第十話 食道楽のお客さん
「すみませんね。わざわざ案内させてしまって」
「いえいえ。シンクの感想も聞きたいですから、ご一緒させていただけるのは嬉しいです」
俺は久しぶりにやってきたランム鳥好きの食道楽のお客さんを案内していた。
前回やってきた時はまだランム鳥の品種改良の真っ最中で、味の向上は見られたがシンクが誕生していない頃だった。
あの時はまだタカクスが村だったから、摩天楼化した今のタカクスはお客さんにとって真新しい物ばかり。
「ちょっと見ない間にずいぶんと大きくなりましたねぇ」
雲下ノ層第三の枝と雲中ノ層とを結ぶ大文字橋を渡り、中ほどにある展望台からタカクスの雲下ノ層を見渡してお客さんがしみじみと呟く。
「いまや世界樹のどこに行ってもタカクスの名前が通じるほどですよ。仕事相手との世間話に活用させて頂いとります」
「都市化してから一気に名前が広まりましたからね。シンクの件もありますけど」
世界樹北側に生まれた新たな都市。しかも特産品を持っているとあってかなり噂になった。
摩天楼になった今はさらに噂が広がり、世界樹を回り込んだ反対側、南にある小さな村でもタカクスの名前が通じるほどだ。
「そういえば、何の商売をされてるんですか? 以前来たときは長期で北側を離れるとのお話でしたけど」
「そういえば教えていませんでしたね。私としたことが商売の事を忘れるなど、商売人にあるまじき失態です。それもこれもタカクスのランム鳥がおいしいのがいけませんな」
快活に笑いながら、お客さんは続ける。
「観葉植物の販売を行っております。タカクスさんの雲下ノ層の入り口広場にあるキスタなんかも取り扱ってますよ」
「あぁ、観葉植物販売ですか。これからはタカクスも緑化が必要な場所があるので、後で名刺を頂いてもよろしいですか?」
「えぇ、もちろん構いませんとも。是非、ごひいきに」
「よろしくお願いします」
大文字橋を渡って雲中ノ層に到着し、街中を歩く。
お客さんは目移りするように建物を眺め、ときおり足を止めて物珍しそうに家を見上げる。
「変わったデザインの家が並びますね」
「各層で特色を作りたいと考えた物です。他にはない町並みですから、よく観光に訪れる方もいるんですよ」
雲中ノ層に立ち並ぶ家は基本的に和風建築だ。
観光客は特に、建築家や建橋家が多い。他にも、枯山水を見学しに造園家なども訪れる。
魔虫狩人用に開放している訓練場もあるため、冬季には雪虫狩りに来た魔虫狩人も多く訪れている。
他にも、楽器の製作を行う工房や魔虫素材を加工する工房なども存在する。タカクスにおける工業区だ。
雲上ノ層に向かうため天橋立に向かって歩いていると、お客さんが「ふむ」と声を漏らした。
「どうかしましたか?」
「いやなに、少々緑が少ないな、と思いましてね。緑化が必要なのはこの雲中ノ層の枝ですかな?」
「そうなんです。後、雲下ノ層第二の枝ですね。空中学校周辺から商店通りまでの緑化をしたいんです」
空中学校から商店通りの緑化はタカクスだけでも十分できるけど、雲中ノ層は少々厄介なことになっていた。
「雲中ノ層の高湿度に耐えられて、雪が積もっても大丈夫な柔軟性と耐寒性のある腰丈の植木や人より頭一つ分高いくらいの観葉植物があればいいんですが、良いのが見つからなくて」
「なるほどなるほど。確かに、タカクスさんの雲中ノ層は並んでいる建物も独特ですから、合う植物もなかなか見つからないでしょうな」
思案するように町並みを見ていたお客さんはややあって口を開く。
「いくつか候補が浮かびますので、近いうちにカタログをウチの者に届けさせましょう」
「ありがとうございます」
松みたいな木があると良いんだけど。
お客さんと揃って天橋立を渡り、建てたばかりの高級宿屋に入る。
しばらく夫婦水入らずを楽しむ予定だったビロース達には悪いけど、お客さんが泊まりたいというのだから仕方がない。
「ようこそ」
ビロースと若女将がエントランスで俺たちを出迎えてくれる。
「どうも、ご無沙汰しております」
お客さんが荷物を降ろしながら挨拶を返した。
軽く世間話をしつつ、ビロースがお客さんの荷物を持って二階の客室にお客さんを案内していく。
俺はビロースとお客さんの後姿を見送って、若女将に目を向けた。
「食事の準備は?」
「もうできてます。シンクも下ごしらえを済ませて、いつでも調理に入れます」
若女将がハキハキと答えてくれる。
「すぐに食べたいって言っていたから、調理に入って」
「分かりました」
食堂奥の調理場に消えていく若女将を見送ると、玄関の扉が開いてマルクトが現れた。
「同好の士が到着したと聞き及び、このマルクト、土産を片手に参上いたしました!」
「マルクトほど情熱を一身に傾けてるわけでもないと思うけどな」
傾けてないよね?
