第一話 通勤距離問題
タカクスが摩天楼になって早五日。
――テテンが駄々をこねはじめた。
「……遠い」
今日も今日とて雲下ノ層の事務所へ朝早くに赴こうと玄関扉に手を開けた俺に、テテンがそう声をかけてきた。
逃がすまいとしてか、俺の服を両手で掴んでいる。
「服を引っ張るな。伸びるだろうが」
「……通勤距離、縮めろ」
「物理的に考えて、無理だ」
ワームホールとかどこでも扉とかは流石に開発できない。
とはいえ、テテンの言う事も分かる。
雲上ノ層にあるこの家から雲中ノ層の燻製小屋までの距離が六キロ強。雲中ノ層の枝とを繋ぐ橋である天橋立の全長が五キロあり、通勤距離の大半が橋の上である。
引き籠りから脱してずいぶん経つとはいえ、流石に通勤距離が長すぎるのだろう。
駄々をこねるテテンの後ろから出勤準備を整えたメルミーがやってきて、首を傾げた。
「雲下ノ層で事務所暮らししてた時とあんまり距離変わらないと思うよ?」
「……燻製小屋までは、そう」
「そういえば、テテンは事務所でリシェイの手伝いをしたりするもんな」
「――私がどうかしたの?」
鞄を持って身支度を整えたリシェイが階段から降りてきて、会話に加わる。
玄関でたむろっている俺たちを見たリシェイは外の方を指差した。
「とにかく外に出ましょう。道中で話せばいいわ」
まったくその通りだ。
俺は玄関扉を開け放ち、嫁二人とおまけの居候が出てくるまで扉が閉まらないように押さえておく。
リシェイとメルミーが靴を履いている間に話の内容を説明し、家を四人で出発した。
「事情は分かったわ。通勤距離の問題は最近意見書も提出されてるもの」
「タカクスって坂道多いもんねー」
第三の枝とか、とメルミーが雲下ノ層を指差す。
今歩いている天橋立も緩い坂道になっている。数字に表れる距離以上に疲労がたまりやすいのだろう。
「リシェイとメルミーは通勤距離についてどう思ってる?」
「流石に遠すぎると思うわ。行きはほぼ下り坂だから良いけれど、帰りは少し辛いわね」
「メルミーさんのしなやかな脚をもってすればこれくらいの距離は良い運動だよ」
正反対の言葉が返ってきた。
けれど、意見が分かれるのなら改善した方がいい。これから先、雲上ノ層に引っ越す人が増えれば必ず問題になるはずだ。
「……コヨウ車、求む」
テテンが改善案を出してくる。
いわゆる公共交通機関だ。ヘッジウェイのように道路整備が付近の村まで行き届いている地域には、人を乗せて定期的に運行するコヨウ車がある。辻馬車みたいなものだ。
選択肢としてはありだろう。
視線でリシェイに意見を訊ねる。
リシェイも頷いた。
「公共物として扱う事になるし、しばらくは二、三台で様子を見ることになると思うけれど悪い選択肢ではないと思うわ」
リシェイは一定の理解を示しつつ、メルミーの方を見る。
「大型のコヨウ車は作れるかしら?」
「作れない事はないと思うけど、カッテラ都市かヘッジウェイ町に発注するのが賢いやり方だと思うよ。メルミーさん的一押しはヘッジウェイ町だね」
ヘッジウェイ町はコヨウの飼育基金の発起人にして最大の出資額を誇る。世界樹北側においてコヨウの流通管理をほぼ牛耳っている町だ。コヨウから取れる毛糸を中心に紡績、染色、服飾と手広くやっている。
また、コヨウ飼いが何十頭ものコヨウを安全に連れ回せるように道路整備を行ったノウハウを生かして、道路整備や橋架け等でも優秀で名の売れた建橋家や職人が多数在籍している。
そんな町だから、商品である毛糸やらコヨウ肉やらを流通させるためにコヨウ車も多数有し、得意とする職人が住んでいる。
