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世界樹の上に村を作ってみませんか  作者: 氷純
第一章  下積み時代
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第十一話 ケインズの隠し玉

「アマネ、次の依頼だけどどれにする?」


 リシェイが事務所の玄関から手紙の束を持ってやってくる。

 ヨーインズリーのデザイン大会において二位の成績を収めたこともあり、俺の下には依頼が舞い込むようになっていた。

 若い建橋家というだけでも珍しいため話題性があったが、デザイン大会二位の実績で相応の力もあると評価を受けたのが大きい。

 デザイン大会を主催したヨーインズリーが俺のデザインについても批評してくれており、実利的な空間の利用に若手らしからぬ実力を発揮するものの建築物を個別に見るとまだ発展の余地は大きく、美麗さに欠ける、という評価が広まっている。

 後半では貶されてはいるけれど、実際に俺のデザインは美麗とは言えない。

 だが、この世界にただ二つしかない摩天楼のヨーインズリーが俺の実力に付いて正当な評価を下してくれたおかげで、依頼者も俺の実力をある程度理解した上で仕事を持ってきてくれている。

 幸か不幸か、デザイン大会を終えてからの四年間は事務所にいるより工事現場にいる事の方が多いという有様である。

 リシェイは依頼書が入っているらしき手紙を俺の机に置いて、自らの机に戻ると帳簿を開いた。


「もう少しで村を立ち上げる初期資金はたまるわ。次の依頼を片付ければ、第一目標達成と思っていい」

「最後のひと仕事か」

「もっと続けてもいいのよ? 初期資金はいくらあっても困る事はないでしょうし」


 リシェイの言う事にも一理ある。

 最終目標には摩天楼を設定しているが、そこに辿り着くまでの道筋は具体的に決まっているわけではない。

 村を作る場所さえまだ決まっていないくらいだ。ある程度交通の便が良く、農産物の輸出が可能な場所を選びたいところだけど。


「最後の仕事にはならなそうだな」

「でしょうね。私たちはまだ二十四歳だし、のんびりいきましょう」


 あまりのんびりしていると摩天楼を築く頃には爺さん婆さんになっているだろうな。

 俺は手紙の差出人を見て行く。知り合いからの私信が混ざっている場合もあるためだ。一度分けてしまわないと混同してしまう。


「……ケインズから?」


 ハラトラ町での四本目の枝に関する開発事業の受注を競ったケインズからの手紙だった。

 たまに連絡を取り合ってはいるが、今回の手紙はなぜか格式ばっている。

 私信ではない、と強調しているつもりだろうか。

 中を開いて、手紙を読んでみる。予想通りというべきか、俺宛ての仕事の依頼だった。


「リシェイ、次の仕事が決まった」

「どこ」

「世界樹の南、まだ名前どころか形もない村だ」


 リシェイが首をかしげる。


「どういうこと?」

「ケインズがそこに村を作るそうだ」

「……先を越されたのね」


 競争しているわけではないけど、ちょっと悔しいのも事実です。はい。


「メルミーを起こそう。今回は木籠の工務店に連絡する必要もないから、準備を整えて明日には出発したい」

「分かったわ。それにしても、メルミーは何時まで寝てるつもりかしら」

「昨日、斜向かいの家の女の子に頼まれたとかで遅くまで木人形を作ってたからな」


 お茶らけたところのあるメルミーだが、たまにお姉さん風を吹かせたりするのだ。



 翌日の昼に事務所を出発した俺たちは、東の摩天楼ヨーインズリーから西の摩天楼ビューテラームに向かうコヨウ車に乗り込んだ。

 西の摩天楼ビューテラームは、この世界に生まれてから何度となく足を運びたいと思っていた場所だ。

 デザイン大会終了後に予定を組んで観光に行こうとしたのだけど、急な仕事が舞い込んできてずっと後回しになってしまっていた。


「メルミーもビューテラームは初めてだったよな?」

「そうだよー。家がヨーインズリーだから、あまりこっちまでは来る機会がないね。遠いし」


 世界樹の東と西だ。遠いのも当たり前である。

 旅程も十五日とかなりの長旅となっている。百年前なら四、五十日は掛かったそうだから、これでも随分と楽な旅になったのだろう。

 時間がかかってしまうのも、世界樹の幹を一周するような道がなく枝から枝へ橋を利用して渡る形で旅をするからだ。おまけに車を引くのは馬より力の弱いコヨウであるため、どうしても移動速度が遅くなる。

