第十話 ヨーインズリー主催デザイン大会
ヨーインズリー主催、デザイン大会の会場は何もない枝の上だった。
近くには参加者用の宿を用意した村がいくつかあるが、デザインの対象となる枝の上には本当に何もない。多少の傾斜があるだけでどこにでも見られる特徴のない枝だった。
この枝の上にゼロから村を作るためにデザインを起こせというのが今回の大会の概要である。
建築家も参加者の対象に入っているだけあって、別の枝に跨るような設計は御法度。あくまでもこの殺風景な枝の上だけを舞台に独自性のある村をデザインしろとのお達しだった。
リシェイと、何故か店長に連れて行くように言われたメルミーの三人で会場に立った俺は思わず唸る。
「これさ、ケインズの対抗馬育成の一環だよな」
「建橋家試験では対抗馬育成に失敗したって嘆いていたんでしょう? 村の設計をさせる事で才能を掘り起こそうというのは悪い考えではないと思うわ」
「アマネには不利だよねぇ」
気にしていた事をさらりと言ってのけたメルミーがケラケラ笑う。
受付でエントリーを済ませ、詳しいルールが書かれた冊子を貰う。
「測量データも載ってるのか」
ヨーインズリーが調べた物だろうが、念のため俺の方でも測量はしておいた方がいいだろう。引っ掛け問題みたいなことをするとは思えないが、自分の身体で測量する事で見えてくる物はある。
ちょうどここには俺とリシェイとメルミーの三人がいるし、測量は身内だけでサクサクすませる事ができる。
「宿に荷物を置かないの?」
「いまから宿まで往復すると日が暮れるから、先に測量を済ませたい」
疲れているリシェイには悪いが、測量を執り行う。
傾斜や枝の曲率などの測量データを手元のメモ帳に記載していく。
「あれ?」
「どったのー?」
メルミーが俺のメモ帳を覗き込んで首をかしげる。
「数字が間違ってない?」
メルミーの指摘通り、測量した結果がヨーインズリーの公開資料と食い違っていた。
まさか本当に引っ掛け問題だったのだろうか。引っかかる人がいると思えないんだけど。
俺たち以外にも測量を行っているチームがいくつかあるくらいだ。
「もう一度測量し直してみた方がいいな」
「疲れてるのだけど」
リシェイが唇を尖らせて不満を言う。
「帰ったら足とか腰とか揉むからさ。もう少しだけ付き合ってくれよ」
「腕もお願い」
「かしこまりました」
「メルミーさんにもお願い」
マッサージなんて必要なさそうなくらいぶんぶんと腕を振り回して要求してくるメルミーに苦笑しつつ、測量を再度執り行う。
結果、やはり数値は間違っていた。
「どういうこと? 気温の変化で変形でもしてるのかしら?」
「そういう誤差の範囲ではないんだ。たとえば、枝にすごく重い何かが降りたったとか、そういう規模なんだよ」
放置できる数値の誤差ではない。この枝、明らかに何かがある。
メモ帳を見ながら三人で顔を突き合わせていると、俺たちと同じように数値に誤差を見つけたらしい建築家や建橋家が声をかけてきた。
「君たちも数字の誤差に気付いたのか?」
「ということはそちらも?」
「あぁ、この枝、どうにもおかしいぞってみんなで話していたところだ」
俺たちの勘違いの線は完全に消えたか。
「連絡先を交換しましょう。それで、今日宿泊する宿で他の参加者に声をかけて測量結果を突き合わせた方がいいと思います」
「ヨーインズリーが何か仕掛けている可能性もあるが、この数値はほっとけないよな」
俺の提案を受け入れてくれた参加者たちが各村に散っていく。
俺もリシェイとメルミーを連れて割り当てられた宿に向かった。
「――え、一部屋、ですか?」
「参加者が想定よりも多く、部屋が足りていないんです」
村の宿屋の店主が申し訳なさそうに頭を下げてくる。
部屋がないんじゃ仕方がない。だが、どうしたものか。
俺は背後の女性二人を振り返る。
リシェイはなんだかんだと一緒の部屋に寝泊まりしている。事務所で雑魚寝した事もあるくらいだ。
