第十一話 庇とバーベキュー
「暑いわね」
「メルミーさんがしおれてしまうよ……」
団扇で自らを扇ぎながらリシェイが呟くと、ぐってりとしたメルミーがテーブルに上半身を投げ出す。
夏真っ盛りである。それはもう、夏である。
気温はぐんぐんと上昇し、雲上ノ層は日差しの強さも相まって外に一歩出るだけでじりじりと肌を焼かれる感覚がある。
テテンは窓から最も遠い部屋の隅で膝を抱える事も出来ずに床に突っ伏しており、俺は団扇でテテンに軽く風を送っていた。
雲上ノ層は湿気が少ないため、風が当たるだけでもかなり涼しく感じるけれど、やはり日向に出ると暑い。
「……太陽が、殺しに、来る」
うめき声と聞き間違うほど抑揚と覇気のない声でテテンが呟く。
「夏だから近付いてきてるとは思うけど、秋になったら諦めてくれるだろ」
「……殺されたら、例のブツ、処分を、たの……」
「力尽きてんじゃねぇか」
例のブツってやっぱり百合小説かな。
……大事に保管しておこう。読み返したいし。
「そろそろ、水出しハーブティーが飲める頃かしら。欲しい人、手を挙げて」
「俺は欲しい」
「メルミーさんにもちょうだいなー」
「……飲む」
テテン、ちゃんと生きてたのな。
リシェイがキッチンへ入っていくのを見送り、俺は屋根の上のバルコニーの様子を思い浮かべる。
今朝方に水をやりに行ったばかりだから、詳細に思い出せる。
「ハーブがこの暑さでやられないか、心配なんだよな」
「なになに、アマネハーブの元気がないの?」
「アマネハーブとかいうなよ。これからそれで作ったハーブティーを飲むんだからさ」
「メルミーさん的にはバッチこいだよ」
それはメルミーだけだと思うけど。
俺の感性がおかしいのかも知れないので、念のためにテテンを見る。
おぉ、これでもかってくらいに嫌そうな顔するなぁ。
これはこれで腹が立つ。
「ともかく、ハーブがこの暑さと直射日光で萎れてきているから、屋内に移すとか考えないと」
「置く場所ないよ?」
「そこなんだよな」
家の玄関とかに移して影を追いかけるように移動させる方法もあるにはあるけど、日中は仕事があるから日時計よろしく形を変える影を追いかけるのは難しい。
今日は休日だからこうして太陽の出ている内から家の中でのんびりできるけど、この落ち着いた時間をハーブの移動に使い倒すのも気が滅入る。
「ハーブの事は、私も摘んだ時に気になっていたのよ」
キッチンから出てきたリシェイが会話に加わった。お盆の上には四人分のカップと水出しハーブティーのポットが乗せられている。
メルミーが立ち上がって、お茶請けを取りにキッチンへ向かった。
ソファに座ったリシェイが未だに部屋の隅にいたテテンを手招くと、待ってましたばかりにテテンは立ち上がってそそくさとリシェイの横に座った。
リシェイは人数分のカップにハーブティーを注ぎながら話す。
「摘むのを少し躊躇するくらい元気がないのよ。いまのうちに手を打っておかないと枯れてしまうわ」
俺はリシェイが淹れてくれたハーブティーを飲みつつ、上を見上げる。
「リシェイもそう思うなら、やっぱり手を打たないとな。小さな鉢だけでも中に入れておこうか」
「簡単な庇か何かがあれば、マシになると思うのだけど」
「あのハーブの植木鉢に影を落とすくらい深い庇を付けると、家のデザインが崩れる」
増築は可能だけど、今のバランスを不用意に崩して不恰好になる愚を犯したくない。
頭の中であれこれ考えていると、メルミーがお茶菓子を持って帰ってきた。
「メルミーさんも庇を作るのに賛成だよ」
「分かった。ちょっとデザインを考えてみるよ。あ、テテンの意見は良いや」
リシェイとメルミーが賛成している事に、テテンが反対するはずがないからな。
