第八話 特別飼育小屋
冬真っ只中である。
足元、雲上ノ層の枝の下には雲海が広がり、視界の端まで雲に覆われていた。むろん、雲中ノ層以下のタカクスの状況はうかがえない。
いまだに俺たちの家一軒しかない雲上ノ層の枝の上にいると、ここがタカクスであるかどうかも曖昧になるような景色だ。
だが、いま雲上ノ層には新たな建物が存在していた。
野鳥家禽化計画の試験場である、特別飼育小屋だ。
建物の大きさは、俺たちの家を三軒並べたくらい。中はかなり単純な構造だし、家具の類もないから費用としては我が家よりもはるかに安い。
「ツリーハウスですか」
マルクトが特別飼育小屋を見上げて呟く。
「野鳥の生息環境に近い方が、飼育時のストレスも軽減できると思ってさ」
「素晴らしい配慮です。アマネさんは人が相手でなくても住む者の事を考えるんですね」
「初の試みだし、手を尽くせるところはやっておきたいだろ」
立地は雲上ノ層の郊外に当たる。未だに我が家しかない状況で郊外も何もないけど、住宅区を作成するための区分けはすでに済んでいるため、区画から外れているこの場所は間違いなく郊外だ。誰が何と言おうとも。
俺は特別飼育小屋を見上げる。
「ホストツリーは五本。どれも世界樹の枝を挿し木したものだから常緑樹になる。中で大型の鳥が大暴れしても揺れたりしない」
安定性は抜群である。
飼育部屋は全部で三つ。それぞれがホストツリー一本を有する半独立した小屋になっており、地上三メートルほどのところに床が存在している。
屋根は妻側を玄関に向けた二重傾斜のギャンブレル屋根となっており、ドーマーを棟側に二つずつつけて換気と採光を行えるように配慮した。ドーマーには菱形の格子をはめ込み、野鳥の脱出を防ぐ仕掛けも忘れていない。
しかし、こうしてみるとやっぱり鳥の巣箱に見えるな。実態としてはそのものだけど。
屋根の傾斜を二重にしたり、安易な形にならないようドーマーを設けて趣向を凝らしてみたけれど、雰囲気には勝てなかったか。
木の上にある特別飼育小屋へ上がるための階段があるのが救いだろうか。この建物が空を飛ぶ生き物のみの居住空間ではないと、階段の存在が証明してくれている。縁の下の力持ち的な存在感だ。
というわけで、俺は階段の最下段へ踏み出す。
「さっそくだけど、中の広さを確認してくれ。小型の野鳥なら十分すぎるくらいだと思うんだけど、ヘロホロみたいな大きな鳥だと何か工夫がいるかもしれない」
「了解です」
テンション高くスキップでもはじめそうなマルクトを特別飼育小屋の中へ案内する。
一本の木に支えられた一メートル半の高さで折り返す二つ折りの階段を上がると、幅三メートルの空中回廊に出る。
この空中回廊が特別飼育小屋を取り囲む回廊となっており、口の字に走って特別飼育小屋を囲んでいる。
階段を背後にすると、正面には特別飼育小屋の玄関スペースがある。
一つしかない入口を見て、マルクトが眉を寄せた。
「三種類の野鳥を育てる予定でしたが、建物は一つですか? ランム鳥では他の個体をつつく行為が見られますし、出来れば各種類ごとの飼育小屋がほしいのですが」
「早とちりするなよ。内部で三つの部屋に独立してるんだ。この玄関はあくまでも、特別飼育小屋に入るための玄関でしかない」
俺は玄関扉を開いて中にマルクトを招き入れる。
扉をくぐるとエントランスのような、ちょっとした広間になっている。正面の壁には等間隔で三つの扉が並んでいた。
俺は扉を指差す。
「あの扉の向こうがそれぞれ独立した特別飼育小屋になってるんだ」
「あぁ、各飼育小屋への行き来が簡単にできるよう、この広間を設けているわけですね」