マルクトが土産と称して持ってきたのはクネメ鳥という大型の渡り鳥だ。右翼にある矢傷から察するに、魔虫狩人ギルドが仕留めたのだろう。
「連絡の手違いですでに剥製を完成させているクネメ鳥を仕留めてしまったとの事で、自分のところへ持ち込まれたのです」
「別に言い訳を聞かせろとは思ってなかったよ。土産としては確かに丁度いい品だな」
年に二回、世界樹にやってくる渡り鳥であるクネメ鳥は大体今の時期に繁殖する。卵を産むために体力を蓄えているのかこの時期は脂が乗っていて、渡り鳥らしい歯ごたえのある肉と共に肉汁が溢れてくるためかなり美味い。
「――おぉ、クネメ鳥ではありませんか。そういえば今が旬でしたな。いやはや、マルクトさんもお変わりないようで」
階上からマルクトの持つクネメ鳥を見つけて声をかけてきたランム鳥好きのお客さんの言葉に、マルクトがトロフィーでも掲げるようにクネメ鳥をかざす。
「御無沙汰しております、同志よ!」
「マルクトさんに同志と言われると少々こそばゆいですな。ランム鳥に関する書籍、拝見しましたよ。個人的には、ランム鳥の調理法だけを載せたあの料理本が実に興味深かった。あの料理本は販売されていないのですか?」
「同志のために家に数冊保管していますよ。持ってきましょう。アマネさん、これをお願いします」
「え? お、おう」
クネメ鳥を俺に押し付けたマルクトは颯爽と風を纏って外に出ていった。奴の家は雲中ノ層にあるから、走って行き来しないとクネメ鳥を喰い損ねると考えているのだろう。
「……本当にお変わりないようですね」
「えぇ、あれでも妻帯者なんですけどね」
「いつまでも少年の心をお持ちのようで、羨ましい限りですよ」
いや、羨ましいとはちょっと思えないかな。
二階の換気でもしていたのか、お客さんに遅れて降りて来たビロースが俺たちの話に首をかしげている。
「どうかしたのか?」
「マルクトがいつも通りに行動してるってだけの話だ」
「なるほどな。じゃあ、オレは厨房に行ってくる」
「あぁ、マルクトの土産のこいつも頼んだ」
クネメ鳥を渡して、ビロースを厨房へ送り出す。
俺はお客さんと一緒に食堂へ入って、適当なテーブルに着いた。
クネメ鳥を持って厨房へ消えていくビロースを見て、お客さんが思い出したように口を開く。
「野鳥の家禽化に着手したと聞いておりますが、本当ですか?」
「本当ですよ。手探りの状態ですから、繁殖にも成功はしていませんけどね」
「やはり、家禽化されなかったのには相応の理由があるという事でしょうか」
「かもしれません。餌にしている飼料用トウムもランム鳥用に自然と改良されてきたもののようで、野鳥を育てるのには栄養が足りないのかもしれません」
飛翔能力がないランム鳥に対して、世界樹を所狭しと飛び回っていた野鳥の運動量はかなりのものだ。
必要となる栄養素もおそらく異なっている。
野鳥による作物の食害はこの世界でもあるし、一番に狙われるのは飼料用トウムだから栄養が全くないわけではないはずだけど、多分タンパク質か何かが足りないのだ。
「痩せていくんですか?」
お客さんの問いに頷きを返す。
「マルクトがあれこれと手を加えて餌を用意していますが、痩せていきますね。かといって、単純に餌を増やすと内臓に脂肪がつくようで、内臓疾患で死んでしまう。ゴイガッラ村に問い合わせて、ランム鳥で同じような症例がないか、過去の文献を調べてもらっています」
「なかなか広範囲に協力関係を築いているんですな」
「えぇ。ヨーインズリーの研究者の中にも視察を申し込んできている方がいますよ。今回の家禽化計画はタカクス単体でやるには難しすぎますから」
近況を話していると、ビロースが厨房から料理を運んできた。
すぐにお客さんが瞳を輝かせて皿の料理を見る。
「卵巻ですか。タカクスに来たらこれを食べなければはじまりませんよね」
俺が作って以来、ずっとビロースの宿の定番料理になっていたからな。
おしぼりで手を拭いたお客さんが卵巻の串に手を伸ばす。
柔らかく仕上げながらも甘くなりすぎないように出汁や塩を調整してあり、卵焼きで巻かれた中の肉や野菜が卵では再現できない程よい歯触りを生み出す。
お客さんは料理が冷めるのを嫌ったのか、感想も口にせず卵巻を頬張った。
笑みを浮かべたビロースが厨房に顔を向けると、様子を窺っていた若女将が満足そうに調理作業へ戻っていった。
卵巻を食べ終えたお客さんが、名残惜しそうに串を見つつ口を開く。
「以前に食べた時よりもずいぶんと旨味が凝縮されているような気がしますね。中に入っていた肉は噂のシンクですか?」
