第二十二話 新たな痕跡
ケインズとの商談により、アクアスとの特産品貿易が開始された。
効果は劇的とまでいかないまでも、二カ月ほどで確実に数字にあらわれた。
秋の気配も近付いてきた頃になって、帳簿を記入していたリシェイが顔をあげて俺を見る。
「アクアスとの貿易は正解だったわね」
「観光地に遠くから取り寄せた美味しい食べ物まであるんだから、人が多く来るのも当然だよ」
としたり顔で語ってみる。
タカクス都市は世界樹北側でも有数の観光地となっている。
北側有数の劇場を持ち、教会における結婚事業やタコウカ畑といったデートスポットが充実し、シンクを始めとした改良品種により食も充実している。
加えて、今回のアクアスとの貿易によって世界樹の反対、南側まで旅に出ないと食べる事が出来なかったアユカ、クースアの実が一部の店舗で食べられるようになったのだ。
世界樹北側において、タカクス以上に充実した観光地はもはやないと自負している。
自負しているのだけど……。
「元々は観光地を目指してたわけじゃないんだよなぁ……」
内需の充実した輸出都市を考えていたのだ。
シンクやイチコウカなどの品種改良植物で目標を達成していないとは言えないし、タカクスの利益も多くはこれら特産品の貿易で得ている。
けれど、タカクスの名前を聞いた人々がまず最初に浮かべるのは教会や劇場、タコウカ畑、次点で矢羽橋、二重奏橋、雲中ノ層へと延びる大文字橋、雲中ノ層の枝にある特徴的な和風建築物群だ。
結婚事業やデートスポット、風変わりな建築様式などを見に来る観光地としてのイメージが根強い。
「既存の摩天楼であるヨーインズリーもビューテラームも、観光地としての側面を持っているものよ。タカクスの場合、側面というには充実しすぎているかもしれないけれど」
リシェイが中途半端なフォローをしてくる。
一緒になって事務机の上を片付けながら、俺はため息を吐いた。
「目指していたところと少し違う着地点だったなぁってだけで、不満ではないんだ。やっぱり、ここまで育ててきた愛着みたいなものがあるし」
「同じ気持ちよ。みんなで育ててきたんだもの。想像よりずっと早熟だったけれど、優秀なのは良い事よね」
「手の掛からない子とは言えなかったけどな」
片付けを終えて、俺は休憩に入るリシェイを事務所に残して外に出た。
涼しさの中に湿気を含んだ秋風に吹かれながら、俺は公民館を目指す。
「メルミー、作業はどんな感じだ?」
「じゅんちょー」
ひらひらと手を振ったメルミーは手元のそれを持ち上げる。
「雲上ノ層の直射日光を数百年浴びても大丈夫なように、丹精込めて塗り上げたよ」
メルミーが持ち上げたのは世界樹製の木材だ。
雲上ノ層は絶えず強烈な日光にさらされるため、特殊な薬剤を染み込ませ、塗料を塗って耐久性を上げる必要がある。いまメルミーが持ち上げた木材も塗料が塗られていた。
「でもさ、欄干に使う細かいのならタカクスでも手作業でも出来るけど、橋に使うでっかいのはメルミーさんでも無理だよ?」
「そっちは発注するときに指定したから、商会の方でやってくれる。メルミーにやってもらってるのは少しでも経費を削減するためだ」
「アマネってたまにせこいよね」
「やりくり上手といってくれ」
大分マシになったとはいえ、木材は未だ供給量が不足している。経費削減できるところは削減しておきたい。
俺は共有倉庫で作業を行う職人たちを見回し、メルミーの横に座る。
「彫刻の図案も今のうちに見せておく」
「浸して塗っての作業に飽きてきたところだったんだよ。見せて見せて」
ねだられるがまま、俺はメルミーに図案をみせる。
刷毛を塗料の入った木桶に突っ込んだメルミーが俺の広げた図案を覗き込む。
「どれどれ――え、本当にこれ彫るの? 一本彫りで?」
「欄干を飾る花綱は寄木彫りにせざるを得ないけどな」
「親柱が問題だよ。こんな複雑なのを本当に一本彫りするの?」
メルミーが自信なさそうに図案を見つめる。
欄干の両端に位置する親柱。前世ではよく橋の名前などが彫られていた部位だ。
位置関係の問題で必ず橋を渡る時の入り口となる親柱に、今回は彫刻を施すことになっていた。
「でもこれ、陰影も考えて彫り込みをかなり気にしないとダメだよね。雲上ノ層だし」
雲上ノ層は絶えず晴天。日中はずっとスポットライトを浴びているようなものだ。
必然的に、彫刻は強い光に照らし出されて陰影が濃くなる。
それを逆手に取った今回の欄干はシンプルな形の石灯籠に似ており、中が空洞となっている。木の彫刻であり、明かりの入る火袋は五十センチほどの高さがある。
そして、メルミーが難色を示しているのがこの火袋を囲む八枚の欄間だった。
「太陽光が入って逆側から抜けて、橋の路面に図案を投射するんでしょ? 太陽光の入り口面と出口面、二つの図案が重なるように。凄い精度が必要になるんだけど?」
「大丈夫だって。メルミーの辞書に不可能はないからな」
「勝手にメルミーさんの辞書を引いちゃだめだよ。愛してるに赤丸付けてるのがばれちゃうじゃないか!」
話がわき道に逸れる。逸らしたの俺だけど。
責任を持って無理やり軌道修正する事にして、俺は図面を指差す。
「実際のところ、メルミーの腕ならいけると思うんだ。どうよ?」
「……彫れるかどうかで言うと、彫れると思う」
「なら決まりで」
「きちんと彫れたらご褒美を要求するんだからね!」
