第十五話 図書館完成
「よっしゃあ、野郎ども! 図書館建設を始めるぞ」
「市長さん、無理にメルミーさんの代わりをしなくてもいいんですよ?」
「やっぱりキャラじゃないかな?」
「キャラってのが何かは知りませんけど、似合わないです」
職人の一人と話をしつつ俺は図書館の設計図を出して、注意事項の説明を行う。
「今日はメルミーが風邪を引いて休みだから、現場監督は俺一人になる。メルミーの体調はそんなに心配しなくていいよ。熱は昨日のうちに下がったから」
「そいつは何よりです。市長の奥さんがいないと現場の雰囲気が噛み合わないんで」
「ムードメーカーだもんな」
「え? えぇ、むーどなんちゃらなんで」
「市長さん語に合わせなくていいぞ」
クーベスタ村の村長をやっていた職人がタカクス古参の職人に肩を叩かれて言い聞かされている。
今回の図書館建設にはクーベスタ村から移住した職人を多数動員した。
今年は暖冬という事もあって早くに春が訪れ、今日の建設開始日を迎えたけれど、暦の上では雪がちらついてもおかしくない時期だ。例年なら工事をしてなどいられない。
しかし、早くヘッジウェイ開発のブランチイーターの甲殻製仮設住宅から脱したいクーベスタ職人たちにとっては年の始めから仕事できるのはありがたい事らしい。
こうして周囲を見ても、クーベスタ職人はなかなか張り切っている様子だ。
空回りしないように見張っておこうと思いつつ、建設の開始を告げる。
「学校図書館としてはかなり大きめの物になる。タカクスの図書館であることが一目でわかるような建物になるから、クーベスタ職人組はこれを機会にレンガ積み壁面装飾を学んでほしい」
「レンガ積みっていうのは、あっちに見える学校の壁みたいなもんでいいんですよね?」
元クーベスタ村長が俺の背後のタカクス学校を指差す。
図書館の建設予定地である庭と第二の枝の居住区を仕切るように建つタカクス学校の校舎壁面は白レンガを模したスタッコ技法による装飾が施されている。
「レンガ積みの壁面装飾はあんな感じだ。今回の図書館は赤レンガ風だけどな」
レンガの図書館というと国際友好記念図書館とか思い出すけど、今回建設する図書館はあれほど外観的特徴は激しくない。
あくまでも、学校の付属図書館という位置づけだ。
どちらかというと、洲本の図書館のさらに横にある洲本アルチザンスクエアの方が近いだろうか。正面にはアーケードを設けているという共通点もある。
「では、建設を始めよう」
俺が手を叩くと職人たちが散って、作業を開始した。
事務所兼自宅に帰ってみると、ダイニングキッチンでメルミーが手持無沙汰にパズルを弄っていた。
「あ、おかえりー」
「ただいま。ずいぶんと小さなパズルだな」
「若女将がお見舞いに持ってきてくれたんだよ」
テーブルに置かれたパズルは木の枠の中に千近いピースを埋める物のようだ。
寿命千年のこの世界、有り余る人生の余暇を埋めるためのパズルピースは五千近い物がざらにある。場所を取って仕方がない。立体パズルでも数百のピースで構成されてたりするし。
メルミーが遊んでいるパズルはもう半ばまで埋められていた。
「工事はどんな感じ?」
「順調だよ。クーベスタ職人組の方で少し混乱があったけど、俺に質問してきてすぐに解決した」
「まだ慣れてないんだろうね」
俺と会話しながらも、メルミーはどんどんパズルを埋めていく。図形の認識力とか、空間把握能力とかがずば抜けているようだ。
夕食までには完成しそうだから、このままダイニングテーブルを占拠させておいても大丈夫か。
「ミカムちゃんが事務所に来て、図書館はいつ完成するのかって聞いてきたよ」
「夏の初めまでには完成すると思うよ」
「じゃあ、リシェイちゃんに伝言頼んどくね」