「ヘッジウェイ町に発注すれば間違いはないだろうけど、アマネがこの間ケインズさんから買い取った図面があるでしょう?」
「あぁ、クースアの実の運搬に使ってる揺れないコヨウ車か」
ケインズがアクアスの職人達と一緒になって開発したという乗り心地抜群のコヨウ車である。
「旧キダト村の方々の事もあるから、揺れにくいコヨウ車の方がいいと思うの」
「それは確かに」
腰に来るような揺れまくりのコヨウ車では、旧キダト村住人のご老人方にはつらいだろう。
しかし、あの揺れないコヨウ車は図面を俺が買い取っただけだから、技術流出につながりかねないヘッジウェイ町への発注ができない。
自前で作るしかないか。
メルミーを見ると、苦笑を返された。
「あんな複雑なのメルミーさん一人で作るのは無理だよ。魔虫素材も使うし、何人かで分担しないと」
「なら、声をかけてみるか」
完全に辻コヨウ車を運行する方向で話をまとめたからだろう、テテンがにやりと笑った。
俺は横目でテテンの薄ら笑いを見て取り、メルミーに付け加える。
「座席は広めにしよう」
「……ちっ」
肩と肩が触れ合うくらい狭い座席なんて用意したらテテンが調子付くと思って提案すると、案の定、舌打ちが聞こえてきた。
まったくもって、ぶれない奴である。
俺とテテンのささやかなにらみ合いには気付かず、リシェイが顎に手を当てる。
「後は辻コヨウ車でどことどこを繋ぐかよね」
「雲下ノ層第二の枝と第四の枝を朝、昼、夕方に二回ずつが妥当だと思うよ」
メルミーが言う通り、最も広い雲下ノ層で定期運行させるのが正しい判断だろう。
「雲中ノ層から出発させて、雲下ノ層第三の枝の二重奏橋までって道もあるわね。第三の枝の坂が一番、角度が急だから」
「デートスポットだし、場所が場所だから夜の運行はしない方がいいと思うけどね」
リシェイとメルミーの意見にテテンがコクコクと頷く。その上で、テテンはふと何かに気付いたように首を傾げた。
「……雲上ノ層への、辻コヨウ車は?」
「雲上ノ層に住んでるのは私たちだけだから、利用者が少なすぎて無駄でしょう?」
「……本末、転倒」
「テテンにとっては、な」
辻コヨウ車の話はあくまでもタカクス内における移動の困難さについて語ったモノだ。俺たちの通勤時間や労力の問題を解消できるかどうかはおまけである。
実際、雲中ノ層から二重奏橋までの辻コヨウ車が運行するようになればリシェイの通勤時間は短くなるだろう。
仕事場が雲中ノ層にある上に、リシェイの仕事を手伝う時には時間が不定期になるテテンは、定期運行のコヨウ車の恩恵をあまり受けられないけど。
「そんな眼で睨まれても、何もできないっての」
睨んでくるテテンに肩をすくめる。
「距離があるのも、悪い事ばかりじゃないわよ?」
とは、リシェイさんの意見。
俺を睨んでいた眼から険を取ったテテンがリシェイの方を見る。
「……と、いうと?」
「荷物持ちの名目でアマネと長く出歩けるわ」
そういえばこの間、空中市場で買い物してからリシェイと二人、のんびり歩いて帰ったな。
でも、それがテテンにとってメリットになるかというと逆では――
「おい、テテン、何を企んでる?」
「別に、企んでは、ござらぬよ……?」
「あからさまに動揺してるだろうが」
どうせ荷物持ちとかいいながら好き放題に買い込んで、俺に嫌がらせでもするつもりだったんだろう。
「ぬ、ぬれぎぬ……」
「まぁ、そういう事にしておくよ」
俺が矛を収めると、テテンは頷いて、口を開く。
「……夕方、買い出しの、荷物持ち、求む」