だが、メルミーとはそういうアバウトな関係になっていない。意外なようだが、仕事で一緒になった場合でもメルミーは他の女性陣と一緒に別の部屋だ。もともと木籠の工務店の店員なので、宿泊費は俺の事務所持ちではないというのもある。
リシェイは特に気にした様子もなく、早く部屋に入りたそうにしている。
「メルミーさん的には、アマネ君と同じ部屋でも別にいいよ。同じベッドでも構わないくらいだよ」
「冗談が通じる状況ではない事は理解してるんだよな?」
「冗談じゃない事を証明するにはキスでもすればいいのかな?」
メルミーが俺に投げキッスをすると、ロビーに居合わせた建橋家が口笛を吹いて囃し立ててきた。
本人が気にしないというのなら別にいいか。
ロビーに居合わせた参加者の注意が図らずも俺たちに向いたので、俺は彼らに声を掛ける。
「今回の枝に関して、ヨーインズリーが公開している測量結果と数値が食い違った方はいらっしゃいますか?」
俺の問いに、何人かが片手を挙げた。
そして、手を挙げなかった参加者に視線が集まる。
「お前さん、数値があってるのか?」
「誤差程度にはずれてるが、問題視するほどではないよ」
その会話を皮切りにロビーにいた参加者が口々に自らの測量結果を公表して行く。
十五人分の測量結果を脳裏で並べ、俺はロビーに参加者を見回した。
「測量日が後にずれ込むほど、枝の曲率が変化してますね」
「だが、重量の問題でもなければ腐っているわけでもないぞ。曲率の変化と言っても全方位へ出鱈目に数値が変わってる」
そうだ。通常、枝の曲率が変わる要因としてあげられるのは重量過多である。枝の上に重い物があれば、枝は自然と下向きに曲がって行く。俺たちの測量結果もこれに当てはまっていた。
だが、このロビーにいる参加者たちのうち何人かの測量結果は異なり、上方向の曲率誤差が見られた。これは枝を下から引っ張り上げるような要因が必要になる。例えば、バードイータースパイダーが巣を張った場合などにこの誤差が起きる。
脳裏でグラフを描くと、ヨーインズリーが測量を行ってからの枝の変化は下方向へ曲がった後で持ち直す様に上へ、その後にまた下向きにというZ軸の曲率変化。これに多少のX軸の曲率変化を伴う。
こういった変化をもたらす原因に、俺は魔虫狩人の知識から結論を導き出す。
「……ワックスアント」
シロアリに似た魔虫だ。
世界樹の枝の内部に巣をつくり、全長は五十センチほど。巣の内部の壁面を分泌した蝋で覆う事で枝そのものの強度を維持する習性があり、蝋の収縮で枝の曲率が変化する事もある。
だが、この規模で枝の曲率が変化するとなると、あの枝の中にはかなり大規模なワックスアントの巣が眠っている事になる。
俺の呟きを聞いたロビーの参加者たちがどよめく。
「ちょっと待て。ワックスアントは肉食だろ。この辺りは村しかないのに、そんな大規模な巣を駆除できるほど魔虫狩人を集められるのか?」
「分かりませんが、ともかくヨーインズリーに報告した方がいいと思います。お手数ですが、皆さんの測量資料を証拠として提出させてくれませんか?」
「それは、構わないが」
話をまとめて、俺はロビーにいた参加者の測量資料を預かり、居合わせた二人の建橋家を伴って大会運営員に直談判しに行く。
宿の隣にある宿の店主の家に居候させてもらっていた大会の運営員の一人は、俺が建橋家資格を受験した時の面接官だった。
俺を見た面接官は困ったように頬を掻く。
「合格したらしいね。おめでとう」
「発破を掛けられましたので」
あなたにも、リシェイにも。
それはそれとして、と俺は話を切り出す。
「今回の舞台になっている枝の測量結果なのですが、どうも参加者が調べた数値とヨーインズリーが公表している数字が食い違っているようで、再調査をお願いしたいんです。個人的な予測ですが、ワックスアントが巣を作っているのではないかと」
参加者に提供してもらった測量資料と一緒に所感を述べると、面接官の顔色が変わった。
「拝見しよう」
測量資料を見比べた面接官は頭痛を堪えるように眉間を押さえた。