ハーブティーを飲み終えた俺は、お茶菓子のクッキーを一枚拝借しつつリビングを出た。
向かう先は俺の作業部屋だ。
扉を開けて中に入り、カーテンを開けて日差しを取り込む事で部屋の中を明るくする。
「我が家の設計図は確かこの辺に」
棚を端から見ていけば、中ほどで設計図を見つけた。
自分の記憶力を試す様に設計図を眺めて、考えていた庇を増設できることを確かめる。
重量の問題はかなりの余裕をもってクリアしているし、後はデザインか。
頭の中で組み立てていたデザインで一度書き起こしてから、我が家の横面図などと見比べて詳細を詰めていく。
俺たちの家はモダン住宅というコンセプトで作られているため、コンセプトを崩さないようなデザインや素材を考える必要がある。
雲上ノ層だから天候の影響は日光くらいで、雲下ノ層などでは用いる事の出来ない陸屋根的な庇でも採用可能だ。
そんなわけで、ルーフバルコニーと平行な庇を考えて――
「こんな感じか」
これからご近所さんが増えるかもしれないし、ちょうどいいから視線を遮る工夫もしておこうか。
設計図を見直していると、扉がノックされた。
「アマネ、どう?」
リシェイが扉を開けて入ってきて、進捗状況を聞いてくる。
「ちょうど完成したところ。いま、材料とかを一覧にするから、発注を頼むよ」
「分かったわ。職人はどうするの?」
「メルミーだけで大丈夫」
「――愛しのメルミーさんを呼んだかな?」
ひょこっとリシェイの横から笑顔で顔を出してきたメルミーに設計図をみせる。
「これ、メルミー一人で作ってもらうから」
「しょうがないなぁ。メルミーさんがいないと庇も作れないんだから」
「メルミーもアマネが設計しないと庇を作れないと思うわ」
「リシェイちゃん、それは言わないでよ」
「俺とメルミーがいても、リシェイがいないと発注できないけどな」
やってやれない事はないけど、時間がかかるのは間違いない。
メルミーの後ろから顔を出したテテンが自分を指差しながら首を傾げた。
「テテンは工事期間中、ハーブを家の前に置くのを手伝ってくれ」
「……がってん」
そんなこんなで二十日後、我が家のルーフバルコニーには立派な庇が出来上がっていた。
工具やらおが屑やらを片付けていると、リシェイとテテンがやってくる。
「完成したの?」
「あぁ、こんなもんでどうよ」
「メルミーさん頑張ったんだよ! この丸窓とか!」
メルミーが苦労アピールをするために指差した丸窓は、庇を支えるための側面壁に開けられている。
庇に接している上辺が長い台形の側面壁は、L字型になっている我が家の北側二階部分の壁から増設し、南側で斜めに切れている。
庇が深い分、支えている側面の壁も面積が広い。このため、遠目には野暮ったく見えてしまう事から開けられたのが今回メルミーが苦労した丸窓である。半径が俺の二の腕の長さくらいで、正円形の丸窓は側面の壁に面白みを付加し、のっぺりとした印象を軽減する事に成功している。
肝心の庇はルーフバルコニーの半分ほどまでを覆っており、日の角度にもよるけれど余裕を持ってハーブを影の中に避難させる事ができる。
今後、鉢植えが増えるようならいっそ別に家を作ってしまった方が早いだろう。雲下ノ層の事務所もある事だし。
「やっぱり日影があると涼しいわね」
リシェイが丸窓の外を眺めて、日差しの強さに目を細める。金色の髪が太陽光を反射してキラキラと光っていた。
後片付けを終えた俺はリシェイ達に声を掛ける。
「植木鉢を運び込むのを手伝ってくれない?」
「分かったわ」
「あいさー」
「……やることが、ある」
リシェイ達からは色よい返事がもらえたものの、テテンが珍しくリシェイ達と行動を共にしない。