 馬がいたとしても、勾配が激しいこの世界でどこまで役に立つのかはちょっと分からないけど。

 村や町で寝泊まりしながら、どうにかビューテラームに到着する。


「これが西の摩天楼ビューテラームか……」


 東の摩天楼ヨーインズリーとはまた違った趣のある摩天楼だった。

 ヨーインズリーを知識と学術を尊ぶ虚の都とするならば、ビューテラームは水と農業からなる虹の都だ。

 雲下ノ層に十四本、雲中ノ層に十本、雲上ノ層に七本の枝を有する大規模なこの摩天楼は人口六万人。面積では劣るヨーインズリーの人口六万三千人より少ない。

 ビューテラームは面積こそ広いものの、住宅地として利用できる面積が少ないのが原因だ。


「あれが万年虹だね。綺麗」


 メルミーがビューテラーム最大の特徴とされる虹を見て呟く。

 このビューテラーム、雲中ノ層に存在する二本の枝に湖を持っており、流れ落ちる水が美しくたなびき一年を通して虹を作り出している。

 雲中ノ層、つまりは雲に沈むその枝の窪みに溜まった水量は莫大で、湖のある枝には住居の類が建てられていない。しかし、その水はビューテラームに広く行き渡り、生活用水、農業用水として活用されていた。


「畑の配置も考えて作られてるわね」


 リシェイがビューテラームの畑を見渡してつぶやく。

 雲中ノ層の枝にある湖を起点として広がる農地にはトウモロコシに似たトウムの他、様々な野菜類が植えられており、摩天楼の入り口から見える景色に興を添えている。広がる農地と言われれば牧歌的な風景を思い浮かべるが、ビューテラームでは絶えず宙に描かれるいくつかの虹を背景とした幾何学的な配置の農地となっており、どこか幻想的な趣さえあった。

 おそらく、入り口からの景色を計算しての配置だろう。こういう見せ方が受け入れられるなら、田んぼアートみたいなもので村おこしとかできるかもしれない。


「いつまでも入口で突っ立っているわけにもいかないし、中に入ろうか」


 放っておくとずっと眺めていそうなリシェイとメルミーを促して、ビューテラームの中に入る。


「同じ摩天楼でも、ヨーインズリーとは建築様式が全く違うわね」

「湿度の問題かな」


 リシェイとメルミーが通りを挟む建物を見物しながら意見を交わす。


「湖から水が零れ落ちるせいで絶えず高い湿度にさらされているから、独自に建物も発展してきたんだとさ」


 いつか観光に来ようと思ってため込んでいた予備知識をリシェイ達に披露する。

 建物内の空気を篭らせないように通気を良くする工夫の一つが出窓だろう。また、二階部分にはガラリと呼ばれるシャッター状の通風孔がある。屋根は緩やかな傾斜で構成され、柔らかな暖色系の塗装が施されていた。

 空中回廊は幾本もの支柱で支えられており、側面から見ると連続して左右に連なる美しい馬蹄形アーチが楽しめるようになっていた。

 散策するだけでも面白そうな摩天楼だ。建築物の美しさに定評のあるケインズがこのビューテラームから建橋家資格取得試験の受験資格を得たというのも頷ける。


「カビに悩まされそうね。図書館が作れないというのも納得だわ」

「リシェイ、ここはダメ出しする所じゃなく感動するところだ」


 図書館に入り浸り、司書見習いとして働かないかと声を掛けられるほどだったリシェイには不便さが目に付く摩天楼らしい。

 しかし、カビに悩まされるというのは住人にとっても切実らしく、市場には防腐剤やカビとり用品、除湿剤等が多く売られていた。美しい摩天楼の背景には住人の努力があるのだ。そこにさえ感心してしまう。