「もしもワックスアントの巣があるとしたら、かなり大規模な物になるか。アマネ君は魔虫狩人ギルドにも登録していたね。規模はどれくらいとみる?」
「正直、分かりません。反響音で巣の大きさを調べられる魔虫狩人もいるそうなので、探してみてください」
「反響音で……そんなこともできるのか」
「実力者に限られます。何よりもまずは頭数をそろえた方がいいでしょうね。ワックスアントはただでさえ数が多いですから」
しかも、巣に乗り込むともなれば閉所での戦闘になる。ワックスアント自体は体長五十センチと小柄だが、魔虫の例にもれず硬い甲殻に守られている。仕留めるならば高級品の鉄の矢が必要になるだろう。
だが、募集を掛ければ魔虫狩人たちがすっとんでくるはずだ。ワックスアントの分泌する蝋は蝋燭の材料はもちろん建材の原料としても使用できる用途の幅が広い素材である。
鉄の矢を使っても十分におつりがくる。
「ヨーインズリーの名前ですぐに近隣の町や都市に魔虫狩人の募集を掛けよう。大会参加者には明日通達するが、会場の枝には行かないように君からも伝えてくれ」
「分かりました。同じ宿の参加者には伝えておきます」
俺は面接官に約束してその場を後にする。
それにしても、これは大会の中止もあり得るな。
宿に戻ると、参加者たちが一階で俺の帰りを待っていた。
「結果は?」
参加者の一人に問われ、俺は面接官の言葉をそのまま復唱する。
「中止かねぇ」
「会場を変えて再度開催って可能性もあるな」
「ビューテラームに対抗意識を燃やして今回の大会を開いたわけだしな」
参加者たちが口々に噂話を始める。
俺は一階にリシェイとメルミーがいない事に気付いて宿のカウンターに向かう。
「お連れ様なら先にお部屋でお待ちです」
「そうでしたか。ありがとうございます」
受付に礼を言って、一階端にある階段から二階に上がる。
受付に言われた部屋の扉をノックして、中に声を掛ける。
「入っていい?」
「アマネの部屋でもあるんだから遠慮しなくていいわよ」
中で着替えてましたという定番イベントを避けるための知恵さ。日本男児は虚構からも現実に活かす知恵を学べるイカした人種なのだ。
了解も得たところで、俺は中に入る。
「……二人ともパジャマか」
リシェイが普段寝る時にパジャマを着ているのは知ってたけど、メルミーも着るのか。しかも可愛い。
なに、その袖口フリル。めっちゃ可愛いんですけど。
「話はまとまったの?」
リシェイが立ち上がって俺の脱いだ上着を受け取り、壁のハンガーにかけてくれる。
「魔虫狩人を募集して討伐に動くってさ。先に再調査してからって事らしいけど」
シャツを脱いで着替えを鞄から出そうとしたら、リシェイが先に一式用意して俺に差し出してくれた。リシェイが纏めて出してくれた寝巻の最上段は当然のように寝巻用シャツだった。ズボンは最下段にあるようだ。俺が服を着る時の順序そのままだ。
「ワックスアントの巣の討伐に魔虫狩人が何人必要になるのかしら?」
「内部の個体数が三ケタに届かない小規模な巣なら実働二十人の予備兼救助用戦力十人の計三十人かな。今回は巣の規模がかなり大きいみたいだから見当がつかない」
魔虫狩人もピンきりだし、今回は巣の内部掃討だから求められる技能も多少特殊になってくる。具体的には閉所でも戦闘が可能な短弓技能と剣を用いた近接戦闘能力だ。
魔虫狩人は樹上で長弓を用いた狙撃や集団での十字射撃が主な戦闘方法だから、近接戦闘を鍛えている者は少ない。通常の魔虫は数メートルクラスの体躯を誇り、甲殻を持つため近接戦闘など自殺行為だから当然である。
短弓の方なら扱える者も多いから戦力の確保もある程度可能だと思うけど、果たしてどうなるやら。
靴下を脱いだら洗濯物をまとめておくための袋をリシェイから渡された。礼を言って受け取り、脱いだ衣類をまとめて放り込む。
「ワックスアントって甲材にもなるのよね?」
俺が衣類を入れた袋を片付けながら、リシェイが訊ねてくる。