メルミーがパズルを放置して事務室を覗き、リシェイを探して首をかしげる。
「あれ、いない」
「自室の方に上がっていくのを見たよ」
「二階かぁ。伝言頼むのは夕食の時でもいいかな」
あっさりと諦めたメルミーがパズルを組み立てる作業に戻る。
「体調はすっかりいいみたいだな」
「今朝には熱が下がってたからね。でも、風邪なんていつ以来かなぁ」
体が丈夫なのが取り柄なのに、とメルミーはパズルピースを弄びながら呟く。
「あれかもね、妊娠したかもだよね」
「――げほっ」
「おぉ、アマネが動揺してる」
「動揺するわ! マジならめでたいけど!」
本気でびっくりした。
メルミーが笑いながら「冗談だって」と手をひらひら振る。
「最初に作るのは図書館だよねー」
「凄い話題の戻り方したな」
「明日からはメルミーさんも現場に出れるし、張りきって進められるね」
紅茶を一口飲んだメルミーはパズルピースを手に取る。
「図書館の建設を始めたって、ヨーインズリーに手紙を送っといたよ」
「そうか。なら図書館完成前に本も何冊か届くかな」
開校が来年になるから、図書館の利用者も今年いっぱいは誰もいないけど、あらかじめ本を入れておけるならそれに越したことはない。
「――教科書も届いたわよ」
声が聞こえて視線を向ければ、リシェイがダイニングキッチンに入ってくるところだった。両手に教科書を抱えている。
「間違ってないか確かめたいから、手伝ってくれるかしら?」
どさりとテーブルに置かれた教科書を見る。
「美術と音楽、演劇台本も何冊か。それと、遺伝学と農学だな。予想以上に分厚いな」
「数学と語学、歴史学もあるわよ」
得意分野である歴史学の教科書を手に取りながら、リシェイが言う。
俺も遺伝学と農学が合わさっている分厚い教科書を手に取る。
「切ってあるんだな」
書籍にする際には大きな紙に数ページ分を版画印刷して折り畳み、それを重ねて綴じる。だからページ同士が袋とじ状態になっているものだ。
けれど、俺が手に取った遺伝と農学の教科書はページがきちんと切り離されている。
リシェイが歴史学の教科書をぱらぱらとめくりながら、頷く。
「さっき部屋で切ってきたのよ」
「なるほど。それじゃあ、読ませていただきますかね」
ランム鳥の遺伝形質に関係する項目はない。農業に活かすための物だから、俺とマルクトが共同で行ったハーブの実験が最初に書かれている。
俺が提供した実験結果も詳細に乗せられており、資料としての価値も十分だ。
ハーブの実験で基本的な遺伝の法則を学んだあと、この世界での主食であるトウムについての項目に移る。
書かれているのは現在判明しているトウムの遺伝形質とその遺伝法則。茎の背丈や柔軟性、太さなどの他、トウモロコシに似た過食部分の大きさ、粒の数なども資料としてまとめてある。
ここからトウムの倒伏耐性を例に品種改良の考え方と実践的な知識、方法論へと移行する。
この教科書に、タコウカの品種改良の方法や遺伝形質、遺伝法則に関するデータは乗せていない。
需要のある作物だけに、タカクスでのイチコウカ誕生を受けて各地で研究が始まったけれど、どこも実を結んではいないようだ。
まぁ、数年は結果が出ないだろう。タカクスでも資料は公開してないし。
イチコウカの秘密は独占させてもらうぜ。
「ざっと見た感じ、問題はなさそうだ」
「歴史の方も大丈夫そうね」
「語学もだね」
「……数学、合格」
帰ってたのか、テテン。
細かい所はタカクス学校の開校までにチェックすればいいだろう。
メルミーが語学の教科書をめくりながら、口を開く。
「教科書もできると、だんだんと開校の準備が進んできた実感があるね」
「本当は去年の内に終わらせるはずだったのだけど」