 今回の依頼人ことケインズは俺なんか及びもつかない売れっ子建橋家だ。さぞ儲けているだろうし、待ち合わせ場所の事務所も大きく立派だろう。

 なんて考えていた時期が俺にもありました。


「……ここかしら?」

「住所はここで合ってるんだけど」


 想像より、ケインズの事務所はこじんまりとしていた。ビューテラームの建築様式にもれず大きめの出窓があり、生活スペースであろう二階には先尖アーチ形の窓がある。窓の前にはバルコニーと呼ぶには狭いスペースがあり、落下防止の手すりが付けられていた。

 玄関の扉をノックする。両開きの玄関扉は木製で、左右共に縦に二つの線が入っており中央が一段窪んでアラベスクの彫刻がされていた。

 全体的に小さい建物ながら、細部に渡って粋な事務所だ。


「はい。今開けますので少々お待ちください」


 落ち着いて凛とした女性の声が中から聞こえてきたかと思うと、扉が開かれる。

 顔を出したのはケインズの相棒カラリアさんだ。赤い髪を丁寧に編み込み女性らしさを出している。相変わらずつり眼を気にしているのか、眼鏡をかけて前髪を少し伸ばしていた。


「アマネさんとリシェイさんと……そちらの方は?」

「メルミーと申します」


 ぺこりと頭を下げたメルミーは余所行きの声で自己紹介した。俺とケインズは知った顔だが、今回は依頼を受けてここに来たため、メルミーも失礼がないように仕事相手に対する態度で臨む事にしたようだ。初対面の俺相手にハロロースと言ってた頃の君はどこに行ったんだい、と訊ねたくなるくらいの借り猫ぶりである。

 カラリアさんはメルミーの本性に気付かないまま挨拶を交わし、俺達を中へ招いた。


「アマネさんたちが来ました」


 カラリアが奥に声を掛けると、ケインズが奥の部屋から出てくる。作業机にいくつものスケッチが並べられている様子がちらりと見えたので、おそらくは仕事中だったのだろう。


「来たか。久しぶり。こうして顔を合わせるのはハラトラ町の開発計画以来かな」

「そうなるね」


 手紙でのやり取りはしていたが、世界樹の東と西に事務所を構えている関係で顔を合わせる機会はなかった。

 ソファに腰を下ろしたケインズは見た目もほとんど変わっていない。建橋家になったのだし、少しは貫禄が付いているかと思っていたのだけど、考えてみれば俺も貫禄なんてそなわっていない。


「手紙にも書いたけど、僕は今度村を作るつもりでいる。そこで、アマネの意見を聞きたい」

「あぁ、手紙は読んだ。でも、受けると返事を出した手前言いにくいけど、俺の意見なんて参考になる?」


 ケインズは俺と同じく建橋家だ。しかも、その実力は広く評価されている。俺の意見を求める必要などないように思うのだ。

 俺は仕事を抜きにしてもケインズの作る村というのに興味があるから、どの道足を運んできたとは思う。それでも、俺が役に立つかどうか、俺に何を求めているのかははっきりさせた方がいいだろう。

 ケインズは身を乗り出して俺を真正面から見つめた。


「自己評価が低いなぁ。僕はアマネの見方に一目置いてるんだ。あのヨーインズリーの堅物たちに実利的だとか合理的だとか言わせる、その現実的な視野は僕にはない」

「つまり、これから作る村に関して、その立地や今後の展望を踏まえて現実的な意見を述べろ、という依頼?」

「流石は話が早い。経済的に自立可能か、可能とするならどんな産業が適切か、付近の村や町、都市とどのように交通網を整備して、貿易を展開するのが良いか。そういう、将来に向けた現実的な意見が聞きたいんだ。僕がこれをやろうとするとどうも甘くなる傾向があってね。自分が作る村ともなればなおさら色眼鏡で見てしまいそうだから、アマネを呼んだんだよ」