甲材とは魔虫の甲殻を用いた建材の事だ。用途は様々で床材や壁材、補強や化粧板としても使われる。特殊な物の中には振動を吸収する目的で使用される物もあったりする。
「ワックスアントの甲材は硬質かつ純白の見た目で汚れを弾く効果があるから滑り止めの刻みを入れて水回りの床材にしたり、台所で脂が跳ねても大丈夫なように壁に使ったりする。加工難度は結構高めだけど、そのあたり職人の感覚ではどうなんだ、メルミー?」
話を振ると、メルミーは俺とリシェイを見つめて口を半開きにしていた。
何か驚くようなことでもあっただろうかと、俺はリシェイと顔を見合わせる。
いつも通りだし、特に何か驚く要素は見当たらない。
「どうかしたの?」
リシェイが訊ねると、メルミーが我に返った。
「いま、ごく自然に洗濯物をまとめて袋に入れたよね?」
「それがなに?」
「……その袋、リシェイちゃんの着替えが先に入ってたよね?」
「そうね。わざわざ袋を二つ用意する必要はないのだし、当然だと思うけど?」
不思議そうに首をかしげるリシェイを見て、メルミーが俺に視線を移す。
「えっと、いつもこんな感じ? 事務所でも?」
「まぁ、おおむねこんな感じかな」
「脱いだ上着をリシェイちゃんが受け取って壁に掛けたり?」
「……あぁ」
メルミーが言わんとするところを察する。しかし、リシェイは未だに分からない様子で俺を見て再度首を傾げた。
そんなリシェイにメルミーが質問する。
「その洗濯物の袋に入れるのがアマネのじゃなくて、別の男の人の物なら嫌じゃない?」
「……嫌ね。全力で拒絶するわ」
心の中はともかくその全力拒絶を態度に出さないであげて。男のピュアハートが砕け散っちゃうから。
俺なら間違いなくへこむ。今までナチュラルに洗濯物を袋に入れたけど、危ない橋を渡っていたものだ。
リシェイもようやく気付いた様子で、洗濯物を入れた袋を見つめる。
「孤児院でも男女別で袋に入れていたけれど、こういう事だったのね」
「天然だったとは、メルミーさんの眼をもってしても見抜けなかったよ」
メルミーが頭を抱え、壁に仲良く並べて掛けられた上着を指差す。
「あれとかさ、夫婦かって思わずツッコミいれるところだったよ。しかも、アマネの着替えまで用意して平然と渡すし」
言われてみればおかしい。下着まで渡されなかったからスルーしてたけど、俺も感覚がマヒしていたっぽい。
リシェイもいまさらながらに理解したらしく感心したように深く頷く。
そして、何かしらの折り合いを自らの中で付けた顔で俺を見た。
「アマネが嫌でないのなら、これまで通りにするけれど、構わない?」
「別にいいんじゃないか。どうせ洗濯するときは分けるんだし」
自分の分の洗濯物は自分でやる。洗濯機などないこの世界では当然である。
「なら決まりね」
「メルミーさん的にはなんか見せつけられた感があるけど、本人たちが納得してるならいいや……」
珍しくため息を吐いたメルミーが話を戻す。
「ワックスアントの甲材だけど、とにかく硬いから加工が難しいんだよ。刻みを入れるくらいなら何とかなるんだけど、空中回廊で床版に使う時に大きさを揃えたタイル状にするのが至難の業でね。これができればうちの工務店で半人前と認められるよ」
「一人前じゃないんだな」
「一人前は技術とは別のところにあるからね。わたしも半人前だよ」
メルミーの説明を聞いていたリシェイがベッドの端に腰掛けながら質問する。
「ビーアントっていう魔虫もいるのよね?」
「あぁ、いるねぇ。反響板に使う奴。綺麗に仕留めるのが難しいんだっけ?」
メルミーが首をかしげると、リシェイと揃って俺を見る。魔虫狩人をしている俺なら討伐に関しても詳しいからだ。
ビーアントは翅をもつクロアリに似た魔虫だ。体長は一メートル前後である。
「大概は甲殻に傷をつけて反響板としては使い物にならなくするな。それでも、硬くて研磨剤に使えるから、色々と用途の幅が広い」
相性の問題もあるけど、俺なら安定して綺麗に仕留める自信がある。