意図に気付いたマルクトがふむふむと頷きながら、広間を見まわす。
三つの飼育小屋そのものは鳥の行き来ができないように独立しているものの、各入口をこの広間で繋けて飼育員の行き来を容易くしてある。
この広間が差し掛け屋根のちょうど真下にある。
俺はマルクトに広間の各スペースを説明する。
玄関を背にして、左に休憩スペース、右に資料や観察記録を保管する本棚が置かれた資料室兼リビングとなっている。
もっとも、各スペースは床より一段高くなっていて簡単な間仕切りがある程度で、部屋として独立させてはいない。飼育小屋の入り口をいつでも視界に収められるようにしておかないと、半開きになった扉から鳥が脱出しても気づけないからだ。
「少し狭いけど、大丈夫だろ?」
「そうですね。作業に問題はないと思います。餌の運び込みなどは飼育小屋の裏手からですよね?」
「あぁ、この施設を囲んでいる回廊で裏に回り込めば餌の供給口が各飼育小屋に付いてる」
入り口玄関のある表側から毎度餌を運び込むと、餌に群がる鳥たちが勢い余って外に出てくる可能性がある。これを防ぐため、給餌口を裏手に設けたのだ。
一にも二にも、鳥の脱出を防ぐことを念頭に造っている。もはや、監獄だ。看守がマルクトって時点で鳥が逃げられるとは思えないけど。
俺は入り口の反対側の壁には三つの特別飼育小屋それぞれへ続く扉を見る。
「いよいよですね」
俺の視線を追ったマルクトが興奮気味に呟く。別にお前の家ではないんだけど、野鳥に親身になり過ぎじゃないかと言うのはいまさらですね、そうですね。
大きさは三つとも同じなので、とりあえず一番近い真ん中の飼育小屋の扉を引きあける。
ちなみに、鳥の脱走を防ぐために二重扉だ。設計したのは俺だけど、偏執的すぎてちょっと引く。二重扉の意図に気付いてニタついているマルクトに二度引く。
「おぉ……」
マルクトが特別飼育小屋の中を見て感心したような声を漏らした。何もない殺風景だが広々とした空間を想像していたからだろう。
「あの、中央の木は何ですか?」
「この特別飼育小屋を支えているホストツリーだよ」
中央をぶち抜くようにして存在感を醸し出し、あちこちに枝を伸ばしている一本の木。
この飼育小屋を支えるホストツリーであると同時に、飼育する野鳥たちの止まり木となる。
「野鳥たちの生育環境に可能な限り近い方がいい。雲上ノ層にしかいない鳥もいるくらいだし、世界樹が室内にあった方がいいだろう」
もしかすると、世界樹の樹皮から塩分を得る習性があるかもしれないし。
「ただ、いくらか枝は払っておいた。今後も定期的に管理した方がいい」
「了解です」
屋根を見上げれば、二重に傾斜する屋根裏と通気用のドーマーが見える。ドーマーはいわば屋根のついた天窓とでもいうべきもので、屋根と一体型で斜めにはめ込む天窓とは異なり、地面と垂直に窓が嵌められるものだ。
雲上ノ層では日差しが強いため普通の天窓では直射日光が室内を熱し、蒸し風呂状態になりかねないため、ドーマーを用いて直射日光を最小限にしつつ換気を行えるようにした。屋根の妻側にも通気口があり、菱形の格子がはめ込まれている。
ドーマーから差し込む光がホストツリーを神々しいばかりに照らしていて、なかなかいい環境だ。
ホストツリーを迂回するように飼育小屋の奥へ向かう。
そこには浅い餌鉢が固定されており、壁の上の方には細い、郵便ポストの投入口の様な穴が開いていた。この穴の壁を挟んだ裏手には給餌口があり、飼育員が中の鳥が逃げ出す心配をせずに餌やりができる。
壁の右端には壁で覆われた一角がある。ゴミ箱の他、掃除道具などをしまっておく場所だ。