「いえ、それは普通のランム鳥ですよ。品種改良種ではありますけどね」
シンクを作る過程で生まれたものだけど、そこらのランム鳥より味がいい。餌もマルクトが考案した特別配合の物を食べているためか、旨味がしっかりと主張するのだ。
「シンクのみならず、タカクスのランム鳥料理は絶えず発展しているわけですな」
嬉しそうな顔でお客さんが厨房に目を向けると、ビロースが焼き鳥を運んでくる。
焼き鳥はシンクを使った物のようで、濃い紅色が鮮やかだ。
シンクを初見のお客さんは焼き鳥をしげしげと眺める。
「生ではないんですよね?」
首回りの肉であるせせりの串を持って、お客さんは串をくるりと一回転させて困ったように眺める。
「赤さが変わらなくて戸惑うのも分かりますが、しっかり火が通っていますよ。一口食べてもらえれば、分かると思います」
ランム鳥を食べ慣れているからこそ、生に見えるシンクは抵抗があるのか、少し逡巡したお客さんは意を決したようにせせりを口に含み、堪えきれなくなったように唸った。
「美味い。なんですかこれは」
思わずといった風に笑み零れて、お客さんはせせり串を見る。
「美味いとしか言いようがない。ランム鳥はここまで美味くなるモノなのか。衝撃的です。衝撃的な出会いですよ、これは」
ちょっとマルクト化してきたお客さんが焼き鳥を次々に食べていく。
シンク本来の味が楽しめる焼き鳥をチョイスした若女将、グッジョブである。
「しかしながら、こうも美味しい食材があると新しい料理なんかはないかと期待してしまいますね」
「ありますよ?」
「あるんですか!?」
えらい勢いで食いついてきたお客さんは、自らの子供っぽい言動に気付いたのか恥じ入るように顔をそむけた。
「し、失礼……」
「いえいえ。この高級宿屋を建てる際に、看板メニューになりそうな料理を考えたんです。いまつくってもらっているので、お待ちください」
「それは楽しみですね」
待ちきれないようにお客さんが厨房を見ると同時に、ビロースがクネメ鳥を薄切りにして蒸した肉に甘酸っぱい赤いソースをかけた料理を運んできた。
今までの大衆居酒屋っぽい料理から打って変わって、お洒落な料理だ。
テーブルに置かれた皿を見て、お客さんはほうと感心したような声を漏らす。
「高級料理らしいものが出てきましたね」
「そこまで肩肘を張った物ではないですけどね」
見た目の色彩は鮮やかで味もやや上品ではあるけれど、高級食材を使っているわけでもなければ特殊な調理をしているわけでもない。家庭でも再現できる料理だ。
とはいえ、家庭でも再現できる料理を、若女将の腕で高級料理に見劣りしないレベルにまで引き上げているともいえるけど。
「これもなかなか美味しいですな。蒸したクネメ鳥の柔らかい肉とソースが実に良く合っている。恋人と食べたい」
「失礼ですが、お付き合いされている方が?」
「いないんですよ、これが。仕事柄、あちこち飛び回っているもので落ち着いて恋愛する暇がなく……」
「あぁ、すみません」
結構もてそうな顔してるんだけど、意外だな。
なんて話をしていると、満を持して看板料理が運ばれてきた。
ハーブをふんだんに使いながら、やや躊躇される嫌いのあるシンクの紅さを誤魔化す紅いソースを用いる料理、フラメンカエッグである。
前世ではトマトソースなんかを使った料理だけど、トマトの無いこの世界で再現するのは苦労した。メルミーやテテン、若女将と一緒になって試行錯誤した傑作である。味見をしたり食材を買い足したりしたリシェイの功績も忘れてはいけない。
ソースの紅さでシンクの色が誤魔化されるこの料理は、シンクを見慣れていない人でもとっつきやすい料理である。案の定、お客さんはシンクに気付いた様子もなくスプーンでフラメンカエッグの半熟卵を割り、黄身を絡めて肉やマトラなどをスプーンの上に乗せて口に運ぶ。
「これはいい。香辛料が肉の旨味を引き立てている。シンク本来の味を焼き鳥で味わった後だとなおの事、味わいが豊かに感じますな」
気に入ったらしく、付け合せのトウムパンと一緒にお客さんは楽しそうに食事を続ける。
「来るたびに様変わりするタカクスですが、料理も同様に発展しているようで、何度も足を運びたくなります」
「村時代から足を運んでくれるお客さんにそう言ってもらえると、嬉しいですね」
「今後も足を運ばせて頂きますよ。カタログは部下に届けさせるつもりでしたが、私がまた来るかもしれません」
お客さんはそう言って、いたずらっぽく笑った。
 