「ビーアントの綺麗な甲殻って高い物なの?」
「反響板に使えるとなると相当な額になるかな。ビーアントの成体一匹分で玉貨一枚は確実だと思う。魔虫狩人ギルドでも、反響板に使える良質なビーアントの甲殻は在庫があっても買い取れと職員に指導してるくらいだ」
エリートである建築家の中でも映え抜きのエリートである建橋家への依頼料が基本的に玉貨一枚からが相場と考えればその凄さも分かる。
リシェイはへぇ、と感心したような声を出した。
「西の摩天楼ビューテラームの北にあるトラミア都市がコンサートホールを作る計画を立てているって噂があるのだけど、ワックスアントの甲殻だと反響板にはならないの?」
「ならないな。だからこそ貴重なんだ。というか、トラミア都市がコンサートホールを作るって何の話?」
「さっき、一階にいた参加者たちが噂をしていただけよ。事実かどうかは分からないわ」
「ちょっと調べてみた方がいいかもな。この大会が中止になったら、事務所に帰ってすぐ魔虫狩りをして当面の事務所費を工面しないといけないし」
「そうね。トラミア都市がコンサートホールを作るのならビーアントを狩るのが効率もいいと思うわ」
リシェイと相談していると、ベッドの上に寝転がったメルミーが頬杖を突きながらボソッと呟いてくる。
「家計について話す夫婦の会話みたいになってるよー」
二日後、近隣の町や都市からやってきた魔虫狩人によるワックスアント討伐作戦が開始された。
事前調査の結果、ワックスアントの巣の入り口が発見されたためである。
巣の入り口は枝の側面に当たる場所に開いていた。
崖にしか見えないようなその場所に開いた穴は直径一メートルほど。おそらく、内部は直径二メートルから三メートルの幅になっているはずだ。
魔虫狩人たちは命綱を使って枝の側面にある巣の入り口へ伝い降り、内部へ進攻を開始。
三日間の戦闘の結果、無事に巣に潜んでいたワックスアントを全滅させる事に成功した。
一時は大会の中断や延期もささやかれたが、ヨーインズリーは大会の続行を宣言した。
俺も中断するだろうと思っていただけに意外だったが、枝の内部にあるワックスアントの巣の模型を見て納得する。
殺風景だった枝も、内部にあるワックスアントの巣だった空洞を地下として利用する事で面白い村が作れるのだ。
ワックスアントが分泌した蝋により枝の強度も維持されており、大会の続行は可能だとヨーインズリーも判断したらしい。
参加者たちもこの特殊な舞台に関心を示し、ワックスアントの巣を地下道と呼称してこれを利用したデザインを練っているようだ。
かくいう俺も宿の部屋で製図台を前にペンを走らせているわけで。
「どうよ、あまねっち」
ペンを置いたタイミングで待っていたようにメルミーが後ろから抱きついてくる。俺の頭の上に顎を置いて、首に両腕を回した状態で設計図を眺めはじめた。
「他の参加者は地下道扱いして建物は上にっていうデザインが多いみたいだけど、アマネは違うんだね」
「地下道としての利用に留めるのは勿体ない気がしてな。キノコの栽培所にするって案もあるらしいけど、大規模なこの地下道を観光地化できれば面白いと思ったんだ」
「この間のロープウェイといい、アマネは観光業が好きなのかな?」
「いい加減離れなさい」
メルミーの頭に軽く手刀を落としたリシェイが俺たちの会話に入り、設計図を見る。
「宿泊施設? そう言えばあの地下道の中って蝋のおかげで音が響かないものね」
「うわっ、リシェイちゃんが言うとエロい」
「……メルミー、どういう意味かしら」
リシェイにぎろりと睨まれて、メルミーは口に片手を当てる。
「宿泊施設で音が響くかどうかを気にするってエロくない?」
「静かに眠れる空間を提供する事のどこが……その、えろいのよ……」
エロの単語を口にすることを憚るリシェイ。
メルミーが言っているのはラブホ的な使い方で、リシェイが言っているのはあくまでも落ち着いた雰囲気が楽しめる宿泊施設だろう。