 さっそく行こうか、とケインズが立ち上がる。


「仕事は?」

「あれは村に建てる家をどうしようかと思って今までに書いたデッサンを見比べてたんだ。仕事は入ってない」


 俺も立ちあがり、ケインズの後をついて行く。リシェイ、メルミー、カラリアさんの三人も後ろからついてきた。

 ケインズの横に並び、辻馬車ならぬ辻コヨウ車を待つ。


「ここから予定地までどれくらいかかる?」

「第一候補が五日、第二候補がその先で一日、第三候補はさらに先で二日掛かる」

「けっこう遠いな」


 世界樹から見て西にあるこのビューテラームから、南東に向かった所にその候補地があるという。


「北か南か迷ったんだけどね。東も西も摩天楼がすでにあるから作るならどっちかだよなって」

「……その言い方だと、第三の摩天楼を作りたがっているように聞こえるんだけど」

「そう言ってるんだよ」


 ケインズが不敵に笑った。


「僕は南に第三の摩天楼を作る。今回作る村はその基礎になるんだ」


 ケインズの言葉を聞き、リシェイが思わずと言った様子で俺を見る。


「アマネ以外にもこんな事を言う人っているのね」

「いても不思議じゃないとは思ってたけど、まさか出会えるとは思わなかった」


 摩天楼を築くと夢を語るだけの人間ならば他にいくらでもいるだろう。だが、実現するために今まさに動いている者はまずいない。

 ケインズは俺と同じく、珍獣である。

 珍獣のケインズがリシェイと俺の会話を聞いて首をかしげる。


「もしかして、アマネも摩天楼を築くつもりでいるのか?」

「そのために建橋家になったんだ。初期資金もたまりつつある」

「早いなっ!?」

「村を立てる場所を選定しに行くケインズがそれを言うのか」


 別に焦るつもりはないけど、先を越された感は未だに背負っているのだ。

 俺は世界樹の北の方に建てようかな。いい場所がなければヨーインズリーから離しつつ東に建てるのもいい。きのこが食べられるとなおいい。

 辻コヨウ車に男女別れて乗り込み、目的地を目指す。


「摩天楼を築こうなんて荒唐無稽な事を考える奴が僕以外にもいるとは」


 ケインズが苦笑を浮かべながら窓の外を眺める。

 同じ景色を見た俺だが、窓に反射する表情はいつの間にか笑っていた。


「そっくりそのまま返すよ。村を作っても変わらず好敵手ってわけだ」

「なんだ、ちゃんと好敵手扱いしてくれてたんだね」


 建築家にしろ建橋家にしろ、張り合うような事態にはなかなか出くわさないから好敵手と言っても直接対決は以前の受注競争くらいのものだ。

 それでも、好敵手云々はケインズが言い出したことだし、手紙でもわざわざ文末を〝我が好敵手へ〟なんて言葉で締めていたくせに。

 不満が顔に出ていたのか、ケインズが苦笑を深める。


「カラリアに独りよがりだって良く言われてたんだ。あまり迷惑をかけると嫌われるって釘も刺されてさ。内心ドキドキもんだよ。建橋家になってからは特にさ」

「年齢二桁の建橋家は今、俺たち二人だけだもんな」


 大概は四百歳と五百歳で建橋家資格を取得する。二百歳で取得する者もいるけれど、そう言った人は建築家資格を得た当初からまっすぐ建橋家を目指している人種だ。

 ほとんどの場合、建築家は出身の村や町、都市で親の後を継いで村の維持管理に携わる。実務が忙しすぎて建橋家資格の勉強をしていられないなんてざらにある。

 最初から建橋家を目指していて、さらには摩天楼を築くために着々と準備を進めていた俺やケインズが特殊すぎるのだ。

 だが、年齢二桁の俺たちと他の建橋家の間にあるジェネレーションギャップは激しく、時々喧嘩になったりもする。


「正直な話、ケインズがいないと困る。上の世代と喧嘩するときの弾除けがいなくなるから」

「さらっと酷いな!? これからは兄貴風吹かせてやろうか?」

「弾除けから隙間風が吹いたら使い道が……」

「アマネ、本当に酷いな……」


 あ、凹んだ。

 ケインズとここ数年の生活や仕事についてのよもやま話をしていると、現地まで五日というのが嘘のようなあっという間の到着と相成った。

 第一候補とされた枝を見回して、摩天楼への発展も視野に入れつつ枝振りも確認する。

 ケインズが選んだというだけあって、悪くない。近隣の村や町までも実際に歩いてみたりした感想だが、整備すれば町へのアクセスも楽だ。

 雲下ノ層、雲中ノ層の二か所に池と呼べるだけの広さを持った水たまりがあった。あまり深くはないようで、水深はせいぜい二メートル、深い所でも四メートル程度だろう。枝の上部に空いた虚に雨水がたまったもののようで、底の方には世界樹の樹液が冷えて固まったらしき跡が見える。