「あぁ、何でも言え」
さて、メルミーの了解も取り付けたことだし。
俺は立ち上がって、ズボンについた木屑を払う。
「図面は置いておくから、彫り始めてていい。何しろ、八枚×四柱で三十二枚の欄間だ。時間もかかるだろ」
「本当だよ。いまからやらなきゃ工事に間に合わないよ」
むしろ、今から取り掛かれば工事に間に合う時点で凄いんだけど、本人は気付いてないようだ。
ちょっと離れたところに入るクーベスタ出身の女職人さんが唖然としてる。
図面を見たら腰抜かすんじゃないだろうか。
木籠の工務店長くらいの熟練職人なら余裕を持って間に合わせるだろうけど、メルミーの歳でやり遂げるのは相当な早業である。
「それじゃあ、任せた」
「アマネの懐彫刻刀、メルミーさんが任されたよ。寝室を整えて待っているがいい」
「懐に彫刻刀を忍ばせる奴はいないだろ。というか、ご褒美ってそっち方面かよ」
「言わせないでよ、恥ずかしいなぁ」
両頬を押さえてもじもじするなら最初から言わなきゃいいと思う。
後を任せて、俺は共有倉庫を出る。
次の行き先は雲中ノ層にあるテテンの燻製所だ。
秋に入ったばかりとはいえ、そろそろ冬支度のために保存食が必要になる。
テテンは一年を通して燻製作りをしているけれど、秋の忙しさは他の季節の比ではない。今日も今日とて、雲中ノ層の燻製所に籠って朝から晩まで燻製作りだ。
「やっぱり、もう少し交通の便を良くしたいよな」
第一の枝から第三の枝まで二重奏橋を渡り、そこから第三の枝の坂道を登る。
タコウカ畑が秋風にさざめく中をカップルを横目に一人で歩く。
別に、奥さんいるから平気だし。若いカップルに「うわぁ、あの人一人で歩いてるよー」とか陰口叩かれても大丈夫。
誰も陰口なんか叩いてないとは思うけど。
タカクス劇場も第三の枝の上にあるため、デートスポットでありながら一人の観光客もちらほら見かける。
タカクス劇場前にある庭園を囲むフェンスの外に、コスモスに似た花を植えたプランターが置かれていた。秋風に揺れる橙色の花はなかなか可憐で見る者の心を和ませる。
坂を上り切って、大文字橋と名付けた屋根付き橋を渡る。
ここにも数組のカップルが居た。橋中央の展望台の上から第三の枝のタカクス劇場や第四の枝の空中市場などを眺めに来たのだろう。
俺の目的は橋を渡った先だから、わざわざ展望台に上ってまで確認はしない。
大文字橋を渡り切って雲中ノ層に到着した俺は、住宅区の郊外にある燻製施設にまっすぐ向かう。
途中、警備のために巡回しているギリカ村の魔虫狩人と挨拶を交わした。とはいえ、挨拶もそこそこに仕事に戻ってもらう。
テテンの燻製所に到着して、扉をノックする。
まだ秋口で涼しいけれど寒いというほどではない気温だから、燻製小屋に暖を取りに来る女性はいないだろうけど、念を入れておくに越したことはない。
まぁ、湯屋があるから寒い日には燻製小屋より湯屋に行く人の方が多いので、念のためでしかないのだけど。
「テテン、いるか?」
「……約束の、ブツは?」
「ねぇよ。ちなみに合言葉もないからな」
「……確認、した。入れ」
「おい、まさか今のが合言葉として設定されてるんじゃないだろうな。もしそうなら、ザルすぎて合言葉の体を成してないぞ」
キャッシュカードその他のパスワードがpasswordと設定されているくらいのザル加減だ。
燻製所の扉を開けると煙の匂いが漏れ出てくる。
中に入ると、テテンが細くて生白い両腕でスライスしたマトラを乗せた金網を持ち上げるところだった。相変わらず暑い燻製所の中だからテテンは薄手のタンクトップ姿だ。
「調子はどうだ?」
「……目標まで、半月、掛かる」
俺の質問に答えながらも、作業する手は止めない。
「半月となるとギリギリだな。学校の寮に言って献立の変更を指示しておくか」
冬支度のために保存食を買いに来る付近の村からの客を優先したい。
「……頼んだ」
額の汗を拭ったテテンが素直に言う。
こうして絶えず動き回っているところを見ると、本当に時間がないのだろう。
時間がない理由がサボって百合小説を書きまくっていたから、というところに何とも言えない残念な香りが漂う奴だ。
邪魔するのも悪いし、お暇するか。それとも――
「手伝いとかいる?」
「……いらぬ」
「なんだ、手伝ってほしいのか。何すればいいんだ?」
「……炭の、追加ほしい、とか思ってない」
「けっこう重たいもんな。取って来るから待ってろ。世界樹製の奴でいいだろ?」
「……うむ」
面倒臭い奴だな。
延焼防止のために少し離れたところにある倉庫に向かう。倉庫といっても、テテンの燻製所専用の小屋みたいなものだ。
鍵を開けて中に入り、炭を取って壁の管理票に記入する。
外に出て施錠し、燻製所へ歩く。
すると、住宅区の方から魔虫狩人が走ってくるのが見えた。
「アマネさん! すぐにギルドへ来てください」
慌てた様子の魔虫狩人を見れば、何か緊急事態なのだとすぐにわかった。
俺は燻製所の扉を開けて炭を入り口の側に置き、テテンと目配せし合う。
手伝いが中途半端で申し訳ないけど、魔虫狩人の要件の方が優先だろう。
燻製所の扉を閉めて魔虫狩人と一緒にギルドへ走り出す。
「何が起きた?」
走りながら用件を聞くと、魔虫狩人は焦ったような顔で口を開く。
「――キリルギリの物と思しき抜け殻が発見されました」