俺は後者の方向性で設計している。地下が丸々ラブホ街の村なんて、提案するだけで勇気が必要だと思う。提案された方も面食らうだろ。
地下道の形状も綿密に調べ上げ、枝上の建物の振動や音が響かない場所を選択、なおかつ地下道の一番大きな場所にプラネタリウムを作れないかと画策中である。光源にはヨーインズリーの図書館でも使用されているウイングライトという魔虫の蓄光の性質を持つ翅を利用するつもりだ。
地下道の設計に当たって最も難しいのはどうやって光源を確保するかだ。
この世界に存在する光源はワックスアントの蝋燭、世界樹の葉や主食にしているトウムの茎で作った藁束などの火によるものがあるが、こちらは一酸化炭素中毒の危険性から地下道での使用は好ましくない。
そこで、目を向けるのはウイングライトの羽だが、非常に高価で数を確保しにくい。そもそも流通量自体がごくわずかだ。
「光源はやっぱり、タコウカになるかな」
タコウカは夜に葉を光らせる二年草で、木の上に住むため火を燃やすことが好ましくないこの世界において街灯などに利用されている。一年目の終わりに花を咲かせると同時に葉が色付き、一年間葉を光らせる便利な植物だ。あまり光は強くないため、本を読んだりは出来ないが、地下道を照らして歩けるようにするくらいはできるだろう。
「タコウカの畑はどこに作るの?」
メルミーとの言い争いを切り上げたリシェイが設計図を覗き込んでくる。
タコウカは二年草、光を放つのは花を咲かせてから枯れるまでの一年間だけだ。外から輸入するのは経費が掛かりすぎるため、村で育てることが前提になる。
このタコウカは一年経たないと発光色が分からないのが難点で、運が悪いと葉が黒く染まってしまって光らないという場合もある。葉に二色の色が乗る事も多い。
地下道である以上、あまり多くの色で照らすと鬱陶しいだろう。二色から三色が限度だと思う。
畑の大きさも、黒などの利用できないタコウカが出てくる可能性を考えて余裕のある広さにしないといけない。そうなると水を確保する必要が出てきて、貯水槽を作るしかないのだが、貯水槽の重みに中が空洞化したこの枝が耐えられるのかというと――
あれこれと考えて、何度も計算を重ねる。
中が空洞の枝であるため、枝の上においても荷重限界量にばらつきがあるのだ。貯水槽の設置に適した場所を選定するだけでも大仕事である。
地上の建物も、地下ホテルに人を呼び込むために少し凝った物にする必要があった。
デザイン面では実力の低い俺の設計というところが評価にどう響いてくるかは分からないが、俺なりに精いっぱいやったつもりだ。
最後の修正を終えて、俺は設計図を片手に立ち上がる。
「これが終わったらヨーインズリーの事務所で打ち上げでもしようか」
「いいわね。アマネの建橋家試験の合格祝いもできてなかったし」
「二人だけで美味しい物を食べる気?」
「ちゃんとメルミーも誘うわよ」
リシェイが苦笑して、メルミーが「よっしゃ」とガッツポーズを決める。
どんな打ち上げにするかを話し合う賑やかな二人を置いて、俺はデザインを大会運営に提出しに向かった。
まぁ、この宿のすぐ隣なんだけどさ。
宿の主とお酒を飲んでいた面接官さんにデザインを提出する。面接官さんの膝の上にはこの家の息子さんらしき男の子の姿があった。懐かれてるらしい。
「アマネ君か。地下道の強度まで詳細に調べていたようだね。見せてもらってもいいだろうか?」
「ぜひ、意見を聞かせていただきたいです」
「提出した以上、やり直しとはいかんよ?」
「いいですよ。意見が聞きたいだけですから」
この面接官さんも建橋家の資格持ちだ。俺から見れば先輩にあたる。
精いっぱいやったつもりだが、直接意見が聞けるならば今後の参考にしたい。
面接官さんは俺の設計図を眺めて、感心したように「ほぅ」と小さくため息を吐いた。
「宿泊施設か。目の付け所はいい。このプラネタリウムというのは、夜空を天井に投影する物だね?」
「そうです。星座やそれにまつわる神話の語りも同時に行えれば面白いかと」
