ、絶景かな絶景かな。双眼鏡を貸し出せるようにしておいた方がよさそうだね」
「そうだな。五つくらい用意しておけばいいか」
一通り見て回ったかな。
「それじゃあ、最後に雲中ノ層第二の枝と貯水槽の容量を見ておこうか」
まだ貯水槽しか置いてない雲中ノ層第二の枝は、この展望台の直上にある。階段か水力エレベーターで行き来する事になるけど、今回は上で操作する人がいないため階段で上がることにする。
水力エレベーターに使用するためのスペースを確保するために設計した螺旋階段を上ると、すぐに雲中ノ層の枝に到着した。
何にもない。ぽつんと貯水槽と、そこから伸びる配管があるだけだ。
「まずは管理小屋が必要かな。それから、雲中ノ層第一の枝とを繋ぐ橋の整備と、博物館か」
博物館の設計は終わっているし、予算も確保している。最初に博物館を作って、並行作業で管理小屋を建てていく方が無駄がない。
「明日から工事だな」
「じゃんじゃんばりばり建てていこうね」
「……タカクスの創始者一族は本当に働き者だな」
半ば呆れたように、建橋家さんが呟いた。
 