庇を作ったばかりで雨でも降るのだろうかと思わず空を見上げてみるけれど、考えてみればここは雲上ノ層だ。雨が降っても影響がない高さである。
やる気がない奴を駆り出しても益はないし、俺はおが屑を入れたゴミ箱を持ってリシェイ達と共に屋内へ戻った。
「テテンちゃん、やる事って何?」
「……こう、ご期待」
「積乱雲のように高く巨大な期待を寄せておくよ」
「大きすぎないかしら?」
「雲だから掛けられた期待に潰されることはないはずだな」
いくらひ弱なテテンでも大丈夫だろう。きっと、おそらく。
おが屑の入ったごみ箱を外に出し、代わりにリシェイとメルミーの三人でそれぞれに植木鉢を運ぶ。
玄関横の階段を上って二階からルーフバルコニーへ出ると、テテンが炭を用意していた。
「お、バーベキューか?」
もうグリルまで用意してある。
軍手をはめた手で炭を持っていたテテンが振り返り、小さく頷いた。俺の予想は当たっていたらしい。
「……アマネの、肉はない」
「そうか。ならマルクト夫婦も呼んでランム鳥の肉を――」
「うそ。アマネの分も、ある……」
マルクトを呼ぶと聞いて慌てた様子のテテンがすぐに前言を撤回する。
最初から正直に言えばいいのに。
悔しそうにしつつも熱源管理官らしく炭の配置を神経質に整えて、テテンは火をつける前にキッチンへ食材を取りに行った。
早く証拠の肉をみせないと俺がマルクトを呼ぶとでも思ったのだろう。
珍しく走っていくテテンとすれ違ったリシェイとメルミーが不思議そうに首をかしげている。
「テテンが走ってるなんて珍しいわね。どうかしたの?」
「雨模様にならないように慌ててるんだよ」
この世界にはない言い回しだったからか、リシェイが不思議そうに首をかしげる。メルミーは直感的に理解したらしく、なるほどねぇ、と頷いた。
「よくわかんないや」
メルミーも理解していなかったらしい。何がなるほどだったのか気になるところだ。
リシェイがバーベキューグリルに気付き、テテンが走っていった屋内を振り返る。
「グリルと炭から察するに、テテンは食材を取りに行ったのね」
「リシェイちゃんが推理してる! メルミーさんも混ぜて」
「犯人はメルミー、あなたよ」
「なんの犯人!?」
推理要素に混ぜられて、メルミーが驚愕する。
しかし、リシェイはハーブの鉢植えをそっとバルコニーに置いて、指差した。
「私は知っているわ。生後一年のまだ柔らかいコヨウのもも肉をメルミーが市場で購入したことを」
「……な、何故それを?」
あぁ、昨夜に俺が見つけたやつか。
ハーブで臭み取りをしてなかったから、下ごしらえの常識を知らないリシェイが買ってきたまま放置しているのかと思ってキッチンに呼んで実物を見せたのだ。
そうか。いわばラムだったんだな、あの肉。
「なかなか上等なあのお肉を使って明日、私たちを喜ばせる計画だった。そうでしょう?」
「あぁ、メルミーさんの完璧な犯行計画が見抜かれてる!」
仲がいいのは結構だけど、着地点が見えない。
しかし、話についていけてないのは俺だけだったらしく、メルミーがふっふっふと笑いだし、演技がかった動きで前髪を掻き上げた。
「そこまで知られているなら仕方がないね。計画の前倒しをしようじゃないか。というわけで、メルミーさんは凶器をキッチンから取ってくるよ」
肉の事だよね? シャレにならない言い回しになってるけど、お肉の事だよね?
パタパタと家の中に入っていくメルミーの後を追うように、リシェイも歩き出す。
「私は飲み物を用意しようかしら。アマネ、鉢植えの方はお願いできる?」
「大丈夫だよ。任せとけ」
そんなこんなで、我が家の今日の食事はバーベキューである。一部、ジンギスカンだけど。
 