「確かにそういう施設のある都市もある。西のビューテラーム近くの都市だったはずだ。一度足を運んでみるといい。西側の都市は面白い建物や橋が多いから、アマネ君にはいい刺激になると思う」
「一度足を運びたいとは思っているんですが、なかなか機会がなくて」
拠点にしているのが東の摩天楼ヨーインズリーという事もあって、西の摩天楼ビューテラームは足を延ばしにくい距離なのだ。
ヨーインズリーとビューテラームは何かと張り合ってはいるが、それはあくまでも切磋琢磨し合っているだけで反目しているわけではない。だから、俺が足を運ぶことで軋轢が生まれる心配もないのだけど、ままならないものだと思う。
面接官さんは設計図を仕舞いながら俺を見る。
「やはり、君の設計には遊びが欲しい。実用的で経済的かつ合理性を突き詰めていくのもいいが、別の視点を学ぶのは絶対に悪い事ではないはずだ。この設計図はなかなかいいものだと思うが、やはり建物に真新しさがないのが気にかかる。地下の宿泊施設に人を呼び込めるほどの求心力が建物に感じられないんだ。ビューテラームへの旅費くらいは私が出してもいい」
「そこまでお世話になるわけにはいきません。大丈夫です」
「む? そうか」
少し残念そうにした面接官さんは酒を煽り、俺の腕を軽く叩いた。
「何はともあれ、君はまだ若い。一つの事を突き詰める生き方をするには早すぎるよ」
「そうですね。ヨーインズリーに帰ったら少し予定を考えてみます」
いい機会だし。
面接官さんに誘われた酒を一杯だけ飲んで、俺は宿の部屋に戻った。
どういった変遷を辿ったのか、リシェイが手料理を作るというのをメルミーが必死に止めていた。
メルミーが俺に気付いて口を開く。
「アマネ、リシェイを止めて! また食べ物を粗末にしようとしてんの」
「私だって上達したわ。ゆで卵だってちゃんと作れるようになったのよ」
「そんなはずないじゃん!」
「せめて一回つくらせなさい!」
収拾がつくとは思えない。
俺は二人を引き剥がし、三人での話し合いを執り行う。
結果、ここでゆで卵を一つ作ってリシェイが食べることに決まり、リシェイが台所に立った。
俺とメルミーが固唾をのんで見守る中、リシェイはきちんと卵を殻ごと水の中に入れる。
水から加熱派なのか。俺は沸騰してからそっと入れて茹でる派だ。
しばらくして、真剣に鍋を睨んでいたリシェイがお玉で卵をお湯からあげる。
「どうよ。ちゃんとできるでしょう?」
俺はメルミーと顔を見合わせる。互いにこの結果が当然の帰結であると納得していたが、リシェイ本人には口で言っても分からないのは先刻の出来事で承知している。
リシェイを見て、準備していた小鉢を差し出す。
「……この中にその卵を割りいれてくれ」
「殻を剥くからちょっと待ってて」
「待て、早まるな。殻は――」
小鉢の縁に茹でた卵を軽く打ち付けたリシェイがひびに親指を入れて殻を剥こうとする。
俺の制止も聞かずに殻を剥こうとしたリシェイの手で卵が潰れた。
「……なんで?」
半熟どころか生のままの中身がどろりと流れ出しているのを見つめながら、リシェイが呆然と呟く。殻の内側がほんのりと白く固まっているのが哀愁を誘った。
「水から茹でるにしたって沸騰してしばらくしてから卵を上げるんだよ。沸騰する前に卵をお湯から引き上げても中身が固まるはずない」
「リシェイちゃんはやっぱり料理向いてないよ」
メルミーが追い打ちを掛けてトドメを刺す。
そんな一幕を終えて翌々日、大会の結果が発表された。
一位に選ばれた案はワックスアントの分泌した蝋が温度や湿度を一定に保つ働きがある事に目をつけ図書館として利用する物。
俺は二位という結果だった。
宿泊施設化の目の付け所は評価されたが、周辺都市や町から枝内部のホテルを利用しに来る客は少ないと判断されたのだ。
最優秀こそ逃したが、建橋家なども押しのけての二位という事で、ヨーインズリーの事務所で行う予定のささやかな宴に祝い事が一つ増えた。