「去年は新興の村破綻で慌ただしかったから、仕方がないよ」
教科書をテーブルに置いて、俺は立ち上がる。
「子供たちに配る用の教科書は共有倉庫か?」
「そうよ。明日、ミカムと一緒に全部切っておくわ」
「頼んだ」
教科書の他にも蔵書として用意しておいた研究資料やリシェイの著作、いくつかの図案集も共有倉庫に保管してある。
後は図書館を建てるだけだ。
図書館が完成したのは春の終わりごろだった。
暖冬の影響で暑くなるかと思っていたけれど、未だに涼しいくらいの気温で推移している。
「やっぱり、レンガのアーケードっていいなぁ」
しみじみ思う。
図書館入り口の横、東へ延びる六連赤レンガアーケード。そのアーチの向こうに覗くのは小さな日本式の庭園だ。石がないからかなり苦労したけれど、苔や草木でどうにか形にはなった。
図書館の入り口から中へと入ると、右に図書カウンター、左に館内見取り図がある。
建物はL字型をしており、北側の入り口から入って東へ折れ曲がる。
足元は雪虫の毛で織った紅色のフェルト絨毯で覆われ、建物の内壁にも施してある赤レンガ風彫刻との対比も美しい。フェルト絨毯の着色はケーテオ町に依頼した。
図書カウンターを横手に奥へと進む。壁に二つ、さらに島棚二つの計四つの本棚がある。島棚は二つ背中合わせになっている。
ここに置かれているのは教科書やその関連図書だ。リシェイが歴史書を書くときに参考にした文献の複製品や、植物学の資料、数学の参考書なども置いてある。
本棚を抜けると読書スペースに出る。
一段上がったところにあるこのスペースは魔虫の透明な羽で作られた三角屋根から光が降り注ぐ。L字型の建物の角にあたるこの場所は壁面も大窓が取り付けられ、十分な明るさを確保していた。
東へ曲がると、今度は芸事に関する書籍が増える。
各楽器を使った簡単な練習曲から劇場で演奏される本格的な曲、ローザス一座から提供されたオリジナル曲の楽譜、美術史、音楽史などだ。
農学や遺伝学の専門的な資料は実験棟に保管されている。専門学校に入学した生徒しか閲覧できず、複製も禁止だ。
東側の最奥には背もたれの無い丸椅子が六脚、南側のレンガ風の内壁に沿って並べられている。東側と北側の大窓から取り込んだ光により読書を行うのに不都合を感じない明るさだ。
ヨーインズリーの虚の図書館や新興の村の一つでありながら未だに存続している地下図書館などとは違い、太陽の光を多く取り込んだこのタカクス図書館はウイングライトの翅をほとんど必要としていない。
おかげで、設備費用も安く済んだ。
俺は北側に面した窓から日本式の庭園を眺める。
西洋風のきちんと整備された幾何学的な庭園では読書中に落ち着かないと考えて、この日本式の庭園を選択したけれど、正解だったようだ。
この世界でも庭園は長い年月をかけて変遷し、いくつもの分類ができる。この日本式の庭園も似たような形式の物があった。
とはいえ、枯山水に似た考え方はなかったらしい。
図書館の庭には外周を囲むやや背の高い木とその根元の藪、それらの隙間から流れ出る水を表現した白漆喰が幾条も図書館へ向かって流れ出ていく。所々に白漆喰に映える鮮やかな黄緑色の苔が植えつけてあり、背の低い木と土で中洲を表現している。
宗教的な考え方を排したなんちゃって日本庭園だけど、白漆喰で水の流れを表現する考え方には旧キダト村の造園家も目を見張っていた。
曰く、なぜ今まで誰も考えつかなかったのか、と。
この世界ではコロンブスの卵的な発想だったのだろう。多分、これからの庭園には積極的に取り入れられるだろうと造園家も話していた。
俺は視察を終わりにして、図書館を出る。
「これで学校の設備は整ったな」
後は来年の春に入学してくる子供達を待つばかりだ。