「農業用水には事欠かないな。この辺りだとミッパを育てている村もないはずだし、初期費用無しで村の段階からミッパの輸出で安定収入が見込めるのは大きい。問題は運搬手段か」


 ミッパは豊富な水を必要とする葉野菜で、ホウレンソウや小松菜に似た形状の葉を持つ。鉄分を多く含むらしく貧血に良いとされ、西の摩天楼ビューテラームはこのミッパを安定供給している。

 貯水施設を必要とする野菜なので村や余裕のない町では育てることができず、少々値が張る野菜だ。これを輸出できるのなら最初期から安定収入を見込める。


「ミッパは二日ぐらいで傷み始めるよな?」


 ケインズが相棒のカラリアさんに訊ねる。

 カラリアさんは首を横に振った。


「そのままであれば二日で傷むけれど、湿った布で茎を覆っておくことで五日は持つわ。ビューテラームが輸出するミッパはこの方法で販路を拡大してる。でも、新しい運搬手段が確立されない限りはここまでビューテラーム産のミッパは届かないでしょうね」

「収入源としては優秀だな。五日となると売れる場所は……」

「ワラキス都市、ガメック都市を主軸に周辺の七つの町が輸出先になる。あの辺りはタコウカの栽培で手いっぱいで、主要な農産物は互いにどうにか融通し合っている状態だ。三年前にタコウカの変色病があった影響で、町間の交通網整備の一環だった橋の建設も費用が捻出できずに頓挫している。新しい農産物の輸入先が増えたら泣いて喜ぶだろうさ。それが貧血に効果のあるミッパならなおさらだ」


 俺が説明すると、ケインズは目を丸くする。周辺の都市や状態を暗記しているとは思わなかったのだろう。

 だが、これに関してはリシェイの方が凄まじい。

 俺が視線を向けると意図を悟ったのか、リシェイが俺の後を引き継ぐ。


「ワラキス都市、ガメック都市はいまから八百年ほど前に町だったものが発展したの。八百年前に互いの創始者一族が喧嘩をしたらしくて一時関係が断絶、互いにいがみ合いながら町を発展させていったものだから都市人口を支える農産物の確保を周辺の村に依存し、ビューテラームやヨーインズリー向けの輸出商材としてタコウカの栽培に力を入れ始めた。そのまま発展し続けたのだけどついに都市人口を周辺の村の農地で支え切れなくなり、タコウカ偏重の産業構造を見直す方針をまとめるとともに八百年に渡るいがみ合いを解消。そして、両都市は関係を修復する記念事業として、周辺の村との行き来を楽にする橋の建設で合意したのが五年前、でも二年後、つまり現在から三年前にタコウカ変色病で両都市とも産業に打撃をこうむって今に至るわ」