「さっきの話を聞いてたか?」
この流れで俺が買い出しの手伝いするはずないだろうが。
「まったく。俺の買い物も手伝えよ?」
「……むろん」
というわけで、何か買い足しておいた方がいい物はあるかとリシェイとメルミーにも聞いている内に雲中ノ層に到着し、俺たちは今日の仕事現場へと別れて向かった。
「まさか、テテンが買いたい物が紙だったとは……」
夕方、空中市場でテテンと合流して買い物を済ませた帰り道、俺は右手を塞ぐ紙束に視線を向けてため息を吐いた。
この紙は、テテンが趣味の小説を書くためのモノである。
「……かたじけ、ない」
今までは事務所暮らしだったため、テテンが紙を大量に購入しても店の人間には事務所のお使いとしか思われていなかった。
けれど、雲上ノ層に自宅を構えた今、燻製小屋で仕事をするテテンが紙を買いに来るとやや不自然なのだ。
「雲上ノ層に引っ越してからもリシェイの手伝いをしに事務所に顔を出してたのは、紙の購入機会を得るためか?」
「……うむ」
「下心は?」
「……ある」
そこもきっちりあるわけね。
だが、テテンの目論見は外れてしまい、リシェイから買い出しを頼まれることもないままストックしていた紙を使い切り、頭を悩ませていたところで俺を荷物持ちという名のデコイに活用する事を今朝の会話で思いついたらしい。
建橋家として建物の設計図や外観図を描くのに紙を大量消費する俺を連れて文房具屋に行けば、紙を購入しても怪しまれないという寸法だ。俺が事情を知っている分、口裏も合わせやすい。
何かを企むように笑うのも、企みをあの場で明かせなかったのも、こいつが趣味をひた隠しにしている事を考えれば納得はできる。
良いように使われる身としては同情する気もないけど。
「……詫びに、今夜、傑作選を、公開」
「いらんわ。テテンが読み聞かせたいだけだろ」
「……嫁との夜が、そんなに、いい?」
「当然だろ。小説を一晩中聞かされて寝不足になるのとは比べ物にならない」
ポンポンといい合いながら天橋立を渡り切り、雲上ノ層にぽつんと建っている自宅へ向かう。
流石に殺風景だ。そろそろ誰か移住してきてほしいけど、水の確保が先だな。
「って、メルミー? 何してんだ?」
玄関の外で板に車輪がついた物をゴロゴロと転がして具合を見ているらしいメルミーを見つけて声を掛ける。
「あ、アマネお帰りー。テテンちゃんもお帰り。ついでにこれ乗ってみて」
そう言ってメルミーが車輪付きの板を差し出してくる。見た感じ、キックボードっぽい。木製だけど。
テテンが首を傾げつつ、木製キックボードに乗ってメルミーを見る。
「両足乗せても進まないだろ。片足で蹴って進むんだよ」
俺から助言すると、こくりと頷いたテテンが世界樹の枝の樹皮を軽く蹴ってキックボードを前進させる。
「……ガタゴト、する」
樹皮がでこぼこしてるし、キックボードの車輪もゴムタイヤじゃないからな。
テテンがすぐにキックボードから降りて足首を軽く回す。揺れが酷くて疲れたようだ。
やっぱりだめかー、と腕を組んでムムムっと唸ったメルミーがキックボードを回収する。
「これを使えばテテンちゃんも楽に燻製小屋まで行けると思ったのに」
「……気遣いできる、メルミーお姉さま、素敵」
メルミーが望んだのとは違う理由で疲労が吹っ飛んでいそうなテテンは無視して、キックボードもどきは我が家の手押し車として使う事が決まった。
後日談の投稿を開始します。
週に一回ののんびり更新の予定ですので、まったりとお付き合いいただければ幸いです。