特別飼育小屋の紹介を終えた俺はマルクトと一緒に二重扉を潜り、休憩スペースに置いてある丸椅子に座る。
「それで、育てるのはヘロホロ鳥とオウリィ、それからワギサでいいんだよな?」
「はい。本命はヘロホロ鳥とオウリィです。ワギサは味は悪いですが運動量は少ないので育てやすいかもしれないと思い、味の改良をしながら様子を見ます。調理方法も少しばかり研究するつもりでいます」
「調理方法の研究って、どこかの料理屋にでも依頼するのか?」
「自宅でもやるつもりで妻にも了解を得ていますが、面白がった焼き鳥屋から参加の打診を受けてます。一度ヘロホロ鳥を焼き鳥にして余すところなく食べて見たかったとの事で、ただ働きにも了承してもらっています」
マルクトの行動力がたまに怖くなるよ。
「焼き鳥屋って、レバーが滅茶苦茶に美味いあの店か?」
「その通りです。研究熱心で実に良い親父さんです」
「ヘロホロを焼く時は俺も誘え。飲みに行きたい」
「話を通しておきましょう」
同時に親指を立てて、相手を褒め称える。
「そういえば、育てる予定の三種類の鳥は生け捕りにしてあるのか?」
「そろそろ飼育小屋が完成すると三日前に聞いて、魔虫狩人ギルドに話を通しておきました」
「そっか。まだならこの後に魔虫狩人ギルドに出向こうと思ってたんだけど、手間が省けたな」
と言うか、予定通りに完成しなかったらどうするつもりだったんだろう。
まぁ、雲上ノ層での建設だから天候の影響を受けないし、今は冬場とはいえ完成の三日前なら資材の輸入がどうこうって話もないから、依頼を出すタイミングとしてはよかったのか。
勇み足なわけでもなく、計画を滞りなく進めるために率先して動くって本来難しい事なのに、マルクトはよくやってくれる。
「そうそうアマネさん、一昨日の事ですが雲上ノ層の塩を使ったシンクの手羽先燻製を食べましたよ」
「テテンの作った奴か。あれは美味かったな」
雲上ノ層の塩に特有のほのかな甘みを含んだ塩気とシンクの持つランム鳥の旨味が凝縮した逸品だった。
少量ながら、空中市場にあるタカクス土産物店で販売したけど、すぐに売り切れてしまった。実験的な品であると断り書きまで入れておいたのだけど、生産者がテテンだったのも客の購買意欲を煽ったらしい。
なんだかんだで、マトラの燻製を始めとしてテテンの燻製家としての名前が広まっているようだ。
「雲上ノ層の塩も量産体制を確立したし、来年からは燻製の本場カッテラ都市からも雲上ノ層の塩を使った品が安く入ってくるようになる。野鳥の家禽化に成功したら、その野鳥も美味しい塩で頂けるな」
「やる気が出ますね」
とりあえず鳥を喰う話をしておけばマルクトのやる気を引き出せるって事だな。意外性も何もありゃしない。
奥さんに呆れられる心配もないだろうし、家禽化計画を頑張ってほしい。
「ランム鳥の飼育員の教育はどれくらい進んでる?」
「四人の内二人はもう作業を任せられます。残り二人ですが、片方は体力がないのでランム鳥の病理研究資料の暗記をさせる方針に変更しました。鳥専門の医師として教育できればと考えていますが、上手くいくかどうか」
「本人のやる気は?」
「やる気はありますね。ですが、研究資料も用語の統一さえ進んでいない状態ですから、暗記して、理解するのも難しいようです。一から進めていた我々やゴイガッラ村の人たちとは事前の知識量に差がありますから、無理からぬことですけどね」
「なるほどな。ゴイガッラ村への研修に出せるくらいになったら教えてくれ。こちらで計画を立てるから」
「かしこまりました」
 