 すらすらと両都市の歴史を諳んじたリシェイにケインズが驚愕の目を向ける。

 ヨーインズリーにある虚の大図書館で書物を読み漁って得た知識と、俺と一緒に事務所を運営する傍らで集めた情報や噂をまとめたものだ。

 リシェイは幼い頃から定期的に虚の図書館へ独自にまとめた歴史書を寄贈しており、この手の事は得意分野である。

 ケインズはリシェイを子供のころから知っているカラリアさんに目を向ける。カラリアさんは特に驚いた様子もなかった。


「リシェイさんならこれくらいは当然よ。ヨーインズリーの虚の図書館にはリシェイさんが寄贈した歴史書が五冊もあるのだから」

「いまは七冊だよ」


 メルミー、余計なこと言わなくていい。


「……二冊も増えたの? しばらくヨーインズリーに行ってなかったから知らなかった」


 何故か悔しそうに東を見るカラリアさん。

 ケインズが苦笑した。


「その歴史書を読むために長期休暇を取るなんて言わないでくれよ。三十日以上もカラリアがいないんじゃ事務所が回らない」

「ケインズも読みなさい。ヨーインズリー史なんて創始者が書いた本より詳しく周辺の状況も踏まえて書かれている必読本よ」


 リシェイの歴史本の愛読者だったのか。

 そういえば、リシェイを司書見習いに勧誘していた司書の男性も愛読者がいるとか言ってた気がする。カラリアさん以外にも愛読者がいるのだろうか。

 会話に入って来れないメルミーが欠伸を噛み殺しているのを横目に、第一候補地についての見立てを述べて、他の候補地に移る。

 三つの候補地を見て回り、ビューテラームに向かう帰りのコヨウ車の中でどれが一番立地条件が良いかを改めて考える。


「第一候補、第三候補のどちらか、かな。初期に安定収入が望める第一候補か、全体的に枝が太めで利用できる土地が多い第三候補。俺は第一候補が良いと思う」


 なにより、安定収入が魅力的だ。村の運営がぐっと楽になるだろう。

 第三候補も水源があったが、周辺の都市や町は自給自足が成立している。ミッパそのものは売れるだろうが値は下がるだろうと思えた。

 というか、候補地が三つとも大なり小なりの池や湖を有していた事が気にかかる。ミッパを主要農作物にするつもりでいたにしては、ケインズが周辺の農業事情に暗すぎる。


「なぁ、ケインズはどうして池や湖にこだわるんだ?」


 ビューテラームに影響されているというわけでもなさそうだし、気になる。

 単刀直入な俺の質問に、ケインズは答えあぐねた様子で小さく唸った。


「あぁ、それなぁ……」

「答えたくないなら無理に聞き出すつもりもないけど」

「いや、そうじゃない。口で言っても理解してもらえると思えないんだ。実際に見てもらった方がいいと思ってさ」


 そんな風に言われると気になる。

 俺なりに三つの候補地についてメリットとデメリットをまとめた報告書が完成した頃、俺たちを乗せたコヨウ車はビューテラームに到着した。

 外に出ると、ビューテラーム特有の湿った涼しい風が頬を撫でる。変わらずに輝く雲中ノ層の枝から落ちる水と虹に出迎えられて、俺は息を大きく吸い込んだ。

 むせた。


「事務所にきてくれ。礼金もそこで渡すよ」


 ケインズに誘われて、俺たちはビューテラームに入り、事務所に向かう。

 当然ながら、事務所の鍵は閉まっていた。しかし、ちらりと視界に入った郵便受けには手紙の類が見当たらない。

 なんだかんだで三十日ほど留守にしていたし、依頼の一軒や二件は舞い込んでそうなものなのに。


「信用できる奴に留守を任せたんだ。僕が作る村に入植予定の子。人見知りだから、夜にしかここに来ない。料理人なんだけどね」


 人前に姿を現さないで夜に活動する料理人、ほとんど妖精だ。

 事務所の中に入ると、ケインズの言う人見知りの子が整理したらしい三十日分の手紙がケインズの机に置かれていた。十通くらいありそうだ。


「カラリア、礼金の準備を頼むよ。僕はアマネに例の奴を自慢するからさ」


 カラリアにそう声を掛けるケインズ。

 俺もリシェイに礼金の受け取りを任せて、ケインズに案内されるまま事務所の二階、生活スペースを越えてさらに上、屋上に向かう。

 ロフト横の梯子を上って出た屋上には、小さな池が設けられていた。

 池の中に潜むそれを見て、俺は心臓が跳ねるのを感じた。脳裏をよぎる前世の記憶からその正体がすぐに理解できた。


「おい、これ」

「見た目は気持ち悪いかもしれないけど、こういう生き物なんだ。水の中でしか生きられない。しかも、美味い」


 そうか。世界樹の上に住むこの世界では通常見ることがない生き物なのだ。

 だから、口で説明しても伝わらない。

 ケインズが手で池の中の生き物を示す。


「これが、僕が摩天楼を築くための隠し玉、アユカだ」


 ケインズの隠し玉――それは鮎に似た淡水魚だった。



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